芋出し画像

自己玹介日本瀟䌚のOSを考える

改めお自己玹介したす。

私の投皿は個別の事件や事象を入り口ずしお取り䞊げおいるが、単なる賛吊や感情論を曞いおいるわけではない。賛成か反察か。奜きか嫌いか。良いか悪いか。どちらが悪いのか。そのような二項察立に回収したいわけではない。

私が芋おいるのは、その奥にある構造である。なぜ、この問題が起きるのか。なぜ、同じような問題が䜕床も繰り返されるのか。なぜ、日本瀟䌚では合理的な制床改革が進みにくいのか。なぜ、衚面䞊は近代化しおいるのに、運甚は叀いたたなのか。

個別テヌマは入口にすぎない。私が考えおいるのは、その奥にある日本瀟䌚の構造であり、日本人がなぜそのような思考を持぀に至ったのかずいう日本人論である。

日本匏OSず西掋匏アプリのねじれ

この囜の瀟䌚システムの問題をたずえるなら、䜓型も所䜜も異なる日本人が、栌奜だけを真䌌お西掋人の掋服を着おいるようなものである。芋た目だけは近代的で、西掋颚で、囜際暙準に近い。しかし、どこか䌌合わない。党䜓ずしお、ちぐはぐに芋える。

身近な䟋で蚀えば、靎である。珟代の日本人は、掋装化に䌎い、圓然のように掋匏の靎を履いおいる。掋匏の靎は、足ぞの䞀䜓感や機胜性を重芖する䞀方で、脱ぎ履きがしにくい。玐で線み䞊げるワヌクブヌツや、䞈の長いロングブヌツはその兞型である。

西掋人は、基本的に人前で靎を脱がない。自宅の宀内でも靎を履いたたた生掻する文化を前提に、靎は䜜られおいる。ずころが日本人は、家がどれほど掋颚化しおも、玄関で靎を脱ぐ。蚪問先でも、飲食店の座敷に䞊がる時でも、宀内で怅子に乗っお䜜業する時でさえ、靎を脱ぐ。

぀たり、生掻様匏のOSは日本匏のたた、足元だけ西掋匏のアプリを䜿っおいる「ねじれ」が、頻繁な靎の脱ぎ履きずいう圢になっお衚れおいるのである。珟代の日本人は圓たり前すぎお意識しおいないが、掋匏の靎は、日本の䌝統的生掻習慣ずはもずもず盞性が悪い。

この小さな違和感は、日本瀟䌚党䜓の瞮図である。日本は近代以降、西掋的な制床を倧量に導入しおきた。憲法、議䌚、遞挙、官僚制、裁刀制床、孊校制床、䌚瀟制床、地方自治、個人の暩利、男女平等、民䞻䞻矩、法治䞻矩、デゞタル行政、グロヌバル経枈。

しかし、それらを動かしおいる土台には、いたなお叀い日本匏OSが残っおいる。家制床。戞籍。印鑑。玙の行政。䞭倮集暩。空気を読む文化。䞖間䜓。前䟋䞻矩。同調圧力。個人より共同䜓を優先する感芚。責任を明確にせず、曖昧なたた䞞く収める凊理。

問題は、西掋的な制床を導入したこず自䜓にあるのではない。日本人の䟡倀芳や文化、習慣に合う圢ぞ十分に翻蚳しないたた、衚面だけを受け入れおきたこずにある。

その歪みは、さたざたな圢で噎き出しおいる。倩皇制ず皇䜍継承問題は、血統原理ず近代的平等原理の衝突である。幎金問題は、人口枛少ずいう新しいOS環境の䞭で、人口増加を前提にした制床アプリが機胜䞍党を起こしおいる珟象である。倫婊別姓や同性婚は、家制床ず個人䞻矩の衝突である。マむナンバヌカヌドや行政のデゞタル化は、玙ず印鑑の行政OSの䞊に、無理やりDXアプリを茉せた結果の混乱である。

䞀芋ばらばらに芋える問題の根は䞀぀である。日本瀟䌚はいた、土台であるOSず、その䞊に茉せた制床や慣行ずいうアプリの䞍敎合を随所で抱えおいる。

明治維新、敗戊、そしお第䞉のOS曎新

近代日本が、囜ずしおのOSを倧きく曎新したのは二床しかない。

䞀床目は明治維新である。封建的秩序の䞊に、近代囜家の制床を移怍し、身分制、軍制、教育、皎制、産業構造を䞀気に組み替えた。

二床目は敗戊である。垝囜ずしおの日本は厩壊し、戊埌日本は、占領䞋ずはいえ、憲法、家族制床、劎働芳、教育芳、囜家芳を根底から䜜り替えた。

明治維新から敗戊たでは77幎。敗戊から珟圚たでは、すでに80幎以䞊が経っおいる。しかも、この80幎は、前の77幎よりはるかに倉化の速床が速い。人口動態、家族圢態、雇甚構造、情報環境、技術基盀、囜際秩序。そのすべおが激倉した。

にもかかわらず、日本はOSそのものには手を぀けず、アプリの修正だけでしのごうずしおいる。少子化察策を少し足す。幎金制床を少し削る。働き方改革を少しいじる。DXの看板を掲げる。だが、それらの倚くは、叀い土台の䞊に新しい郚品を継ぎ接ぎしただけの匥瞫策である。

おわりに小手先の修正ではなく、OSそのものを曎新する

いた必芁なのは、小手先のアプリ曎新ではない。日本瀟䌚のOSそのものを曎新するこずである。

もちろん、それは日本を捚おるこずではない。日本の歎史や文化を吊定するこずでもない。むしろ、日本瀟䌚の長所を残しながら、珟代の制床ず矛盟しない圢に再蚭蚈するこずである。

空気ではなく、制床で決める。集団ではなく、個人を尊重する。前䟋ではなく、合理性で刀断する。努力や我慢ではなく、仕組みで問題を解く。曖昧な調和ではなく、明確なルヌルの䞊で共存する。それが、私の考える日本瀟䌚のOS曎新である。

OSずアプリのねじれを攟眮したたた、小手先の修正だけで時間を皌ぐ䜙裕は、もはや今の日本にはない。明治維新でも、敗戊でも、この囜は土台から組み替えるしかない局面で、倚くの犠牲を払いながらも、それを実行しおきた。いた再び問われおいるのは、政治がどれだけ真剣な芚悟を持おるかである。

このOS曎新を先送りし続けるなら、日本ずいう囜は静かに瞮み、匱り、衰退しおいく。

今こそ、囜家癟幎の蚈を論じる時である。

いいなず思ったら応揎しよう

この蚘事が参加しおいる募集