第3回 3,000年間、誰も知らなかった――なぜ歴史から消されたのか
存在しなかった王
エジプト学者たちが古代の王名表を解読していたとき、奇妙なことに気づいた。
アメンホテプ3世の次に記録されているファラオは、ホルエムヘブだった。
アクエンアテンもいない。ツタンカーメンもいない。まるでその時代が、最初から存在しなかったかのように。
歴史とは、勝者が書くものだ。
しかしここまで徹底的に、一つの時代を丸ごと抹消しようとした例は、人類史においてもそう多くない。
いったい、誰が何のために、少年王の痕跡を消し去ったのか。
抹消を命じた男
黒幕は一人の男だった。
ホルエムヘブ。
ツタンカーメンの治世において軍の最高司令官を務め、その後ファラオにまで上り詰めた人物だ。
ホルエムヘブはツタンカーメンの死後、宰相アイが短期間ファラオを務めた後に王位を継承した。そして即位するや否や、大規模な「歴史の書き換え」に着手した。
神殿の壁に刻まれたツタンカーメンの名前を削り取った。 記念碑からカートゥーシュを消した。 王名表から該当する治世を除外した。
さらに驚くべきことに、ホルエムヘブはツタンカーメンが建設・修復した神殿の功績を自分の業績として上書きした。
少年王が残したものを、丸ごと横取りしたのだ。
なぜそこまでするのか
ホルエムヘブの動機は、一言で言えば正統性の確保だった。
彼はもともと王家の血筋ではない。軍人出身のファラオだ。
王位に就くためには、自分の前任者たちを「異端」として否定し、自分こそが正しいエジプトの継承者であることを示す必要があった。
アクエンアテンの宗教革命は、当時のエジプト社会において深い傷跡を残していた。伝統的な神々を否定し、神官たちの権力を奪い、民衆を混乱させた。
ツタンカーメンはその革命を否定し、旧来の信仰を復興させようとしたが、それでも「革命の申し子」というレッテルは消えなかった。
ホルエムヘブにとって、アクエンアテンもツタンカーメンも、消し去るべき「恥の時代」の象徴だったのだ。
神官たちもこの方針を支持した。自分たちの権力と財産を奪ったアテン信仰の時代を、記録から葬り去ることは、彼らにとっても都合がよかった。
国家と宗教が一体となって、少年王の存在を消しにかかった。
消されたことが、守った
しかし歴史は皮肉だ。
ツタンカーメンの名前が消されたことで、墓泥棒たちもその存在を知ることができなかった。
古代エジプトの王家の谷に眠る多くの墓は、古代においてすでに盗掘されていた。ファラオの墓には莫大な財宝が眠っているという認識は、当時から広く知られていたからだ。
しかしツタンカーメンの墓だけは違った。
記録から抹消されていたがために、その場所は誰にも知られなかった。そしてさらに追い打ちをかけるように、後の時代にラムセス6世の墓が建設された際、工事の廃石がツタンカーメンの墓の入口を完全に覆い隠した。
二重の偶然が、少年王の眠りを3,000年以上にわたって守ることになった。
消されたがゆえに、守られた。
これは単なる比喩ではなく、文字通りの事実だった。
1922年、砂漠の奇跡
時は流れ、1922年11月。
イギリス人考古学者ハワード・カーターが、王家の谷の砂の中に封印された階段を発見した。
その先に何があるかを確認するため、カーターはパトロンであるカーナヴォン卿をイギリスから呼び寄せた。
11月26日。二人は慎重に壁に穴を開け、中に燭台の炎を差し入れた。
カーナヴォン卿が「何か見えるか?」と尋ねた。
カーターはしばらく沈黙した後、こう答えたという。
「はい。素晴らしいものが。」
その瞬間、3,300年の封印が解かれた。
消された王の逆襲
発見のニュースは瞬く間に世界中を駆け巡った。
ホルエムヘブが必死になって消し去ろうとした少年王は、3,000年の時を経て、史上最大の考古学的発見の主役として世界に名を刻んだ。
皮肉なことに、ホルエムヘブ自身は今日、エジプト学の専門家以外にはほとんど知られていない。
歴史を書き換えようとした者は忘れられ、歴史から消された者は永遠に記憶された。
権力とは、時に自分が思う方向とは正反対に、歴史を動かすものだ。
ツタンカーメンの「消去」は、結果として彼を不滅にした。
次回予告
無料公開編はここで終わりとなる。
第4回からはいよいよ有料編に入り、少年王の生涯をより深く、より暗い場所まで掘り下げていく。
次回のテーマは**「呪われた血筋」**。
近親婚を繰り返したエジプト王家の闇。ツタンカーメンの体に刻まれた、血筋の代償とは何だったのか。CTスキャンと最新のDNA解析が暴いた、少年王の「本当の体」に迫る。
黄金の王家には、黄金では買えない悲劇があった。
【ツタンカーメン連載】第3回 了(無料公開編・完) 第4回「呪われた血筋――近親婚が生んだ悲劇」は有料記事となります
