【短篇小説】視線
林の中に立つ一軒の家。
子供の頃に暮らし、今は両親もいない。
大学入学と共に家を出て、仕事を辞めた俺はここに戻ってきた。
広い庭には雑草がはびこり、子供の頃の面影が消えている。
「雑草を抜かないとダメだな」
俺は独り言を漏らすと、カマを手にして庭に立った。流れる汗をぬぐいながら、太陽の光を浴びる。都会に出てビルの中で働いていた頃には、日の光を浴びるなんてありえなかった。こんなに爽快なことを、すっかり忘れていた。
出来ることなら、両親が生きているうちに、戻ってこれたらよかったのに。出来もしない後悔が去来する。それでも俺は、両親が残してくれた林の中の一軒家を、ひたすら修復するように動き続けた。
時折、鳥の声が聞こえてくる。風が木立を抜けて涼しさを運んでくる。近くには小川が流れ、自然を独り占めしている幸せを味わっていた。
その時だった。
俺の背中に視線を感じた。
俺は振り返る。だが、そこにあるのは、古びた家。
誰もいるはずもないのに感じる視線に、俺は首をひねった。しばらくじっと家を見つめたが、家に何があるわけもない。また風が吹き、俺の髪を揺らした。
俺はふっと笑みを浮かべると、気のせいだと自分に言い聞かせ、また作業を続けた。こうしてぐったりするほど動き続けた俺は、ぐっすりと眠ることが出来た。
朝は早くに目を覚まし、健康的な疲れは俺を夢の世界へと連れて行ってくれる。
だが、数日が過ぎた頃だ。
熟睡していた俺の脳が、ある違和感で目を覚ました。
違和感の元をたどろうと、じっとしていると、階下から聞こえてきた。
ひたひたと、生足が床に吸い付くように歩き回っている。つぎには、水が流れる。
「誰かいる!」
そう思った俺はベッドから飛び起きると、階段を一目散にかけおり、階下へと足を運んだ。震える身体に勇気を送り込み、そのままキッチンへと向かう。入り口のスイッチに手を伸ばした。一瞬にして室内が明るく照らされる。
「誰だ!」
部屋中に響き渡る声を上げたが、室内に人の姿はない。窓を見ても割られている様子もない。笑う膝を抑えながら室内を歩き回り、隠れているのかと見まわすが、やはり人がいる気配はない。
ただ、俺が使ってふせておいたコップの位置が変わっていた。
何かがいることは確かだ。
だが、その何かが分からない。
嫌な汗が喉元に流れていく。
思い出すのは、草むしりしていた時の視線。何かが俺を見ていた。それに思い至った俺は、たったひとり、見えないものへの恐怖を感じ始めていた。
深夜になると繰り返される物音。配置の変わる家具や小物。トイレの水が流れ、水道がひねられる。ソファーにあったはずのクッションが床に落とされている。
繰り返す夜に、俺は眠ることが出来なくなっていった。
常に見張られているような違和感が、背筋を凍らせていく。
頭に浮かぶひとつの疑問。
幽霊なのか?
いや、違う。幽霊がコップなんて使うものか。
そうは思っても恐怖は俺をむしばんでいった。家にいることが怖くなり、ひとりでいることに我慢ができなくなる。
家中の電気をつけ、大音量で音楽を鳴らし続ける毎日。
それでも音はやってくる。
ひたひたと――。
カレンダーが1枚捲れた時、俺は荷物をまとめると、両親が残してくれたこの家を後にした。こんなところになどいられないと、俺は都会の雑踏目指して歩き出した。
だが――。
俺の背を見つめる視線がそこにあった。
