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苦難が名曲を生む」は本当なのか?——70歳を前に、やっと西洋音楽史が面白くなった

音楽大学時代、西洋音楽史の授業がありました。

けれど、当時の私にとって音楽史とは、試験に合格するために年代や作曲家の名前、作品名をひたすら覚える科目でした。

今振り返ると、

「なんてもったいない時間を過ごしたのだろう」

と思います。

あれから長い年月が過ぎ、人生の後半になって、ようやく大作曲家たちの「人生」そのものに興味を持つようになりました。

すると、不思議なことに、それまで何度も聴いてきたはずの作品が、まったく違って聴こえるようになったのです。

作曲家がどのような時代を生き、何を失い、何を愛し、何に苦しみ、何を信じていたのか。

その人生を知った上で作品に耳を傾けると、楽譜の向こう側に一人の人間の息遣いが感じられるようになりました。

そして、あることに気づきました。

バッハ、ベートーヴェン、ショパン、シューマン、マーラー……。

私たちが「大作曲家」と呼ぶ人々の人生は、決して順風満帆ではありません。

喪失、病、孤独、経済的不安、人間関係、社会との葛藤。

そうしたものが、彼らの人生には繰り返し現れます。

そこで私は、かなり短絡的に、

「もしかすると、芸術は苦難があるからこそ生まれるのだろうか」

と思いました。

でも、よく考えてみると、それは少し違うようです。

大切なのは、苦難そのものではありません。

作曲家が、その苦難をどう受け止め、どのように音楽へ変えていったのか。

そこにこそ、芸術の秘密があるのではないかと思うようになりました。

ベートーヴェン——「それでも音楽を書かなければならない」

最も分かりやすい例は、やはりベートーヴェンでしょう。

音楽家にとって致命的とも思える聴覚障害に苦しみ、「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる文書には、その絶望の深さが記されています。

それでも彼は、音楽を書くことをやめませんでした。

後年には、日本でも年末になると各地で演奏される交響曲第9番をはじめ、後世に残る数々の作品を書いています。

もちろん、

「耳が聞こえなくなったから《第九》が生まれた」

という単純な話ではありません。

むしろ、

「それでも、自分は音楽を書かなければならない」

という内面的な必然が、彼の音楽をより深い場所へ導いていったのではないでしょうか。

後期のピアノ・ソナタや弦楽四重奏を聴いていると、もはや聴衆を喜ばせることだけを目的とした音楽ではなく、自分自身の内面と静かに対話しているように感じることがあります。

私は歳を重ねてようやく、

苦難が作品を生んだのではなく、苦難によってベートーヴェンが音楽に問いかける内容そのものが変わっていったのだ

と感じるようになりました。

バッハ——悲しみを超えたところにあるもの

では、「音楽の父」と呼ばれるJ.S.バッハはどうでしょう。

バッハは幼くして両親を失い、兄のもとで育ちました。

成人してからも、大切な家族との死別を何度も経験しています。

しかし、彼の音楽から感じられるものは「悲しみ」だけではありません。

《マタイ受難曲》や教会カンタータには、

苦しみ、
死、
嘆き、
罪、

そして同時に、

希望、
慰め、
感謝、
神への信頼

が存在しています。

バッハの音楽は、「悲しい出来事があったから悲しい曲を書く」という単純なものではありません。

ルター派の信仰と神学の土壌に生きたバッハは、人間の苦しみを、それよりもはるかに大きな存在の中で捉え直しているように感じます。

だからこそ、何百年も後に生きる私たちも、その音楽の中へ自分自身の悲しみや希望を重ねることができるのでしょう。

ショパン——失った故郷は「内面の風景」になった

そして、私の大好きなショパン。

彼にもまた、別の種類の苦難がありました。

若くして祖国ポーランドを離れ、その後パリへ移り、ついに故郷へ戻ることなく生涯を終えました。

ショパンを演奏する上で、この「故郷から離れて生きた」という経験を無視することはできないと思います。

マズルカやポロネーズには、ポーランドの民族舞曲のリズムが深く刻み込まれています。

私には、ショパンが遠く離れた祖国を、音楽の中で何度も呼び戻しているように聴こえます。

ここでは、失ったものが、作品の中でかえって強く存在するのです。

人は、失って初めて、その存在の大きさを知ることがあります。

ショパンにとって故郷とは、単なる地理的な場所ではなく、いつしか自分の中に存在する「内面の風景」へと変わっていったのかもしれません。

今回ご紹介するクラシックの一曲
ベートーヴェン《ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110》

晩年のベートーヴェンが残した作品の一つです。深い内省や悲しみを感じさせながら、最後には再び立ち上がっていくような力が静かに現れます。
苦難そのものではなく、それをどのように受け止め、音楽へ昇華したのか――今回の記事を書きながら、改めて聴きたくなった一曲です。

私のオリジナル曲
Peace/Kazuko Akimoto

人生には、喜びだけでなく、悲しみや迷い、喪失もあります。けれど、そのすべてを通り過ぎた先に訪れる静かな平安を音にしたいと思って生まれた曲です。

今回の記事を書きながら、「人生そのものが音楽の解釈を育ててくれる」という思いと、この曲がどこか重なるように感じました。

Spotify、Apple Music、YouTube Musicなどでお聴きいただけます。

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