【短篇小説】無料
阿部勝子は高そうな服を身にまとい、ブランド物のバックを手にして、スーパーにやってきた。カゴを手にすると、店内を見て歩く。
周りにはヨレヨレの服を着た女たちが、一円でも安いものを買おうと、値札を気にしていた。
勝子はそんな女たちを馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、精肉コーナーへと向かう。
そこには無料の牛脂が小さなカゴに入れられ『ご自由にどうぞ』と書かれている。
勝子は周りを気にすることもなく、掌を大きく開くと牛脂を鷲掴みにし、カゴへと入れて行く。
それを見た精肉担当の店員が声を掛けた。
「あの……」
だが、その声は勝子には届かず、振り向くこともなく、牛脂を掴む手は止まらない。
牛脂の全てが勝子のカゴへと移動し終えると、彼女は何事もなかったかのように歩き出した。
周りの客は驚き勝子を見ているが、まったく気にしていないようだ。
中には、牛脂を出して欲しいという客もいる。
店員は勝子の腕を掴んだ。
「すいません、全部もっていかれると困るんですけど。
できればおひとり一つにしていただきたいんです」
掴まれた腕に視線を向けた勝子は、面白くなさそうに口を曲げた。
その顔をあげ、店員へと向ける。
「あら、ひとり一個なんて書いてないじゃない」
「え、でも」
「ご自由にってことは無料ってことでしょ?
好きなだけ持って行っていいということよね?」
「そういうことじゃ……常識の範囲で、ということなんですけど」
「常識って、人によって違うんじゃないの?
ひとり一個が常識だなんて言ったら、肉が十パック必要でも、一パックしか買えないってことになるじゃないの。
ここ、スーパーでしょ?」
そういうと、勝子は店員に蔑みの目を向け野菜コーナーへと歩き出した。
「あの人、またやってるのね」
声を掛けてきたのは、パンコーナーの担当者だ。
店員は、ため息交じりに顎を引いた。
「あの人、野菜コーナーでもやってたわよ。
キャベツの外葉を捨てる箱から何十枚も取り出して持ち帰るの。
野菜の担当者が困ってたわ」
「そう……よほど貧しいのかしらね」
「貧しいわけないわよ。
あんな高価なバック持ってるし。
第一、あの人の家って、旦那さんはどこかの社長で、大きな家に住んでいるのよ」
「そうなの?!」
「あの人の息子がうちの子の同級生なんだけど、授業参観なんてまるでファッションショー。何を勘違いしているのかってくらい。
ママたちの間では、歩く身代金って呼ばれてるんだから」
「すごいわね……それにしても、カゴの中には牛肉が一パックだけだったけど。あの牛脂どうするつもりなのかしら」
「さぁ。まさかあのまま食べるわけでもないだろうけど」
店員たちのそんな声すら聞こえない勝子は、野菜コーナーにあるはずのゴミ箱を探していたが、目的のものがないと分かると、大きなため息をつき店から出て行った。
「まったく、大したものがないわね」
つまらなそうにこぼした時、勝子は肩を叩かれた。
「なによ!」
苛立つ勝子は声をとがらせ振り向く。するとそこには、高級スーツを身にまとった紳士が立っていた。
その顔は優しい笑みを浮かべている。
勝子は金持ちそうな男の容姿に同じ匂いを嗅いだのか、上品そうな笑みを作って見せた。
「あら、ごめんなさい。私としたことが。
なにか御用かしら?」
「はい。失礼ながら、店内でのやり取りを見させていただきました」
その言葉に勝子の眉が上がる。
「無料の牛脂をたくさんお持ちになったようで」
「それがなんなの?
無料なんだから、構わないでしょ!
あなたも欲しいなら、他の店を見て回るか、もっと早くに来るのね!」
「いえ、勘違いされませんように。
私はあなたを非難しようだなんて思ってませんよ。
それどころか、ちょっと興味が湧いてお聞きしたいと思っただけなんです」
「興味?」
「お見受けするに、あなたは裕福なご家庭の奥様のようですが。
やはり無料というのは心躍るものなのでしょうか?」
「え? 心躍るとかじゃないわよ。
無料なんだからもらっていいということじゃない?
