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第八回長篠の戦い:鳶ヶ巣山砦攻撃の真の目的——「退路遮断」ではなく武田軍から「攻撃の準備時間」を奪う一手だった



鳶ヶ巣山の攻撃の目的

長篠の戦いにおける鳶ヶ巣山砦への攻撃は、一般に「武田軍の退路を遮断するため」と説明される。その要素自体はあったと思う。しかし、勝頼が長篠の地に対陣を構えた時点で、その意味合いはすでに薄れていたのではないか。

武田軍と織田・徳川連合軍は、500〜600mという至近距離で対陣していた。この状況で武田軍に離脱の兆候が見えたなら、それは織田・徳川連合軍にとって絶好の機会である。陣外へ出撃し、追撃をかける。敵に最大の損害を与えられるのは、まさにこの瞬間だ。

攻撃と防御、それぞれの本質

ここで少し話の角度を変えて、「攻撃」と「防御」それぞれの本質的なメリットを整理してみたい。

攻撃側の最大のメリットは、次の2点にある。

  1. どこを攻撃するか、選択できること

  2. いつ攻撃するか、選択できること

一方、防御側の最大のメリットは、地形を戦闘力に変えられることだ。

信長は長篠において、防御側としてこのメリットを最大限に活かす布陣を敷いていた。だからこそ、あえて鳶ヶ巣山砦への攻撃という「攻める一手」を選んだ理由が気になってくる。

「調整攻撃」という準備の過程

陣地への攻撃を成功させるための手段のひとつに、「調整攻撃」と呼べるものがある。あらかじめ、誰がどこを攻撃するのか、その際の支援射撃(鉄砲や弓矢)をどう配分するのかを定め、戦闘力を効率的かつ効果的に使うための準備の過程だ。

鳶ヶ巣山砦への攻撃は、武田軍からまさにこの「調整」の時間を奪い、準備不十分なまま攻撃を開始させる効果を持っていたのではないかと思う。

鳶ヶ巣山砦が攻略されたことで、武田軍は常に背後に脅威を感じるようになった。そして「背後の敵が迫る前に攻撃しなければならない」という時間的な制約を負うことになった。

もしこの攻撃がなければ、武田軍は違った展開を辿ったはずだ。どこを誰が攻撃するか、鉄砲や弓矢の支援をどう配分するか、どこに戦力を集中させるか——こうしたことを軍議で定めてから、万全の態勢で攻撃を開始しただろう。

攻撃でありながら、主導権を奪われた武田軍

鳶ヶ巣山砦の攻撃は、武田軍から調整攻撃の準備時間を奪い、準備不十分のまま攻撃を開始させることを狙った作戦だったと思う。

この結果として
どこを攻撃するか、選択できること
いつ攻撃するか、選択できること
という攻撃側のメリットは奪われてしまった。

武田軍は、攻撃する側でありながら、戦場の主導権を奪われてしまった。
こうなった以上、武田軍に残された手段は敵陣の突破しかなく、準備不十分のまま敵の正面へ波状攻撃を仕掛けるほかなかった。

鳶ヶ巣山砦への攻撃は、本来は防勢的な戦闘を画策していた信長が、戦場の主導権を獲得するために打った一手だったのではないか。

織田・徳川連合軍は圧勝だったのか

ここまで見てきたように、織田・徳川連合軍は入念な準備のもとで、狙い通りに開戦へと持ち込んだ。しかし、その結果は圧勝と呼べるものだったのだろうか。

『甲陽軍鑑』には、織田・徳川連合軍が築いた三重の柵(馬防柵)が、武田軍の猛攻によって二重目まで突破されたという記述が残っている。周到に主導権を握った側の陣地が、あと一歩のところまで攻め込まれていたのだ。

つまり、蓋を開けてみれば、この勝利は決して安泰なものではなく、薄氷を踏むような戦いだったのだと思う。織田・徳川連合軍が武田軍に決定的な大損害を与えたのは、正面での攻防そのものではなく、その後の追撃戦によるところが大きい。

主導権を奪われ、準備不十分なまま、不利な条件で突撃を強いられてなお、柵を二重まで破ったのが武田軍だった。そう考えると、あの日戦場に立っていた武田軍は、想像以上に強かったのだと思う。

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