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2014年春「二つの席」『二つの札幌』第十一章① 旭川直轄市

二〇一四年四月。

旭川。

主席府大会議場。

拍手はまだ終わっていなかった。

赤い絨毯。

共和国旗。

労働党旗。

高い天井。

古い照明。

春なのに、

会場の空気は少しだけ冷たかった。

壇上。

國村曄恵。

国家主席席。

机。

金属製の名札。


國村曄恵
日本民主共和国国家主席


その文字だけが、

妙に白く見えた。

会場には共和国中枢が並んでいた。

国家評議会。

国家保安省。

国家諜報局。

共和国軍。

鉄道公社。

航空公社。

誰も大きく動かない。

誰も大きく笑わない。

拍手は続いているのに、

静かだった。

曄恵は前を見ていた。

でも。

視線の端だけが、

別の場所へ向いていた。

少し離れた席。

國村正高。

前国家主席。

共和国名誉主席。

国家戦略最高顧問。

肩書は変わった。

でも。

会場にいる人間の視線は、

まだ時々、

そちらへ向いていた。

正高は何も言わない。

笑わない。

怒らない。

ただ座っていた。

それだけだった。

それだけなのに。

まだ時代が、

そこへ残っているようだった。

曄恵は小さく息を吸った。

暖房の匂い。

古い木材。

紙。

インク。

防虫剤。

そこに、

春の匂いはなかった。


式典後。

主席府控室。

机。

湯気の立たない茶。

二つ。

窓。

旭川の雪は、

ほとんど消えていた。

庭の隅だけ、

黒く硬くなった雪が残っていた。

曄恵は窓を見ていた。

後ろ。

黒崎道隆。

資料を整理していた。

若かった。

でも。

動きに迷いがなかった。

黒崎:

「主席」

曄恵は少し遅れて振り返った。

「……まだ慣れないわね」

黒崎:

「慣れていただく必要があります」

曄恵:

「そうね」

短い沈黙。

黒崎は資料を一枚置いた。

表紙。


新体制移行手続一覧

国家諜報局報告経路再編

主席府記録移管一覧

主席府特別記録管理区分


曄恵の目が止まった。

特別記録。

その文字だけだった。

父が何かを残した。

それだけは分かった。

でも。

何を残したのかまでは、

まだ分からなかった。

曄恵:

「これは?」

黒崎:

……

少し間。

「前体制からの引継項目です」

曄恵:

「父は?」

黒崎:

「全ては説明されておりません」

窓。

庭の雪。

黒く、

少しずつ溶けていた。

曄恵:

「全部を変えるつもりはないわ」

少し止まる。

「でも」

「全部を残すつもりもない」

黒崎:

「承知しました」

その時だった。

廊下。

軽い足音。

急いでいるようで、

でも途中で少し迷ったような足音だった。

扉。

開く。

國村恒一だった。

十七歳。

黒い式典服。

もう少年というには少し大きく、

まだ大人には少し足りなかった。

恒一:

「母さん——」

止まる。

黒崎に気付いた。

姿勢を直した。

「国家主席」

曄恵は少しだけ笑った。

「いいのよ」

恒一は中へ入った。

視線。

資料。

国家運営。

移行手続。

特別記録。

読める言葉だけ拾っていた。

曄恵:

「疲れたでしょう」

恒一:

「大丈夫です」

少し沈黙。

恒一:

「祖父は?」

曄恵:

「別室よ」

恒一は頷いた。

寂しさではなかった。

確認するような顔だった。

曄恵:

「なに?」

恒一:

……

少し迷った。

でも。

出てきた言葉は、

少しだけ大人だった。

「共和国って」

止まる。

「何が残るんですか」

黒崎の手が止まった。

曄恵は息子を見た。

「人が残るわ」

恒一:

「人?」

曄恵:

「そう」

「働いて」

「帰る場所があって」

「笑って」

「また明日が来る」

「だから国家は残るの」

恒一は黙った。

納得でもない。

反発でもない。

答えを、

どこへ置けばいいか分からない顔だった。

その時だった。

恒一は立ち上がった。

「祖父の所へ、行ってきます」

扉を開く。

廊下。

長い赤い絨毯。

足音だけが静かに響いていた。

冷えた大理石の床。

重厚な扉を開く。

灰色の背広。

少し痩せた横顔。

もう国家主席ではない。

でも。

恒一の視線は、

正高へ向いた。

正高:

「恒一」

恒一:

「はい」

正高:

「どうした?」

恒一:

「……」

恒一は頭を下げた。

正高の隣へ並んだ。

まだ背は低かった。

でも。

歩く方向だけは、

少し同じだった。

「僕は違う……」

恒一はつぶやく。

黒く残った雪は、

まだ溶けきっていなかった。


同じ頃。

旭川市忠和。

党幹部邸宅

神代家。

台所に立つ雪曄。

味噌汁の匂い。

窓の外。

道路脇の雪は、

黒くなって水へ変わり始めていた。

春香:

「お姉ちゃん、進路決めたの?」

神代冬華:

「まだ」

春香:

「また嘘」

笑った。

「決めてる顔してる」

冬華は机の紙を隠そうとした。

でも遅かった。

春香:

「航空公社!」

「すごい!」

冬華:

「ちょっと!」

笑った。

神代貴春は黙っていた。

机。

進路希望票。


日本民主共和国航空公社

客室乗務職志望


その文字だけが、

少し白く見えた。

貴春:

「どうして航空公社なんだ?」

冬華:

……

少し考えた。

窓の外。

旭川の空。

遠く。

共和国併用軌道の古い車両。

「飛行機って好きなんだよね」

少し笑った。

「上から見ると」

「全部小さく見えるから」

春香:

「お姉ちゃん絶対似合う」

冬華は笑った。

貴春は、娘の笑顔、
そして、その先の、

雪曄の後姿を見ていた。


その夜。

静まった国家主席執務室。

恒一は、
誰もいない主席席へ座っていた。

窓の外。

旭川の街灯。

机の上。

置かれたままの資料。

十七歳の肩は、
その椅子の大きさに丁度良かった。

でも。

椅子の持つ意味の大きさには、
まだ耐えられるものではなかった。

春の夜。

消え残った雪だけが、

まだ静かに残っていた。


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