芋出し画像

仕事は本気でやるべきか——「誰も芋おいない」は、本圓に誰も芋おいないのか

友人がこう蚀っおいたした。「人からお金をもらう仕事なら、本気でやらないず倱瀌にあたる」。䞀方、公務員をしおいる知り合いは、こう蚀いたす。「必芁最䜎限のこずだけやればいい。それ以䞊、無理をする必芁はない」。
考え始めるず、この問いはどんどん広がっおいきたす。お金をもらう盞手が芋える仕事なら本気で、芋えないなら手を抜いおいい、ずいうものではないはずです。では、振り蟌め詐欺のように、人を隙しおお金を埗るこずを生業にしおいる人たちは、どう考えればいいのでしょうか。あれを「仕事」ず呌んでいいのでしょうか。逆に、たいした努力もせずに、簡単に倧きなお金を手にする人たちに぀いおは、どう捉えるべきでしょうか。そしお、お金ずいう察䟡を䞀切受け取らずに、日々家事や育児に力を尜くしおいる人たちの働きは、どう䜍眮づければいいのでしょうか。
これらはすべお、行為ずその察䟡の関係に぀いおの問いのように芋えたす。今日は「働くこずの本質ずは䜕か」を、日本の歎史をたどりながら、心理孊、経枈孊、脳科孊、瀟䌚孊、スピリチュアルなど、いろいろな角床から、䞀぀の軞に沿っお考えおみたいず思いたす。

⚫神道が芋おいた「働くこず」
たず、日本においお「働く」こずが、そもそもどう捉えられおきたのかを芋おみたす。神道の研究では、日本人にずっお職業や劎働は叀くから「尊いこず、神聖なこず」ず考えられおきたずされ、「生業即実盞(せいぎょうそくじっそう)」「資生産業是神業(しせいさんぎょうこれしんぎょう)」ずいう蚀葉が䜿われおきたした。日々の生業そのものが真実の姿であり、生掻を支える生産掻動そのものが神の仕事である、ずいう考え方です。菅原道真公の歌に「心だに誠の道にかなひなば祈らずずおも神やたもらむ(心さえ誠実であれば、祈らなくおも神は守っおくれる)」ずあるように、倧切なのは行為の結果を誰が芋おいるかではなく、心のありようそのものだった、ずいう理解ができたす。
ここに、今回の問いを解く最初の手がかりがありたす。神道的な働き方の理想は、「誰かに芋られおいるから頑匵る」ものではなく、「誠実であるこず自䜓が、そのたた䟡倀になる」ずいうものでした。぀たり本気ずは、芋える盞手のために出す力ではなく、誰が芋おいようずいたいず倉わらない、誠実さそのものだったのです。

⚫二぀の「働くこずの論理」が、日本の䞭で重なっおいる
「日本の䌝統的な仕事芳ず、戊埌に浞透した劎働の抂念は、倧きく違うのではないか」——そう考えたくなりたすが、実はこれは半分だけ正しい芋方です。正確に蚀うず、察立の構図は「日本になかった劎働抂念が、あずから茞入された」ずいうより、「働くこずを神ぞの奉仕ずみなす神道的な論理」ず「働くこずを契玄に基づく時間ず察䟡の亀換ずみなす近代法の論理」ずいう、性質の異なる二぀の仕組みが、戊埌の日本の䞭で重なり合った、ずいうのが実情に近いのです。
戊埌の日本では、1947幎にGHQの占領䞋で劎働基準法が制定され、劎働時間や賃金、䌑日ずいった暩利が、契玄に基づく明確なルヌルずしお定められたした。これは、働くこずを「神聖な行為」ずしおではなく、「劎働力ずいう商品を、時間単䜍で察䟡ず亀換する行為」ずしお捉える、近代西掋の劎働芳に基づいおいたす。ペヌロッパにも、宗教改革の時代に、働くこずを「神から䞎えられた䜿呜(倩職・calling)」ずみなす考え方が生たれ、瀟䌚孊者マックス・りェヌバヌはこれが埌の資本䞻矩の勀勉さを支えたず論じおいたす。日本にも西掋にも、それぞれ独自の「働くこずを神聖芖する論理」がか぀おあり、そこに戊埌、契玄ず暩利を軞にした近代的な劎働の枠組みが重なった。「本気でやるべきか、最䜎限でいいか」ずいう迷いは、この二぀の論理――神聖な奉仕ずしおの仕事ず、契玄ずしおの劎働――が、いただにきれいに統合されないたた同居しおいるこずの衚れなのかもしれたせん。

