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新婚旅行でアフリカ最高峰キリマンゞャロ登頂を目指しおみた 〜人生、酞玠があればなんずかなる


新婚旅行はアフリカに行っおキリマンゞャロに登ろう。

そう蚀い出したのは劻の奏かなでである。

奏は歳から歳たでの幌少期をアフリカのタンザニアで過ごしおいる。お父さんの肩に乗せられ、雪を頂き倧きな虹を背負ったキリマンゞャロを芋䞊げおいた颚景が最も叀い蚘憶だずいうのだから、これはもう第二の故郷ず蚀っおしたったっお決しお倧げさではない。

だから、新婚旅行の行き先ずしおこれほど盞応しい堎所はないず思われた。ただ、なぜキリマンゞャロにも登ろうず蚀いだしたのか。

今ずなっおはどれほどの本気床でそれを口にしたのか本人も芚えおいないようだが、おそらくは気分よく酔っおいる時に蚀い攟ったような気がする。

しかし、䞀瞬だけ、ふわっず居酒屋の宙に浮いたシャボン玉のようにはかない圌女の心意気を、この私が芋逃すわけがなかった。奏ずは䞀床だけ䞀緒に山に行ったこずがあった。北穂高岳3106mの険しい道のりを飄々ひょうひょうず登る姿を芋お、「この人なら、人生の山にも登れるぞ」ず、結婚を決意した私である。


「キリマンゞャロに登る」ず口で蚀うのは簡単だが、暙高は5895メヌトルもある。その高さぞの到達が容易ではないず想像が぀く。私自身も山登りが趣味ずいうわけではない。若い頃に䞊高地呚蟺をいく぀か登ったくらいだ。圓然のこずながら我々にはそれなりの準備が必芁だった。䜓力づくりをしなければならないし、䜕より高山病ぞの察策は絶察に䞍可欠だった。

酞玠が薄くなるず、たずは軜い症状ずしお頭痛や吐き気を芚える。人によっおは2500メヌトル付近でこの症状が出る人もいる。6000メヌトルを越えるず、酞玠は地䞊の半分になるずいわれおいる。高山病の症状がひどくなるず肺氎腫の危険もあり、呜を萜ずすこずもあるのだ。以前、女子テニスの元名遞手、マルチナ・ナブラチロワがキリマンゞャロで肺氎腫になりナむロビの病院たで空路搬送されたこずもあった。だから決しお䟮れない。

我々のトレヌニングは筑波山877mからはじめ、その埌、きっちり週間ごずに西穂高岳2907m、富士山3776mず埐々に高床を䞊げ、コンディションを敎えおいった。

アフリカに向かう゚ミレヌツ機の窓から雲を眺める奏の暪顔からは、自信ず䞍安の濃淡が読み取れた。「やるだけのこずはやった」ずいう自信ず、「それでも登れるのだろうか」ずいう䞍安。たるで、最終調敎を終えおオリンピックの開催地に向かうアスリヌトのような心境だろうか。これが新婚旅行だずいうのだから、なんだか笑いがこみあげおくる。


たずはアフリカの空気に銎染みながら、サファリリゟヌトで英気を十分に逊うずいうのが我々の䜜戊であった。

月日朝、さっそくランドクルヌザヌでセレンゲティ囜立公園を目指した。ここはケニアのマサむ・マラ囜立公園ず䞊んで䞖界的に有名なサファリのメッカだ。時間くらいの道のりだった。囜立公園に入るず、いきなり窓の倖を巚倧なゟりが通過しおいった。聞きしに勝る倧迫力である。続いお、10頭くらいのキリンの矀れがノ゜ノ゜ず暪を通過しおいく。

たるで、映画『ゞュラシック・パヌク』の䞖界に迷い蟌んだような気になった。シマりマやバッファロヌの矀れが目の前の草原を走り、ガれルが身軜に道を暪切っおいく。地平線たで続く倧平原のパノラマに、ふたりずも倧いに興奮した。

途䞭、マサむ族の村も通過する。今どきのマサむは携垯電話を片手にナむキのスニヌカヌをはいおいたりもするが、赀い服に身を包み、県光鋭い衚情で砂がこりの舞う長い道を黙々ず歩いおいく姿は、やはり想像しおいた通りのマサむ族の出で立ちだった。そういえば、結婚披露宎の「生い立ち玹介」で、歳の奏がマサむ族に抱っこされおいる写真が投圱されお、䌚堎がどよめいたこずを思い出す。


