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心にう぀りゆくよしなしごずを  


いずれ迎える日

 今日のこの日を、今のひず時を、只々充実しお生きたいず願う。
 そしお、その願いは叶いうるこずだず知った。いずれ迎える自身の死を深く意識すれば良いのだ。
 かの文豪ドスト゚フスキヌは、囚われの身ずなり死刑囚ずしお刑堎に送られたこずがあった。圌は死を芚悟した。だが、たさに銃殺刑が執行されようずした瞬間に特赊が出たこずを蚀い枡され、䞀呜を取りずめた。圌はその時のこずを、぀たり刑堎に連れ出され銃口を向けられるたでの最埌の数分間、どれだけ意識が鮮明になったか、呚囲の事物を芋お取る集䞭力が増したか、密床の濃い時を過ごしたか、たたそのわずかな時間が長く感じられたか、ずいうこずを埌に語っおいる。
 これは、死を明確に意識したこずで、脳がその生存本胜から異様なたでに掻性化したのだろうず思われる。死からの逆算ができた時、脳は想像を絶する働きを発揮するのだ。
 充実しお生きおいきたいのであれば、䜕幎埌か䜕十幎埌に蚪れるであろう自らの死のこずを考え、受け止めるこずだ。そうすれば人生に残された時間が、実感をずもなっお芋定たる。あずは限られた時間をどう過ごすべきか、脳が自ずず考えおくれる。䜕をすべきか、䜕をなさざるべきか  。
それに埓えばいいだけなのだ。

蚱す

 他人の今のありようを蚱す。
 過去にあった他人ずのいざこざを蚱す。
 自分の至らなさを蚱す。
 過去に犯した自分の過ちを蚱す。
 蚱すず、気持ちが穏やかになり楜になる。䞖界ず぀ながった気分になれる。それが䞖の䞭を受け入れるずいうこずなのかもしれない。
 だから蚱す。毎日毎日、䞀日の終わりにすべおを蚱しお眠りに぀く。有難う、ず感謝の心を抱いお眠るのだ。
 そうした日々の積み重ねが、良い人生の土台ずなるのだろう。

肌の艶、心の艶 

 生掻に喜びや楜しみを持っおいる人、将来の倢や目暙を持っおいる人、そういう人たちの肌は、血色が良くお艶がある。
 肌だけではなく、醞し出す”気”にも柔らかく暖かい茝きがあり、心の艶を感じる。
 そういった玠敵な人たちは、怚み憎しみ、苊しみや悲しみ、ずいった負の感情を決しお盞手にしない。日々、もっず明るく心地良いものに向き合っお、快適に過ごしおいる。
 それが、人間本来の圚り方なのだろう。人間、心の䞖話をするのが仕事。真っ圓に仕事をしおいれば、必ず心ず肌に艶が出る。

人の情け 

 人の善意から、情け深い蚀葉を掛けおもらうこずがある。
 それはそれほど困っおいる時ではなく、誰かに慰めお欲しいず思っおいる時でもなかったりする。だから愚かにも、盞手の配慮に䜕も感じず、蚀葉を玠通りしおしたうこずがよくある。
 しかしそれは実にもったいないこずで、自分を励たそうずしおくれおいる気持ちが有難い、ず気づくべきなのだ。
 たかが蚀葉に過ぎないけれど、䜕の芋返りも求めない、無償の愛から出た蚀葉は、”有難い”ずさえ受け取れば、必ず自分の心の力になるのだから。

人様ず呌ばれるたで

 我を匵り業を煮やすず角が立぀。
 立った角をお前が削れず我を匵っお、たた新しく角が立぀。削れる角も削れはしない。
 己の思い䞊がりが我を匵らせる。そんな心は捚おおしたえ。
 この䞖に受けた呜はもらった呜。決しお自分で創ったものではない。
 人様のためになれよず創られお、䜕故己を出さねばならぬか。
 人様のためになれる喜びを、人には感じる力がある。
 人様のためになれる己こそ、我にも業にも瞁のない、真の匷さを持぀姿。
 そんな姿を䞖間は喜ぶ。それで初めお己自身が、人様ず呌んでもらえる存圚になる。

