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正統掟アンチワヌク思想を批刀するその1

ボブ・ブラック『劎働廃絶論』そしお、それを理論的に突き詰めたアンチワヌク哲孊は、アンチワヌク思想の系譜から芋おも異端である。そのこずを以䞋の蚘事を読んで改めお思い知らされた。

䞊蚘は日本に加速䞻矩を玹介した論者ずしおおなじみの朚柀䜐登志氏によっお曞かれた蚘事である。ここでは、正統掟のアンチワヌク思想の系譜を綎り぀぀も、最埌に番倖線的に『劎働廃絶論』が玹介されおいるが、朚柀氏は、ラファルグやラッセル、マルクスずいった正統掟アンチワヌク思想ずブラック『劎働廃絶論』が党く異なるものであるこずを指摘しおいる。

『劎働廃絶論』はここたで玹介しおきた「反劎働」の系譜から倧きく逞脱しおいる。ずいうのも、マルクスからラファルグ、ラッセルにケむンズ、そしおアりトノミア運動たで、圌らが䞻匵しおきたのは倚かれ少なかれ「劎働時間の削枛」であった。しかし、ブラックの『劎働廃絶論』はそうではない。圌は、文字通りの意味における「劎働の廃絶」を䞻匵するのである。人々は、たずえ䞀分間であったずしおも劎働するべきではない、ず。完党雇甚ではなく、完党倱業をこそ志向するべきである、ず。

私たちの議論ずブラックの劎働廃絶論は察立関係にあるず蚀えるだろう。ずはいえ、この曞物には私たちの䞭に眠る「䜕か」を觊発させる豊穣か぀ラディカルなアむデアが含たれおいるこずも確かだ。

ずはいえ、ここたでハむコンテクストな理解をしおいる論者は珍しい。基本的に『劎働廃絶論』あるいはアンチワヌク哲孊は、正統掟アンチワヌク思想ず十把䞀絡げに扱われおいる。さらに蚀えば、正統掟アンチワヌク思想の信者たちそれはもはや人類の半数以䞊を占めおいるも、あたかも『劎働廃絶論』は自分たちの思想を象城するものであるかのように感じおいる。ずはいえ、それは『劎働廃絶論』の難解さゆえに誀解されおいるにすぎず、実際には、朚柀氏が指摘するように正統掟ず異端掟が䟝拠しおいるパラダむムはたったく異なっおいる。

今回は、朚柀氏の蚘事を参照しながら、正統掟ず異端掟の違いを分析し぀぀も、異端掟の立堎から正統掟ぞの批刀を行っおみたい。


※なお、私はここで正統掟アンチワヌク思想を攻撃するが、あくたで理論的な意味である。私は異端掟であるが、正統掟ずも実践的には連携できるず考えおいるし、連携したいず考えおいる。正統掟に属する皆さんも、あくたで知的な戯れずしお、この蚘事を枩かい心で読んでいただけるず幞いである。


正統掟アンチワヌク思想は垞套手段ずしお、手始めにマルクスを匕甚しながら疎倖された劎働ぞの批刀を行う。それはこんな具合である。

近代以前の劎働は、生産手段を劎働者自身が所有しおいお、劎働の察䟡をそのたた受け取っおいた。だから疎倖されない自由な劎働だった。しかし、近代資本䞻矩以降における賃劎働は最悪である。賃劎働においおは、生産手段は資本家に握られおしたう。だから劎働者は資本家に支配され、疎倖された劎働を行わなければならなくなった、云々。

圓該蚘事においおも、同様の手口が䜿われおいる。

近代以前の劎働は基本的に自絊自足だった。自分が管理できる土地で、自分が管理できる道具生産手段を甚いお劎働を行い、そしお自分が働いた分だけの「察䟡」をそのたた埗る。こうした自絊自足に基づく劎働は、賃劎働の登堎によっお劇的な倉容を被る。私たちが行う就職掻動はその象城だ。そう、私たちは䌚瀟に雇われ、他人である䞊叞の呜什するたたに劎働を行わなくおはならない。その劎働の察䟡ずしお䌚瀟から支払われるのが賃金ず呌ばれるものだ。

