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まともな人間なら『地政学』という言葉を使うべきではない——ナチの秘密兵器という神話を作ったのは連合国のほうだった

 地政学という言葉が嫌いだ。
 正規の学問という顔をして流通しているが、出自を辿ればろくなものではないし、テレビや新聞が「地政学的リスクが」と口にするときの中身は、たいてい「なんだかよくわからないが物騒な国際情勢」以上のものではない。
 地理学も政治学も歴史学もそれぞれ真っ当な蓄積を持っているのだから、そちらを学べばよい話だ。
 地政学が戦争のプロパガンダだったのは事実として、そのプロパガンダを最も強力に運用したのは、ナチスではなくアメリカのほうだった。

造語者が書きたかったのは戦争ではなく「生き物としての国家」だった

 Geopolitik という語を作ったのは、スウェーデンのルドルフ・チェレーンという政治学者である。
 1899年、スウェーデンの政治的国境を論じた論文のなかで初めて使われた。彼はウプサラ大学の政治学教授であり、同時にスウェーデン保守党の国会議員でもあり、第一次大戦では露骨な親独論者だった。
 ただ、彼が地政学という語を作った動機は、直接に戦争を煽ることではない。彼は国家を有機体、つまり生き物として捉える体系的な国家学を構想しており、そのなかの一分科として地政学を置いた。
 ついでに oecopolitik だの demopolitik だのという語も作っている。要するに、国家という生き物を解剖するための部位の名前として発明された言葉なのだ。

 問題は動機ではなく土台のほうにある。
 国家有機体論と社会ダーウィニズムという、19世紀後半に流行して20世紀に廃棄された理論的枠組みの上に、この言葉は建てられている。
 土台になったのはフリードリヒ・ラッツェルの『政治地理学』(1897)と、論文「生存圏」(1901)だ。ラッツェルはダーウィンの「生存をめぐる闘争」を「空間をめぐる闘争」に読み替えた。国家は生き物であり、成長し、そのために空間を必要とする——という、あの Lebensraum である。
 ちなみにラッツェル自身は地政学という語を一度も使っていない。彼の概念をチェレーンが解釈しなおしたものが、後にナチの語彙として使われることになる。

 一方、日本で地政学の父としてよく名前の挙がるハルフォード・マッキンダーやアルフレッド・マハンは、この系譜とは別のところにいる。
 マッキンダーの「歴史の地理的回転軸」(1904)はハートランド理論の元祖として扱われるが、あの論文に Geopolitik という独語は一度も出てこない。
 彼は英国の帝国防衛と地理学の文脈で書いており、しかも地理決定論者ではなく、経済や社会組織や人口や政治家の判断を分析に織り込んでいた。
 マハンもそうだ。両者とも自分を「地政学者」と名乗ったことはない。地政学の父という肩書きは、全部あとから貼られたラベルにすぎない。
 ドイツ・オーストリアの Geopolitik と、英米の帝国戦略論は、出発点では別々の水系だった。
 それを一本の川に見せているのは、後世の教科書のほうである。

ヒトラーの師という神話を作ったのは『リーダーズ・ダイジェスト』だった

 地政学=ナチスの学問、というイメージの中心にいるのがカール・ハウスホーファーである。
 ミュンヘン大学の地理学教授で、元陸軍少将。教え子にルドルフ・ヘスがいて、そのヘスを介してヒトラーに地政学を吹き込み、『我が闘争』の生存圏論を書かせ、ナチスの東方拡張を理論的に設計した——という筋書きになっている。
 ミュンヘンには彼の率いる巨大な地政学研究所があり、1000人の科学者が世界征服の計画を練っていた、という話まで付いてくる。

