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漆黒考 3 黒を足さずに生まれる黒

前の二回で、私は「漆黒」という言葉のことと、黒漆の深みが人の目にどう映るのかということを書いた。一度目は漆黒という語がもともと漆器の黒に由来しながら、今では詩的な深い黒一般を指す言葉へ広がっていったこと。二度目は専門家の視線を追った研究を手がかりに、黒漆の高級感が単純な黒さではなく、表面に沈められた深みや温度にあることを書いた。

どちらも黒がそこに「ある」ことを前提にして、その黒がどう感じられるかを考えていた。けれど今回は一歩戻り、そもそもあの黒はどこから来るのかという話をしたい。

黒いものを作ろうとするとき、ふつうは黒いものを足す。墨を混ぜ、煤を混ぜ、カーボンを混ぜる。漆でも透漆に松煙やカーボンブラックを加えて黒くする方法はたしかにあるし、それで黒い漆はできる。しかしここでいう黒漆、すなわち鉄によって黒化した漆の黒はそうやって作られたものではない。

黒漆は黒い顔料を足して作るのではない。生漆にごく微量の鉄を加えるのである。割合にして0.3パーセント以下。刀を研いだ鉄粉や、古くはおはぐろの鉄が使われてきた。私も黒呂色漆を作る時に99.99%の純度の鉄粉を入れるが、割合は極わずかである。黒を足すのではなく鉄をほんの少し落とす。すると漆そのものがその内側から黒くなっていく。

(当工房で黒呂色漆を販売しています)
https://japanjoboji.thebase.in/categories/2083826

漆に鉄粉を入れて一晩置いた状態

なぜそうなるのかは長いあいだ謎だった。最近になって放射光や中性子線といった量子ビームを使った研究でその仕組みがかなり見えてきた。
黒漆の中の鉄はすべて三価の鉄イオンとして存在している。そしてこの鉄が漆の主成分であるウルシオールのベンゼン環を活性化し、その部分どうしを連ならせていく。連なったベンゼン環の構造が可視光を吸い込み結果として深い黒が立ち上がる──と考えられている。
つまり黒の正体は鉄そのものの色ではない。鉄に促されてウルシオール自身が組み変わってできた構造の色なのである。

黒色顔料で作る黒は外から足された黒である。黒い粒子が塗膜の中に散らばって光をさえぎっている。一方、鉄が引き出す黒は素材そのものが内側から黒へと変わっていった黒である。出どころが違う。
職人がしばしば「顔料の黒は鉄の黒には及ばない」と言うのは、好みや格の問題である以上に、たぶんこの違いを手と目が知っているからなのだと思う。足した黒と生まれた黒は深さの根が違う。

一度目に、漆黒とは見えないほど暗い黒ではなく、見えるからこそ深い黒なのだと書いた。二度目に、その深みは表面に沈められた微細な情報に宿るのだと書いた。そして今、その深みには少なくとも物質構造の側から見ても、説明できる手がかりがあることが分かる。漆黒の深さは仕上げの演出だけで生まれているのではない。塗膜の内部でウルシオールが鉄に促されて作り上げた構造そのものが光を抱え込んでいる。古来から日本人が「深い」と感じていたものは気のせいではなかったのである。

考えてみれば不思議な黒だ。黒を足したのではなくわずかな鉄が引き金になって漆が自分から黒くなる。しかも鉄は自らが黒そのものになるのではない。塗膜の中にひそみウルシオールの構造を変えることで漆自身が黒くなるための道筋を開いている。あとは素材が自分で黒くなり自分で深くなっていく。

0.3パーセント。全体の100分の1にも満たないものが漆の色をまるごと決めてしまう。それは量で押し切っているのではない。多く混ぜたから黒くなったのではなくほんのわずかなものが引き金を引いたから、全体が変わったのである。わずかなものが全体を決めるとき、それはたいていこうして働くのだと思う。料理の隠し味などもそうなのだろう。数の多さによってではなく、たった一滴が入るか入らないかそのきっかけの有無によって、その先のすべてが分かれていく。

漆の一滴ということについても前に書いたが、あのとき書いたのは掻く人の労苦と危うさを背負った重さとしての一滴だった。ここにあるのは一滴(一匙)のもう一つの顔なのかもしれない。みずからは姿を変えずわずかでありながら全体を決めてしまう一滴である。

漆の美しさはいつもこういうところにある気がする。表面に何かを乗せて飾るのではなく、ごくわずかなきっかけと内側の構造と、かけた時間の中から静かに立ち上がってくる。
漆黒とはそうやって素材の内から生まれた黒のことなのだと思う。


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