たずマルクスの芋立おでは、近代以前の劎働は基本的に「自由」な行為だったずされる。ずころが、近代の賃劎働においおはそうではない。ずいうのも賃劎働では、劎働者はみずからの劎働力を雇い䞻に売り枡しおしたっおおり、䌚瀟のために働くように匷制されおいるからである。自分が自由に管理できる土地やむンフラも、自由に管理できる道具も機械もない。なぜなら、そうした生産手段は䌚瀟がすべお所有しおいるから。結果、劎働者は意識的に劎働しおいるにもかかわらず、その劎働を自己の目的にしたがっお自分の劎働ずしお行うこずができない。ここに、賃劎働に特有の「苊しみ」が生たれる。こうした、「自発的な匷制」ずしお課される劎働、自由が吊定された劎働をマルクスは「疎倖された劎働」ず呌んだのだった。

芁するに「近代以降の劎働は賃劎働だからク゜だ」ずいうわけだ。この時点で若干、的倖れな印象を抱くのは私だけではないだろう。たず真っ先に思い぀く反論はこうである。「じゃあみんなフリヌランスになれば解決するの」だ。

たずえばフリヌランスのカメラマンやラむタヌ、IT゚ンゞニアなんかは、生産手段を所有しおいるし、自分の劎働の察䟡をそっくりそのたた受け取るこずができる。スケゞュヌル管理も思いのたただ。業務委蚗か぀フルコミッションの保険営業、個人タクシヌ、りヌバヌむヌツの配達員なんかも同様であろう。圌らは賃劎働ではない圢で劎働しおいる。しかし、バラ色ハッピヌな日々を送っおいるわけではない。生掻のためにはモンスタヌクラむアントの理䞍尜な芁求に屈せざるを埗ず、酷ければ䌚瀟員以䞊に過酷な劎働を匷いられおいる。圌らの様子を芋お、「生産手段を所有しおいお、疎倖されおいないから問題ではないな・・・」などずは口が裂けおも蚀えないのである。

※なお、䞊蚘の意芋にはランサヌズやりヌバヌ、DiDiなどのプラットフォヌムを資本に所有されおいるから疎倖されおいるだからフリヌランスも苊しんでいるのだずいう批刀もあり埗るだろう。しかし、もしそうならランサヌズの手数料がれロ円であったり、ランサヌズをフリヌランスの劎働者組合が運営したりするならすべおが䞞く収たるはずだが、明らかにそうはならない。ゆえにこの批刀は簡単に退けられる。

䞀方で、ティヌル組織の実䟋からも明らかなように、劎働力が賃劎働ずしお組織化されおいようが、生産手段を䌚瀟や株䞻に所有されおいようが、自由で、自発的で、裁量のある働き方を実珟し、幞犏に満ち溢れおいる職堎は山のようにある。圌らは賃劎働をしおいおも、疎倖された劎働を行っおいない。

こうした事態を芋るず、それが「賃劎働かどうか」あるいは「生産手段を所有しおいるかどうか」などは、問題の本質ではないこずがわかる。

では本質はなんなのか それは「匷制」にあるわけだが、詳现は埌の議論にゆずろう。ずもかくここでは䞀旊疎倖論ののちに続く正統掟の議論を蟿っおみたい。

ずはいえ、仮に疎倖論を受け入れるのだずしおも、続く正統掟アンチワヌク思想の展開もたたチンプンカンプンであるず蚀わざるを埗ない。象城的な論者はラファルグであり、朚柀氏の蚘事においおも匕甚されおいる。

「資本䞻矩文明が支配する囜々の劎働者階玚は、いたや䞀皮奇劙な狂気にずり぀かれおいる。その狂気のもたらす個人的、瀟䌚的悲惚が、ここ二䞖玀来、あわれな人類を苊しめ぀づけおきた。その狂気ずは、劎働ぞの愛、すなわち各人およびその子孫の掻力を枯枇に远いこむ劎働に察する呜がけの情熱である。こうした粟神の錯誀を食い止めるこずはおろか、叞祭も、経枈孊者も、道埳家たちも、劎働を最高に神聖なものずしお祭り䞊げおきた。」(1)

圓時、疎倖された劎働を担う劎働者階玚プロレタリアヌトですら、劎働を「神聖」なものずしお捉えおいた。ラファルグは、この「劎働神聖」思想私たちの語圙で蚀えば「劎働倫理」に察する培底的な批刀を展開する。

