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人生が夢なら、私はいつ目を覚ませるのだろう

Row, row, row your boat
(漕げ、漕げ、漕げよ、お舟を)
Gently down the stream;
(そっと流れに沿って下ろう)
Merrily, merrily, merrily, merrily,
(楽しく、楽しく、楽しく、楽しく)
Life is but a dream.
(人生は夢に過ぎないのだから)

ボートを漕いで、ゆっくり川を下っていく。楽しく、愉快に。人生は夢にすぎないのだから。
子どもの頃から何度も耳にしてきた歌だ。明るくて、やさしくて、深く考えずに口ずさめる。けれど最後の一節をあらためて読むと、少し不思議な気持ちになる。

人生が夢にすぎないのなら、私は生まれたときから、ずっと悪夢を見ているようだった。

安心できるはずの家で、大人の顔色をうかがう。自分の気持ちより、その場が荒れないことを優先する。まだ子どもなのに、大人の事情まで背負わされる。苦しいと言っても、誰かが助けに来てくれるわけではなかった。
夢の中では、走ろうとしても足が動かないことがある。声を出したくても出せない。逃げても逃げても、同じ場所に戻ってしまう。

私にとっての人生も、それに似ていた。

家を離れれば目が覚めると思っていた。大人になれば自由になれると思っていた。ところが、身体だけが先にその場所を離れても、身についた癖までは消えてくれなかった。
人の機嫌を必要以上に気にすること。嫌なことをされても、自分が我慢すれば済むと思うこと。理不尽に傷ついたあとでさえ、私が気にしすぎたのではないかと、自分の感情を疑うこと。

悪夢は場所を変えながら、まだ続いている。
それでも、ときどき夢の切れ目のような時間がある。
夜道を一人で歩いているとき。誰にも急かされず、好きなことを考えているとき。自分の苦しさを、苦しかったと認められたとき。ほんの少しだけ、ここはあの頃の家ではないのだと気づく。

目覚めるとは、過去を忘れることではないのかもしれない。
ある朝、突然すべてから解放されるわけでもない。今いる場所を確かめながら、もう誰かの顔色だけで生きなくてもいいと、自分に何度も教えていくことなのだと思う。

歌の中のボートは、川の流れに乗って進んでいく。流れに逆らわず、楽しそうに。
けれど私は、ただ流されるだけではいられなかった。自分を守るために流れから離れたり、岸に上がったり、ときには進むのをやめたりしなければならなかった。

それは、歌のように軽やかな旅ではない。
人生が夢にすぎないのなら、私はいつ目を覚ませるのだろう。

まだ、その答えは分からない。ただ、以前の私は悪夢の中にいることさえ分かっていなかった。今は少なくとも、これは苦しい夢だったと、自分の言葉で言える。
そう気づいたところから、目覚めはもう始まっているのかもしれない🐂

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