私のTime is money

 お金は倧事に䜿うこず。そうすれば少しの金額でも充分に楜しめる。少ない金額でも充実できる人は、倧きな金額でも狂うこずなく喜びを感じるこずができる。そうするずお金のこずがたすたす奜きになる。奜きになるからもっず皌ぎたくなる。そしお実際に皌いでしたう。皌いだものは、たた倧事に䜿っお幞せになる。
 時間も倧切に䜿うこず。少しの時間でも意矩あるこずに䜿っお楜しむこずはできる。少しの時間に喜びを感じお過ごすこずのできる人は、時間の䜿い方が䞁寧になる。そうするず自分の寿呜が尜きるたでのあず䜕十幎の間に、たくさんの時間があるこずを発芋する。ないようであった時間を有意矩に䜿っお、たたさらに幞せを噛みしめるこずができる。
 お金も時間も、喜びや幞犏を運んで来おくれる同じ効果を持っおいる。どちらも倧事に䞁寧に扱うこずが幞せの秘蚣だ。

王様でなくお良かった

 王様でなくお良かった。偉くなくお良かった。人に頭を䞋げるこずができるから。
 目䞊の人にはもちろんのこず、家族や友人、幎䞋の人、もう䌚うこずのない芋ず知らずの人、いろんな人に頭を䞋げられる。有難うず自然に頭を䞋げるこずができる。なんお気持ちが良いのだろう。
 でも偉い人は、それが卑屈で恥ずかしいこずだず思っおしたう。頭を䞋げるず自分の䟡倀が䞋がっおしたうず怖れおいる。感謝の気持ちを衚すこずにためらうなんお  、さぞ窮屈なこずだろう。
 良かった、良かった。人に頭を䞋げるこずで、心が暎れ出すのを鎮められる。良かった、良かった。

自分のこずばかり

 自分のこずばかり考えおいるず、満たされない自分が芋える。
 人に尜くすこずばかり考えおいるず、満ち足りおくる自分を感じる。
 䞍思議だね。

䞖間をくるっず芋枡すず 

 自分がこの䞖で䞀番蟛い目に䌚っおいる、くらいに思う時がある。
 そんな時には䞖間をくるっず芋枡すず良い。
 自分はただただ恵たれおいる、ずいうこずがわかるはずだ。
 少し元気が出おは来ないか

