見出し画像

【執着】 得たはずなのに、なぜ不安になるのか?── 所有が恐れに変わる|十の問いを歩く物語 (#04)

※本作品は、問いとともに生きる旅路を描いた
マガジン「十の問いを歩く物語」に収録されています。

もしも心にそっと残る問いがありましたら、ぜひ他の物語にも静かに触れてみてください。





第4話|得たはずなのに、なぜ不安になるのか?── 所有が恐れに変わる


犬は、影を見つめたあの夜から、
以前よりも、少しだけ歩くのが遅くなっていた。

走り回るのでもなく、
誰かの足跡を追いかけるのでもなく。

ただ、自分の歩幅で、
森の中を進んでいく。

 

ある日、犬は森の奥で、
ひとつの「骨」を見つけた。

それは、月明かりを小さく反射し、
最初から、そこにあったかのように
静かに転がっていた。

犬はそっと近づき、
鼻先で確かめた。


── 本当に、自分のものだろうか?


しばらく迷ったあと、
犬は骨をくわえた。

その瞬間、胸の奥に、
ちいさな熱のようなものが生まれた。

「手に入れた」という満足のすぐ隣に、
「失いたくない」という怖れが、
何の前触れもなく立ち上がった。

 

森の風音が、
いつもより大きく聞こえた。

枝の揺れる音が、
牙をむくように感じた。


犬は思わず、
骨を抱えるようにして、
森の暗い方へと身をひそめた。

手に入れたはずなのに、
心はなぜか落ち着かない。


むしろ、
なにも持っていなかったときよりも、
不安は増しているように思えた。

 

犬は気づいていなかった。

その骨は、
犬を満たすどころか、
新しい恐れの居場所をつくっただけだったことに。

 

あるとき、
ふと風が止まり、
森がしんと静まり返った。


犬は、抱え込んだ骨を見つめた。


これを失ったら、どうなるのだろう。
誰かに取られたら、どうしよう。

そんな想像ばかりが、
胸の奥で膨らんでいった。


── いつから、自分は
骨ではなく、不安を抱えていたのだろう。


犬は息をのみ、
胸の奥が、ぎゅっと縮むのを感じた。


「せっかく手に入れたのに、
どうして怖いんだろう?」


問いは、
骨よりも重たかった。

 

夜、犬は川辺に座った。

水面に映る自分は、
どこか疲れた目をしていた。


骨を強くくわえすぎて、
歯が少し痛むほどだった。


川の向こう側では、
ほかの動物たちが、
それぞれの時間を静かに生きていた。


誰も、犬の骨を見てすらいなかった。


けれど、犬の心だけが騒がしく、
絶えず周囲を見張り、
気づけば、ずっと身を硬くしていた。

 

「なにを守ろうとしているのだろう、自分は」


ふと、そんな言葉が、
心の内側から、
小さく浮かんだ。

 

犬は、骨を川辺に置いてみた。

すると、胸の奥の緊張が、
ほんの少しだけ、和らいだ気がした。


失うかもしれない不安から、
わずかに自由になれた瞬間だった。


犬は気づいた。


「持つ」ことが苦しいのではなかった。
「失いたくない」と、先回りして握りしめる心が、
自分を縛っていたのだ。

 

風が吹いた。
川面が、わずかに揺れた。

犬は骨を見つめたまま、
しばらく動かなかった。


骨を放したほうがいいのか。
それとも、またくわえるべきなのか。


答えは、
すぐには見つからなかった。


ただ、ひとつだけ、
確かなことがあった。


それは──
骨を持っているかどうかよりも、
どんな自分でいたいのか」のほうが、
犬にとっては、ずっと大切だということだった。

 

夜が、さらに深まりはじめた。


犬は、ゆっくりと骨をくわえ、
けれど強く握りしめはせず、
軽く持ち上げるようにして歩き出した。


持つことも、
離すことも、
すぐにはうまくできなくていい。


ただ、
握りしめすぎないこと。
怖れに、すべてを任せないこと。

 