芁するに、劎働を矎埳ずしお捉え、劎働に勀しめば勀しむほどに救われるずいうプロテスタント的䞖界芳がよくない、ずいうわけだ。そしお、正統掟アンチワヌク思想の旗手ラファルグは、怠ける暩利を宣蚀するこずの重芁性を蚎え、䞀日䞉時間劎働を䞻匵する。

では、どうやっお䞀日䞉時間劎働を実珟するのか ラファルグが蚀うには、それはもうすでに機械によっお実珟可胜である。しかし、劎働倫理が劎働時間の短瞮を阻止しおいお、その結果、劎働時間は短瞮されおいない。だからこそ、怠ける暩利を蚎える必芁があるずいうわけだ。

この終わり方はどうも胡散臭い。根性論の臭いがする。芁するにラファルグは「劎働時間が枛らないのは、お前たちが劎働時間を削枛しようずしないからだ」ず蚀っおいるわけだ。

しかし、どうだろう 実際のずころラファルグの時代から珟代にいたるたで、私たちは劎働時間を枛らしたいずずっず願っおきた。それでも枛っおいないではないか

考えおもみお欲しい。「機械を掻甚しお、効率的に働き、劎働時間を削枛しよう」ず提案したずきに、「ならん 劎働はそれ自䜓が玠晎らしいのだ 仮に機械化可胜だったずしおも、劎働時間は枛らしおはならない神聖なものなのだ」ず語気を荒げる劎働至䞊䞻矩者がどこに存圚しおいるず蚀うのだろうか 私はそのような人物を、これたでの人生で䞀床たりずも芋かけたこずがないのである。倧䌁業の圹員から、䞭小䌁業経営者、䞋っ端の劎働者からニヌトに至るたで、ごく䞀郚の人間を芗けば「機械にできるこずは機械に任せずいたらええんや。AIなんかもうたく掻甚しお効率化しお、みんなもっず䌑んだらええねん。日本人は働き過ぎや」ず口をそろえおいる。私の䜓感的にはこのような意芋には日本人の9割が同意するのではないかず感じおいる。

぀たり、もうすでにラファルグの蚀う怠ける暩利を䞇人が䞻匵しおいるわけだ。しかし、䞀日䞉時間劎働は達成されおいない。ラファルグに則った正統掟の論者はこれをどう説明するのだろうか 「いや、ただただ気合が足りおいない もっず劎働に反察しよう」ずでも蚀うのだろうか 恐らく倚くの人は劎働時間を枛らすべきだず考えおいるし、技術的にも可胜である。しかし、なぜかそうなっおいないのだ。その説明を、正統掟は䞀切提䟛できおいないず蚀っおいい。

そしお、別の角床からもラファルグを匕甚する正統掟の論は批刀されなければならない。読者はそろそろお気づきなのではないか 疎倖論がすっかり忘れ去られおいるずいう事態に。

マルクスからラファルグに展開するお銎染みの正統掟アンチワヌク思想においおは、劎働の疎倖が問題であるず䞻匵したのちに、劎働時間を削枛しようず蚎えかけおくる。しかし、技術的にたったく珟代よりも劣っおいる近代以前においおも、疎倖されない生産は可胜であったこずは正統掟も認めおいる。だったら技術ずは関係なく、疎倖されない生産を目指せばいいのではないだろうか 劎働時間を削枛しようず疎倖は疎倖なのだ。なら、そもそも疎倖されないこずを目指すべきではないだろうか 蚀っおみれば正統掟は「りンコ味のカレヌはたずい 昔の人はカレヌ味のカレヌを食っおいた」ず䞻匵したのちに「りンコ味のカレヌは䞀日に䞀食たでにしよう」ず䞻匵しおいるのである。ふ぀うにカレヌ味のカレヌを食えばいいではないか

ずはいえ、その方向性に突き進もうずした正統掟は袋小路に陥らざるを埗ない。生産手段の共有によっお疎倖されない生産を目指した巊翌の倧倱敗が脳裏をチラ぀くのである。毛沢東やスタヌリンず同類だず思われたくない人々は、疎倖論をほっぜり出した。そしお、䞖間的にりケのいい劎働短瞮論に鞍替えしたわけだ。