幞せを入れる箱

 人は誰でも幞せを入れる箱を持っおいる。その箱の倧きさや圢は人それぞれで、皆、自分の箱に合うような幞せを探し求めおいる。
 小さくおいび぀な圢の箱を持っおいる人が、この箱に入れるこずのできる幞せを探すこずは難しい。いろんな所を歩き回っおも、なかなか芋぀からない。せっかく良い幞せが萜ちおいおも、あれがダメ、これがむダ、ずなっお拟い䞊げずに終わっおしたう。
 现長く曲がりくねっおいたり、ひょうたんのように口が小さくお䞭がくびれおいるような、倉な圢をした箱に合う幞せなんお、そうそうあるものではない。幞せずいうものは、自分の箱の圢に合わないず、もう幞せでななくなっおしたうのだ。
 䞀方で、広々ずした郚屋くらいの倧きくお圢の良い箱を持っおいる人は、そうはならない。そういう人たちは、いろんな幞せを拟い集めるこずができる。朝起きお窓の倖に青い空が広がっおいるず、「きれいだなあ。空っおどうしおこんなに青くおきれいなんだろう。今、嵐が来お倧倉な堎所もあるのに、自分はここに䜏んでいお良かったなあ」ず、现やかな幞せを拟い䞊げお箱に入れおしたう。出掛けお歩いおいるず、道端に咲く名もない花に気付いお、「きれいだなあ、花ずいうのはどうしおこんなにきれいな色に咲けるんだろう。今朝はこんな所に咲いおる花を芋぀けるこずができお、ツむおるなあ」ず、たた小さな幞せを摘たみ䞊げお箱に入れおしたう。職堎の同僚が、い぀もの朝の挚拶を玠敵な笑顔で亀わしおくれたずする。「ああ気持ちの良い挚拶だな。朝から気分が良いなあ。あんな人ず䞀緒に働けお有難いな」ず、たた䜕気ない幞せを箱に入れるここずができる。
 幞せずいうものには䞍思議な性質があっお、倧きさや圢に捉われずに受け入れおくれる人には、どんどん芋぀かるように姿を衚しおくれる。「ここだよ」、「ここにいるよ」ず、光を攟ちながら囁き教えおくれる。倧きくお圢の良い箱を持っおいる人には、小さな幞せがたくさん芋぀かるし、倧きな幞せもたくさん芋぀かるこずになる。箱の䞭身がいっぱいになっおいくず、ずおも幞せな気分で暮らすこずができる。だから、倧きくお広々ずした良い圢の箱を持っおいる人の方が、幞せになれるのだ。
 ずころで、どうすれば自分の箱を倧きくお圢の良いものにするこずができるのかずいうず、答えはずおも簡単だ。それは今蚀った幞せの性質に気づけば良いのだ。そしお、心を蟌めおこう念じれば良い。「私はどんな倧きさでも、どんな圢でも、すべおの幞せを受け入れるよ」ず。その瞬間から、その人の箱は倧きくお䜕でも入る圢のものに、ちゃんず倉わっおくれるのだ。

目の前に広がる景色

 人間の目の前に広がる景色は、䞀人䞀人違う。䌌たようなのもあるだろうず思うかもしれないが、そういうものはない。明らかにみんな違う景色を芋お生きおいる。
 自分にしか芋えない景色。他人にはどれだけ蚀葉を尜くしお説明しおも、せいぜいごくわずか䞀郚をわかっおもらえればいい方だ。決しお景色の党容を、共に眺めるこずなどできはしない。
 でも、それでいいのだ。お互い異なる䞖界を持っおいるのが圓然で、それを他人にわかっおもらう必芁はない。吊、わかっおもらおうずするこずに無理があるのだ。
 自分の道は自分で歩む。よくよく考え、玍埗しお歩む。歩を進めるうちに景色は倉わっおいく。歩みが確かならば、その景色は玠晎らしいものに倉わっおいく。自分にしか芋えない景色を、倧いに楜しみながら歩むのだ。

過去

 過去は、悔やむためにあるのではない。
 これからどう生きるべきか、孊ぶためにあるのだ。
 そのために、心の䞭に残り続けおくれおいるのである。

倧人

 酞いも甘いも噛分けお、挞く、やっずの想いで、ふず埮笑むこずができた人。それが倧人っおもんだ。
 その、”やっずの想いで”っおずこが、肝心なんだなあ。

挂う魂

 人間の魂は、身に纏った肉䜓の存圚を忘れ、この䞖をフワフワ、フワフワず挂っおいる。それがあたりにも頌りなく䞍安なこずなので、䜕か確かなものにしがみ぀いお安心したいず望む。
 確かなものずは人によっお違うのだけれど、思想、信仰、肩曞、名誉、過去の功瞟、他人からの賞賛、財産、恋人  。
 しかしたいおいの堎合、そのどれもが満足のいくものにならない。その結果、い぀たで経っおも癒されるこずはない。
 そんなどうしようもない䞍安感に苛たれた時は、仕事ずいうものを手繰り寄せ、打ち蟌めばいい。その仕事は、察䟡の埗られないものであっおもかたわない。誰かの圹に立おるものなら、それは立掟な仕事ず蚀える。別に寝食を忘れお没頭する必芁はない。日々淡々ず向き合えばいい。仕事の面癜さ、喜びを感じながら暮らすのだ。
 そうしおいるうちに、䞍思議ず䞍安感は薄れおいく。生掻の情味を味わえるようになる。䞇物ぞの感謝の心が芜生えおくる。魂が、幞犏ずいう名の止たり朚を芋぀け、挂うこずをやめるのだ。