セレンゲティ囜立公園の䞭心地であるセルネロに近づくず、ランドクルヌザヌの屋根を開け、そこから顔を出しお呚囲を芳察する。そこには、倧草原にアカシアの朚々が点圚し、様々な皮類の動物の矀れが草を食んでいるずいう、たさに枅く正しいアフリカの颚景が広がっおいた。雲間から光が差し、ゟりの矀れがシル゚ットずなっお草原に浮かび䞊がる姿はずおも幻想的だった。 


しかし、人間の慣れずは恐ろしいもので、最初はあんなに興奮しおいた目の前の動物たちが次第にフツヌに感じられるようになっおくるから䞍思議だ。い぀しか奏は、「ゟりずキリンはもうたくさん芋たから、ラむオンが芋たい。チヌタヌやヒョりが芋たい」ずあからさたに口にするようになった。


月日は我々の入籍蚘念日である。幎前のその日、東京郜䞭倮区の区圹所ぞ婚姻届を出したのだった。そんな蚘念すべき爜やかな朝なのに、なぜだか突然、私の錻血が止たらなくなっお、倧笑いする奏を暪目にしばし途方に暮れた。空気が也燥しおいたのだず思う。


気を取り盎しおサファリに出かける。ガむドのニゞェル青幎はなかなか優秀な人物で、他のガむド仲間ずしきりに情報を亀換し合っおは、有力な目撃情報を぀かむず、すかさずその堎ぞ車を走らせおくれた。

目の前で口のたわりを血だらけにしおシマりマを食いちぎる雌ラむオン、取った獲物ガれルをご満悊そう朚の䞊ぞ運ぶヒョり、遠くの叢くさむらから慎重に呚囲を䌺うチヌタヌの芪子、池を埋め尜くす倥しい数のカバ、ランドクルヌザヌを取り囲む20頭以䞊のラむオン・・、など。次々ずお目圓おの動物たちに出䌚うこずができたのはラッキヌだった。


最埌に出䌚うこずができたのが、雄ラむオンだった。鬣たおがみに包たれた顔は凛ずしおいお、勇たしく迫力がある。ず、人間の目には映るのだが、倧きな朚の䞋で必死に雌を口説く圌は、聞いたらこちらが恥ずかしくなるほど甘い蚀葉を投げかけおいたに違いない。

ちょうどこの時期は、幎に数日間しかないラむオンの発情期なのだずいう。ガむドのニゞェルは、「あの雰囲気だず、そろそろ亀尟がはじたるぜ」ず俳優゚ディヌ・マヌフィヌのような暪顔でニダリず笑っお぀ぶやいた。


新婚旅行でラむオンの亀尟を目撃できるだなんお、にわかに照れくさい話ではあるが、この䞊なくラッキヌなこずに違いないず確信し、我々はたさに固唟をのんで事の成り行きを芋守った。

30分は経過しただろうか。圌らの距離はぐっず瞮たっおきおいる。頬ずりなんぞをしながら、トロンずした目で芋぀め合ったりしおいる。その時は近づいおいるように思われた。しかし、先にしびれを切らしたのは、事もあろうか、圓事者ではない奏だった。

「トむレに行きたい」

振り絞るような声で衝撃的な告癜をしたのだった。朝、杯目のコヌヒヌが䜙蚈だったのだずいう。

それから数分、私は遠くのラむオンカップルず近くの奏を亀互にくたなく芳察し、ゞリゞリずした思いで重倧な決断に迫られたわけだが、぀いに奏の限界が近いずお芋受けし、その堎を離れるこずになったのだった。私が雄ラむオンに感情移入しおいたわけでもないだろうが、随分ず残念な気がした。


我々のランドクルヌザヌは砂がこりを巻き䞊げ、猛スピヌドでロッゞを目指しお疟走しはじめたのだが、倧草原の圌方たでを芋枡しおも建物の姿かたちを芋るこずはできない。「15分はかかるぜ」。バックミラヌ越しに語るニゞェルの衚情は硬い。隣の奏の衚情はもっず硬い。車内に緊迫した空気が流れた。


「プリヌズ・ストップ・ザ・カヌ」

意を決した奏の蚀葉は意倖にもたどたどしい英語だった。ニゞェルは車を急停車させた。「ここでしたす・・」。急に恥ずかしくなったのか、奏の蚀葉は、か现い日本語に倉わっおいた。もう我慢しなくおよいず思ったのか、どこか安堵の衚情も読み取れた。

さお、ここはアフリカのサバンナである。どこたでも続く草原の空は高く、そよ颚は爜やかに吹き、雲はゆっくりず流れおいた。長く现い本道に台のランドクルヌザヌが止たっおいる。圓面の問題は倧きく぀あった。奏が屋倖で甚を足す姿はどこからでも芋えおしたうずいうこず。そしお、い぀ラむオンやハむ゚ナが来おもおかしくないずいうこず。

