TFSアカデミー聴講記録 神保謙先生(慶應義塾大学教授、公益財団法人国際文化会館・常務理事)「激動の世界で、日本が生き残る道はあるのか?」
11月26日のTFSアカデミーでは、慶應義塾大学教授/公益財団法人国際文化会館 常務理事の神保謙先生を講師にお招きし、「激動の世界で、日本が生き残る道はあるのか?」という演題でセミナーを開催しました。混迷の時代に日本がとるべき針路を外交・安全保障の第一線の研究者から学ぶ機会となりました。
以下に聴講録をまとめます。
1.国際秩序の構造変化――「地政学の復活」
最初に2000年代前半の国際社会ではグローバリゼーションを前提に動いており、「地政学の終焉」という世界観があったことを指摘されました。国境を越えるヒト・モノ・カネ・情報の流れが最適化され、民主化と経済発展が連動するという近代化理論への期待も根強く、「相互依存は平和をもたらす」という通念が共有されていた時代です。
しかし2010年代以降、その前提は大きく揺らぎました。経済的なつながりが存在しても、国家は軍事力を背景として現状変更に踏み込む。国際法や国連安保理が十分に機能しない状況で、地理・軍事・国家パワーが再び国際秩序の中核に戻りつつある流れを指摘されました。
(1)地政学的転換を象徴するロシアの行動
その一例として、ロシアの一連の軍事行動を「潮目の変化そのもの」として示されました。
2008年のジョージアへの軍事介入、2014年のクリミア半島の併合、2015年のシリア内戦への軍事関与、そして2022年のウクライナ全面侵攻——これらはそれぞれ独立した出来事ではなく、既存の国際秩序に対しロシアが体系的に挑戦している流れとして理解すべきだと指摘されました。
特にウクライナ侵攻は、第二次世界大戦以降のヨーロッパで最大規模の武力紛争となり、パワーポリティクスへの回帰を決定づけたともいえます。
(2)「経済発展=民主化」の前提の崩壊
1990年代まで有力だった、経済成長が中間層を厚くし民主化を促す、とする近代化理論も、1997年頃を境に比例関係が失われていきました。世界全体のGDPは拡大した一方で、議会制民主主義の採用国比率は伸び悩み、権威主義体制のまま主要国へと成長する中国の存在が象徴的です。権威主義体制は、長期政権と情報の偏りにより、誤った意思決定——グループシンクが生じやすい構造を持つとの警鐘を鳴らされました。相手国の過小評価による誤算が紛争の主要因とされている戦争研究からの指摘も印象的でした。
(3)日本の生存戦略
国際法が十分に機能しない環境では、軍事力が国家の意思を裏付ける基盤として重要性を増しています。主要国の軍事費は近年大幅に増加しております。2030~40年代はBRICSやインドネシアなど新興国の台頭によって世界のパワーバランスがさらに多極化すると予測されます。
日本が国際社会で影響力を維持するには、①自らの防衛力を強化すること、②将来影響力を握る新興国エリートとの関係を深めること、この2点をポイントとして挙げられました。
2.アメリカの変容とトランプ政権の外交思想
(1)背景にある「中間層の不安」
2016年と2024年のアメリカ大統領選の構造的な共通点として、「中間層の不安」を挙げられました。リーマンショック、コロナショックというショックの後、マクロ経済は改善したものの、その回復は格差拡大と同時進行し、生活の不安感はむしろ増したという現象が挙げられました。こうした状況が、グローバリゼーションに不満を抱く層の支持を背景に「トランプ現象」を生み出しています。
国内ではDEI(Diversity, Equity & Inclusion)関連予算の削減など、社会の分断が深まる兆候も見られます。
(2)米国の世界観の変質
伝統的にアメリカは“シーパワー”国家として、世界各地へのアクセスと同盟ネットワークを重視してきました。しかし現在は国境管理を優先する“ランドパワー”的な発想が強まり、国際秩序の維持よりも国内の利益と安全を優先する傾向が見られます。
(3)トランプ外交の特徴
現在のトランプ外交を単一の思想ではなく、いくつかの異なる方向性が交差する複合的な枠組みとして整理されました。そこには、アメリカの国益を最優先する姿勢、貿易不均衡の是正を狙った経済政策、軍事力を背景にした抑止の発想、そして同盟国により大きな役割を求める方針といった複数のレイヤーが重なっています。
例えば、
・国際問題への関与を絞り、自国中心の政策を重視する「アメリカ第一」
・関税や輸入規制を用いて経済構造の見直しを図る「経済ナショナリズム」
・米国自らが前面に立ち圧力をかける従来型の「力による平和」
・同盟国の責任分担を増やし、自主防衛を促す新たな「力による平和」
これらの要素が組み合わさる形で政策が展開されていると説明されました。全体としては世界への関与を抑える方向性がある一方で、必要に応じて交渉によって相手国に具体的な譲歩を迫るという特徴が見られます。
また、トランプ政権が他国の「ただ乗り」を許容しない姿勢を持つことは一貫しており、日本が掲げるGDP比2%では不十分と判断されるリスクがあるため、財政面も含めて現実的な戦略構築が求められてくることになるでしょう。また、日本を取り巻く地域——中国(台湾)、北朝鮮、ロシア等への対応を中心に、限られた資源をどこに配分するかは避けて通れない課題となっています。
3.三つの戦域:ウクライナ・中東・台湾
(1)ウクライナ情勢
戦線は膠着状態に近づきつつあり、安価な無人機とAIが戦局を左右する段階に入っています。トランプ政権が誕生した場合、米国が提示するとされる和平案はウクライナに厳しい内容になるとの見方が紹介されました。停戦ラインの固定、東部・南部地域の扱い、軍備縮小など、いずれもウクライナが受け入れ難い条件を含みます。
(2)中東、対イラン作戦の可能性
イランの核開発を抑止するために米国が限定的な軍事作戦を検討する可能性に言及されました。大規模な作戦となるため、実行されれば世界全体の地政学リスクが急激に高まると考えられます。
(3)台湾情勢
高市首相の「場合によっては存立危機事態に当たりうる」という発言をめぐり、中国が強い反発を示した背景についても解説がありました。
中国は平和的統一を志向しつつ、米国の介入可能性を低く見せることで、台湾内部の選挙力学に影響を与える戦略を採っていますが、その中で日本の発言は、中国にとって計算外の影響を与えかねない要素と受け取られました。
「存立危機事態」とは、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態。
4.おわりに
今回の講演を通じて、国際秩序が大きく動く時代において、日本が直面する課題は単なる防衛力の拡充にとどまらず、自国の立ち位置を冷静に見極め、主体的に設計していく力にあるとあらためて感じました。
中国・ロシア・北朝鮮という近接する戦域に向き合いながら、同時にインドやインドネシアなど新興国との関係を構築していく作業は、今後の日本外交において避けて通れないテーマとなります。
「地政学の復活」という現実を直視しつつ、長期視点で国益を守るための戦略をどのように描くのか。その問いを投げかけるものであったと感じています。