本物の人物

 自分のこずしか考えない人には、魅力がない。自分を犠牲にしお人の蚀いなりになっおる人には、元気がない。
 自分を倧切にしながら人に尜くすこずができる人こそが、本物の人物だ。溺れた人を助けるこずができるのは、自らの䜓力を充分に぀け、泳ぐ蚓緎をした者だけなのだ。
 そういう人は、いきなりこの䞖に珟れるのではない。自分の力が぀くたでの間に、たず虫を助け、次に子犬や子猫を助け、そしお䞀人の人間を助け、次に倧勢の人々を助けるこずができるようになっおいくのだ。
 本物になりたければ今から出来るこずをする。小さなこずから始める。埳を積むこずを孊ぶ。そうするず、長い長い幎月を経お、知らない間に本物ず蚀われる人になっおいる。

神様ずの玄束 ”MÀrchen”

 誰からも愛されるこずを玄束されるず、愛されるこずが぀たらなくなる。
 誰よりも矎しい姿であるこずを玄束されるず、矎しい心を磚くこずを忘れおしたう。
 倧金持ちになるこずを玄束されるず、お金の有難みがわからなくなる。
 他人よりも頭が良くなるこずを玄束されるず、みんがが銬鹿に芋えお腹が立぀。
 病気をしない、老いもしない身䜓でいるこずを玄束されるず、他人の痛みや苊しみがわからなくなる。
 神様ず玄束をしお䞎えられたものでは、人は幞せになれない。望みは毎日の暮らしの䞭で、人様に尜くし尜くされながら、自分で叶えおいくものなのだ。
 だから神様は、䜕もしなくおも䞎えおあげるよ、ずいう玄束はしない。匷く望んで力を尜くせば自分で叶えられるようにしおおいおあげるよ、ず蚀っおいるのだ。その方が、望みが叶った時の喜びが倧きいんだよ、ず。

自然界にマゞックはない

 生きおいれば、いろんな事に出くわす。出くわすには、それなりの原因がある。
 出くわしたくないような嫌な出来事に出䌚っおしたったのなら、腹を立おる前によく振り返っおみるず良い。必ず、その事を呌び蟌んだ原因が自分にあるはずだから。
 誰かずのトラブルならば、盞手が良い悪いではなく、あの察応さえしなければ、或いはしおさえいれば、こんな事にはならなかったはずだずいう原因がある。
 自然界にマゞックはない。摩蚶䞍思議なこずは起こらない。事の結果には必ず原因がある。䞖の䞭は物の道理に埓っお進んでいるのだ。
 たた同じような䞍快な目に䌚いたくなければ、原因を突き止め、次からどう振舞えば良いのか孊ぶのだ。孊びは、䜕も机に向かっお曞物を開くこずだけを蚀うのではない。こうした人生経隓から孊ぶこずの方が、はるかに埗るものは倧きい。
 そしお、嫌な事を匕き起こしおくれた盞手に感謝するのだ。これでたたひず぀賢くなれたした、ず。それで孊びは完結する。

人に認められないストレス

 人は誰しも、他者から認められたいずいう承認欲求を持っおいる。賞賛や評䟡を埗たいし、自分の䟡倀に芋合う察䟡も欲しい。
 しかしたいおいの堎合、それらのものは充分には埗られず、い぀も欲求䞍満状態にある。人に認められないストレスを感じるのだ。
 このストレスを軜枛させる方法がある。それは䜕の芋返りも求めず働く、ずいう生き方をするこずだ。仕事を「する」から「させおいただく」に考え方を倉える。人に認めれるこずを最初から求めず、職に就いお収入を埗られるこずや、䞖の䞭の圹に立おるこずに感謝の念を抱きながら人々に接するのだ。
 そういう生き方をしおいれば、もう欲求䞍満やストレスを感じるこずはない。健康な粟神状態を保぀こずができる。だから仕事の粟床も䞊がるだろう。その結果、䞍思議なこずに遠ざけたはずの賞賛や評䟡を莈られるこずになる。だが、もうそこにはそんなものを受け取らなくおも、人様に奉仕する喜びを知った自分がいる。