だから、私はもらうの。
あれだって、残るかもしれないでしょ。
残ったら勿体ないから、私がもらってあげてるのよ」
「ほ~。素晴らしい考え方ですね。
無料ならば全部持って行って構わない。
誰にも遠慮することはない、ということですね?」
「当然です!」
ニコニコと笑みを浮かべる紳士に、勝子は誇らしそうに顎を突き出し、胸を張ってみせた。
「そうですか、いやあ、その考えは賞賛に値しますよ」
男はそういうと、嬉しそうに勝子から離れて行った。
勝子は「なにを当たり前のことを」とひとりごちると、牛脂をバックに詰め込み、自宅へと帰って行った。
家に帰り牛脂を冷蔵庫に入れると、満足そうに料理を始める。
無言の食事を終えると、家族はそれぞれが別の部屋へと入って行く。
勝子は夫に、タダで牛脂を手に入れたと自慢したかったのだが、夫は勝子を見ようともしなかった。
「まぁ、いいわよ。私の努力のおかげでこの家は安泰なんだから」
自室で本を読み、電気を消したのは零時を回った頃だった。
満足気に口角を上げ、明日はどこのスーパーで無料のものを手にしようかと考えながら、夢の世界へと落ちて行った。
家人が寝静まった頃、黒い影が勝子の横に立った。
寝息を立てている勝子の腕を引っ張ると、状態を起こされた。
なんだろうと思い夢から戻った勝子は、目の前のそれに驚き、悲鳴をあげた。
しかし、その悲鳴は離れた寝室で寝ている夫の耳には届かず、勝子は腹に鉛のように重い拳を叩き込まれ、気を失ってしまった。
意識を取り戻したのは、どのくらいの時間が経ってからのことだろうか。
腹の痛みはとうに消え、あれは夢だったのかと目を開けると、まわりにはマスクと手術着を着た三人の男が立っていた。
勝子は目を見開くが、自分がどうなっているのか分からない。
体を動かそうとするも、手も足も動かない。頭すら固定されているようだ。
開かぬ口から出てくるのは、唸るような声だけ。
男はマスクをずらすと、満面に笑みを浮かべて見せた。
その顔はスーパーで会った、男。
「静かにしてくれませんかね」
「うーうー!」
「そうか、何かしゃべりたいんですね。
まぁ、こういう状況だと、知りたいこともありますよね」
男はそういうと、口を塞いでいたガムテープを剥した。
その途端、勝子の口から悲鳴にも似た言葉が飛び出した。
「これはどういうこと?!」
「落ち着いてください。
あなたの声は耳に触るんですよ」
「……こ、これはどういうことなの。
ここはどこなの?!」
「ここは手術室です」
「なんで、そんなところに!」
「お静かにと言ったはずですよ。
まあ、これが最後になることですし、教えてあげますから冷静に」
「冷静になんて!」
「私も鬼じゃないんだ。
静かにしてくれれば、ちゃんと麻酔を使ってあげますから。
騒ぐなら、このままやりますけどね」
「このままって……な、何をするつもりなの」
背中に冷たいものを感じ、身体が震えだした。
喉がカラカラになっていくのが分かる。
「あなたは無料が好きなんでしょ?
実は私も無料というのが好きなんですよ。
そこはお互い通じ合うところで、本当に嬉しい限りです。
そこで、私は決めました。
あなたの身体の全てをいただこうと」
「身体の全てって……私の身体は無料なんかじゃないわ!」
「そうでしょうか?
あなただって、生まれてくるときにお金を払ったわけではないでしょう?
出産費用は掛かったとしても、それは親が掛けたお金で、あなたじゃない」
「そ、そんなの屁理屈よ」
「あなたがスーパーで言っていたことも屁理屈だ。
同じでしょ?
だから、大金を払ってでも臓器を欲しがっている人に売ろうと思いましてね」
「そ、それは……私の身体?」
「まさにその通りです。
ただし、臓器だけじゃないですけどね。
余すところなく頂けば、多くの人を助けることができるんです。
無料なんですから、全部キレイにいただく。
あなたも嬉しいでしょう?」
「う、嬉しくなんてないわよ!」
「困った人だな、騒がないでくださいって言ったのに。
その声を聞くだけで、私から優しい気持ちが消えて行ってしまう」
男は口元のマスクを付け直すと、メスを手にした。
マスクの下からは、嬉しそうな笑い声が漏れていた。
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