滋賀・湖西|なぜここが王権の外縁だったのか【高島の地|大和王権・外縁ラインに立つ白鬚神社を歩く】

フィールドワーク|琵琶湖西岸・高島を歩く旅
2026年3月中旬
京都から大津を抜け
琵琶湖西岸を北上し
近江北部・高島の地を歩いた
白鬚神社
高島平野
古墳群
湖西ライン
畿内の中心ではないが
古代の重要な通路にある土地
日本海と山背(山城)を結ぶ回廊にあり
継体天皇や近江王権へつながる痕跡が残る場所だった

琵琶湖西岸の境界に立つ古社 外から来る道の入口を守る神の位置にある
■ 白鬚神社

湖西ラインの要所に置かれた社 古代の通路の上にある配置に見える

湖岸と山越えの道が交差する位置に社が置かれている 境界の神が祀られる場所の典型的な立地に見える
白鬚神社は
近江最古級と伝えられる神社の一つ
祭神は猿田彦命
道を開く神
境界を守る神
外から来るものを導く神
という性格を持つ
猿田彦は
天孫降臨の神話で
邇邇芸命を先導した神とされる
王権の中心にいる神ではなく
王権を導く側にいる神
という位置にいる
この神格は
道
峠
境界
入口
に祀られることが多い
伊勢の
猿田彦神社
伊勢国一宮の
椿大神社
各地の道祖神信仰などにも
同じ性格を見ることができる
交通の分岐
国境
山越えの入口
こうした場所に置かれる神である
湖に鳥居が立つ姿は
ここが境界であることを
強く感じさせる
畿内の中心ではない
だが
通過点ではない
入口である
白鬚神社 拝殿
古い交通路に面して置かれた社
この神社がある場所は
琵琶湖西岸
山越えの入口
北陸へ続く道の途中
偶然とは思えない位置にある
湖西が古代の通路であったことを
今も示しているように見える
■ 湖西とはどこか

出典:地理院地図(国土地理院)をもとに 筆者が地点表示・地名追記を行って作成
山背から高島へ続くライン
湖西とは
琵琶湖の西岸
大津北部から高島にかけての地域を指す
このラインは
若狭
越前
北陸
へ抜ける山越えの道を持ち
古代から
日本海
↓
若狭
↓
近江北部
↓
山背
↓
大和
へつながる通路だった
畿内の中心ではない
しかし遠すぎる場所でもない
王権の外縁にありながら
都へ入ることができる場所
湖西は
外でもなく
内でもない
境界に位置する地である
さらに興味深いのは
和邇
小野
真野
など
大和王権系氏族と関係が考えられる地名が
このラインに並んでいることである
湖西の南部には和邇や小野の地名が残り
さらに北上すると
湖岸に山が迫り
高島へ入る手前で
通路が絞られるような地形になる
その位置に立つのが
白鬚神社である
南から北へ進むと
ここが境界であることを身体で感じる位置にある
この場所が
高島への入口
いわばゲートのように感じられる立地にある
完全な外縁なら
こうした地名や配置は残りにくい
つまり湖西は
王権の外にありながら
王権の影響も入り込んだ場所だった
境界であり
接点でもある
この位置に白鬚神社があることは
意味のある配置に見える
■ 高島の地形

山越えの先に若狭・越前へ続く道がある 湖西は古代の回廊の上にある土地だった

湖・平野・山が揃う土地 古代に勢力の拠点が置かれやすい地形をしている
高島は
湖
平野
背後の山
が揃う
農地を持てる
水運を使える
守れる
古代において
勢力の拠点になりやすい地形
畿内の外だが弱い土地ではない
独立した力を持てる場所だった
そして
その力の基盤は
継体の時代よりもはるかに古くまで遡る
高島市安曇川町の上御殿遺跡では
弥生時代後期末から古墳時代前期
二世紀後半から三世紀前半にかけての
鍛冶工房とみられる遺構が見つかっている
大型の竪穴建物二棟から
複数の炉が確認され
丹後や若狭・北陸
湖南などの特徴を持つ土器も出土した
日本海側から
人が来た
物が来た
技術が来た
高島は
ただ物資が通り過ぎるだけの土地ではなかった
外から入った技術を受け入れ
金属器を生産し
琵琶湖世界へ送り出す
交流と生産の拠点だった可能性がある
この地域には古墳も多く
古くから有力な勢力が存在していたことが分かる
中でも
鴨稲荷山古墳
という名を持つ古墳が残ることは興味深い