犬は、そんな歩き方を、
少しずつ覚えはじめていた。

骨は、犬を強くもしないし、
弱くもしない。


ただ、
犬の心のかたちを、
静かに映し出すだけだった。

 

そして犬は、ふと思った。

── 得たはずなのに、
不安になるのは、なぜだろう。


その問いへの答えは、
きっと、骨の中ではなく、
自分の内側にあるのだろう。

 

犬は、
ゆっくりと森へ戻っていった。





仏教語コラム④|執着(しゅうじゃく)── 失いたくない心が、生むもの


犬は、骨を手に入れました。
けれど、その瞬間におとずれたのは、喜びだけではありませんでした。

胸の奥が、かすかに強ばる。


「奪われたくない」
「これがなくなったらどうしよう」


持っていなかったときよりも、
なぜか、不安のほうが先に立ち上がっていく。

 

前回の第3話では、犬は川面に映った「影」に気づきました。

それは、自分の欲の姿であり、
「自分という実体」を確かめたい心──すなわち 我執 でした。


一方で、今回の 「執着(しゅうじゃく)」 は、
その我執によって形づくられた「自分」を、
失うことを恐れて握りしめる心
です。


我執が「影に形を与える」ものなら、
執着は「その影を抱きしめて離さない」心のはたらき。


だから執着は、
いつも我執のあとに、静かに生まれます。

 

仏教では、執着は苦しみの「最大原因」ではなく、
苦しみをその場に貼りつけてしまう
「心の接着剤」のようなもの
と考えられます。


不安になるのは自然なこと。
恐れが生まれるのも自然なこと。


けれど──
その感情を「変わらないもの」だと信じ、
しがみついた瞬間、
心はぎゅっと固まり、ほどけにくくなってしまう。

犬が骨を抱え込んだときのように。

 

そして、執着は、
いま持っているものに限られません。


──失敗した自分。
──うまくいかなかった記憶。
──誰かのひとことに、まだ残っている痛み。


それらを「手放せない」ことだって、
静かな執着のひとつです。


手放したいと思うほど、
胸の奥で、強く握ってしまう。

不思議ですが、
人の心とは、そういうものなのかもしれません。

 

では──
執着は、本当に「悪いもの」なのでしょうか。

これまでと同じように、
仏教はそれを「否定すべきもの」とは言いません。

むしろ、
「いま、ここに確かに生きている証」
として現れるものだと、静かに見つめます。


大切なのは、
執着を消そうと戦うことではなく、

「ああ、いまの私は、
これを手放したくないんだな」

と、気づけるまなざし。


気づいた瞬間、
執着は消えなくても、
その輪郭だけは、ほんの少しゆるみます。

 

犬が骨を手にしたとき、
不安を抱いたのは、弱さではありませんでした。


それは──

「守りたいものがある」
「そう思えるほど、大切な何かと出会えた」

ということでもあったからです。


手放せなさの奥には、
かならず、あなたが大切にしてきた時間や関係が潜んでいます。

 

けれど、ぎゅっと握りしめていると、
その「重さ」ばかりが、気になってしまう。


だから、ときどき。

そっと指をゆるめてみる。
手に持っていたものを、風に透かして見てみる。


そうすると、
「重さ」ではなく、
「大切さ」そのものが、静かに見えてくる。

 

執着とは、
あなたを縛る鎖であると同時に、
あなたが、確かに何かを大切にしてきた証 でもあります。


だからこそ──
ただ捨てるのではなく、
そっと見つめていく。


失いたくない心を、
責めずに理解すること。


そこから、
はじめて自由が芽生えていくのだと思います。

 

犬は、骨を抱えたまま、
それでも、夜の風を感じていました。

手放せないものがあるままでも、
新しい一歩は、きっと踏み出せる。


その静けさを、
どうか、あなたの中に残しておいてください。

 