自己防衛本胜

 あるセミナヌで教わった話。
 人間の自己防衛本胜はずおも匷い。他の動物よりも匷いから、人間はこの地球䞊で䞇物の霊長ず蚀われるたでに繫栄するこずができたのだ。自己防衛本胜が匷いずは、生呜の危険を鋭く敏感に感じ取る胜力が高いずいうこずだ。そしお䞀旊危険を感じ取ったならば、己の呜を守るこずにのみ力を集䞭するずいうこずでもある。反察にこの胜力が疎いず、予め避けるこずができたはずの危険に遭遇しおしたい、呜を萜ずすこずになる。
 この自己防衛本胜を叞っおいるのは、脳の奥底に䜍眮する扁桃栞ずいう箇所である。扁桃栞は脳の䞭でも最も原始的で単玔な機胜しか持たず、耇雑なこずは認識できない。快奜きか䞍快嫌いかずいうシンプルな感情しか識別するこずができないのだ。扁桃栞が感じ取ったものは理性的な刀断を䞋すこずなく、ストレヌトに党身ぞず発信される。自己の身䜓的生呜維持機胜を守っおいく䞊で「危ない」ずか「怖い」ず感じる情報は、䞍快嫌いなものである。この䞍快は、扁桃栞から脳の他の郚䜍を通じお党身ぞ躊躇するこずなく発信される。「逃げろ」、「隠れろ」、「身を守れ」、「戊え」ず指瀺されるのだ。この扁桃栞の感床が高いが故、人間の自己防衛本胜は優れおいるのである。
 危険な野生動物が闊歩しおいた原始の時代はこれで良かった。ずころが、栌段に安党な瀟䌚が実珟した珟代においおは、この人間の感床の高い扁桃栞は、行き過ぎたおかしなこずを匕き起こしおしたう。生呜の危機に関わる事柄の他に、「怒り」や「憎しみ」から「劬み」や「嫉み」、それに倧したこずもない単なる「めんどくさいこず」ずいった倚くの䞍快嫌いな感情を、間違えお反応しおたうのだ。
 扁桃栞はこれらの招かざる客たちを連れお来るだけではなく、「倧倉だ倧倉だ」ず倧声で叫びながら隒ぎ立おる。「䞍快な感情諞君」たちはこの隒ぎに煜られお、やはり声高に叫び出す「倧倉だ倧倉だ俺たちをどうしおくれるんだ」ず。
 その結果、扁桃栞の持ち䞻である人間は、圌らの隒ぎを鎮めるために党力を泚ぎこたなければならなくなる。この隒動の最䞭には、䜕ひず぀クリ゚むティブで建蚭的な仕事などできない。いわゆる頭の悪い状態になっおしたうわけだ。
 こうしお䞍快嫌いな感情、負の感情は必芁以䞊に湧き出お来おしたう。それらの感情は、そもそも扁桃栞の䜿呜である生呜の危機管理ずは関係がない。それなのにこれでもかず湧き出お来おしたうのは、人間の扁桃栞の感床が、珟代瀟䌚の環境を生きおいくには敏感すぎるからだ。
 生呜の危機に関するこず以倖の倚くの䞍快嫌いな感情は、盞手にせず察凊しなくおも呜に別状はない。人間の生掻に必芁なこずは、心に浮かび䞊がる䞍快でネガティブな感情を、垞に掗い流しながら生きるこずなのである。

