奈良・藤原京|世界遺産になった「最初の本格的都城」は何がすごいのか【なぜ国家は都を設計したのか】

フィールドワーク|藤原京を歩く旅


2026年5月中旬

追記|2026年7月26日
「飛鳥・藤原の宮都」が
世界文化遺産に登録された

これは
単なる観光地の登録ではない

飛鳥宮跡と藤原宮跡を中心に

古代日本が
中央集権国家へ向かっていく過程が

地形と遺跡の中に
残されたものとして
評価された出来事である

何もない

そう見えた

広い草地

遠くの山

風が抜ける

藤原宮跡に立っても

巨大古墳はない

巨石もない

飛鳥宮のような

谷の中の政治空間もない

ただ

異様に広い土地が残っている

藤原宮跡
広い平地の中にかつて国家の政治中枢が置かれていた

だが

歩いているうちに

一つの疑問が浮かんだ

なぜ国家は

これほど広い土地を

必要としたのか

三輪には

山があった

磐余には

王統の記憶があった

飛鳥には

豪族

石造物があった

だが

藤原京は違う

ここでは

国家そのものが

大地の上へ

置かれようとしている

道を引く

土地を区切る

宮を置く

役所を置く

人を配置する

飛鳥では

国家は

複数の力が重なる中から生まれた

藤原京では

国家が

その力を

配置し始める

混成から

配置へ

場所に

国家が宿ったのではない

国家が

場所を設計し始めた

藤原京

三輪から始まった

国家形成の旅

その一つの終点が

この

何もないように見える

広い大地だった

本稿では

藤原宮跡を歩きながら

なぜ国家は

都を必要としたのか

そして

王権が

どのように

国家としての形を持ち始めたのかを考える

藤原京Map
出典:地理院地図(国土地理院)をもとに
筆者が地点表示・地名・推定線等を追記して作成
※京域・道路等の線表示には推定を含む
藤原京復元イメージ
碁盤目状の条坊と中央部の藤原宮が、計画都市としての構造を示す


