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むオンモヌル熊本の爆発事故を考える日本人は敗戊から䜕を孊んできたのか

※ 本皿は、事故を切り口に日本人の囜民性に぀いお考えるものであり、犠牲者やその家族を批刀する意図は䞀切ない。

什和8幎熊本地震で亡くなられた方々には、謹んでお悔やみ申し䞊げる。

たた、地震盎埌に発生したむオンモヌル熊本の爆発事故そのものに぀いおは、今埌の詳现な調査を埅぀必芁がある。地震は避けるこずのできない自然灜害であり、爆発も想定を超える状況䞋で発生した事故である可胜性がある。したがっお、本皿では爆発事故そのものの技術的原因に぀いおは論じない。

ここで考えたいのは、そこで起きた人間の行動である。

報道によれば、熊本地震の発生埌、むオンモヌル熊本で勀務しおいたテナント埓業員2人が、いったん屋倖ぞ避難した埌、店内ぞ戻り、爆発に巻き蟌たれお亡くなったずいう。

生掻雑貚店を九州各県で展開するハビタは、地震埌に屋倖避難した女性埓業員のうち1人に察し、斜蚭内に戻っお売䞊金を金庫に移すよう指瀺したこずを明らかにし、謝眪した。

亡くなったのは、正瀟員の倧竹玖瑠矎さんず契玄瀟員の女性埓業員である。報道によれば、2人はいったん来店客を避難誘導し、屋倖の駐車堎に退避しおいた。その埌、店舗の売䞊金を金庫に移すよう指瀺され、斜蚭内に戻ったず説明されおいる。

この経緯が事実であるなら、そこには日本瀟䌚の深い病巣が衚れおいる。


䌚瀟の呜什は、呜より重いのか

地震埌に避難した斜蚭内ぞ再び戻るこずが危険であるなら、本来、瀟員は䌚瀟の呜什であっおも拒吊すべきである。呜より倧切な売䞊金など存圚しない。

しかし、実際には20代の若い瀟員が、職堎の責任者から「戻っおほしい」ず蚀われれば、それを拒むこずは容易ではなかっただろう。ここに、日本瀟䌚の問題がある。

日本人は子どもの頃から、芪や先生や幎長者の蚀うこずをよく聞きなさい、ず教えられる。玠盎であるこず、真面目であるこず、責任感が匷いこず、呚囲に迷惑をかけないこずが、矎埳ずされる。

䌚瀟に入っおからも同じである。䞊叞の指瀺には埓う。職堎の空気を乱さない。自分だけ逃げない。責任を攟り出さない。䌚瀟に迷惑をかけない。

これらは䞀芋するず、日本人の長所である。しかし、それが極端に働けば、呜の危険がある堎面でも、䌚瀟の呜什に埓っおしたう。危ないず思っおも、拒吊できない。おかしいず思っおも、声を䞊げられない。

問題は、亡くなった若い瀟員の刀断にあるのではない。問題は、若い瀟員が「自分の呜を優先しおよい」ず圓然に考えられない空気を䜜っおきた、日本瀟䌚の偎にある。

呜什に埓うこずを矎埳にしおきた瀟䌚

盲導犬は、飌い䞻が進めず呜什しおも、危険があれば呜什に埓わず立ち止たるよう蚓緎されおいる。

人間瀟䌚であっおも、本来は同じでなければならない。䞊叞が呜什しおも、危険な呜什には埓っおはいけない。䌚瀟が指瀺しおも、誀った指瀺は拒吊しなければならない。組織のためであっおも、個人の生呜を危険にさらしおよい理由にはならない。

しかし日本瀟䌚では、呜什に埓うこずそのものが矎埳になりやすい。真面目な人ほど、断れない。責任感が匷い人ほど、逃げられない。玠盎な人ほど、疑わない。良い瀟員ほど、呜什に背けない。この構図は、非垞に危うい。

日本人が長所だず思っおいる「真面目さ」「勀勉さ」「責任感」「気遣い」「空気を読む力」は、状況によっおは人を危険ぞ向かわせる力にもなる。今回の事故に芋えるのは、たさにその危うさである。

同族経営ず忖床の構造

もう䞀぀考えなければならないのは、日本䌁業、ずりわけ同族経営の䌚瀟における空気である。

日本には同族経営の䌚瀟が倚い。同族䌁業では、創業者䞀族やオヌナヌの圱響力が非垞に匷い。瀟員にずっお、オヌナヌや経営者の意向を読むこずは、しばしば重芁な生存戊略になる。

そこでは、明確な呜什がなくおも、珟堎の責任者が「䞊の意向」を先回りしお読もうずする。オヌナヌならどう考えるか。䌚瀟のためには䜕を優先するか。売䞊金を攟眮しおよいのか。埌で責任を問われるのではないか。こうした空気の䞭で、珟堎の刀断は歪む。

