チェルノブイリ事故を悪化させた「見えないブレーキ」──キセノン135とは?
1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故。
この事故を理解するうえで、知っておきたい物質があります。
その名前は、キセノン135(Xe-135)。
原子炉の中では、しばしば「中性子の毒」と呼ばれています。
キセノン135は「中性子を吸収する」
原子炉で核分裂が起こると、さまざまな核分裂生成物が生まれます。
その中にはヨウ素135があり、放射性崩壊によってキセノン135になります。
キセノン135は非常に強く中性子を吸収します。
つまり、
キセノン135が増える
↓
中性子が吸収される
↓
核分裂反応が抑えられる
↓
原子炉の出力が上がりにくくなる
という働きをします。
まさに、原子炉の中にある「見えないブレーキ」です。
怖いのは「時間差」
キセノン135の特徴を理解するポイントは、出力を下げた瞬間に、キセノンの影響が最大になるわけではないことです。
イメージすると、
アクセルを緩めたのに、少し時間が経ってから勝手に強力なブレーキがかかる
ようなもの。
原子炉の出力を下げると中性子が減ります。
すると、それまで中性子を吸収して減っていたキセノン135が減りにくくなります。
一方、すでに存在していたヨウ素135からは、その後もキセノン135が生まれます。
そのため、
出力低下
↓
中性子が減る
↓
キセノンが減りにくくなる
↓
時間差を伴ってキセノンが蓄積
↓
さらに出力が上がりにくくなる
という現象が起こります。
これがキセノンオーバーシュート(キセノン蓄積)です。
そして「ブレーキ」が外れる
さらにややこしいのが、その後です。
キセノンが蓄積した状態では、原子炉の出力を上げようとしても、キセノンが中性子を吸収するため、出力が上がりにくくなります。
そこで出力を戻そうとして制御棒を引き抜くなどの操作を行うと、原子炉内の中性子が増えていきます。
すると、その増えた中性子によってキセノン135も消費され、蓄積したキセノンの影響が弱くなっていきます。
つまり、
「ブレーキが強くかかっているからアクセルを踏む」
↓
中性子が増える
↓
キセノンが減る
↓
ブレーキが弱くなる
という変化が起こります。
これが非常に重要です。
「ブレーキを踏みながらアクセルを踏む」状態
イメージしてみてください。
車が思ったように進まない。
原因は、目に見えない強力なブレーキ。
そこでアクセルを強く踏みます。
ところが、そのアクセルによって、ブレーキそのものが徐々に弱くなってしまう。
すると、それまでブレーキが抑えていた反応度が表面化し、原子炉の状態が大きく変化する可能性があります。
チェルノブイリ事故では、このキセノンの挙動だけでなく、RBMK炉特有の正のボイド係数、制御棒の状態、低出力運転、安全対策や運転手順などが重なりました。
その結果、事故は急激に進展しました。
キセノンだけが原因ではない
ここは非常に重要です。
「キセノンオーバーシュート=チェルノブイリ事故」ではありません。
キセノン135は事故の背景となった重要な物理現象の一つですが、それだけで事故が起きたわけではありません。
むしろ、
キセノンによる出力抑制
+
運転操作
+
低出力での運転
+
RBMK炉の設計上の特性
+
安全対策上の問題
が重なったことが重要です。
今日の雑学
キセノン135の怖さは、
「出力を下げた直後ではなく、時間差を伴ってブレーキが強くなる」
ところにあります。
そして、出力を戻そうとすると、今度は増えた中性子によってキセノンが減り、それまで効いていたブレーキが弱くなる。
つまり、
「アクセルを緩めたのに、後からブレーキが強くなる」
そして、
「強くアクセルを踏むと、そのブレーキ自体が弱くなる」
という、一見すると直感に反する現象です。
チェルノブイリ事故は、この複雑な原子炉の物理現象と、炉の設計・運転上の問題が重なった事故でした。
原子炉では、「今起きていること」だけでなく、「少し前の状態が今になって効いてくる」。
キセノン135は、その典型的な例なのです。
