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ぼくの「古事記」「日本書紀」「風土記」への挑戦(6の2) (仲哀天皇・神功皇后)平家物語(都遷都の段)と古事記・日本書紀(仲哀天皇・神功皇后)

2026年7月26日「飛鳥・藤原宮」は世界遺産に登録決定しました。

ぼくが大好きな『平家物語絵巻』には、宮都に関する話がありますので、ご紹介します。

『平家物語』は、『日本書紀』の「神国思想」や「三種の神器の権威」の思想が流れています。『日本書紀』の「国家の正史」「王権の正統性」という格調高い文脈を引くことで、平家の栄華と衰退という歴史的悲劇を単なる私闘に留まらず、「神意と歴史の必然」という重みを与えようとしています。

『日本書紀』が読まれていた理由

  • 官撰の正史としての地位: 『日本書紀』は養老4年(720年)に編纂された国家の公式な歴史書(正史)であり、平安時代から鎌倉時代にかけて公家や学問の場で「日本紀講労(日本書紀を講読する儀式・講義)」が行われるなど、知識人の必読書として重宝されていました。

  • 中世日本紀の成立: 中世においては、日本書紀の神代巻を中心に仏教解釈などを交えて再解釈する「中世日本紀(ちゅうせいにほんぎ)」が流行し、物語文学や神道理論の背景として深く浸透していました。

  • 繰り返し書写された『日本書紀』:日本書紀は、中国の歴史書(例えば「漢書」・「帝紀」)を参考にして、「日本書」「(天皇)紀」が書写を繰り返されるうちに『日本書紀』となったと言われています。

『古事記』が読まれなかった理由

  • 皇室の「秘本」的な扱い: 『古事記』は、皇室の内務的な歴史書としてまとめられたため、公式な講義や複写の対象になりにくく、平安〜鎌倉時代を通じて一般の公家や貴族の目に触れる機会が極めて限定されていました。

  • 最古の現存写本の時期: 現在残っている最も古い『古事記』の写本(真福寺本)は南北朝時代の1340年代(元弘・建武年間以降)のものであり、『平家物語』が成立・成立展開した鎌倉初期〜中期(13世紀前半〜中頃)には、一般的な文士が『古事記』を直接参照することはほぼ不可能でした。

ご参考に添付する動画は、個人利用、又、古典学習者向けに試作した動画です。「平家物語」第5巻、第69段、「都遷(みやこうつり)」です。

平清盛は、京都は延暦寺、興福寺の影響を受けるので、清盛の別荘であり、
日宋貿易の拠点であった福原(現在の神戸市)へ遷都を行います。

しかし、上代からの遷都の歴史を語り、人臣である清盛ごときが遷都を行うことの暴挙が、非難的に語られます。

この動画は、「平家物語」の面白さをデジタルの力で現代に甦らせたいと、
ネットの情報(左大臣光永氏の朗読。林原美術館の絵巻。ウィキペディア等の歴史解説。その他ネット検索した画像)に、現代語訳をパソコンの読上げ機能を利用して作成した私用(教育目的)の動画です。
著作権の観点で、一般公開はできませんので、個人用・学習用としてお楽しみください。