 この筋書きは、ほぼ全部が戦後の実証研究によって崩されている。
 ホルガー・ヘルヴィヒが2016年に出した『地政学の悪魔』は、米国が1945年にハウスホーファーを「ヒトラーの知的教父」「『我が闘争』の真の著者」として戦犯裁判にかけようとした経緯を追ったうえで、実際にハウスホーファーがヒトラーと過ごした時間は「合計しておそらく22時間程度」であり、代筆の証拠は「一片も存在しない」と書いている。
 1924年6月から12月にかけて、毎週水曜にランズベルク刑務所へ通った、その分の時間だ。ヘルヴィヒの結論は、ハウスホーファーがヒトラーの師だったのではなく、両者が19世紀後半の社会ダーウィニズムという同じ空気を吸っていた、というものである。

 ではあの「1000人の科学者」はどこから来たのか?
 デイヴィッド・トマス・マーフィが2014年に The Historian 誌に発表した論文が、その出所を特定している。1941年6月号の『リーダーズ・ダイジェスト』に載った、フレデリック・ゾンダーン・ジュニアの記事「ヒトラーの背後にいる1000人の科学者」だ。
 ゾンダーンは元海外特派員を名乗り、既に流布していた噂を事実として描いた。この記事を多くのジャーナリストが引用し、学者までが孫引きした。マーフィはコブレンツの連邦文書館に残るハウスホーファーの書簡を調べて、「そのようなネットワークの証拠は存在しない」と断じている。
 連合国が戦後にミュンヘンで見つけたのは、研究所ではなく、ハウスホーファーの書斎と、本人と、それを手伝う妻だけだった。

 実態がどの程度だったかは、機関誌『地政学雑誌』の発行部数を見れば見当がつく。
 1933年で年間3000から4000部、ピークの1941年でも、出版者自身の申告で7500部程度。世界征服を設計する秘密機関の数字ではない。
 政策への影響もそうだ。ハウスホーファーが構想していたのは独ソ協調による大陸ブロックであり、1941年6月22日の独ソ戦開始でそれは粉々になった。
 マーク・バッシンが1987年に指摘したように、ナチスの人種中心主義とドイツ地政学の空間中心主義は、理論としてはむしろ対立している。
 Geopolitik がナチ体制のなかで果たした役割は、政策の設計ではなく、既に決まっている拡張政策に理屈を後付けする語彙の供給だった。

 つまりこういうことになる。地政学は確かに戦争の大義名分として使われた。
 だがそれ以上に、「地政学こそがナチの秘密兵器である」という物語のほうが、はるかに大規模に、意図的に、戦時プロパガンダとして製造され流通した。
 地政学という言葉には二重のプロパガンダ史が刻まれている。

日本語の「地政学」は1925年に一人の地理学者が作った

 日本語の訳語も由来がはっきりしている。
 飯本信之が1925年、『地理学評論』第1巻第9号の「人種争闘の事実と地政学的考察」で初めて充てた。本人がその場で「余は……之に『地政学』なる字を当てたのであるが、勿論地理政治学を約めたものである」と書いている。
 1930年代前半までは「地政学」と「地政治学」が並立していて、日本人による最初の教科書である阿部市五郎の本は『地政治学入門』(1933)というタイトルだった。
 訳語が「地政学」に一本化されるのは1941年を境にしてのことで、柴田陽一の研究によれば、その定着を押したのは、地理学者たちが Geopolitik の実践的な側面に食いついたからである。

 実践的な側面というのは要するに軍との結びつきだ。
 京都帝大の地理学教授だった小牧実繁は、参謀本部の高嶋辰彦の依頼を受けて1938年に総合地理研究会を組織し、1940年には『日本地政学宣言』を出して、皇道を指導理念とする独自の「日本地政学」を唱えた。
 これがまた面白い代物で、日本文化の伝統のなかに地政学の伝統を発見する、欧米による謀略の歴史を暴露する、といった方向に振り切れている。
 ドイツ地政学がまだ一応は政策科学を名乗っていたのに対して、こちらは最初から思想運動だった。
 小牧の著書は合計で7万4500部を売り、高木彰彦はこれを「地理学エリートによる大衆の扇動」と評している。
 飯本のほうは1940年に、海軍中将の上田良武を会長に据えて日本地政学協会を立ち上げ、機関誌『地政学』を1942年から44年まで出した。
 そして敗戦後、小牧たち京都学派の地政学者は公職追放され、地政学は日本の大学から一掃された。