■ なぜ藤原京はこれほど広いのか

藤原宮跡を歩くと

距離感が狂う

向こうに見える場所まで

すぐ着きそうで

なかなか着かない

歩く

まだ広い

振り返る

まだ宮跡の中にいる

藤原京跡を遠望する
平地が広がり飛鳥の谷とは異なる空間感覚がある

飛鳥では

史跡から史跡へ歩いた

飛鳥宮

飛鳥寺

甘樫丘

酒船石

石舞台古墳

一つの場所を離れると

また

別の場所が現れる

その地形の中へ

豪族拠点

石造物が

重なっていた

明日香第3部では

飛鳥を

混成した王権空間と捉えた

▶ 奈良・明日香 第3部|なぜ飛鳥は藤原京へ至ったのか

王統

氏族

仏教

渡来技術

異なる力が

同じ地形の中へ

濃密に重なっていた

だが

藤原京では

空間の性格が変わる

広い土地を

区切る

道を引く

宮を置く

政務を行う場所を置く

官人が動く場所をつくる

人が住む空間を広げる

国家の機能を

空間の中へ

配置していく

藤原京の広さは

単なる巨大さではない

国家が

自分自身を動かすために必要とした

広さだったのではないか


■ 飛鳥では国家は人の周囲にあった

飛鳥には

人が見える

王がいる

豪族がいる

氏族がいる

僧がいる

工人がいる

飛鳥宮がある

飛鳥寺がある

甘樫丘がある

石舞台古墳がある

それぞれの場所に

それぞれの力があった

蘇我氏

東漢氏

大伴氏

中臣氏

王統

寺院

渡来系氏族

飛鳥国家は

複数の力を取り込みながら

形を変えていった

豪族系譜・分布Map

政治は

王だけでは動かない

氏族が支える

技術を持つ集団がいる

外交を担う人々がいる

寺院がある

祭祀がある

墓がある

飛鳥では

そうしたものが

同じ地形の中へ

重なっていた

だから

飛鳥を歩くと

国家形成の現場が近い

丘に立てば

宮が見える

道を歩けば

氏族の土地へ入る

少し南へ進めば

王墓群が現れる

国家は

まだ

人と場所の関係の中にあった

王の宮

氏族の拠点

氏寺

王墓

祭祀の場所

権力は

具体的な人間集団と

強く結びついていた

だが

国家が大きくなると

それだけでは足りない

王が代わっても

動く仕組みが必要になる

氏族の力関係が変わっても

残る秩序が必要になる

地方へ命令を送り

人を集め

税を取り

軍事を動かし

外交を行う

国家そのものを

動かす仕組みが必要になる

その時

必要になったのが

国家を置くための

空間だったのではないか


■ 国家はなぜ「配置」を始めたのか

藤原京では

国家は

配置される

官衙

道路

区画

居住域

寺院

それぞれが

空間の中へ置かれていく

飛鳥では

王権の周囲に

複数の力が集まった

藤原京では

国家が

それらを

自らの秩序の中へ

組み直そうとする

混成から

配置へ

これが

飛鳥と藤原京の

大きな違いなのではないか

藤原宮跡
建物は失われても国家中枢に必要とされた空間の広さは残っている

道を引く

土地を区切る

宮を置く

役所を置く

一つ一つは

単純な行為に見える

だが

その意味は大きい

道を引くということは

移動を整理することである

土地を区切るということは

空間へ秩序を与えることである

宮を置くということは

国家の中心を示すことである

役所を置くということは

政治を

個人の力だけではなく

組織によって動かすことである

国家は

目に見えない

だが

道を引けば

見える

区画すれば

見える

宮を置けば

見える

官衙を置けば

見える

藤原京とは

目に見えなかった国家を

大地の上へ

可視化する試みだった


■ 宮は王の居場所から国家中枢へ変わった

飛鳥では

王が代わる

宮が移る

政治の中心も動く

複数の宮が営まれ

王権中枢は

王の存在とともに

移動する性格を残していた

宮とは

王の居場所であり

同時に

政治の場所でもあった

だが

藤原宮では

その意味が変わって見える

ここに置かれたのは

単なる天皇の住まいではない

大極殿

朝堂院

官衙

儀礼を行う空間

官人が集まる空間

政治を動かす空間

国家の意思を

形にする場所である

宮は

王の居場所から

国家中枢の空間へ

性格を変えていく

藤原宮は

持統天皇

文武天皇

元明天皇

三代にわたって

政治中枢として使われた

王が代わっても

宮は残る

それまで

王の存在とともに

宮が動いてきたことを考えると

この変化は大きい

政治の中心が

一人の王の居場所から

国家を動かす

継続的な空間へ変わっていく

ここにも

王の宮から

国家の宮への

転換が見える

もちろん

藤原京だけで

すべてが完成したわけではない

制度は

その後も変わる

都は

平城京へ移る

国家と仏教の関係も変わる

地方支配も

さらに整えられていく

だが

藤原京には

明確な転換が見える

国家中枢を

都市空間として設計する

その発想が

本格的な形を持った


■ 持統天皇は藤原京で何を見たのか


香久山
(持統天皇歌碑付近・現地写真をもとにイメージ補正)

