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なぜ『ショーシャンクの空に』が好きではないのか考察してみた

noteを始めたこの機会に、改めてこのテーマについて妻と話してみた。

結論から言えば、私は
『ショーシャンクの空に』という作品そのもの“だけ”が嫌いなのではない。

むしろ——
この映画を「好き」と語るときに漂う、ある種の“空気”が苦手なのだと思う。


「いい映画」という安全地帯

この映画について語られる言葉は、だいたい決まっている。

希望の物語
諦めなければ夢は叶う
人生を変える一本

どれも正しい。 むしろ、あまりに正しすぎる。

だからこそ、私はそこに違和感を覚える。

なぜならこの作品は、
「いい映画と言っておけば間違いない映画」
という位置に収まってしまっているからだ。

誰も傷つけない。
誰からも反論されにくい。
“良識的な人間”であることを、簡単に証明できる。

つまりこれは、映画そのものというより
価値観のテンプレートとして機能している。


婚活サイトで見た「同じ人たち」

昔、婚活サイトに登録していたことがある。

女性のプロフィールを眺めていると、ある共通点に気づいた。

趣味は「カフェでまったり」
家では「アロマ」
性格は「癒し系と言われます」

そして、好きな映画が—— ほぼ例外なく『ショーシャンクの空に』だった。

(次点は『ニュー・シネマ・パラダイス』)

もちろん、これは女性を揶揄したいわけではない。
ただ、あまりにも“揃いすぎている”ことに驚いたのだ。

そのとき私は思った。

これは本当に「好き」なのか?
それとも「そう言っておけば無難」なのか?


映画としての違和感

では、作品自体はどうか。

正直に言えば、よく出来ている。
構成も美しく、ラストも印象的だ。

ただ同時に、こうも感じる。

出来すぎている。

例えば有名な“ポスター”のくだり。
あれほどの脱獄計画が、長年にわたってあの形で成立するのか。

細部を突けば現実的ではない。
しかしこの映画は、その違和感を力技で押し切る。

なぜか。

観客が最初から
「これは感動する話だ」
と信じて観ているからだ。

つまりこの作品は、リアリティよりも
感動の“型”を優先している。


「感動の強制力」

もう一つ引っかかるのは、感情の運び方だ。

苦難
忍耐
逆転
解放

この流れが、あまりにも教科書的に美しい。

もちろん、それは映画としての完成度でもある。
だが同時に、
「ここで感動してください」という圧力
にも感じる。

そして多くの人が、その期待通りに感動する。

そこで私は少し冷めてしまう。

なぜならそれは、
自分の感情で動いたというより
用意されたレールに乗せられた感動
に思えてしまうからだ。

もちろん、心から感動した人を否定したいわけではない。
ただ、私はその“予定調和”にどうしても居心地の悪さを覚える。


それでも名作であることは否定しない

ここまで書いておいて何だが、
この作品が優れていることは認めている。

多くの人に届き、長く愛されている。
それは紛れもない事実だ。

ただ——
私はその「正しさ」に、どこか落ち着かない。

あまりに綺麗で、あまりに整いすぎている。
人生は、そこまでうまく出来ていない。


嫌いなのは映画か、それとも空気か

結局のところ、私が苦手なのは
この映画そのものというより、
この映画を巡る“無難な共感”の空気なのだと思う。

「ショーシャンクが好き」と言えば安全。
「感動した」と言えば間違いない。

その安心感の中で語られる言葉に、
私はどうしても引っかかってしまう。


おわりに

だから私はこの映画を、全面的に否定したいわけではない。

ただ、こう思う。

本当に好きなら、もっと自分の言葉で語ればいい。

テンプレではなく、借り物でもなく、
その人自身の体験として。

誰かがそう語る『ショーシャンクの空に』なら、
きっと私は今よりも好きになれる気がする。



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