【長編小説】オーバーライド 第 30 話
《作業員 相川一郎》
死者の匂いが立ち込める病院では、相川が薄い布団にくるまり寒さに震えていた。
「あー! まったく寒いなぁ。
こんなうすっぺらな布団だけじゃ、凍え死んじまう」
隣のベッドの男が、すっぽりと布団にくるまり座っている。まるで、小さな子どもが寒さに震えているようだ。
「相川さんよ、いつまで続くんだろうなぁ、この寒さは」
「知らねぇよ。どうしてこんなことになってるのか、全く分からねぇ」
患者の口から出るのは不平不満ばかりだ。それもそのはずで、文句の矛先は暖房ばかりではない。配られる食事も貧相なものなのだから。
「入院の楽しみっていったら飯だ。
ところがこの一週間、まともな飯が出て来やしねぇ。
体が温まるどころか、冷えた缶詰ばかりじゃ、治る病気も治らねぇや」
「ま、俺たちは病気じゃなくて、ケガだけどな」
ダルマのように布団をかぶった男が、自分の足を上げて笑う。
相川の包帯もだいぶ少なくなったが、未だに松葉づえだ。リハビリさえ乗り越えれば、退院は目の前だというのに、そのリハビリもなかなか思うように進まない。
「どうなってんだろうなぁ!」
怒りを天井にぶつけるように吐き出すものの、空腹に鳴る腹の虫を抑えることは出来ない。
「そんな大声出したら、余計に腹が減るぜ」
笑う男に相川は「違いない」と返す。だが、夕暮れ時には真っ暗になる室内で、元気でいられるのは昼間くらいだ。
時折トイレに行くものの、院内の寒さが体を包み、さっさと部屋に戻るしかない。その間、廊下に置かれたベッドに目をやると、そこには見慣れない顔がある。思わず「また新顔か……」と胸がつぶれる思いだ。
あの停電以来、けが人は後を絶たない。
「相川さん、散歩?
ご飯だから、ベッドに戻ってください」
配膳車を押しながらやってきた看護師が、相川を促した。
「飯か……どんな美味いものが乗ってるんだ?」
そう言って覗き込んだものの、変わらぬ缶詰が目についた。
「看護師さんよぉ。いい加減にしてくれねぇか。
こんなもんばかりじゃ、精が出ねぇだろう?
死にぞこないのジジイやババアに食わす飯があるなら、働ける俺たちに飯を食わせてくれよな」
「相川さん、なんてこというんですか!
皆さん同じ患者さんなんですから、そんなこと言わないで」
「そうは言うけどよぉ。もう何日、飯を食ってないと思ってんだよ。
飯どころか、パンも麺も食ってねぇぞ。いい加減にしてくれよ。俺はラーメンが食いてぇんだからよ」
「怪我が治ればラーメンだって、何だって、好きなものを食べられるんだから」
「そのためにも、今しっかり食ってケガを治さねぇとよぉ」
「はいはい、分かったからベッドに戻って」
背中を押しやられるように病室に戻された相川。その背後には、AIがついて歩いている。
「お前らはいいよなぁ。飯を食わなくても、いつもと何も変わらねぇ。
腹も減らなけりゃあ、寒くもねぇんだ。羨ましい限りだね」
松葉杖を巧みに動かし、ベッドに戻った相川は、配られる食事にため息を吐くしかなかった。
その口から、AIへの批判は出ていない。政府への批判も出ることはない。
だが、いつになったらこの生活が終わるのか、これもすべて政府がシッカリしていないからだと、そんな考えが湧いてくる。
相川は、余計なことなど言うまいと、配られたそれらを口に入れ始めた。政府への不満を飲み込むために。
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