藤原京を歩いていると一つの歌を思い出す

「春過ぎて 夏来るらし 白栲の
衣乾したり 天の香久山」

持統天皇

『万葉集』に残る

持統天皇の歌である

春が過ぎ

夏が来たらしい

香久山には

白い衣が干されている

歌われているのは

ただ

季節の変化である

戦争ではない

王統でもない

律令でもない

都城でもない

白い衣

そして

夏の訪れ

だが

藤原京を歩いた後に

この歌を読むと

少し違って見える

持統天皇は

壬申の乱後の王権を支え

天武天皇の死後

王統をつなぎ

藤原京へ遷都した

その持統天皇の歌に

見えているのは

天香久山である

藤原宮の東に立つ

大和三山の一つ

古くから

神聖視された山

藤原京は

何もない平地へ

突然置かれた都市ではなかった

畝傍山

耳成山

香久山

古くから知られた

大和の地形の中へ

新しい国家空間が

描かれた

持統天皇の歌には

香久山の風景が

残されている

少なくとも

この歌の世界には

国家形成の中枢にいた人物が見た

一つの風景が残っている

国家を作る

律令を整える

都を造る

王統をつなぐ

それだけを見れば

持統天皇の時代は

巨大な政治の時代に見える

だが

その中心にいた人物も

春が過ぎ

夏が来ることを

山の風景から感じていた

ここで

三輪から歩いてきた旅を

思い出す

王権は

山から始まった

三輪山

香久山

同じ山ではない

同じ祭祀でもない

だが

国家が

都市を設計する時代になっても

人は

山を見ていた

藤原京は

地形を消して

国家を作ったのではない

古い大和の地形の上へ

新しい秩序を

重ねた

春から夏へ

季節が変わる

山は残る

その前に

国家の都が現れる

持統天皇の歌は

藤原京という巨大な国家空間の中に

一人の人間が見た

静かな風景を残している

そして

その風景の背後では

国家が

大地の上へ

自らの形を描き始めていた

持統天皇歌碑
香久山を詠んだ歌は現地にも歌碑として刻まれている

■ なぜ道はまっすぐなのか

飛鳥で

紀路の道標を見た

道は

国家の血管である

人が通る

兵が動く

物資が運ばれる

命令が届く

飛鳥は

古道によって

外へ開いていた

だが

藤原京では

道はさらに

別の意味を持つ

道そのものが

都市を区切る

道が

空間の骨格になる

人が歩き続けた結果

自然に残った道だけではない

国家が

ここに道を置く

そう決める

そして

その道を基準に

土地を分ける

空間を整理する

人と機能を配置する

これは大きい

国家は

道を利用するだけではなく

道を設計し始める

地形に従うだけではない

地形の上へ

秩序を引く

藤原京では

国家が

線を引き始めた

そして

発掘調査では

さらに興味深い痕跡が

見つかっている

藤原宮の下層から

宮の造営以前に通された

道路跡が確認されている

先行条坊と呼ばれる

都城道路の痕跡である

本薬師寺の下層でも

同じように

先行する道路跡が見つかっている

つまり

都の空間には

宮が完成する前から

線が引かれていた

道を引く

土地を区切る

そして

その空間の中へ

宮を置く

国家は

藤原宮を築く前に

まず

大地を整理し始めていた

藤原京では

国家が

比喩ではなく

本当に

大地へ線を引いていた

藤原宮跡の遠景
平地の広がりは都城が必要とした「面」の大きさを感じさせる

飛鳥を歩いた時

点だった史跡は

線になった

線が

面になった

藤原京では

その面そのものが

国家によって

設計されようとしている


■ 「何もない」ことは何を示すのか

藤原宮跡には

現在

巨大な建物は立っていない

巨大石室もない

壁画も見えない

飛鳥の石造物のような

異形の存在もない

だから

一見すると

何もない

だが

何もないからこそ

見えるものがある

広さである

藤原宮跡の地表
現在は草地が広がるその下にはかつての国家中枢の遺構が残る

建物は消える

柱はなくなる

屋根もなくなる

人もいなくなる

制度も

名前を変える

だが

一度

国家が必要とした

空間の大きさは

土地の中へ残る

歩く

まだ広い

さらに歩く

まだ宮跡の中にいる

その時

