夫婦喧嘩と、父からの宿題
夫婦喧嘩をしたという妹。
もう1週間も口をきいていないそうです。
連絡手段はLINEのみ。何を送ってもダンナさんから返ってくるのは、
「お話はわかりました」
の一文だけ。
それ、役所の窓口ですか。
思わずそう突っ込みたくなりました。
妹夫婦には3人の子どもがいます。家族のグループLINEはいつも賑やかで、妹は時々スクリーンショット付きで「今日はこんなことがあった」と楽しそうに報告してくれます。
父の法事で会ったときも、みんな笑顔でした。正直なところ、「夫婦喧嘩」とはもっとも縁遠い家庭だと思っていたのです。
日曜日には、父の命日を前にお墓参りへ。本来なら夫婦そろって行く予定だったのに、今回は別行動です。
きれいに掃除されたお墓の写真と一緒に、こんなメッセージが送られてきました。
「これからも一緒にいたいなら、お前から謝りなさい」
父が生前、夫婦喧嘩のたびに妹へ言っていた言葉だそうです。
父は孫たちの送迎や世話をよく手伝っていました。共働きで忙しい妹夫婦の大変さを理解していたからこそ、どちらが正しいかではなく、「この先も一緒に暮らしたいのか」を大事にしていたのでしょう。
その言葉を読んで、私も昔のことを思い出しました。
年を重ねて穏やかになった両親でしたが、私が子どもの頃はなかなか激しい夫婦喧嘩をしていました。
朝起きると、父の顔や首がひっかき傷で真っ赤。母は目の上が青く腫れている。
そんな日もありました。
すると祖母が飛んできてくれるのです。
いつもより優しい笑顔で、温かい料理を並べてくれる。祖母に怒られたのか、ぎこちなく笑う父と母。それでも、その食卓にどれほど安心したことか。
ある時は、母が家事も育児もストライキしたことがありました。
その日の夕飯は父のお好み焼き。
具は桜えびとおかかが中心で、見た目はかなりシンプル。あんなにペラペラのお好み焼きは、後にも先にも見たことがないです。
でも塩味がしっかり効いていて、子どもの私は案外気に入りました。
そして余計なひとことを放ちます。
「お父さんが作ったほうが好き」
すると母は、
「あらそう。よかったじゃない」
と言って、ぷいっと横を向きました。
今思えば、あの日の父は料理を作ることで謝っていたのかもしれません。
子どもには見えないところで、大人はちゃんと仲直りの努力をしていたのでしょう。
なんだかんだありながらも、父と母は最後まで一緒にいました。
反対されても結婚を決め、そしてあっさり離婚してしまった私からすると、その年月を重ねる努力には頭が下がります。
妹には、
「お父さんも心配しているだろうから、仲良くね」
と返信しておきました。
もっとも、こんなことを書いている私自身、夫婦喧嘩になったら自分から謝るのが一番苦手なのですが。
父の言葉は、娘たちにとって永遠の宿題なのかもしれません。
