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「永く凄惨な戦いの果てに見た光景」重信房子、1970年~激動の30年

#テロリスト #日本赤軍 #重信房子 #PFLP   #国家警察
#国松孝次 #レバノン   #ダッカハイジャック事件 #16億円


1971秋~72年春、トワエモア・虹と雪のバラードが札幌五輪テーマソングとして巷を駆け巡り、ワシらが夢と希望に満ちた小学校の卒業文集を書いていたころ、欧州ビートルズに端を発し活動のうぶ声を上げたのが前回紹介した福岡系J-POP・J-ロックバンド。

財津和夫ほかアーティストらの一大ムーブメントが世の音楽シーンを席捲しはじめたこの時期は、高度経済成長期を経て1ドル=360円の固定相場制から1973年変動相場制へ移行した過渡期でもあります。

円高が強まり為替相場が日本社会を揺らしたそんな時期、終戦当時に生まれた世代は、いったい戦後の資本主義って何の恩恵があったのかと反資本主義思想を持ち始め、急進派はやがて世界的な過激組織に姿を変えていきます。

極左思想が日本赤軍を起こし、世界的な国際テロ武装組織として、法によって統治されてきた国際社会と対峙しはじめました。

武装テロにありがちな「抑圧された人々の自由のために軍事作戦を実行する」聞こえのよい大義で日本赤軍 Japanese Red Army を率いた最高幹部の重信房子。1945年生まれ80歳。

欧州・中東・アジア・南米の国際赤軍のネットワークを駆使、人口500万人のレバノンを拠点に世界30か国の国際警察の包囲網を跳梁跋扈。国家の秩序と世界の秩序を揺るがし、日本はじめ各国警察の今日につながるインテリジェンス捜査の底上げを逆説的に進化させた――日本赤軍に銃撃され危篤に陥った國松孝次・元警察庁長官をして言わしめた、シチリアのマフィアに劣らぬホンモノの悪党です。

昔日の美貌が今でもはっきりとわかる、小柄のご老婦が穏やかに回想する所作を一昨日のTV「日本赤軍 vs 日本警察 知られざる攻防」で目にしたときの印象は、50年前の凶悪性のかけらもテロルの響きもない、凛として怜悧な言葉を繰り出す優しいお婆さん。

この上品な女性が、ほんとうに銃を構え身勝手な思想を武力で実行し、占拠やハイジャックで人質をとる都度、政治犯の釈放と高額の身代金を手に入れた悪党だったのだろうか…そう訝る風貌でした。

ところが、逮捕当日を日本赤軍の敗北と言葉にしたその瞬間、人のよさそうな美貌の才媛の表情が一変。組織を守れなかった伍長の悔恨をにじませた奥深くするどい眼光は、温和な顔を封印し、過激極左のエリートとして一時代を駆け抜け、かつて世界中を苦しめ無辜の民を殺めた、冷徹無比のカリスマ巨悪テロ組織の女帝の目でした。

そのとき思い浮かんだのが、世界の資本主義大国とがっぷり四つに組んで対等に渡り合い、単身で小国キューバを率いた稀代の指導者カストロ――超大国のアメリカの資本主義と対峙し1961年にキューバの社会主義国化を果たしてから、ソ連の核ミサイルを自国に装備――。翌年キューバ危機と核戦争を回避して、1989年に東西冷戦が終結。

カストロはその後も続くアメリカの経済制裁・外交圧力・600回以上の暗殺計画を耐え忍び、のちに弟・ラウルに政権を委ね指導者を退くまで30年。

同じく30年間におよぶ悪事を重ね、世界30か国を超える国際指名手配と各国の協力によりようやく逮捕に至った重信房子。永く凄惨な戦いの果てに何を見て何を得たのでしょうか…。

歴史的事実として、カストロの社会主義国家の建設と重信房子の武力テロ行為は、大衆に対する性質が全く違うため、番組が武力テロに肩入れするのかとの批判もありました。社会的な意義はまったく異なるふたりに、資本主義と超大国に対峙してきた共通点を見出して対比するのは恣意的な論理の飛躍に過ぎないかもしれません。

テロは容認が許されない悪の枢軸であると頭で理解しつつも、おそらく彼女は若いころからそれなりの才覚と知見があって、キッコーマン醤油に勤めながら明治大学の夜間に学び、反資本主義の思想に芽生えたのだろうと察します。

抑圧された人々の自由を謳い軍事作戦を実行する日本赤軍 Japanese Red Army の最高幹部…新左翼の知見と人脈を自ら切り開き、ダッカ事件で一国の総理に「命は地球より重い」と言わしめ、調達先の米国から日本に届いた600万ドル(当時16億円)の入った布袋を手にし、いまも国際指名手配となっている日本赤軍受刑者を釈放し、それゆえの数奇な人生を歩んできたのでしょう。

ふたりの過去と歴史を顧みることは、当時、世界のことなど何も考えず小学校5~6年~中学~高校に通いながら、身の回りで頻発する小さな革命――試合で見たことのない相手と戦って衝撃を受けたとか、野球部の西東京大会を観て感動したとか、サッカー部が帝京と全国高校選手権東京予選の決勝を戦って誇らしかったとか、大学入試の模試でB判定が出たとか出ないとか――そんな日常に一喜一憂しながら、今思えばぜいたくな暮らしをさせてもらっていた日々を思い出させます。

さてさて、皆さんにとって1970年からの30年間はどんな時代でしたか?

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