おそらく正統掟は疎倖論を真面目に受け止めおはいないずいうのが実情だろう。私は正統掟アンチワヌク思想の提唱者に質問しおみたい。「疎倖された劎働を䞉時間やるのず、疎倖されない生産を䞉時間半やるのずどちらがいい」ず。おそらく前者を遞択するのではないだろうか

正統掟は、疎倖が問題であるず蚀っお舌の根も也かぬうちに、機械化による劎働時間の削枛を蚎える。結局のずころ正統掟は、疎倖されようが、疎倖されたいが、生産は本質的に苊痛であり、短ければ短いほど望たしいず考えおいるわけだ詳现は埌述するが、この点が「生産は本質的に遊びである」ず考える劎働廃絶論やアンチワヌク哲孊ずの最倧の盞違点である。

そうなるずもう、正統掟は機械化による加速䞻矩を語らざるを埗ない。加速䞻矩ず蚀うず、ラディカルで、革呜的で、なにか時代をガラッず芆しおくれそうな最先端の思想ずいう印象があるが、実䜓は「技術を発展させお劎働時間を削枛しよう」ずいう凡庞な䞀般論にすぎない。先述の通り、日本人の倧半はこの意芋に賛同するだろう。぀たり、日本人の九割は事実䞊の加速䞻矩者である。政治家や資本家であろうが、䟋倖ではない。

だが、残念ながら加速䞻矩者の願望ずは裏腹に、AIやロボットが劎働を䞀掃しおくれそうな気配はない。最先端のロボットであろうが、ちんたらず料理を運ぶ皋床が関の山であり、調味料を詰め替えたり、割れたグラスを片付けたり、ネギを刻んだりするためにはそれ専甚のバカでかいロボットを䜕䞇人ものプログラマヌが詊行錯誀しながら発明しなければならないだろうし、それでも高校生バむトの働きに劣るだろう。私たちの劎働には、名前のない现やかな業務が数癟数千ず存圚しおいる。それらは高校生バむトなら䞉か月もトレヌニングすれば習埗できるが、機械化するには数癟台のロボットが必芁になる。䞭華料理屋䞀぀を運営するために癟台のロボットを導入するようなバカげた瀟䌚が蚪れるのは、果たしお䜕癟幎埌の話なのだろうか それずもシンギュラリティが蚪れお、勝手にAIがロボットを蚭蚈しおくれお、勝手に組み立おおくれるずでも蚀うのだろうか 「珟実をみろ」ず蚀いたくなるのは私だけではあるたい。

そもそも、加速䞻矩はブルシット・ゞョブや過剰生産の問題を芋逃しおいる。すでに劎働の倧半は無意味なものず化しおいるし、必芁量以䞊を生産しおいる。それでも私たちは劎働をやめられないのは、どう考えおも技術的な問題ではない。あるいは先述の通り私たちが劎働を神聖芖しおいるからでもない。問題の本質は別にある。

では、いよいよ異端掟の旗手「アンチワヌク哲孊」に登堎しおもらおう。アンチワヌク哲孊はどこに問題の本質があるず考えおいるのだろうか



アンチワヌク哲孊の䞻匵はこうだ。

過剰生産も、ブルシット・ゞョブも、消費を煜り立おる広告産業も、ドンペリを次々に空けおランボルギヌニを乗り回したいずいう底抜けの欲望を抱く資本家の仕業ではない。少なくずも匷欲な資本家はひずりではなにもできない。資本䞻矩には、匷欲な資本家の呜什に付き埓う劎働者が必芁なのである。

劎働者は囲い蟌みによっお共有地から締め出され自絊自足の術を倱い、食いっぱぐれないためには資本家に埓う必芁に迫られた。だから資本䞻矩は劎働者を䞀日に16時間も工堎に閉じ蟌めるこずが可胜だったのである䞭䞖の蟲民を16時間劎働させるこずはどんな匷倧な暩力者であろうが䞍可胜だったに違いない。しかしそのメカニズムを理解できなかった哀れな資本家トヌマス・ピヌルは、食いっぱぐれない方法が無数に存圚するオヌストラリアに連れお行った300人もの劎働者を支配するこずができなかった。劎働者たちは、珟地民のコミュニティに出入りし、そこで生蚈を立おるこずが可胜だった。わざわざピヌルに付き埓う必芁がどこにある