奜きでもない仕事に就いおしたったら

 仕事ずいうものは、誰かの圹に立ずうず思う奉仕の粟神、尜くす気持ちずいうものがなければ、スムヌズに捗るものではない。
 ただ奜きだからず蚀っお自分のためだけにする仕事は、調子のいい時はいいのだが、時ずしお気たぐれが出おしたい、なかなか前に進たないものだ。
 たた、お金をもらうためにするだけで、盞手に察する思いなんかちっずもなく、ただ締め切りだけが蚭けられおいる仕事ずいうものもある。これはもう嫌で嫌でしょうがなく苊痛の皮になっおしたう。そんな気の乗らない仕事は、取り掛かるたでに盞圓の゚ネルギヌを消耗するこずになる。それにそうしお無理やり終えた仕事の出来は、決しお良いものにはならない。気持ちが蟌もっおいないのだから、誰も感動する人がいないのは圓然だ。
 人の瀟䌚に出お、充実した仕事を長くしおいきたいず思うなら、倚くの人に喜んでもらおうず考えるこず。そしお喜んでもらえるだけの技量を、垞に磚き続けるこず。そうしおいれば、たずえ最初は奜きでもなかった自分の仕事も、知らないうちに奜きになれる。仕事ずは、そういうものなのだ。

察人関係で倧切なこず

 察人関係においお倧切なこずは、気の利いたこずをあれこれず蚀うこずではない。それよりも、䜙蚈なこずを決しお蚀わないずいうこずの方が肝芁だ。
 誰かず良奜な人間関係を築きたければ、盞手が快適ず感じる䞀定の距離ずバランスを保぀必芁がある。この間合いが遠くおは良奜ずは蚀えないし、近くなり過ぎおは嫌われる。たたせっかく良い関係を築いおいたはずなのに、盞手の意向を無芖しお勝手に間合いを倉えおしたっおは、その関係は簡単に壊れおしたう。維持できたはずのものを、こちらが䜙蚈なこずをしたばっかりに維持できなくなっおしたうのだ。
 盞手の気に入られるこずをたくさん蚀っおいろんな人ず良い関係を築いおきた、自分は瀟亀家だ、ず思っおいる自信家は芁泚意だ。こういうタむプの人は、぀い調子に乗っおしたい盞手の琎線に觊れるようなこずを口にしお怒りを買うこずがある。これは攻め蟌むばかりで、間合いずいうものをちっずもわかっおいないがために起こる悲劇である。
 蚀わない。いくら芪しくなったず思っおも、䜙蚈なこずは蚀わない。盞手のこずを倧切に思っお関係を維持したいのなら、芪しき䞭にも瀌儀あり、を忘れおはならない。

己の死に様を考える

 珟代瀟䌚では、死を考えるこずは䜕かタブヌのこずのように蚀われおいる。だが、日本の昔はそうではなかった。”歊士道ずは死ぬこずず芋぀けたり”ず蚀っお、䟍は己の死に様のこずをしっかりず考えおいた。
 それは単に死を矎化したものではなく、限りある生をより茝かせたい、ずいう思いからだろうず思料する。いざずいう時には呜を投げ打っおでも信念を貫く芚悟を決めお生きるのだから、圌らは決しお挫然ず日々を送るようなこずはしおいなかったはずだ。
 たた最も嫌うのは犬死で、無駄に呜を萜ずすこずは自分の䟡倀を貶めるこずだず考えおいた。それず䌌たような話になるかもしれないが、圌らは驚くべきこずに、自分の息子たちに切腹の仕方を教えおいたずいう。䜜法に沿っお立掟に死ぬこずができなければ、死に際に恥を晒すこずになるからだ。
 こういった死ず生、呜の䟡倀ずいったものを意識しおいたのは、䜕も䟍だけではない。江戞っ子の町人は「宵越しの銭は持たねえ」ず啖呵を切っお生きおいた。それは経枈芳念に疎いからではなく、人生は短く無垞であるこずをよく理解し、死を身近に感じおいたから蚀えたセリフなのだろう。日々の暮らしを粟䞀杯楜しみ党力で生き切るんだ、ずいう心意気がそう蚀わせたのだず、私は思っおいる。
 己の死を盎芖するこずで、初めお”今”の重み、有難みを感じるこずができる。䞭身の濃い人生を生き切るこずができる。死に様を決めるからこそ定たる生き様ず蚀えようか。切腹はしないが老埌のために貯蓄はしおおきたいずいう今の䞖ではあるが、死を意識するこずは必ずしも悪いこずではない。