初めて分かる

国家は

大きくなっていた

三輪山の麓で

神と向き合った王権とは違う

磐余の宮を拠点にした王権とも違う

巨大古墳によって

力を見せた河内の王権とも違う

飛鳥で

豪族と政治を動かした王権とも違う

国家は

自分自身を動かすために

巨大な空間を

必要とする存在になっていた

だが

必要だったのは

土地だけではない

そこには

官人がいる

工人がいる

労働に動員された人々がいる

人が集まれば

食料がいる

衣服がいる

道具がいる

生活を支える

物資がいる

藤原宮跡からは

多くの木簡が出土している

そこには

各地から運ばれた

食料や物資

行政の記録が残されている

都を作るということは

建物を並べることではない

人を集め

その人々を支え

地方から

物資を集める仕組みを作ることでもある

国家は

人を配置する

そして

その人々を支えるために

地方と都を

物流でつなぐ

藤原京の広さの背後には

都市を養う

国家の仕組みも動き始めていた

藤原宮跡の

何もない広さは

国家が巨大化した痕跡なのである


■ 寺院も国家空間へ入っていく

藤原京を考える時

寺院の存在も無視できない

大官大寺

本薬師寺

飛鳥で進んだ仏教受容は

藤原京の時代になると

新しい段階へ入る

飛鳥寺

蘇我氏との関係が深かった

氏族が

仏教を受け入れる

寺を建立する

そこには

氏族政治の力が見える

だが

国家形成が進むと

仏教も

国家秩序との関係を深めていく

寺院は

氏族の祈りだけではなく

国家と結びつく存在になる

藤原京域やその周辺に

大規模寺院が置かれる

そのことは

国家が

政治空間だけではなく

宗教空間も

自らの秩序の中へ

組み込もうとした流れを考えさせる

飛鳥で受け入れられた仏教

渡来系氏族が担った技術

大陸や朝鮮半島との交流を通じて

取り込まれた知識

氏族

寺院

制度

それらが

国家の内部へ入っていく

飛鳥では

異なるものが重なった

藤原京では

その重なりを

配置し直そうとする

ここでも

混成から

配置への転換が見える


■ 王墓は南に残った

王墓Map
出典:地理院地図(国土地理院)をもとに筆者が地点表示・地名追記を行って作成

明日香第3部では

王墓群を歩いた

欽明天皇陵

丸山古墳

牽牛子塚古墳

天武・持統天皇陵

文武天皇陵

中尾山古墳

高松塚古墳

キトラ古墳

岡宮天皇陵付近

そこには

王統の記憶が

地形へ刻まれていた

そして

その北側に

藤原宮を中心とする

都城空間が広がる

藤原宮跡から南部大和を望む
藤原宮の南には飛鳥と王墓群の記憶が重なる地域が続く

国家は

過去を捨てて

都市になったのではない

飛鳥の王統記憶を

背後に抱えながら

藤原京へ向かった

草壁皇子を考えた時

王統は

戦争の勝敗だけでは続かないことが見えてきた

誰からつながるのか

誰と婚姻するのか

次の王を

どの系譜へ置くのか

国家は

王統の過去を

整理する必要があった

王墓は

その記憶を

地形へ刻んだ

藤原京は

その王統が動かす国家を

空間へ刻んだ

この二つは

切れていない

もちろん

藤原京と王墓群の関係を

一本の完全な計画線として

断定することはできない

だが

実際に

飛鳥の南部を歩き

王墓群を巡り

北へ出て

藤原宮跡に立つと

空間の変化は

あまりにも大きい

王権は

飛鳥を捨てたのではない

飛鳥で組み上げたものを

新しい国家空間へ

置き直そうとした

そう考えると

藤原京の広さが

別の意味を持ち始める


■ 藤原京で国家は完成したのか

ここで

一つの疑問が残る

藤原京で

国家は完成したのか

完全な意味では

完成していない

律令制度は

その後も運用され

修正される

『日本書紀』は

720年に成立する

都は

平城京へ移る

地方支配も

さらに続いていく

だから

藤原京を

日本国家の最終完成地点と呼ぶのは

強すぎる

だが

国家形成という

長い流れの中では

大きな到達点だった

王権が

神に接続する

王統を作る

武力を持つ

海へ広がる

巨大古墳を築く

王統を再編する

豪族と政治中枢を作る

仏教を受け入れる

渡来技術を取り込む

王統を接続する