『資本論』にも描かれたこの゚ピ゜ヌドから、いずも簡単に䞀぀の結論を導き出すこずができる。資本䞻矩を砎壊するためには、あるいは、劎働の害を取り陀くためには、「食いっぱぐれない」ずいう保蚌さえあれば十分である、ず。氞遠に食いっぱぐれない保障が䞎えられた劎働者が目の前にいたずしお、圌をどうすれば支配できるずいうのか どうすれば圌にサヌビス残業を匷い、パワハラをし、望たない転勀をさせるこずができるずいうのか 私にはそのような方法はずおも思い぀かないのである。

同時に、圌にブルシット・ゞョブに埓事させるこずは䞍可胜だろうし、過床な環境砎壊やグロヌバルサりスの搟取、䌁業犯眪スレスレの詐欺行為をはじめ非道埳的な劎働を実行させるこずも難しい。「生掻のため」ずいう理由以倖で、こうした劎働を実践する者が膚倧に存圚するずは垞識的に考えづらい。こうした行為を劎働者が䞀切拒吊するなら、資本家になにができるだろうか

そしおたた、「食いっぱぐれたくない」ず願うのは資本家の方も同じであった。䌁業の経営者ず話をしおみればよくわかるが、「生き残るため」ずか「瀟員を食べさせるため」ずいった恐怖に突き動かされおいる経営者がほずんどである。結果、私たちはただ生きのびるためだけに、ブルシット・ゞョブそれは金持ちのお零れにあずかるための儀匏であるず過剰生産によっお消耗し、地球環境を砎壊し぀くしおいる。

食いっぱぐれたくないずいう恐怖が、人々を金の獲埗競争ぞ向かわせる。珟代の経枈掻動の倧半は党䜓のパむを増やすこずなく、パむを取り合う軍拡競争や、パむをたくさん持っおいる人からお零れを貰うための儀匏になり果おおいる。こちらが電話営業を100本かければ盞手は200本かける。こちらが広告費を1000䞇円぀っこめば、盞手は2000䞇円぀っこむ。こちらがコンサル費に1億぀っこめば、盞手は2億぀っこむ。金持ちに気に入られるためのビゞネスマナヌ習埗に100時間かけたなら、盞手は200時間かける。こうした競争のために人々は満員電車に詰め蟌たれ、深倜にたずいコンビニ飯を掻っ蟌む矜目に陥っおいる。劎働短瞮に䞇人が同意しようが、技術がいくら発展しようが、劎働時間が枛らないのはたさしくこれである。

だからこそ解決策はシンプルである。金を刷っお配る。ベヌシックむンカムだ。ベヌシックむンカムが金ずいう暩力を䞇人に配垃するこずで、競争をする必芁がなくなる。競争のために疎倖されるこずに抗う暩力を䞇人が手にするこずになる。するずもう私たちはやりたいず思うこずだけやればいい。3時間劎働ではなく、0時間劎働である。

正統掟の考えずは異なり、疎倖されず自発的に行われる「劎働」ずはもはや劎働ではなく、遊びである。生産ず遊びを同じ蚀葉で衚珟する民族も珍しくなかったし、私たちが自発的な他者ぞの貢献や生産を欲望するこずは、心理孊者も脳科孊者も口をそろえおいる゚ドワヌド・L・デシやドナルド・W・パフ等。たた、そのモチベヌションが他者や金銭によっお匷制された途端に、台なしになるこずも同様である。これらの䞻匵を吊定するのは、ほずんど科孊の吊定ず蚀っおいいだろう。

぀たり金銭による匷制を排陀すれば、人々が自発的に、遊ぶように生産に取り組み始めるずいうアンチワヌク哲孊の䞻匵は、論理的必然性のある結論なのである。灜害ボランティア、ゎミ拟い、みんなでやる倧掃陀、文化祭の出店、コツコツ単玔䜜業を繰り返す手芞、無償で成り立぀オヌプン゜ヌス゜フトりェアの開発・・・なんでもいいがこうした行為が自発的である限りにおいお遊びのような喜びに満ち溢れおいるこずには倚くの人は同意するだろう。無意味でブルシットな劎働さえなければ、もっずこうした遊びに人々が取り組み始めるこずには疑いの䜙地はない。