── そして次は、
「持ちながらも、縛られずに歩く」という問いが、
静かに立ち上がっていきます。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
コメントやスキでの反応も、静かに嬉しく受け取っています。

ご感想をいただけた際には、そっとあなたの記事を訪ねられたらと思います。

その方が、静かに届くかたちになる気がしています。

どうか、そんなやりとりのかたちを、あたたかく受け取っていただけたら嬉しいです。




あとがき|結局、「悟る」ってなんだろう


年末年始、少しだけ時間がゆるんだので、
ひさしぶりに考える速度を落として、東洋哲学を読み返しています。


今回のテーマの「執着」は、きっと仏教語の中でもいちばん有名な言葉のひとつではないでしょうか。
(ちなみに、仏教語としては 「しゅうじゃく」 と読むのが一般的だそうです)


仮に、「仏教って難しくてよくわからないんだけど、一言で説明してよ」と言われたら──

いまの私はたぶん、
「執着を手放すと、ラクになるらしいよ」
くらいに、逃げると思います。


すると今度は、
「ん、じゃあ結局、悟るってなに?」
「悟るために悟るの?」
と、また循環論法の螺旋階段に迷い込みます。


言葉で追いかけるほど、言葉が遠ざかる。
そんな感覚があります。


それにしても、東洋哲学はどこか、理論だけで完結しない気がします。

分かったつもりでも、暮らしの中で試してみないと、手に残らない。


だから私は、こうしてnoteで書きながら、自分の足元を確かめ直しています。


以前、「noteを続ける理由と離れる理由」について書いたことがありました。

その続きを考えるように、ふと思うのです。
さみしいと思うことすら、執着なのかな、と。


もしそうなら、「さみしさを感じない人」だけが悟れることになってしまう。

でもたぶん、そうじゃない。


さみしさを抱えたまま、握りしめない練習──
そのあたりに、道がある気がしています。


もしよければ、今日ひとつだけ。
「いま握っているもの」を、10秒だけ指をゆるめて眺めてみてください。


手放さなくていい。
ただ、握り方だけを変えてみる。


本シリーズは相変わらずのゆったりペースで、まだ折り返しにも来ていません(10話完結予定)。


犬が最後にどうなるのか、正直、私にもまだ分からない部分があります。

その「分からなさ」ごと、一緒に歩いてもらえたら嬉しいです。




🌱 最後に、もしここまで読んでくださったあなたへ。

私は現在、以下の7種類のマガジンをnoteで静かに運営しています。
それぞれに、小さな問いの種が込められています。

気になるものがあれば、そっと立ち寄っていただけたら、うれしいです。

※初めての方には、①「まず読んでほしい10本」からの訪問がおすすめです。

① 👉 まず読んでほしい10本 ── 初めての方に向けたおすすめ記事のセレクション。
 👉 問いを立てて、生きる。 ── 土方翔作品の総集編マガジン。
③ 👉 土方翔の短編小説 ── 物語という器で、言葉にならなかった感情をそっとすくいます。
④ 👉 寓話で考える現代の問い ── 物語の続きを、問いとして見つめ直します。
⑤ 👉 十の問いを歩く物語 - A Journey of Ten Questions with Desire. ── 欲と向き合い、問いと歩く10の小さな旅。
⑥ 👉 noteを、考える。 ── noteという街の構造・文化・創作論を、静かに読み解きます。
⑦ 👉 問いのとなりで、独り言。 ── 小さな独り言を、そっとつぶやいています。

💌🐜問いの手紙ポスト
👉 https://forms.gle/zNW7VtGYZk1aXVZ78



コメント欄へ↓↓↓

いいなと思ったら応援しよう!

土方 翔 (Kakeru Hijikata) あなたの共感が、私にとって何よりの対話です。 もしそう感じていただけたら、小さな応援をいただけたら幸いです。