カンペを見ればいいと思っていた|2.4
平成ホストのような髪型と、可愛らしい死神のような衣装。
その姿で巨大なスタジオに立つと、天井から吊るされた照明が突き刺さってくるように感じた。
収録が始まる直前まで、衣装さんとメイクさんが、僕たちの髪や襟元を細かく整えてくれる。
子どもはされるがままだった。
カンペが用意され、複数のカメラがさまざまな角度からこちらを捉える。
いよいよ始まるのかと思う。
だが、まだ始まらない。
始まるのはリハだ。
その日に収録する流れを、みんなでざっとおさらいする。
それが終わると、再度、衣装とメイクの直しが入り、ようやく本番だ。
「本番!……よーい、ハイ!」
カメラの後ろにいる大人たちの視線が、一斉に集まる。
僕たちは瞳を輝かせ、前を向き、口角をきゅっと上げた。
当時の僕は、セリフを覚えるのが苦手だった。
もちろん、得意な子もいたのだと思う。
小中学生の頃からそれをスラスラこなせる子たちは、それぞれ自分なりの覚え方や、現場でのこなし方を身につけていたのかもしれない。
僕の場合は、まず台本全体をざっと見て、流れだけをなんとなく頭に入れる。
そして、最初にカットがかかるところまでを、とりあえず覚えていた。
つまり、カットがかかったら、次のシーンの撮影までのあいだにまた台本を確認する。
時間にして、十分から十五分くらいだったと思う。
よく舞台セットの裏に、握りしめて少し丸まった台本を置いていて、隙を見てはそれを確認しに行った。
そんな急拵えのやり方で、どうにか乗り切ろうとしていた。
途中でセリフが飛んでしまっても、カンペをガン見すればいい。
そう気楽に思っていたのに、いざ本当に飛んでしまうと、背筋がすぅーっと寒くなる。
一瞬、身体が固まる。
笑って誤魔化す。
カットが入る。
誤魔化せませんでした。
一方その頃、スタジオの外の廊下に設置されていたテレビに釘付けになるように、親御さんたちが僕たちの様子を見ていた。
まだ幼い我が子を見守りたい親たちの気持ちを考えて、NHKがそういう配慮をしてくれていたのだろう。
自分は山形から来ていたので、母親はどうせいないだろうと高を括っていた。
ところが、普通にいたので随分驚いた。
収録は週末の二日間で集中して行われるため、休みを取ってわざわざ見に来ていたのだろう。
この頃は、折りたたみ式の青い携帯を持たされていた。
もしかすると、「収録を見に行く」とメールが来ていたのかもしれない。
けれど、そんなものは自分の眼中にはなかった。
行動的な彼女のことだから、収録の前後には東京の街も心ゆくまで楽しんでいたのだろう。
想像に難くない。
他の親御さんたちは東京、東京近辺から来ていた。
テレビの世界に子どもを送り出している親たちだった。
みんな服装や立ち振る舞いに個性が現れていた。
占い師のような雰囲気の人がいた。
あとから聞くと、実際に紫微斗数という占術をやっている人だったらしい。
光沢のあるセットアップを着たキャリア女性のような人や、バンドマンのようなロックな格好をしている人たちもいて、あまりにもバラエティに富んでいた。
世の中にはいろんな人がいるんだなーと、漠然とそこで学んだのかもしれない。
そしてやはり、その場にはママさんが多くの割合を占めていた。
愛想笑いを浮かべながら端っこに座っているパパさんたちは、随分肩身が狭そうに見えた。
あ、この場はお母さんたちの熱気でできているんだと直感していた。
その日、僕たちはカメラだけでなく、廊下のテレビの向こうからも見られていた。
そうやって収録は、朝から晩まで続いた。