 この一掃のされ方が、その後の日本の言論に妙な空白を残している。
 学問として批判的に検証されないまま丸ごと消え、半世紀後に翻訳書とビジネス書の形で戻ってきた。だから戻ってきたときには、戦時中に何が起きたかを踏まえた語彙が育っていない。

キッシンジャーが地理を抜いたまま言葉だけ復活させた

 欧米でも敗戦後しばらく、geopolitics はナチと結びついた語として言論から消えた。
 発想そのものは生き延びたが、言葉は避けられた。フランスの地理学者イヴ・ラコストがこう書いている。ドイツの敗北は Geopolitik の敗北でもあったが、勝った側でも政治地理学は語られなくなり、政治地理学は地理学の無意識のなかへ抑圧された、と。
 ラコスト自身は1976年に雑誌『エロドート』を創刊し、『地理学はまず戦争をするのに役立つ』という挑発的な本を出して、この言葉を再発明した側の人間である。

 ただ、英語圏で geopolitics を大衆語彙に戻した張本人はヘンリー・キッシンジャーだ。
 ここが一番厄介なところで、キッシンジャーの用法における「地政学的」は、要するに勢力均衡の言い換えである。国際的な力の均衡を指導者が正確に読み、巧みに操作して国益を守る、というドクトリンを指していて、しばしば equilibrium と互換的に使われた。
 地理決定論の含意はきれいに抜け落ちている。
 つまり1970年代以降に世界に広まった「地政学」は、チェレーンやハウスホーファーの地政学ではなく、地理を抜いた抜け殻に、悪名だけを残した古い看板を掛けたものだ。

 抜け殻だから、なんにでも被せられる。
 コリン・グレイは「すべての政治は地政学である」と言い切ったが、そこまで定義を広げれば geo(地理)は消え、地政学は国際情勢一般の代名詞になる。
 実際、いま論者が「地政学的」と言うとき、政治的あるいは戦略的な合理性を含むものは何であれ地政学的とみなされている、という批判が専門誌に載る程度には、この語は膨張している。
 ロシアではアレクサンドル・ドゥーギンが1997年の『地政学の基礎』でマッキンダーのランドパワー/シーパワー二分法をユーラシア主義に接続し、軍参謀大学の教材にまでなった。
 19世紀の生き物としての国家という枠組みが、100年後に別の国で政治的動員の語彙として再起動しているわけだ。

「地政学リスク」は250記事に1本の呪文になった

 いま日本のメディアで一番よく見るのは「地政学リスク」という複合語だろう。
 この語には一応、操作的な定義がある。ダリオ・カルダラとマッテオ・イアコヴィエロが作った地政学リスク指数(GPR)は、英米加の主要10紙を対象に、戦争・テロ・軍事的緊張に関連する語を含む記事の頻度を数えたものだ。
 連邦準備制度理事会の研究論文として2018年に出て、2022年に American Economic Review に載っている。面白いのは彼ら自身が示している比較で、平均するとおよそ250記事に1本が地政学リスク関連の語に言及する。
 ベンチマークとして、500記事に1本がビートルズに、300記事に1本が連邦準備制度に言及するのだという。
 ビートルズの倍の頻度で出てくる言葉なのだ。

