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深夜の空港は、時間が止まった水族館に似ている

夜の22時を過ぎた新千歳空港というのは、まるで閉館後の水族館だ。

昼間あれほど賑やかだった生き物たちは姿を消し、ガラスの向こうには誰もいない。それでも建物は静かに呼吸を続けている。搭乗口のサインボードだけが律儀に光り、誰も乗らない便名を表示し続けていたりする。

僕がこんな時間に空港にいるのは、べつに旅をするわけでも、旅を終えるわけでもない。26歳になる娘の「迎えに来て」という一言に、あっさり陥落したからである。「自分で帰れ」と言えるような父親であれば、こんな夜中に高速を走ってはいない。我ながら甘い。砂糖より甘い。

それにしても、深夜の空港というのは、旅慣れた人間ほどその静けさに胸を突かれるものではないだろうか。


旅とは本来、人の体温と喧騒の中に生まれるものだ。アナウンスの声、スーツケースのキャスターが床を転がる音、出発ゲートに群がる人々のあの独特の緊張感。それらが全部剥ぎ取られた空港は、魂の抜けた祭りの翌朝に似ている。楽しかった記憶だけが、がらんとした空間に漂っている。

その静けさを見ながら、僕は別の時代を思い出していた。

コロナの蔓延していたあの頃、僕は何度かこの空港を「ハブ」として使っていた。

登別に住む次女が帯広へ帰省する際に、娘はバスで新千歳まで来て、僕は帯広から車を走らせて迎えに行く。空港でバトンを受け取るような、奇妙な中継地点として僕たちはこの場所を使っていた。

あの頃の空港も、こんなふうに静かだった。

いや、静かという言葉では足りない。世界の旅が、止まっていた。

スーツケースを引く人の波も、土産袋を抱えた笑顔も、再会の抱擁も――何もかもが蒸発したような空間の中で、僕と娘だけが申し訳なさそうに立っていた。旅をしているのに、旅をしてはいけない時代。マスクの下の表情が読めなくて、僕たちは目だけで笑った。

あの奇妙な感覚を、僕はまだ体の奥に持っている。

昨夜の娘は違った。

東京の定番土産をしっかり両手に抱えて、ゲートから出てきた。26歳。初めての一人旅。

「26歳で初めて」と聞いてどう感じるかは、その人の旅歴による。旅慣れた人なら苦笑いするかもしれない。でも僕は思うのだ。遅い旅立ちほど、その人の中に深く刺さることがある、と。

コロナが奪ったものの中に、間違いなく「旅の入口」があった。20代前半、本来であれば一番無謀に旅に出ていい年齢の3〜4年が、自粛という名の透明な壁に塞がれていた。娘の「初めて」が26歳だったのは、彼女が臆病だったからじゃない。世界が怖くなっていたからだ。

それでも彼女は行った。一人で。東京へ。

親バカを承知で言わせてもらえば、それだけで十分すぎる土産だった。紙袋の中身より、ずっと重いものを彼女は持って帰ってきた。

流行り病は、旅する自由を「自粛」という言葉で包んで奪っていった。

強制ではない、あくまで自粛。だからこそたちが悪かった。誰かに怒ることもできず、ただ自分の中の旅心を押さえ込むしかなかった。窓から空を見上げても、飛行機雲すら少なかった。

あんな時代は、二度とごめんだ。

旅とは、人が自分の足で世界に触れにいく行為だ。地図には載っていない空気の匂いを、自分の鼻で嗅ぎにいく行為だ。それを奪われることの喪失感を、あの頃に骨身にしみた。

だからこそ、深夜の空港でさえ、僕には愛おしい。

がらんとしたターミナルも、誰もいない搭乗口も、全部ひっくるめて「旅の器」だから。器が空であっても、いつかまた満たされると知っているから。

娘を助手席に乗せて、高速を北へ走りながら、僕は思った。

次は自分も、どこかへ行こう。

迎えに来た空港で、そんな旅心に火をつけられるとは思っていなかった。娘に感謝しなければならない。たぶん、これも親バカの一種なのだが。


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