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pasteltime
人生における幸せの総量
大昔、友人たちとカードゲームをして、勝ち続けた。
「ATFちゃんは、いつもツイてるよね!」と一人が妬ましそうに言う。
こんなことで人生の「幸運」を使いたくない。
なぜか昔から、人生には「幸せの総量」のようなものがあって、最期にイーブンになるのではないかと思っている。
「人生山あり谷あり」
とよく言うけど、私は小さな山を「幸せ」とみなせずにいる。
一方、ちょっとしたことでも、谷の方ばかり目についてしまい、「人生は苦難の連続だ」と感じる日々だ。
明らかに「山の高さ」が足りない。
冷静になって考えてみると、今のところ大きな病気もしたことがないし、希望していた仕事にもついている。
一体、何を望んでいるの?と思われるかもしれない。
ただ、一日の終わりに、カモミールティーを飲みながら、「幸せだ」と嚙みしめるような時間は、私にはやってこない。
ささやかな日常を受け入れられないのか、それとも自身との対話に疲れて悲観的になっているのか。
自分でもよくわからない。
広い世界をみれば、自分がどれだけ恵まれているのか、わかっているつもりだ。
それでも、「恵まれている」と「幸せを感じる」は、同じとは限らない。
この満たされない感覚は、どこからくるのだろう。
それでも、あの時は、実は幸せだったのだ、と懐かしむ瞬間はある。
幸せとはそういうものなのか。
だとすれば、人生の最期に、私の「幸せの総量」は、思っていたほど少なくなかった、と気づくのかもしれない。
