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財津和夫さんとチューリップ、永遠なれ

#チューリップ #財津和夫 #ビートルズ #オフコース #福岡天神 #日経私の履歴書 #私の履歴書 #松任谷由実 #細野晴臣  
#坂本龍一 #高橋幸宏 #小田和正 #鮎川誠  

日経「私の履歴書」財津和夫さんの連載が終了。

断片のつなぎ合わせ感がつよいこのシリーズ、今回はシンガーソングライター特有の詩的なストーリー性に加え、チューリップが苦悩のすえ活躍に至った年代がワシらの青春時代に重なっている点で、歴代名士と一線を画す語感と読後感が心地よい郷愁を誘いました。

70年代~J-POPの源流がビートルズ…最先端の楽器を使い次から次へと聴いたこともない音を出し、どこかヘタウマ的でざらついた手触りを残す、決してきれいにまとまらないのにエンジニアが創る精密機械を思わせる繊細なサウンド…財津さんをして言わしめたビートルズの先駆け――分かりきったロジックなのに言語化されると衝撃的で、オフコース小田和正さんが徹底して照準を合わせたのも頷けます。

財津さんの干支はちょうど一回り上、高校の同期である30期との中間にユーミンや桑田佳祐がいる時系列。「心の旅」は1973年リリース、ワシらが中2の夏に大ブレイク、「青春の影」は中3の1学期1974年リリースだけれどオリコン 46位止まり、ライブの定番になるのはずっと後になってからです。

この「青春の影」は、恋人に向けた決意だけではなく、自己肯定と社会貢献を通して世界恒久平和を希う他者意識の詩として聴こえるのは、思い過ごしでしょうか。

音楽界のミュージシャンたちは群雄割拠の大将が戦場で対峙するだけ、福岡にこれほどのアーティストがいずるのは単なる偶然だと思い込んでいました。

関東・関西や広島にくらべ音楽地盤のなかった福岡が、J-POP・J-ロックの一大ムーブメントを築き、財津和夫・甲斐バンド・井上陽水などを生み、松任谷由実、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏、小田和正、鮎川誠らを巻き込んで協働し、70年代音楽シーンの華やかで大きな奔流を確立する影には、相応の仕掛け人がいました。

ステージ高さわずか10cm天神の名物音楽喫茶「照和」オーナー、その舞台でライブ出演を目指すアーティストと厳しい聴衆、多くのミュージシャンを見出した岸川均(KBC九州朝日放送ディレクター)の存在――。やがて福岡天神はビートルズを生んだリバプールにちなみ「日本のリバプール」と呼ばれるようになり、アーティスト創出の地として不動の地位を築きます。

連載を読んで、自分はあの時代、何を見て、何をしていたかを振り返ったとき、30期が大泉高校に集う前の年1974年は、ある種の転換期だったように感じます。長嶋茂雄が10月に引退しひとつの時代が終焉を迎え、ワシらは内申や偏差値を気にかけつつ進路を峻別、学校訪問もしました。

11月なのに、2年生がすでに引退し閑散とした都立西高校部活の絶望的な光景に言葉を失い、全国大会東京予選4強を勝ち上がるサッカー部やラグビー部3年生の躍動に魅かれ、都立なら大泉高校しか行かないと決めた日は小春日和。
くしくも同じ年の秋、高校模試の国語で開高健『裸の王様』に邂逅し「級長なんて担任ご都合主義のパシリ」と学校教育に冷めて斜に構えた時期でもありました。

同期期が集い過ごした3年間。私の中で最も印象深いのが、高3夏の「第59回全国高等学校野球選手権 西東京大会4回戦「秋季地区大会優勝第3シード・大泉vs石神井」

圧巻だったのは、まずキャッチボールの「パチン」と乾いた捕球音。「地区大会シード校って、こんなキャッチボールするんだ」と、後楽園で観たプロ野球と同じ響きにびっくり。

エースのスピンが効いたストレートは憶測で2,000rpm以上あったでしょうか(ジャイアンツ江川の全盛期が2,850rpm、松坂2,583、大谷翔平2,528、佐々木朗希2,080)。

後輩応援団長がベンチ上で熱いエールを叫び続ける中、友人と「うちのエースってスゲ~」と唸っていたら、終身名誉マネージャー?のMさん(旧姓)が「今日のエースは調子がいいのよ」と、スコアをつけながら怜悧に呟いていた姿も印象的です。

入学式当日、桜並木の校門で柔道部員を勧誘する社会人が学ランを着たようにしか見えない3年生の先輩がホンモノの高校生だと知ったのも、真っ黒に日焼けして野外で活動するバレーボール部の新たな概念も、けっこうな衝撃でしたけれど、やっぱりあの夏が一番ですね。

チューリップ 一夜限りの再結成番組1999https://www.youtube.com/watch?v=jmLeZ1pTl9c

青春の陰 23:20~
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