第4部古墳時代(1)神の国から人へ
#11 東へ向かう若き王子 ― 神武東征の始まり
夕暮れの光が囲炉裏の火に重なり、子どもたちの顔を赤く染めていた。
タチは火の前に座り、膝を抱えながら、おばばの口元をじっと見つめている。
おばばは炭を寄せ、ゆっくりと語り始めた。「さて、今日は“神武東征”の始まりじゃ。ウガヤフキアエズの末の子、カムヤマトイワレビコ――のちの神武天皇の若き日の話じゃ」タチが目を輝かせる。
「ついに“歴史”に近づいてきたな」「そうよ。ここからは、神々の力よりも、人の知恵と勇気が物語を動かしていく。神話と歴史の境目が、少しずつ溶けていくんじゃ」おばばは火の揺らぎを見つめながら続けた。
「イワレビコは九州の日向で育った。海と山に囲まれた豊かな土地じゃが、国を治めるには狭かった。周りには強い豪族も多く、争いも絶えなかった」タチがうなずく。「昔の九州って、けっこう戦いが多かったんだな」「そうよ。だからイワレビコは思った。『もっと広い土地へ行き、人々が安心して暮らせる国を作ろう』とな。目指したのは“大和”。今の奈良あたりじゃ」おばばは手を広げる。
「大和は、山に囲まれ、川が流れ、田畑が作りやすい。昔から人が集まり、ムラが大きくなりやすい土地じゃった。イワレビコはそこを“国の中心”にしようと考えたんじゃ」子どもたちがざわめく。
「こうして、イワレビコは兄たちと共に船を出した。九州から瀬戸内海へ――海の道を通って東へ向かったんじゃ」タチが身を乗り出す。「海の旅って、危なくなかったのか」
「危なかったとも。昔の船は丸木舟をつないだようなものじゃ。風が強ければ転覆し、潮が荒れれば流される。だが、瀬戸内海は島が多く、風を避けながら進める。昔の人は“海の道”をよく知っておった」
おばばは続けた。「イワレビコたちは、まず筑紫から豊後へ渡り、そこから周防、安芸、吉備へと進んだ。吉備では豪族が歓迎してくれ、食べ物や船を整えてくれた。こうした“協力者”がいたからこそ、東征は進んだんじゃ」タチがうなずく。「戦いだけじゃなくて、人のつながりが大事なんだな」
「そうよ。昔の人は、力だけでは国は作れんと知っておった」おばばは声を落とした。
「だが、旅は順調ばかりではなかった。大和へ近づくにつれ、強い豪族が立ちはだかった。中でも“長髄彦(ながすねひこ)”という男は、イワレビコの行く手を阻んだ」タチが眉をひそめる。
「敵か」
「そうよ。長髄彦は大和の北を治める豪族で、外から来た者を警戒しておった。『この土地はわしらのものだ。よそ者に渡すわけにはいかん』とな」おばばは火を見つめながら続けた。
「イワレビコは戦ったが、土地の地形を知らず、苦戦した。兄のイツセは矢を受けて倒れ、イワレビコは深く悲しんだ」子どもたちが息をのむ。「イワレビコは思った。『正面から攻めても勝てぬ。ならば、日の昇る東から回り込もう』とな。こうして、紀伊半島をぐるりと回り、南から大和へ入ることにした」
タチが目を輝かせる。「知恵で道を切り開いたんだな」「そうよ。昔の人は、戦いよりも“道を選ぶ力”を大事にした。イワレビコは、ただの武人ではなく、国を作るための知恵を持っておった」
おばばは立ち上がり、炭を整えた。「さて、次は“熊野の荒ぶる神々”の話じゃ。ここから、神々の助けと人の知恵が交わり、物語は一気に動き出すぞ」タチの目がまた輝いた。囲炉裏の火は、次の物語を待つように静かに揺れていた。(つづく)