近江北部に古くから有力な勢力がいたことを示す痕跡 外縁でありながら空白ではない土地だった
鴨という名は
山背の賀茂
鴨川流域
下鴨
上賀茂
など
大和王権成立以前から続く
古い祭祀の地に多く見られる名である
の痕跡である可能性が高い
その名が
琵琶湖西岸の高島にも残る
これは
山背の古層祭祀と
近江北部の勢力が
完全に無関係ではなかったことを感じさせる
さらに
高島の平野部には
安曇
鴨川
といった名を持つ地名や河川が残る
安曇は海人系氏族を思わせる名であり
鴨は山背の古い祭祀圏と結びつく名である
こうした名が
近江北部の同じ平野に残っていることは
この地域が
単なる地方ではなく
古い氏族や信仰の流れが重なった土地であったことを感じさせる
湖西には
山を越えて若狭や京都へ抜ける古い道がある
この道は
のちに鯖街道と呼ばれる
この山越えの道を通れば
賀茂の地と高島は
ほぼ直線でつながる位置関係にある
つまり湖西ラインは
山背と近江北部を結ぶ回廊でもあり
その上に
安曇
鴨川
といった名が残る
古い氏族や信仰の流れが
このラインに沿って存在していた可能性がある
■ 三尾氏という古い氏族

近江北部の首長級古墳とされる遺構 継体王統との関係を示す説も残る
高島周辺には
三尾氏という古い氏族の伝承が残る
近江北部を拠点とした勢力とされ
継体天皇とも関係が深いと伝えられる
三尾氏は近江北部の古族とされ
第26代・継体天皇の母系と関係があるとする伝承も残る
三尾の名は
高島周辺に地名としても残り
この地域に古くから根を持った氏族であったことを感じさせる
大和の中心ではない
だが空白でもない
外縁にありながら独自の勢力を持った土地だった
この地域には古墳も多く残る
中でも
鴨稲荷山古墳
は近江北部を代表する古墳の一つであり
この古墳を
継体天皇の関係者
あるいは皇子の墓とする説も伝えられている
確定したものではないが
近江北部と継体王統の関係が
古くから意識されてきたことを示す伝承と言える
継体天皇は
越前や近江北部と関係が深く
即位まで長く大和の外にいた王と伝えられる
湖西に残る
三尾氏の伝承
古墳群
鴨の名
山越えの道
これらは
外縁にいた勢力と王統が結びついた可能性を感じさせる
湖西は
ただの通路ではなく
王権の外側にあった力が
中央へ入っていく場所だったのかもしれない
■ 日本海へ抜ける古い道

出典:地理院地図(国土地理院)をもとに 筆者が地点表示・地名追記を行って作成
若狭から近江へ抜ける山越え
湖西のもう一つの特徴は
山を越えると
若狭・越前に出ることだ
この道は後に
鯖街道
と呼ばれる
古代から
日本海側の勢力が
畿内へ入る通路だった
湖西は
外でもなく
内でもない
入るための場所
この立地が
この地域を特別にしている
■ 継体につながる地
第26代・継体天皇は
男大迹王(おほどのおおきみ)と呼ばれた王で
応神天皇の五世の孫とされるが
即位まで長く大和の外にいたと伝えられる
越前や近江北部と関係が深く
畿内の中心ではなく
外縁に拠点を持っていた王だった
越前出身とも言われ
近江を拠点としていたとされる
この地域には
幼少期を過ごしたと
伝わる場所が残る
継体天皇伝承地周辺
近江北部に残る王統の記憶

近江北部に残る王統の記憶 外縁にいた王が中央へ入ったとされる土地
湖西に立つと
外から来た王が
このラインを通って
畿内へ侵入した
という伝承が
地形として見えてくる
ここまでは
王権の中心に近い場所だった
湖西に来ると
外の世界が見える
日本海
近江北部
山越え
入京
このラインから
大和王権に入った王がいる
継体天皇である
■まとめ
湖西は
畿内の中心ではない
だが遠い外でもない
王権の外縁に位置しながら
都へ入ることのできる通路にある
境界であり
通路であり
接点となる地である
白鬚神社があり
三尾氏がいて
古墳があり
山越えの道が通り
そして
継体につながる
日本の国家は
中心だけで作られたのではない
外縁から入った力と重なって成立した
湖西は
その入口にある
■関連記事|構造で読む古代日本
このシリーズは構造として繋がっている
起点 → 外縁 → 境界 → 統合 → 実装 → 国家
そして本編(湖西・白鬚神社)は
“外から来る流れを最初に受ける外縁段階”である
・起点|三輪編
・制度|明日香編
・制度完成|春日編
・外縁|湖西・白鬚神社編
・境界|日吉大社編
・統合|京都・山背(賀茂)編
・実装|近江神宮・大津京編
・国家|継体天皇編
■次回
【プロフィール】古代日本|フィールドワーカー
“国家はどこで生まれたのか”
大和・磐余(いわれ)を起点に
畿内・出雲・吉備・筑紫・東国へ
広がる王権を、
地形と神祇を軸に
文献・伝承・考古を重ねて読み解く
現地を歩き、
点を線へ
線を面へ
そして
配置から
国家形成を読み解く
―― フィールドノート
■ 古代日本|故地の探訪記も随時配信
故きを温ねて新しきを知る
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本記事は歴史的思想的考察を目的とするものであり、
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