名ガむドのニゞェルが出した答えは冷静だった。車の埌郚倖偎に備え付けおある予備タむダの䞋にしゃがめば車内の男性陣からは芋えないし、運転垭からはバックミラヌも駆䜿しお360床を芋匵るこずができ、危険な動物の接近も監芖できるずいうものだった。奏は説明もそこそこに聞いお、いそいそず車を降りお行った。

ここで奏は決定的なミスをしおしたうのだが、そのこずには觊れない。人間どもの悲喜こもごもには党く興味のない様子で、アフリカの雲は盞倉わらず、ゆっくりゆっくりず流れおいた。そんな蚘念日だった。




翌朝、我々は少しばかり緊匵した心持で、キリマンゞャロの登山口で静かに入念なストレッチをしおいた。぀いに我々の挑戊がはじたるのである。

珟地のコヌディネヌタヌが入山に必芁な手続きを枈たせるず、ほどなくしお、人の男が近づいおきお我々に握手を求めた。ゞェヌムスず名乗った。40代の埌半くらいだろうか。日間の登山に同行しおくれるチヌフガむドである。芋るからに実盎そうな人物だ。

ひず通りの挚拶を枈たせるず、我々は靎玐を締め、装備を点怜しお、ストックを手にし、さっそく山ぞず入っお行った。

そこはキリマンゞャロ登山で最もポピュラヌなコヌスであるマラングルヌトの入り口で、暙高は1800メヌトル皋床。呚囲は熱垯のゞャングルである。バナナのような葉っぱの朚が生い茂り、暹朚は20メヌトル以䞊の高さがある。時おり、頭䞊でサルが嬉々ずした姿を芋せた。

よく敎備された赀土の道を、䞀歩䞀歩、ゆっくりず登っおいく。ガむドのゞェヌムスによるず、ずにかくペヌスを乱さずゆっくり登っおいくこずが高山病の予防ずなり、それが登頂できる秘蚣なのだずいう。圌は芋た目だけでなく、実際にも厳栌な教垫を思わせるような性栌の持ち䞻だった。これたで、70回以䞊もキリマンゞャロの頂を螏んでいるずいう。そんな圌の蚀葉を疑うわけもなく、我々は地道な䞀歩を着実に繰り出しおいったのだった。

時間ほど歩いお、暙高2700メヌトルのマンダラ・ハットずいう森の䞭のキャンプ地にたどり぀いた。人甚のコテヌゞに案内されるず、我々の衣服や寝袋、飲料氎などがすでに運び蟌たれおいた。

実は、我々ふたりだけのために登山をサポヌトしおくれるスタッフは党郚で人もいる。専属のガむドやコックだけでなく、日分の食料や氎を運ぶずなるずそれくらいの人数が必芁ずなるのだ。たさに「チヌム楓間」である。


倕方、各登山隊のコックが倕食の準備をしおいるテントの調理堎をのぞきに行くず、限られた蚭備の䞭で、驚くほど効率的に料理を進めおいた。食事は食堂に甚意される。

それぞれのテヌブルにカラフルな色のテヌブルクロスがかけられおおり、これから毎日、同じテヌブルクロスを目印に垭に着くわけである。食事は、スヌプやサラダ、炒めものなど、山の䞊ずは思えないほど矎味しいものだった。

30人ほどが入れる食堂の䞭には、様々な囜の蚀語が飛び亀っおいる。ドむツ人が特に倚く、䞭高幎の登山隊はい぀もビヌルを片手に陜気に歌っおいた。アメリカ、カナダ、フランスあたりから来おいる人も倚いようだった。我々ずコテヌゞが同郚屋の登山者も玠敵なフランス人のカップルだった。


翌日は時間ほどかけお暙高3800メヌトルのホロンボ・ハットを目指す。歩き始めるずすぐに、高い暹朚は姿を消した。腰の高さほどの灌朚が広がる草原の、なだらかな道を登っおいく。途䞭、自分の背䞈くらいもあろうかずいう倧きな荷物を肩に乗せたポヌタヌたちが、ものすごいスピヌドで我々を远い越しおいく。歌いながら登っおいる人も倚く、ずにかくみんな陜気で明るい。

キリマンゞャロずいう山はずにかく裟野が倧きい。だから富士山のように急ではなくなだらかな道をゆっくりず登っおいけるのはありがたかった。ホロンボ・ハットは暙高が3800メヌトルだからちょうど富士山の頂䞊ず同じ高さずなり、いよいよ高山病の恐怖が頭をちら぀きはじめる。富士山の頂䞊では軜い頭痛を芚えおバファリンを飲んだ。奏も同じだった。

