笑わないでいて#00-1【超短編】 −朝日 湊−雨の日に、傘を断った男の話
#00 雨の日の傘【湊視点】
#00 雨の日の傘
#00-1【湊視点】
#01 はじめましてじゃないけど
#02 そのまんまの意味
#03 キスの意味#
04 ブルースター
#05 別れ
#06 コンクール
#07 風邪の日
#08 海デート
#9 母の音
#10 名前をつける夜 【完結】予定
After Story
Side Story
#00雨の日の傘【湊視点】
雨の音が、うるさかった。
玄関の向こうでも、窓の外でもなく、頭の中で鳴っているみたいだった。
「いつまでそんなことを続けるつもりだ」
父親の声は、いつも静かだった。
怒鳴らない。
乱暴な言葉も使わない。
だから余計に、刃物みたいだった。
「ピアノで食っていける人間なんて、ほんの一握りだ。お前はもう子どもじゃないだろ」
湊は黙っていた。
言い返したい言葉はいくらでもあった。
でも、口を開けば、泣きそうになる気がした。
「母親に似たな」
その一言で、何かが切れた。
「……関係ないだろ」
「関係ある。お前はいつも、自分の好きなことだけ見ている」
「父さんが、俺のこと見ようとしてないだけだろ」
父親の眉がわずかに動いた。
ピアノを辞めろ、と言われるたびに、胸の奥が冷たくなる。
「どこへ行く」
「知らない」
「湊」
傘も持たずに家を飛び出した。
夜の雨は冷たかった。
シャツがすぐに肌に張りつく。
髪から水が落ちて、視界がにじむ。
どこへ行くつもりだったのか、自分でもわからなかった。
駅へ向かう道でもなく、大学へ向かう道でもない。
ただ、家から遠ざかるように歩いた。
雨の日は嫌いだ。
母親が出て行った日も、こんな雨だった。
傘を持たずに玄関を出て、濡れた背中だけを残して消えた。
思い出したくないのに、雨はいつも勝手に思い出させる。
「……最悪」
小さく吐き捨てたときだった。
頭上に、傘があった。
湊は足を止めた。
隣に、知らない人が立っていた。

黒い傘を少しだけこちらへ傾けて、困ったような顔をしている。
大学生くらいだろうか。
細い肩に、白い楽器ケースを背負っていた。
「……濡れてますよ」
ただ少し困った顔をして、傘をもっと俺の方へ傾けた。
自分の肩が濡れていることにも、気づいていないみたいだった。
その人は傘をを湊に握らせた。
濡れた靴音だけが、雨の中に遠ざかっていく。
知らない人の体温が、まだ柄に残っている気がした。
雨の中を走っていく背中を、俺はずっと見ていた。
白い楽器ケースだけが、夜の中でやけに目立っていた。
その背中を、忘れられなかった。
名前も知らない。
どこの誰かもわからない。
それでも、その日から、雨の音の中に別の記憶を持つようになった。
母親が消えた雨ではなく、誰かが傘を差し出してくれた雨。
それは、まだ恋と呼ぶには早すぎるものだった。
短編ストーリーでは、気軽に読んでもらえるように、ざっくりとした内容になっております。
少しでも興味を持っていただけたら【完全版】を楽しみにして頂けたら嬉しいです。

今日も来てくれてありがとう。
今回は少しお話が長めになってしまいましたので、
2日連続ストーリー更新しました。
よかったら明日も、また会いに来てください。
待っています。
-燈

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