 ただし、この指数の定義においてすら「地理」は事実上どこにもない。
 数えているのは軍事的緊張の報道量であって、地形でも位置でも距離でもない。
 そして報道の現場では、その操作的定義からさえ離れて、「地政学的リスク」がほとんど「政治的不確実性」や「よくわからないが不穏な感じ」の情緒的な言い換えとして使われる。
 原油が上がれば地政学、半導体が止まれば地政学、選挙で右派が勝てば地政学だ。言葉のもとにある理論が空洞なので、何を入れても収まる。

 出版のほうも同じ勢いだ。
 柴田陽一の集計によれば、タイトルに「地政学」を含む本は1990年代の10年間で17冊、2000年代で34冊だったのが、2010年から2017年までの8年間で91冊に跳ね上がっている。
 しかも2016年に29冊、2017年に27冊と、直近に集中している。2020年に出た『サクッとわかるビジネス教養 地政学』は半年で10万1千部を刷り、その後20万部を超えた。
 『13歳からの地政学』も続編と合わせて26万部だという。小牧実繁の戦時中の著書が合計7万4500部だったことを思えば、戦前のブームを規模で完全に上回っている。
 当時それを「地理学エリートによる大衆の扇動」と呼ぶなら、いまのそれは何と呼ぶべきなのか。

学問としては存在するが、その中身は看板と違う

 ここは自分の見立てを一つ修正しておかなければならない。地政学は正規の学問ではない、と私は書いたが、査読誌はある。
 Geopolitics 誌が1996年に創刊されて現在も出ているし、Political Geography 誌もある。
 学会も教育課程もある。制度的な指標だけを見るなら「学問ではない」は事実として通らない。

 ただ、中身を見ると話は違ってくる。
 1980年代後半以降に確立した批判地政学という潮流は、マッキンダーやラッツェルやハウスホーファーを理論的な道具として使うのではなく、脱構築の対象として解剖する営みである。
 ジェロイド・オツアヘルの『批判地政学』(1996)は、地理は「そこにある不変の事実」ではなく言説であるという立場に立つ。
 ジョン・アグニューは、世界は能動的に空間化され、政治地理学者や政治指導者によって重要度の階層に仕分けられるのだと書く。
 つまり大学のなかで地政学を研究している人の多くは、地政学を信じているのではなく、地政学という語がどう機能してきたかを疑っている。
 
国際関係論の側から見れば、初期の地政学の議論を真面目に扱っているのは少数の防衛専門家と地理学者と歴史家だけだ、という観察もある。

 だから「地政学は正規の学問だ」と「地政学は学問として真剣に扱われていない」は、どちらも同時に成り立つ。
 学界に存在するのは主として、地政学を対象化する研究のほうであって、書店に平積みされている「地図を見れば世界の動きがわかる」式の地政学ではない。
 後者に近いのはむしろ、環境決定論という20世紀初頭に地理学から追放された枠組みの残り香を漂わせている読み物だ。
 ティム・マーシャルの『恐怖の地政学』に対するドイツ語圏の書評が、その急所を突いている。マーシャルの永遠の山も平原も川も、それ自体では何も意志せず、命令も強制もしない。物理的対象はひとりでに行動しない、と。

 結局のところ、この言葉が生き延びているのは、それが正しいからではなく便利だからだ。
 地理と政治と歴史をそれぞれ真面目にやると時間がかかるうえに、答えは「場合による」に落ち着くことが多い。
 ところが「地政学」と言えば、地図を一枚出して矢印を引くだけで、世界の必然を語ったような顔ができる。
 
100年前に生き物としての国家を解剖しようとして作られた語が、いまや地図に矢印を引く許可証として流通している。
 看板だけが残って中身が入れ替わった言葉ほど、扱いやすいものはないのだろう。
 おそらく日本の場合は「戦争」や「政治」や「思想」のリスクを直接使うことが「角が立つ」ために、テレビの評論家やキャスターたちが「なんとなくもっともらしい言葉」として使っているのだろう。
 しかし、それらはいつだって戦争のプロパガンダにしか使えない用語であり、まともな人間なら使うべき言葉ではないのだ。

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