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漆黒考 「漆黒」は、工芸的な黒から詩的な黒へ拡張された言葉である

「漆黒」という言葉は、考えてみるとなかなかおもしろい言葉だと思う。

今では「とても深い黒」という意味でごく普通に使われている。しかし本来この語は単に「真っ黒」というだけではない。字の通り、漆に由来する黒、つまり漆器の黒を背景にもった言葉である。そこには、平板な黒ではなく、深みや艶を感じさせる黒という感覚がある。光を吸い込むようでいてどこかで静かに返してくるような黒。塗り重ねられた層や、手をかけて仕上げられた表面の気配まで含んだ黒である。

そう考えると、よく使われる「漆黒の闇」という表現には少し不思議なところがある。

闇は本来光がない状態である。光がなければ、漆の艶や奥行きも見えない。そう考えると「漆塗りのような深みや艶をもつ黒」という感覚をもつはずの「漆黒」が、どうして闇を表す言葉として自然に定着しているのだろうか。ここに日本語の面白さがあるように思う。

おそらく「漆黒」という言葉はもともとの具体的な語感から少しずつ広がり、今では「ただの黒ではない、いちだんと深い黒」を表す言葉として使われるようになったのだろう。今この言葉を聞いて多くの人が厳密に漆器の表面を思い浮かべるわけではない。むしろ、底の見えない黒、濃密で重たい黒、吸い込まれるような黒を感じ取るのではないかと思う。そのため、「漆黒の闇」という表現は、語源どおりに考えれば少しずれているとしても、感覚としては十分に伝わる。

しかし、「ただ強い黒を表す言葉になった」とだけ言うとそれでもまだ少し足りない気がする。

「真っ黒な闇」と言うと色の説明に近い。しかし「漆黒の闇」と言うと、そこにはただ暗いだけではない、濃さや重さ、あるいはねっとりとした密度のようなものまで加わる。触れたら何かが指先にまとわりついてきそうな感覚さえ生まれることがある。ここで働いているのは漆そのものの艶が見えているということではなく、漆がもつ深く凝縮した黒のイメージなのだと思う。つまり、工芸の中で育まれてきた黒の感覚が、闇という抽象的なものを表すときにも使われるようになったのである。

さらに言えば、漆の黒は、単なる無機質な暗さではない。わずかな光が当たったときにふっと奥行きが現れる。完全な無ではなく光を少しだけ内に含んでいるような黒である。だから「漆黒の闇」という表現には、恐ろしさだけではなくどこか美しさも残るのだと思う。ただ暗いのではなく、美しい深さをもった闇になる。ここが「暗黒」や「真っ暗」とは少し違うところなのだろう。谷崎潤一郎の名著「陰翳礼讃」でも言及されていたように思う。

こうした感覚は、日本語の中で「黒」が単なる色以上の意味を帯びてきたこととも関係しているように思う。黒は、格式や沈黙、奥行きや余白、あるいは深遠さと結びついてきた。とくに漆の黒は、何度も塗り、乾かし、磨き、仕上げるという時間の積み重ねの中で生まれる。そこにあるのは、表面の色としての黒だけではなく、手数や時間が沈殿した黒である。そのため「漆黒」という語も、ただ視覚的な黒という以上にどこか精神的な深さを含んだ言葉として働きやすいのではないか。

黒漆椀


私自身この「漆」に由来する言葉の重みを、別の形で強く意識させられたことがある。以前、象印マホービンが「黒漆」を商標登録していた際、私はそこに大きな違和感を覚え、意見を伝えたことがあった。とくに弁当箱や箸、箸箱など実際に漆塗りと関わりの深い品目まで指定商品に含まれていたからである。漆の世界では「黒漆」は特別な造語ではなく昔から使われてきた素材名や表現である。それが一企業の権利のもとに囲い込まれるように見えたとき、やはりそのままにはできなかった。

https://xlinkpat.jp/naming/archives/7471

結果として、象印側は漆器業界関係者に不快感を与えたことを認め、「黒漆」の登録商標の権利を放棄する意向を示した。この出来事は、「黒漆」や「漆黒」という言葉が、現代では広く一般化して使われているとしても、その根にはなお具体的な素材と技術の記憶が残っていることを教えてくれたように思う。もしそれが単なる“高級そうに聞こえる黒”でしかなかったなら、ここまでの違和感は生まれなかっただろう。けれど実際には、そこに漆という素材があり、漆塗りという技法があり、長い時間をかけて受け継がれてきた工芸の文脈がある。だからこそその言葉が文脈を離れて使われたとき、引っかかりが生まれるのである。

もちろん、本来の意味を大切にするなら、「漆黒の闇」という表現には少し雑なところもある。漆黒の本質にあるのは、艶や深み、塗膜の奥行きであって、単なる光の欠如ではないからだ。むしろ本来なら、夜の光を受けた黒髪や、濡れた石、黒漆の器、磨き上げられた黒い表面などに使うほうが、よりしっくりくるのかもしれない。言い換えれば「漆黒」とは本来、見えない黒ではなく見えるからこそ深い黒なのである。

それでもなお、「漆黒の闇」という言い方が不自然に感じられないのは、日本語がしばしば語源の厳密さよりもその言葉が呼び起こす感覚全体を大切にするからなのだろう。漆黒とは、漆のような黒であると同時に、漆のように深く、濃く、重く、美しい黒でもある。その感覚が闇にまで広がった結果として、「漆黒の闇」という表現は自然に定着していったのだと思う。

要するに、「漆黒」とは本来、漆塗りの黒のように深みと艶をもつ黒であり、単純な「真っ黒」とは少し違う言葉である。しかし日本語の中でこの語は、そこからさらに広がって、濃密で奥行きのある最上級の黒を表す言葉になった。だから「漆黒の闇」は、語源的にはやや逆説を含みながらも、感覚としてはとても豊かな表現として成り立っているのである。



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