制度を整える

そして

国家の機能を

都市空間へ配置する

ここまで来た時

王権は

もはや

一人の王の力だけではない

国家は

制度と空間によって

自分自身を支え始める

藤原京は

国家の完成ではない

だが

国家が

自分自身の形を

大地の上へ

大規模に描いた

一つの到達点だった


■ 国家はどこで生まれたのか

三輪から始まった

この旅で

追ってきたのは

天皇だけではない

国家だった

三輪では

王権は

神の山に接続された

磐余では

神話と王統に接続された

石上では

武力が

王権中枢へ集積した

▶ 奈良・石上神宮|なぜ国家は“武器庫”を必要としたのか

河内では

海と巨大古墳によって

王権が拡張された

継体・欽明の時代

王統は

再び接続された

▶ 奈良・磐余 第4部|なぜ王権は再び磐余へ戻ったのか

飛鳥では

氏族

仏教

渡来技術

異なる力が

濃密に重なった

外から来た人々は

国家の内部へ組み込まれた

王統は

婚姻と系譜によって

過去と未来をつないだ

そして

藤原京

国家は

ついに

自らの形を

大地の上へ描き始めた

宮を置く

道を引く

土地を区切る

政治機能を配置する

国家は

地形の中から

立ち上がる存在から

地形の上へ

秩序を描く存在へ変わった

場所に

国家が宿ったのではない

国家が

場所を設計し始めた

それが

藤原京だった


■ 国家形成編・終章

藤原宮跡

広い

何もない

だが

その広さの中に立つと

三輪から歩いてきた

国家形成の流れが

一つにつながる

神の山から

王権が生まれた

王統を作った

武力を持った

海へ出た

巨大な墓を築いた

王統を組み替えた

飛鳥に

政治中枢を作った

仏教を取り込み

渡来技術を取り込み

人を組み込み

氏族を組み替え

王統を接続し

制度を整えた

そして

国家は

自らのために

土地を設計した

藤原京

王墓は

王統を地形に刻んだ

藤原京は

国家を空間に刻んだ

律令は

支配を制度に刻んだ

そして

『日本書紀』は

国家の来歴を時間に刻んだ

三輪から始まった

国家形成の旅

その一つの終点が

藤原京だった

藤原京付近より三輪山を望む
(現地写真をもとにイメージ補正)

だが

国家が形を持つと

次の問いが現れる

その国家は

どこまで広がったのか

吉備

筑紫

出雲

東国

中央で作られた国家は

地方の勢力と

どのように接続したのか

従わせたのか

取り込んだのか

あるいは

互いに形を変えたのか

旅は

中央から

外縁へ向かう

国家は

どこで生まれたのか

その問いの次に

追うものは

国家は

どのように広がったのか

である

三輪から始まった

国家形成編

ここで

一つの終点を迎える

そして

次の旅が始まる


▶ 奈良・三輪|起点
三世紀前後の祭祀を中心とした
初期ヤマト勢力の中枢

▶ 奈良・磐余 第1部|神話
王権正統の地

▶ 奈良・磐余 第2部|武と海
崇神朝と海へ向かうヤマト

▶ 奈良・磐余 第3部|海洋国家
倭の五王と巨大国家化

▶ 奈良・磐余 第4部|再編
継体・欽明と王統再編――そして飛鳥へ

▶ 奈良・明日香 第1部|転換
三輪・磐余から飛鳥へ
王権の舞台がなぜ移ったのかを歩く

▶ 奈良・明日香 第2部|中枢
飛鳥宮と甘樫丘
王権が国家の中心へ変わっていく場所

▶ 奈良・明日香 第3部|制度化
王墓・石造物・終末期古墳
飛鳥国家が藤原京へ至るまでを歩く

▶ 奈良・藤原京|終章
国家が自らの形を
大地の上へ描いた場所

▶ 総合目次|国家はどこで生まれたのか
フィールドワークで読む古代日本


【プロフィール】古代日本|フィールドワーカー

“国家はどこで生まれたのか”

大和・磐余(いわれ)を起点に
畿内・出雲・吉備・筑紫・東国へ
広がる王権を追う

現地を歩き

文献
伝承
考古を重ね

点を線へ
線を面へ

地形
神祇
海路
境界

その配置から
国家形成を読み解く

―― フィールドノート

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 故きを温ねて新しきを知る

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