オリジナル短編小説『歪んだ愛の設計図』
薄暗い黄昏時の空の下、停めてあった自転車に跨がり、横断歩道を猛スピードで走り去っていく人物がいた。
黒い服を身に纏い、キャップを深く被った女性だった。
中学生の奥山亮太はある日の部活帰り、横断歩道の脇で見知らぬ四十代ほどの男性に声をかけられた。
「わかるか? 俺のこと、わかるか?」
「えっ、誰ですか?」
突然のことに戸惑う亮太に、男は真顔で言った。
「パパだよ」
「は? 親父なら家にいますけど」
「俺が本当のパパなんだよ」
「気持ち悪いな……」
背筋が寒くなった亮太は、そのまま走って逃げ帰った。
その三日後、部活からの帰り道で、またしてもあの男が後ろからついてきた。
亮太は早足で歩いたが、背後の足音はどんどん近づいてくる。
耐えきれず、亮太は振り返って声を張り上げた。
「なんなんだよ!」
「なぁ、本当にわからないのか?」
「意味わかんねーよ!」
その時、四十代ほどの女性が駆け寄り、男の腕を強く掴んだ。
「もう、やめてーっ!」
泣き叫ぶ女性を振り払おうとしながら、男は訴えた。
「いや……本当に俺たちの息子なんだよ!」
「恭介は死んだのよ!」
「……」
呆然と立ち尽くす亮太の前で、男は絶句した。
「だって……こんなにそっくりじゃないか」
「この前、お葬式もしたでしょ……お願いだから、もうやめてよ」
二人のやり取りを聞いていた亮太は、おそるおそる尋ねた。
「……僕、亡くなったお子さんに、そんなに似てるんですか?」
女性は涙を浮かべながら、深く頷いた。
ふと横断歩道の脇に目をやると、小さな花束が幾つか手向けられていた。
「そうだったんですね……」
「いや、お前は俺の息子だろ?」
男は未だにしがみついてくる。
女性は頭を下げた。
「ごめんなさい。この人、ショックでノイローゼになっていて……本当にごめんなさい」
「いえ……でも、すみません」
重苦しい沈黙が、三人の間に流れた。
亮太は戸惑いながらも、静かに言葉を絞り出した。
「でも……俺には、なんにも出来ないんで」
家に着いた亮太は、玄関のドアを開けた。
「ただいまー……」
「ん? おかえり。何かあったの?」
リビングから母親の千佳子が顔を出した。
「変なおじさんに話しかけられてさ」
「大丈夫だったの?」
「亡くなった息子さんに、俺がそっくりなんだって」
「まあ……そんなことって、本当にあるのね」
「おじさん、ノイローゼになってたみたいで怖かったよ」
「助けてあげればよかったのに」
「いやいや、無理だって。怖いよ」
亮太は苦笑いしながら階段を上り、自分の部屋へと向かった。
一人残された千佳子は、去っていく息子の背中を見送りながら、ぽつりと独り言を呟いた。
「これで……私のところに戻ってくるかしら。亮太は、あなたと私の子だものね」
千佳子は穏やかな手つきで、部屋に置いてある観葉植物へ、シュッシュッと霧吹きで水をやり始めた。
十四年前。
千佳子は、恋人の隆文と手を繋いで歩いていた。
千佳子のお腹は、新しい命を宿して大きく膨らんでいた。
だが突然、隆文は足を止め、深く頭を下げた。
「申し訳ない」
「えっ?」
「その子の父親には、なれない」
突然の言葉に、千佳子の思考はフリーズした。
「……許してくれ」
「何言ってるの……?」
「千佳子の実家はお金持ちだから、なんとかなるだろ?」
「えっ? どういう意味……?」
「あいつには、俺しかいないんだ」
後で探偵を使って調べたところ、隆文は二股をかけており、ほぼ同時に別の女性も妊娠させていたことが発覚した。
そして千佳子は捨てられたのだった。
隆文は隣町で暮らし始めたが、千佳子は彼のことをどうしても忘れられずにいた。
しかし厳格な千佳子の実家が、父親のいない子供を産むことなど許すはずもない。
そこで千佳子は、ある男性と偽装結婚をした。
相手は、出世のために世帯持ちという形を欲していた男だった。
『子育てには関わらなくてもいいし、家にお金を入れなくてもいい、自由に遊んでいい』という条件で入籍を承諾させた。
それでも、運動会などの学校行事にはたまに顔を出してくれた。
会社の同僚の子供が、偶然にも亮太と同じ学年にいたからだ。
千佳子は、今でも隆文のことを愛していた。
どうしても彼を手に入れたかった。
隆文が、もう一人の女性との間に生まれた息子を、どれほど深く愛していたかも知っている。
あなたの子はもう、この世に亮太しかいないのよ。
千佳子は静かに微笑みながら、観葉植物に水を与え続けた。
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