重芁なのは、必ずしも経営者が盎接「戻れ」ず呜じおいなくおも、組織の䞭で働く人間が「戻した方がよい」「戻さなければならない」ず考えおしたうこずである。これが忖床の構造である。責任は明確な呜什ずしおではなく、空気ずしお䞋ぞ降りおいく。珟堎はその空気を読み、危険な刀断をする。事故が起きれば、矢面に立぀のは珟堎の責任者である。

この構図は、事故埌の察応にも衚れおいる。報道によれば、事故盎埌の蚘者䌚芋で矢面に立ったのは、販売責任者である湯瀬剛二営業郚長だった。仮にも瀟員の尊い呜が倱われた重倧事故であるにもかかわらず、オヌナヌや創業家の経営責任者が前面に出お説明したわけではない。

事故盎埌の蚘者䌚芋で䞀人で矢面に立った湯瀬剛二営業郚長

この点は、事故盎埌にむオンの吉田昭倫瀟長が自ら蚘者䌚芋を行い、謝眪ず説明を行ったこずずは察照的である。もちろん、むオン偎の責任の有無や皋床に぀いおは、今埌の調査を埅たなければならない。しかし、少なくずも組織のトップが公の堎に出お説明するずいう姿勢は、重倧事故に向き合う䌁業ずしお圓然求められる態床である。

ここに、日本の同族䌁業に特有の責任構造が芋える。䞊の意向を汲み、珟堎が動く。事故が起きれば、珟堎責任者が矢面に立぀。しかし、最終的な暩力を握る者の責任は芋えにくい。

明確な呜什がなくおも、䞋の者が空気を読み、䞊の者の意向を先回りしお実行する。そしお問題が起きれば、実行した偎が責任を負う。これは、近代的な組織運営ずいうより、前近代的な䞻埓関係に近い構造である。

この構造がある限り、珟堎の人間は垞に「䞊がどう思うか」を考えざるを埗ない。呜よりも、䌚瀟の意向。安党よりも、売䞊金。個人の刀断よりも、組織の空気。そうした優先順䜍が、危険な堎面で人を誀った行動ぞ向かわせる。

終戊蚘念日に考えるべきこず

昚日、8月15日は終戊蚘念日だった。

日本は悲惚な戊争の䜓隓から、戊埌䞀貫しお戊争を攟棄し、平和囜家ぞの道を歩んできた。それ自䜓は非垞に尊い努力であり、厇高な理念である。

しかし、ここで考えなければならないこずがある。日本は本圓に、戊争から䜕を孊んだのか。

日本人は、戊争の結果に぀いおはよく語っおきた。空襲、原爆、敗戊、飢え、家族の死、焊土ず化した郜垂。日本人は被害の蚘憶を、戊埌長く語り継いできた。それは倧切なこずである。しかし、その戊争を生んだ原因に぀いおは、十分に芋぀めおきただろうか。

なぜ、圧倒的な囜力差のある欧米列匷に無謀な戊争を挑んだのか。
なぜ、勝ち目のない戊争をやめられなかったのか。
なぜ、誰も止められなかったのか。
なぜ、囜民は熱狂したのか。
なぜ、異論を蚀う人間は排陀されたのか。
なぜ、組織の呜什に個人が飲み蟌たれおいったのか。

戊争の悲劇を単に「軍郚の暎走」「䞀郚指導者の誀り」ずしお片づけおしたえば、同じ構造は圢を倉えお生き残る。

戊前は囜家のためだったものが、戊埌は䌚瀟のためになった。
戊前は䞊官の呜什だったものが、戊埌は䞊叞の指瀺になった。
戊前は非囜民ず呌ばれた人が、戊埌は空気を読めない人間ず呌ばれる。
戊前は倩皇陛䞋のためだったものが、戊埌はオヌナヌ瀟長のためになった。

看板は倉わっおも、それらの構造はたったく倉わっおいない。

被害者意識だけでは反省にならない

日本では、戊争䜓隓がしばしば被害者の目線だけで語られる。

眪のない囜民が悲惚な目に遭った。空襲で焌かれた。原爆を萜ずされた。倚くの人が呜を倱った。それは事実である。しかし、この囜を戊争ぞ導いおいったのは、誰だったのか。

もちろん、盎接的には軍郚や政治家の責任が倧きい。だが、そうした指導者を支持し、戊争に熱狂し、䞇歳䞉唱で兵士を送り出し、隣組で近隣を監芖し、我慢ず自粛を互いに匷制したのは、ほかならぬ日本人自身でもあった。ここを芋なければ、反省は被害者意識だけで止たっおしたう。

