「中居正広性暴力問題」は「氷山の一角」どころか「氷のひとかけら」:日本社会に蔓延する真の問題を根絶しなければ意味がない。
まあ、中居氏の「いちゃもん」以外のなんでもないよな。その後、第三者委員会の反論があり、さらに中居氏の再反論。でも、どういったらいいのかな。「いちゃもん」の上塗りとしか、わたしにはみえない。中居氏には申し訳ないけど。
私のこの問題に対する立場です。
一部引用しますね。
『私の立場は、人材を育成し、企業などに送り出す立場。ゼミ長14人のうち、11人が女子であるゼミで、いまだ男社会の日本社会で女子学生に成長の機会を与え、さらに社会進出をしてもらいたいという問題意識でやってきた。
その立場からすれば、会社として女性社員を重要な取引先に事実上「性上納」していたというのは、許しがたいというのを超えて、もはや会社として存続を許すべきではないのではないかとさえ思う。』
この問題で、大学教授が専門家として解説することはよくみるが、「人材を送り出す立場」として教授が論じるものを、ほとんどみたことがない。だが、大学は専門家がいる「研究機関」であるとともに、「教育機関」「人材育成機関」でもあるはずだ。企業など、社会のさまざまな組織に人材を送り出す、そういう立場で意見をいうことも必要だ。
大学は、社会に出てキャリアを築きたいという女性を見守り、守る存在にならなければならないはずだ。
それで、中居氏の「反論」だが、第三者委員会に切って捨てられた。報告書での「事実認定」は適切であるとし、中居氏が求める証拠の開示についても、開示を拒否した。
この回答に、中居氏は「到底容認できない」として、再反論した。論理的な説明はなく、さらなるただの「いちゃもん」を続けただけで、フジテレビの株主総会を前に、「泥仕合」の様相を呈してきた。
まあ、「泥仕合」については、さまざまな方が専門的に論じておられるので、そちらに任せたい。
ただね、中居氏の「いちゃもん」は、無意味ではないと思うんだよね。無意味ではないというのは、中居氏にとってという意味ではない。日本社会にとってだ。
なにより、この問題が風化するのを防いだことだ。私は
「この問題、フジテレビを悪者にして終わりではない。日本社会全体が考え方を変えて、すべての個人が尊重される社会になる契機にしなければ意味がない。」
と書いた。ところが、フジテレビの事でさえ、風化しつつあったように思う。株主総会が終わって、一定の経営陣の刷新が行われる。まあ、満点の回答といわれるような刷新はないだろう。だが、時が過ぎて、みんな忘れるのを待つ。
こんな感じになるはずだったと思いますよ。女優の不倫や、いろんな問題が次々と起きる。人々の関心も移り変わる。
中居氏の反論で、それは吹き飛んだね。そして、第三者委員会の拒絶に対して、さらに反論。それも論理性はなく、感情をぶちかましたような再反論(笑)。
これは、風化しないな。これから、名誉棄損裁判でもやろうものなら、尚、延々と泥仕合が続き、風化しない。
それはいいことだ。話題になり続けることで、話は他の企業、組織にも広がる。いろいろなハラスメント事案が明らかになっていくだろう。それが正されていくことで、
「日本社会全体が考え方を変えて、すべての個人が尊重される社会になる契機」
になっていくかもしれない。
2つ目は、いわゆる「WHO基準」が日本社会により浸透していく契機になるということだ。中居氏の思いと真逆な結果になるのだけどね。
中居氏の反撃によって「WHO基準」に焦点が当たった。中居氏の主張が
「『性暴力』という日本語から一般的に想起される暴力的または強制的な性的行為の実態は確認されなかった」
というものだからだ。でも、「日本語から一般的に想起される」ってなによ?自分は「日本語」を使っているけど、中居氏のいう「性暴力」という日本語から想起するものは、はっきりと中居氏とは違う。それが、いまや日本社会の常識であると断言する。だから、中居氏の主張は到底容認できない。日本語を使っている人に対して、失礼の極みではないか。
あらためて「WHO基準」とはなにかといえば、
「性暴力は、強制力を用いたあらゆる性的な行為を指す。有形力に限らず、心理的な威圧や脅し、言葉での圧迫なども含む。また、被害者の関係性を問わず、家庭や職場を含むあらゆる場所で起こり得る」
というものだ。日本語で使っている人でも、この基準は普通に理解できるものだと思う。いや、多くの企業など組織に属する人にとって、この基準は一般的でないどころか、むしろ非常に実感のあるものではないかと思うのだ。
まず、中居氏の性暴力に関して。第三者委員会は「フジテレビ社員の関与」があったのかという点について、性暴力の「当日」だけを切り取れば、そこに社員の関与はなかったとする。だが一方で、この性暴力は「プライベートではなく『業務の延長線上』にあった」という判断を示しているのだ。
つまり、中居氏と被害者のA子さんは交際関係ではなく「労務上の人間関係」だった。「著名なタレント」と「入社数年目のアナウンサー」という「権力格差」があったということだ。
ここからが大事なのだが、第三者委員会は「フジテレビの業務形態として、番組に出演するタレントと外部との会合が、一般的にフジテレビの業務と認められていて、支払ったお金も業務上必要な経費として扱われている」と指摘している。
数日前に行われたバーベキューの会の延長線上とは認定していないが、「業務の延長線上」にあったと認定しているのだ。
400ページにおよぶ第三者委員会の報告書、専門家によって関心を持つ部分が違うのだろうと思うが、私は肝はこの部分だと思っている。