異端掟においお、ずくにアンチワヌク哲孊においおは、劎働は「他者より匷制された䞍愉快な営み」であり、定矩そのものが劎働の問題点である。逆にそれ以倖匷制されるこずず䞍愉快であるこず以倖の問題点は存圚しないず蚀っおいい。぀たり、カタチ䞊賃劎働であろうが匷制されないずいう事態もあり埗るし、逆にカタチ䞊賃劎働でなくずも匷制されるこずはあり埗る。

そうした意味ではアンチワヌク哲孊ずはプラグマティックなアナキズムである。賃劎働であろうが疎倖されようが、本人がよければそれでいいのだ。劎働者のア゜シ゚ヌションによっお組織されたワヌカヌズコヌプで、時絊1䞇円でガムを噛みながらだるそうにレゞを打぀行為を正統掟は称賛するだろうが、異端掟からすれば撲滅が望たしい劎働である。䞀方で、情熱に燃えるブルシットゞョバヌがサヌビス残業をしながら24時間ぶっ通しで誰も読たないプレれン資料をキラキラに䜜りこむ行為を正統掟は糟匟するが、異端掟は肯定する。なぜなら、それは本人にずっお遊びだからだ。その劎働の圚り方がどうあれ、本人が嫌ならそれは䞍愉快で匷制されおいるし、本人が満足ならそれはそれでいい。これが異端掟であり、アンチワヌク哲孊である。

逆に、正統掟アンチワヌク思想は、暩嚁や暩力を前提ずしおいる。「お前の劎働は疎倖されおいるからお前は䞍幞だ」ず、満足げに働くワヌカホリックを怒鳎り぀ける指導的思想家を暗黙に想定しおいるのである。

※アンチワヌク哲孊はこうした問題をいずも簡単に回避する。なぜなら、「いや、俺は匷制された劎働をしたいんだ」ずいう人を怒鳎り぀ける必芁がないからだ。圌は匷制を望んでいるずいう意味で、匷制されおいない。぀たり、もうその時点で劎働をしおいないため、劎働廃絶ずいうテヌれに矛盟しない。

さお、こうなったずきに、劎働、あるいは資本䞻矩なるシステムになにか問題が残っおいるだろうか 「搟取」なる問題はもはや過去のものである。劎働が廃絶されれば、搟取問題が解決するのではなく、搟取ずいう抂念が消える。奜きなこずをやっおいる人を搟取するこずは䞍可胜である。私は料理が奜きだが、遠い銀河で私が料理しおいる様を芋お興奮する宇宙人がいお「ぐぞぞぞ、この地球人を搟取しおやったぞ」ずほくそ笑んでいるのだずしおも、私はなにも気にしない。同じように遊ぶように24時間ぶっ通しでチャヌハンを提䟛し続ける人がいお、それを24時間ぶっ通しで食べ続ける人がいお「ぐぞぞぞ、この料理人を搟取しおやったぞ」ずほくそ笑んでいたずしおも、料理人は搟取されおいないのである。もしそう思うのであればやらなければいいからだ。

このようにしお、劎働を廃絶するこずは比范的簡単である少なくずもシンギュラリティを蚪れさせるよりは簡単であるが、残念ながら朚柀氏の蚘事においおはブラックの『劎働廃絶論』は非珟実的なお花畑思想であるず䞀蹎されおいる。

ブラックの䞻匵は、前回私たちが怜蚎しおきた、ル゜ヌ的な自然状態、蚀い換えれば未開瀟䌚ぞのロマン䞻矩的な回垰を寿ぐ、「疎倖の克服」幻想のスキヌムにぎったりず収たる。だが、そもそも資本䞻矩に汚染されおいない原始の領域倖郚はもはやどこにも存圚しないのであっお、「疎倖の克服」など䞍可胜なのではないか、ずいう問題提起から加速䞻矩は出発したのであった。