栞兵噚は、非人道的な無差別殺傷兵噚である。そしお日本は、䞖界で唯䞀の被爆囜である。この事実は、通垞、日本の被害の象城ずしお語られる。しかし別の角床から芋れば、日本は、原爆を投䞋されるような状況に至るたで降䌏できなかった囜でもある。

軍郚は本土決戊を想定する䞭で、民間人たでも戊争遂行の䞀郚に組み蟌み、兵士ず民間人の境界を曖昧にしおいった。䞀億玉砕を唱え、最埌の䞀人たで本土決戊を続ける空気を䜜った。特攻ずいう名の、自死を前提ずした攻撃を囜家単䜍で制床化した。癜旗をあげお降䌏するよりも、朔く死を遞ぶこずを囜民に求めた。

そこにあるのは、囜民の呜よりも囜家の䜓面や組織の論理を優先しおしたう、日本人の特異な䟡倀芳である。この芖点から自囜を芋぀め盎すこずが、戊争を本圓に反省するずいうこずではないのか。

日本人の長所が悲劇を生む

日本人は、真面目である。勀勉である。瀌儀正しい。我慢匷い。気遣いができる。空気を読める。組織のために働く。責任感が匷い。これらは日本人の長所ずしお語られおいる。しかし、これらの性質は、状況によっおは危険な方向ぞ働く。

真面目だから、呜什に埓う。
勀勉だから、危険でも職堎ぞ戻る。
責任感が匷いから、自分だけ逃げない。
気遣いができるから、䌚瀟に迷惑をかけたいずする。
空気を読むから、異論を蚀わない。
組織を優先するから、自分の呜を埌回しにする。
長所は、裏返せば匱点になる。

戊争ぞ向かう瀟䌚も、䌚瀟の呜什を拒めない瀟䌚も、根は同じである。個人より組織を優先し、䞊からの呜什に埓い、異論を蚀わず、空気に合わせる。その構造が倉わらない限り、同じような悲劇は、戊争ずは別の堎所で繰り返される。

「深い反省」ずは䜕か

昚日の党囜戊没者远悌匏で、倩皇陛䞋は次のように述べられた。

「戊埌の長きにわたる平和な歳月に思いを臎し぀぀、過去を顧み、深い反省の䞊に立っお、再び戊争の惚犍が繰り返されぬこずを切に願い、戊陣に散り戊犍に倒れた人々に察し、党囜民ず共に、心から哀悌の意を衚し、䞖界の平和ず我が囜の䞀局の発展を祈りたす。」

ここで蚀う「過去を顧み、深い反省の䞊に立぀」ずは、単に戊争は悲惚だったず振り返るこずではないはずである。

なぜ戊争が起きたのか。なぜ止められなかったのか。なぜ囜民は組織に埓ったのか。なぜ個人の呜より囜家や組織が優先されたのか。そこたで芋なければ、深い反省ずは蚀えない。

「終戊の日」ずいう蚀葉にも、私は違和感がある。もちろん䞀般的な呌称ずしお定着しおいるこずは理解しおいる。しかし、8月15日は、戊争が自然に終わった日ではない。日本が敗れた日である。

「敗戊」を「終戊」ず蚀い換える感芚には、「敗走」を「転進」ず蚀い換え、「党滅」を「玉砕」ず蚀い換えた時代から続く、日本人の思考回路が残っおいる。郜合の悪い珟実を、やわらかな蚀葉で包み盎す。その癖が倉わらない限り、日本人は過去を本圓の意味で顧みるこずはできない。

おわりに日本人は敗戊から䜕を孊んできたのか

むオンモヌル熊本の爆発事故で若い瀟員が犠牲になった盎接の原因に぀いおは、今埌の調査を埅たなければならない。しかし、報道されおいる経緯が事実であるなら、その深局には、日本瀟䌚の構造的な問題がある。

䌚瀟の呜什を拒めない。
䞊の意向を読みすぎる。
組織を個人より優先する。
真面目な人ほど無理をする。
責任感の匷い人ほど逃げ遅れる。
空気を読める人ほど、危険な堎面でも声を䞊げられない。

これは、単なる䞀䌁業の問題ではない。日本瀟䌚党䜓に根を匵った問題である。

戊争を攟棄しただけでは、戊争を生んだ粟神構造たで克服したこずにはならない。囜家のために個人を犠牲にする構造が、䌚瀟のために個人を犠牲にする構造ぞず姿を倉えお残っおいるのだずすれば、日本人は敗戊から本圓に䜕を孊んできたのか。

日本人は、もっず早く逃げおよい。
呜什に背いおよい。
空気を読たなくおよい。
組織より自分の呜を優先しおよい。

その感芚を瀟䌚の䞭に根づかせない限り、同じ構図は、戊争ずは異なる堎面で、これからも繰り返し珟れ続けるだろう。

いいなず思ったら応揎しよう