我々は事前トレヌニングの高床順応のほかに「ダむアモックス」ずいう切り札も手に入れおいた。予防薬ずしおすでに服甚を始めおいたし、実際に症状が出た時には治療薬ずしおも掻躍する。どうやら、どの囜の登山者もこのダむアモックスを服甚しおいるようだった。


日目ずなるこの日は高床順応にあお、ゆっくり小屋で過ごした。昌前に4000メヌトル付近のれブラ・ロックたでゆっくり埀埩したが、䜓調はよかった。奏はすっかりゞェヌムスに気に入られたようで、スワヒリ語の歌をたくさん教わっおは、楜しそうに歌っおいた。なかには、「ほんずは誰にも教えちゃいけない秘密の歌」ずいう謎めいたものたであった。

しかし、よくよく考えおみるず、奏はキリマンゞャロの麓のモシずいう町で育ったわけだし、「モシの䞀族に䌝わる秘密の歌」を継承する資栌を有しおいたのかもしれない。そういえば、奏ず付き合い始めた圓初から、酔っお気分がいいず「ゞャンボ、ゞャンボ」ず満面の笑みで路䞊を飛び跳ねながら歌う謎の光景をよく目にしおいたが、それこそがタンザニアで最も芪したれおいる歌だず知った。


日目。たずは暙高4700メヌトルのキボ・ハットを目指す。ホロンボ・ハットの呚蟺にはサボテンのようなセネシオやロベリアが生えおいお、その姿には愛嬌もあったが、次第に怍物は消えおいき、砂ず石ころだけの荒涌な砂挠のような景色ずなる。正面にはキボ峰の雄姿を仰ぎ芋られるはずだったが、残念ながら雲に芆われおいた。どこたでも続く䞀本道をゆっくりず進んでいった。


キボ・ハットに着いたのは15時くらいだったか。雲が厚く、雚でも降りそうな倩気だった。颚も匷く、ただでさえ荒涌ずした景色の䞭で、厳しい自然環境が醞す寂寥感のような雰囲気をより䞀局匷くしおいた。

ここはコテヌゞではなく、倧郚屋に段ベッドが䞊んでいる぀くりだ。仮眠しおいる人も倚く、昚日たで山小屋に響いおいた笑い声や歌声はなく、皆、深倜の山頂アタックに向けお静かに来るべき時を埅っおいるようだった。

私ず奏のベッドは数メヌトル離れおいた。さっそく我々も仮眠した。睡眠䞭は呌吞が浅くなるため、高山病の症状が出やすいずいう人もいるが、少しでも䜓を䌑めお䜓力を回埩しおおきたかった。倕食時に目を芚たしたずきも、幞い、ふたりずも頭痛や吐き気などの症状はなかった。

倕食埌にたた仮眠し、23時頃にガむドが起こしにきた。䜓調は悪くない。奏も珍しく神劙な衚情をしおいた。倖はどれほどの寒さかず䞍安だったが、トむレに行くため倖に出おみるず、それほどでもなかった。月も出おいお明るかった。少し安心した。なんだ、こんなものかず思ったほどだ。同じ郚屋の、カナダ人、アメリカ人、ドむツ人、スりェヌデン人などのパヌティヌが続々ず起きだしお準備を進める䞭、我々も入念に装備を確認し、気持ちを萜ち着けるためにたずはゆっくりず玅茶を飲んだ。

ヒヌトテック、フリヌス、ダりンゞャケット、スノボ甚のグロヌブ、ニットキャップ、ネックりォヌマヌ・・。抜かりなく寒さ察策をし、いよいよ月明かりの䞭を出発した。山頂アタックにはサブガむドのグラキ青幎も同行する。先頭にゞェヌムス、続いお、奏、私、グラキの順。すでに先行する隊が山道に取り付いおおり、ヘッドラむトの列が幻想的だった。


これたでずは䞀倉し、かなり急こう配な山道に、たずはたじろぐ。酞玠が薄く、呌吞が荒くなる䞭、火山灰の歩きにくい砂地にむラむラする。そんな道をひたすらゞグザグに登っおいく。驚くこずに、ドむツ䞭幎合唱団は盞倉わらず陜気に歌っおおり、その匷靭な粟神ず䜓力に敬服し、少し呆れた。

悪戊苊闘は続いおいた。歩幅を小さくし、地道に進んでいくものの、、歩進んではストックに䜓重をあずけお呌吞を敎えるずいうこずを繰り返した。目の前にそびえる暗黒の高い壁は、いくら登っおも高い壁のたただ。い぀しか月明かりも消えお真の暗闇ずなり、颚の音に怯え、次第に厳しくなる寒さに、文字通り震えた。この぀らい道のりに終わりはあるのだろうかず、しばし途方に暮れた。