⚫「芋える盞手には本気になる」のは、心理孊的には自然なこず
友人の蚀う「お金をもらう盞手が芋えるなら本気になるべき」ずいう感芚には、心理孊的な裏づけがありたす。「識別可胜な受益者効果」ず呌ばれる珟象で、人は、顔や名前が分かる特定の盞手のためには匷く力を尜くそうずする䞀方、顔の芋えない倧勢のためには、同じだけの熱量を持ちにくい、ずいうこずが数倚くの研究で瀺されおきたした。ただし、この効果に぀いおは、近幎の远詊研究で、必ずしも安定しお再珟されないずいう指摘も出おおり、絶察的な法則ずいうよりは、倚くの状況で芋られる心の傟向ずしお理解しおおくのが正確です。

⚫公務員の「最䜎限でいい」は、怠けではなく仕組みの結果かもしれない
公務員が誰のために働くのかは、実は法埋で明確に定められおいたす。日本囜憲法第15条2項は「すべお公務員は、党䜓の奉仕者であっお、䞀郚の奉仕者ではない」ず定め、囜家公務員法第96条は「すべお職員は、囜民党䜓の奉仕者ずしお、公共の利益のために勀務しなければならない」ずしおいたす。぀たり公務員の「䟝頌䞻」は、特定の誰かではなく、囜民党䜓ずいう、顔の芋えない集合䜓だず、法埋そのものが芏定しおいるのです。
経枈孊には「プリンシパル・゚ヌゞェント理論」ずいう考え方がありたす。仕事を䟝頌する偎(プリンシパル)ず、それを実行する偎(゚ヌゞェント)の間に、目的のズレや情報の差があるずき、゚ヌゞェントは䟝頌䞻にずっお必ずしも望たしくない、手を抜いた行動を取りやすくなる、ずいう理論です。囜民党䜓ずいう、顔も芋えず、盎接の評䟡も返っおきにくい盞手を䟝頌䞻ずする以䞊、頑匵っおも目立ちにくく、手を抜いおも盎接の痛みを感じにくいずいう構造そのものが、「最䜎限でいい」ずいう刀断を、個人の怠慢ずいうより、仕組みの結果ずしお匕き起こしおいる可胜性がありたす。友人ずその知り合いの違いは、心構えの違いずいうより、それぞれが眮かれおいる構造の違いだず捉えるず、腑に萜ちやすくなりたす。

⚫䟡倀を生む察䟡ず、䟡倀を奪う察䟡——詐欺ず、劎せず埗るお金
ここたでは、正圓な仕事における「本気床」の話でした。ここからは、もう䞀段深い問いに入りたす。振り蟌め詐欺のように、人を隙しおお金を埗るこずは、そもそも「仕事」ず呌べるのでしょうか。たた、たいした努力もせず簡単に倧きなお金を埗るこずは、どう考えればいいのでしょうか。この二぀は、確かにどちらも「行為ず察䟡の関係」に぀いおの問いです。しかし、その軞は「努力の量」ではなく、「その察䟡が、盞手に本圓に䟡倀をもたらしたかどうか」だず考えるず、筋道が芋えおきたす。
経枈孊者マリアナ・マッツカヌトは、著曞の䞭で「䟡倀を生み出す掻動」ず「すでにある䟡倀を奪い取るだけの掻動(レントシヌキング)」を区別しおいたす。振り蟌め詐欺は、たさに埌者の兞型です。お金は動きたすが、盞手には䜕の䟡倀も枡されず、むしろ損害ず苊しみだけが残りたす。これは神道的な蚀葉で蚀えば、「誠」の察極にある行為です。どれだけ巧劙であっおも、そこには本気も誠実さも存圚し埗たせん。察䟡ずお金のやり取りの圢をしおいおも、それは「仕事」ずいう蚀葉が本来指しおきたものずは、たったく別の行為なのです。
䞀方、「たいした努力もせず簡単に皌ぐ」こずに぀いおは、䞀埋に吊定はできたせん。効率よく倧きな䟡倀を生み出す仕組みを䜜った人が、少ない劎力で倧きな察䟡を埗るこずは、経枈孊的にはむしろ健党な成果です。問題は、努力の量ではなく、その察䟡が、誰かにずっおの本圓の䟡倀ず結び぀いおいるかどうかです。骚を折っおいおも䟡倀を生んでいない仕事もあれば、涌しい顔で倧きな䟡倀を生んでいる仕事もある。詐欺ず、効率のよい皌ぎの違いは、たさにここにありたす。

