◯◯の一滴は血の一滴
「漆の一滴は血の一滴」という言葉がある。漆業界に入ってまもなく聞こえてきた言葉なのだが、元祖があるのではと以前から気になって調べたことがある。
元を辿っていくと、第一次世界大戦下の1917年、ドイツの猛攻に押されていたフランスの首相クレマンソーが、アメリカ大統領ウィルソンに石油を求めて打った電報の一文「石油の一滴は血の一滴」がある。戦争の帰趨を石油が握る時代(今もそうだが)の切実な言葉だった。
la France combattante doit……avoir de grandes quantités d'essence qui est, dans la bataille de demain, aussi nécessaire que le sang(戦闘するフランスは……明日の戦いにおいて血と同じくらい不可欠なガソリンを大量に確保しなければならない)」
これが日本に入り、戦時下では「ガソリンの一滴は血の一滴」という標語になる。資源を一滴も無駄にするなという国策の言い回しだ。木炭バスが走り、特攻機に片道分の燃料しか積まなかったというあの時代の言葉である。

面白いのは、この「〜の一滴は血の一滴」という型が、そこから独り歩きを始めることだ。たとえば「酒の一滴は血の一滴」。これは完全に元ネタのパロディで、酒飲みの戯れ言としていつしか本家より浸透した。型だけが残り中身が差し替えられていく。
漆の世界では「漆の一滴は血の一滴」。漆掻き職人や塗師が、一滴の漆をどれだけ大切に扱うかを語るときによく使う。
しかし、これは数ある派生のひとつではない。型に乗っただけの言い換えでもない。石油や酒における「血」はあくまで比喩であり、貴重なもの、生命線、その言い換えにすぎない。血そのものが流れているわけではない。
漆はそれとは違う。幹にカンナ傷を入れると漆液をにじませるが、人が切り傷から血を流し傷を塞ごうとするのと同じ反応だ。漆という樹液は文字どおり木の傷の血である。比喩ではない。
しかも日本の漆掻きは、最後まで樹幹に傷つけ採れるだけ採って木を切り倒すので「殺し掻き」と呼ぶ。10年〜20年かけて育った一本の木から採れる漆はわずかコップ一杯。その一滴は木の命と引き換えに出てきた血のようなものだ。

つまり「漆の一滴は血の一滴」は、形の上では確かにクレマンソーの言葉の子孫であり戦時標語の型を借りている。
しかし、その型が漆においては比喩でなくなる。石油では言葉の綾だった「血」が漆では実体を持つ。元祖よりも派生のほうが例えとして正確になってしまった事例なのではないか。
ここまでお読みくださりありがとうございました!よろしければいいね!やチップをお願いいたします。
いいなと思ったら応援しよう!
国産の漆を育て後世に継承するための活動を行っています。
ご支援をよろしくお願い致します。