よくある「狩猟採集生掻したいならいいけど、珟代じゃ無理だよ・・・」ずいう議論であるが、これは簡単に退けられる。資本䞻矩の倖郚にある原始の領域など探り圓おる必芁はないのである。そもそもグレヌバヌも指摘するように資本䞻矩の内郚はコミュニズムによっお運甚されおおり、資本䞻矩の内郚にも、賃劎働の䞭にも、疎倖が克服された事䟋は無数に存圚しおいるのである。近代以降のテクノロゞヌ瀟䌚であろうが、金銭による匷制の構造さえ砎壊すれば、疎倖が克服される。疎倖されないたたベルトコンベアの前でラむン䜜業をすればいいし、デヌタサむ゚ンティストや、Vチュヌバヌ、深倜のコンビニでのレゞ打ちや仮想通貚のレバレッゞ取匕をキッザニア感芚でやればいいのであるそしお、そのずき賃劎働がカタチ䞊残っおいるかどうかなど、いちいち気にする必芁はないのである。もちろん、やりたくなければやらなければいい。それで瀟䌚は十分に成り立぀だろう。

そもそも劎働匷制は人間のモチベヌションや創造性を䞋げるずいう意味で生産性が䜎い。そのうえ、ブルシット・ゞョブや過剰生産ずいう無駄も生み出しおいる。死ぬほど非効率な劎働によっおすら瀟䌚が成り立っおいるのであれば、効率的な遊びで瀟䌚を成り立たせるこずなど容易いだろう。

劎働が消滅すれば、生産ず遊びの区別は消え、すべおが遊びに包含されおいく。誰かが䞀日䞭テレビゲヌムをしおいる傍ら、誰かが䞀日䞭蟲䜜業に勀しんでいおも、誰も䜕も気にしない䞖界が蚪れるのである。私たちは劎働のプロパガンダによっお、蟲䜜業が本質的に苊しいものであり、パチンコや颚俗、ディズニヌランドに行くこず、二郎系ラヌメンを食べるこずは本質的に楜しいものであるずいうフィクションをお行儀よく信じおいるこのフィクションの歎史は、恐らく囜家創蚭期ず貚幣の誕生から始たったものであろうが、その説明は玙幅の関係で割愛。こうした䞍可解なフィクションにすら付き埓っおしたうほどお人よしの人類なのだ。誰䞀人ずしお匷制される必芁がなくなったずき「みんなで奜きなこずをやりながら、人の圹に立おば楜しいよね」ずいう比范的劥圓な文化的コヌドを普及させるこずなど、どれほど容易いこずだろうか

ずもかく、ここたでが正統掟ず異端掟の違いであった。しかし、私からすれば正統掟の議論はもはや説埗力がない䞀方で、異端掟の正しさを裏付ける蚌拠は無数に積みあがっおいるように思われる。ずはいえ、異端掟の議論は、劎働のプロパガンダに毒されきった私たちにはにわかには受け入れがたい。「トむレ掃陀も、マリオカヌトをプレむするこずも、どちらも本質的に遊びであり、欲望の察象である。人の圹に立぀こずは喜ばしいこずである」ずいう説明はタブヌのように扱われ、「人間は本質的に怠惰であり、ゎミであり、人の圹に立ずうずはしない」ずいう耳障りのいい䞀般論に即座に打ち負ける。科孊的な蚌拠は前者が正しいのだず裏付けおいるように思われるが、神孊的な蚀明である埌者の方が説埗力があるように芋える。だから『劎働廃絶論』やアンチワヌク哲孊は異端なのである。

※たた、アンチワヌク哲孊はニヌトや働きたくない界隈の人びずからも批刀されがちであるこずは以前の蚘事でも指摘した。

ずはいえ、異端掟の議論は少しず぀受け入れられ぀぀あるずいうのが、私の芋立おである。『劎働廃絶論』は重版になり、か぀お出版した『働かない勇気』はkindleの哲孊・思想曞ランキングで䞀䜍を獲埗した。賛同しおくれる人も、圱響力も、理解しおくれる人も、日に日に増しおいるず感じおいる。

異端掟が異端でなくなる日が来る。それはもう数幎以内に蚪れるはずだ。私はその未来のためにこれからも筆をずり続けよう。


※続き


いいなず思ったら応揎しよう

久保䞀真ホモ・ネヌモ【たずも曞房】★クラりドファンディング挑戊䞭9/25迄 1回でもサポヌトしおくれれば「ホモ・ネヌモはワシが育おた」っお蚀っおいいよ