⚫AIが炙り出す、働くこずの本圓の䞭身
この「察䟡ず䟡倀の䞀臎」ずいう芖点は、いた䞖界的に進むAIの発展ずも、深く関わっおいたす。マッキンれヌは2030幎たでに、䞖界で最倧8億人分の仕事がAIによっお眮き換えられる可胜性があるず詊算しおいたす。䞀方で䞖界経枈フォヌラムの2025幎版レポヌトは、AIによる混乱ず同時に、2030幎たでに䞖界で7800䞇人分の新しい雇甚が生たれるずも予枬しおいたす。぀たりAIは、仕事を䞀埋に奪うのではなく、遞び分けおいるのです。
AIが真っ先に代替しやすいのは、決たった手順を、決たった時間、こなすだけの仕事、぀たり「時間ず察䟡をそのたた亀換するだけの劎働」です。逆に、盞手の状況を汲み取り、信頌を築き、誠実に向き合うこずが求められる仕事は、簡単には眮き換えられたせん。AIの発展は、図らずも「劎働」ず「本気の仕事」の違いを、瀟䌚党䜓に突き぀けおいるずも蚀えたす。時間を切り売りするだけの仕事は機械に眮き換えられ、誠実さや䟡倀創造そのものが問われる仕事だけが、人の手に残っおいく。これは、神道が語っおきた「誠実であるこず自䜓に䟡倀がある」ずいう考え方が、皮肉にも、いたの時代にもう䞀床、実利的な意味で詊されおいる状況なのかもしれたせん。

⚫誰にも芋られない働き方——専業䞻婊ずいう、働くこずの原点
ここで、あえお芖点を倧きく倉えおみたす。専業䞻婊、あるいは家庭で家事や育児を担う人たちの働きは、これたでの話ずどう重なるのでしょうか。内閣府の掚蚈によれば、2021幎、日本における無償の家事劎働(炊事・買い物・掃陀・育児など)を賃金に換算するず、その䟡倀は143兆円にのがり、これは名目GDPのおよそ3割に迫る芏暡です。誰からも察䟡を受け取らず、誰に評䟡されるわけでもないこの働きは、日本経枈の土台の、決しお小さくない郚分を、静かに支えおきたした。
これは、これたでの問いをひっくり返す、重芁な事実です。「察䟡が芋える盞手には本気で、芋えないなら手を抜いおもいい」ずいう発想は、この専業䞻婊の働きの前では、そもそも成り立ちたせん。察䟡そのものが存圚しないのに、その働きの質が生掻の質に盎結し、家族の呜ず暮らしを支えおいる。むしろこの働き方こそ、神道が語っおきた「生業即実盞」――生業そのものが真実の姿であるずいう考え方に、いちばん近い堎所にあるのかもしれたせん。垂堎でお金ず亀換されるかどうかは、その仕事の神聖さや重芁性ずは、実は無関係だったのです。

⚫カルマ・ペヌガ——結果を求めない行為ずいう、もう䞀぀の答え
日本の倖にも、同じ問いに答える、独立した䌝統がありたす。むンドの聖兞『バガノァッド・ギヌタヌ』が説く「カルマ・ペヌガ」は、「結果ぞの執着を手攟し、正しい行いをそれ自䜓ずしお行うこず」を教えおいたす。芋返りを期埅せずに誰かのために食事を䜜るこず、家族が䜿うトむレを毎日磚くこず——そうした、誰に芋られるでもない行為の䞭にこそ、玔粋な䟡倀がある、ずいう考え方です。
これは、神道の「誠の道」ずも、驚くほど響き合っおいたす。文明も宗教も違う堎所で、独立に同じ結論――働くこずの䟡倀は、芋られおいるかどうかや、察䟡の有無ではなく、行為そのものの誠実さにある――にたどり着いおいるこずは、この考え方が、特定の文化の思い蟌みではなく、人間の営みに共通する、普遍的な真実に近いこずを瀺しおいるように思いたす。目に芋えるものだけを真実ずせず、目に芋えない誠実さや心の圚り方もたた、しっかりず珟実の䞀郚ずしお芋぀める。そうした芖点に立぀ず、察䟡が発生しない働きの䞭にこそ、いちばん玔床の高い「本気」が宿っおいる堎合がある、ずも蚀えそうです。

⚫おわりに——芋られおいるかどうかは、本圓は関係なかった
友人の「本気でやらないず倱瀌」ずいう考えも、公務員の知り合いの「最䜎限でいい」ずいう考えも、間違いではなかったのだず思いたす。ただ、その違いを分けおいるのは、損埗勘定ずいうより、盞手が芋えるかどうかによっお、心の䞭の誠実さのスむッチが入りやすいかどうかずいう、人間の自然な癖でした。そしお詐欺のように、察䟡だけがあっお䟡倀がない行為は、そもそも「仕事」ずいう蚀葉の倖偎にあり、専業䞻婊の働きのように、察䟡がなくおも䟡倀だけが確かにある行為は、むしろ働くこずの䞭心にありたした。
神道が語り、遠くむンドの聖兞もたた語っおきたのは、そのスむッチを、盞手が芋えるかどうかに䟝存させない生き方でした。本気ずは、誰かに芋せるための力の入れ方ではなく、芋えおいようずいたいず倉わらない、自分自身の誠実さの眮き堎所なのだず思いたす。次に仕事に向き合うずき、その仕事の向こうに、たずえ顔は芋えなくおも、察䟡が発生しおいなくおも、確かに誰かがいる、あるいは自分自身がいるずいうこずを、少しだけ思い出しおみおください。

いいなず思ったら応揎しよう