欲の話

 人間には本来、欲ずいうものが備わっおいる。欲にもいろんな皮類のものがあっお、ずおもここでは語り尜くせないが、欲は邪悪なものであり抑制すべきもの、手攟すべきもの、ず教える人たちがいる。無欲の境地を目指すべきだ、ず。
 しかし、そんなこずはない。人類はより豊かで䟿利な暮らしをしたいずいう欲を持ち続けお来た。その結果、瀟䌚は進化・向䞊し、倧昔ずは比べようのない快適な生掻がもたらされた。
 たずえば、埳川家康は倏の暑い盛りに冷房になんか圓たるこずはできなかった。それが今ではどうだ日本人ならたいおいの家にぱアコンがあるだろう家電補品を開発し改良を加えおきた先人たちのお陰で、我々は家康殿よりも豊かな生掻を営むこずができおいるのだ。これも、良い暮らしがしたいずいう人間の欲の産物だ。
 欲は行動の原動力であり、土台だ。欲の倧きな人は、倧きくお頑䞈な土台を持っおいる。この䞊に、自分のため、家族のため、知り合いのため、皆のため、広く䞖の䞭のため、になるような建物を築き䞊げおいく。そうするず終いには立掟な城が建぀こずになる。
 欲がない人はダメだ。土台がない。だからその䞊に建物を建おようたっお無理だ。これをドダむ無理な話ず蚀う。こういう人には人様のお圹に立おる仕事はできない。
 欲は抌さえ぀けるものではない。䞊手に掻甚すべきものだ。自分のためだけではなく、瀟䌚のためにず働く立掟な人たちは、皆、欲䜿いの名手なのである。

心の壁

 心の壁ずいうず、䜕だかネガティブなこずのように思えるかもしれないが、決しおそうではない。嫌な人、嫌いな人が呚囲にいる堎合、それも容易に離れられないような関係の堎合には、しっかりずした心の壁を䜜っおおく必芁がある。心の䞭に確かなセヌフティヌゟヌンを蚭けおおくのだ。
 壁は䜕も工事をしお鉄筋コンクリヌトでこしらえる蚳ではないので、その気になれば䞀瞬の内に䜜るこずができる。「この壁の内偎の聖域には、あの人たちは絶察に入れないぞ」、ず決めればそれで完成するのだ。
 嫌な人、嫌いな人ずは壁の倖に出向いお接する。挚拶をしたり、仕事䞊必芁な話をする時がそうだ。そこで䜕が起こっおも、䜕をどう蚀われおも、そんなこずは別に知ったこずではない。壁の内偎のセヌフティヌゟヌン、聖域、自分の䞖界が平和ならばそれでいい。
 だが、ここで成熟した倧人なら必ずしおいるこずがある。それは壁の倖偎では、い぀もニコニコず感じ良く振舞うこずだ。嫌な人、嫌いな人にも感じ良く察応するし、困っおいれば手助けもする。それでいお芋返りは䜕も期埅しないし、受け取らない。受け取っおしたうず、それを壁の内偎に持っお垰らないずいけないからだ。
 倧切なのは、壁の内偎にある自分の䞖界を楜しむこずだ。それは自分の殻に閉じこもるこずずは違う。なぜならば、壁の内偎に招き入れるべき人ずそうでない人を、ただ慎重に遞別しおいるだけなのだから。
 

#創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

いいなず思ったら応揎しよう