まず、中居氏・フジテレビ側が、最初からここを重視していたと思われることだ。
この問題が発覚した当初、フジテレビは「社員の関与はない」とし、その根拠を「問題が起こった当日の関与がない」と一貫して主張していた。言い換えれば、
「中居氏とA子さんのプライベートな問題」
だと、言い切っていたのだ。
だけど、私はこの「当日の関与がない」ということは、フジテレビと中居氏の画策だろうと思っていた。フジテレビは権力関係を使って、A子さんが断れないように追い込み、「上納」まで周到にもっていく。だけど、「当日」は中居氏しか連絡しない。
そのため、なにか問題が起こっても「プライベートな問題」と主張できる。そして、A子さんが自宅に自ら行ったじゃないか、「合意」だったのではないかといい、A子さんはなにも言えなくなる。
つまり、なにかあった時のための予防線として、「プライベートな問題」として片付けるために、当日はフジテレビ社員は出ないという周到な段取りをしていたのだ。
そして、これは、中居氏とA子さんの間だけではあるまい。いろいろあったに違いないが、どれも会社側が「プライベートな問題」と断じて、女性はなにも言えず、泣き寝入りするしかなかったのだと思うのだ。
もちろん、これは私の仮説ではありますけどね。第三者委員会は、そこまでは踏み込んでいない。
だけど、私は元々、報告書は中居氏・フジテレビの「プライベートな問題」と、A子さんの「性暴力」という主張の「両論併記」となり、うやむやに終わらそうとするだろうと予想していた。
それが、ふたを開ければ、「権力格差」によっておこった、業務の延長線上での性暴力」と明確に認定した。これは、よく踏み込んだものだと思う。
第三者委員会は、わずか2か月間で、社内、社外の関係者にアンケートを行い、PCやスマートフォンの提供を受けて、デジタルデータも調べた。その結果「アナウンサーの人権が 脆弱な立場にある」「社内にハラスメントが蔓延している実態している」「被害を受けた方の通報窓口が十分機能していない」と認識した。
そして、「年齢、性別、容姿に着目して呼ばれる会合がある」「若い女性社員、若いアナウンサーが呼ばれていくのが問題である」という認識を持った。
少なくとも、2つの類似案件があることが明らかになった。1つ目は、「ホテルのスイートルームで行われた会合で、有力な番組出演者からハラスメント被害」があった。もう1つは、「少し古いが、有力な番組出演者との飲食の場に女性社員が呼ばれていき、2人になってそこでハラスメント被害」にあった。二つの事例に共通することは、
「フジテレビの男性社員が女性を置き去りにして、有力な出演者と女性だけの空間ができ上がり、ハラスメント被害が生じた」
ということだ。
第三者委員会は警察ではない。2か月と期間の短さもあり、調査には限界がある。だが、調査から推測されることは、類似案件は、数えきれないくらいあるだろうということだ。
フジテレビにかかわらず、日本の組織で性暴力が起こる場合、個人的な恋愛関係の揉め事から起こるのでなく、「権力関係」の中で、女性が拒否できない状況に追い込まれて、起こることがほとんどだ。
実は、私の教え子にも「上納」を経験した人がいるんですよ。業界はまったく違うし、そんなことが起きそうなイメージがまったくないお堅い業界だ。これ以上のことは絶対にいえませんがね。
要は、「権力関係による性暴力」というのは、フジテレビだけでなく、メディア業界だけでなく、社会全体に大なり小なり広がっているのだ。そして、社会全体から、「権力関係による性暴力」を徹底して根絶することが最も重要なことだ。
その意味で、中居氏の主張するように、当日に関してA子さんが中居氏に従順であり、性交渉がノーマルなものだったとしても、「性暴力」なのだ。そこに組織的な権力関係が存在したのは明らかだからだ。
そして、中居氏の問題は、あくまでフジテレビの問題の氷山の一角にすぎず、日本社会全体でいえば、氷のひとかけらにすぎない。日本社会が抱える深刻な問題の本質ではない。
その意味で、中居氏の反論は、「問題の風化を防ぐ」「WHO基準の日本社会への浸透」という意味ではいいが、注目が
「中居氏の性暴力」
に集まりすぎてしまうのは問題だなとも思うのだ。これを機に、
「フジテレビの社内にハラスメントが蔓延し、『権力格差によっておこった、業務の延長線上での性暴力』が常態化している実態」
のインパクトが薄れて、忘れ去られてしまうのはおかしい。
特に怪しいのが、中居氏の反論を強く支持する発言を行う、フジテレビと関係が深いと思われる「識者」たちの存在だ。
彼ら、強烈に中居氏を支持して、中居氏の反論に注目を集めて、実際にやっていることは、フジテレビを隠し、守ることじゃないのか?
それと、いつもはセクハラに厳しい姿勢の市民団体とか、女性政治家などが、この問題には一貫して沈黙しているのはなんなんだ?
そして、その先にあるのは、
「権力格差で起こる性暴力、女性を『上納』することを守る」
ことに必死な人たちがいるんじゃないのか。そして、その人たちを恐れて、沈黙している女性たちがいるのでは?
闇は深いということではないのか?
ともかく、今までそれでうまくやってきたのだから、なんでダメなんだという人は、日本社会に山ほど残っている。
ともかく、オッサン、爺さんが若い女性にモテている、女性も喜んでいる、などと勘違いも甚だしい
「昭和の『男社会』の化石のような人たち」
がまだまだたくさんいることが真の問題なのだろう。何度でも繰り返す。
この問題、中居正広氏やフジテレビを悪者にして終わりではない。日本社会全体が考え方を変えて、すべての個人が尊重される社会になる契機にしなければ意味がない。