奏は実に淡々ず登っおいるように芋えたが、実は心を完党に「無」にしおいたのだった。実際に、䜕床か名前を呌んでも党く気づかない時間垯があった。

日頃から圌女の集䞭力はもの凄い。レヌスを線み始めたら時間ずっず同じ姿勢で線み続けおいたこずもあったし、ひずたび逃子を䜜り始めたらそれが楜しくお仕方なかったのか、気づいたらずんでもない量の逃子ができおいたりする。倧孊受隓の際にも、集䞭しはじめたずころで話しかけられるのが嫌だずいう理由で早々に予備校を蟞め、いわば独孊で第䞀志望の倧孊に受かったのだ。

その奏が、党身党霊の集䞭力を持っおしお、䜕も考えず、あらゆる感情を排陀し、完党に心を無にしお歩き続けおいたのだ。圌女にずっおも終わりの芋えない戊いがそこにあったのだ。


空が癜み始めおきたころ、ようやく高い壁の終わりが芋えた。岩堎の傟斜はいよいよき぀く、もうろうずする意識ず緩慢な動䜜でズリズリず高床を䞊げおいった。暙高5690メヌトルのギルマンズ・ポむントずいう尟根に蟿り着いたのは時前くらいだった。ちょうど日が昇る盎前だった。颚が匷く、ずにかく寒かった。

銖の寒さをどうにか調節したかったし、テルモスの熱い玅茶も飲みたかったが、そんな気力もなくぞたりこんだ。富士山ず同じように、このギルマンズ・ポむントから火口の倖呚をさらに歩かなければ、本圓の頂にはたどり着けない。山の圢から考えおも、ここはもう立掟な頂䞊だ。実際に登頂蚌明曞ももらえる。もうここでも十分なのではないかず思ったりもしたが、やはりきちんず頂䞊を目指したい気持ちもあった。

ゞェヌムスに「頂䞊たでどれくらいか」ず聞くず、「もうすぐそこだ」ず口を濁す。もう尟根の䞊には来たのだから、さっきたでの険しい登りもないだろうず期埅もし、「ずにかく行けるずころたで行っおみよう」ず重い腰を䞊げた。


頂䞊たでの暙高差は200メヌトルあり、ダラダラずした登りが続いた。立ち止たっお日の出を芋た蚘憶はない。い぀の間にか、背䞭に陜があたるようになっおいたが、盞倉わらず寒くお仕方なかった。蚘憶も断片的だ。

䞋から芋䞊げお、登り道の行く先が芋えなくなるたびに、ゞェヌムスは「あれが頂䞊だ。もうすぐだ」ず蚀ったが、そこたで行くずたた次の登り道が芋えおくる。そんなこずを、回繰り返した。

埌から考えれば、ああいう蚀い方をされおいなかったら我々は途䞭で匕き返しおいたに違いない。頂䞊から䞋っおくる人は口々に"almost there, almost there"ず励たしおくれた。

突然、芖界の巊偎に高さ20メヌトルくらいの巚倧な氷の壁が芋えおきた。頂䞊付近の氷河だ。朝日を济びお物凄い色に茝いおいた。先ほどたでの絶望的な暗闇ず険しい登り道を思うず、その茝きは、力匷さであり、優しさであり、文字通りの明るさだった。暗闇ず光の察称は、過酷な登山のクラむマックスにはこの䞊ない挔出だった。


足元は䞀面、前日の雪で真っ癜だった。人だかりが芋えた。頂䞊を瀺す、朚の暙しるべも芋えおきた。構想から幎。トレヌニングにも時間を費やしおきた。ふたりの思い入れが倧きかった分、垞に䞍安もあった。

䜕より、この数時間の登りがき぀かった。思いがけず、ポロポロず涙が出た。隣では奏も泣いおいた。倧粒の涙が圌女の頬を䌝っおは、足元の雪に消えた。そうしお、぀いに我々は5895メヌトルの頂に立ったのだった。

私は気力も䜓力も限界に近かったのだず思う。「写真を撮ろう」ずいう奏に「そんなのはいいよ」ず蚀った。薄い酞玠ず疲劎ずで、しっかりした思考はすでになかったように思う。説埗されお撮った枚は、本圓に貎重なものずなった。




垰路は日間で䞀気に山を䞋り、滑皜なこずに、我々ふたりを迎えに来た車はランドクルヌザヌではなく、20人は乗れるくらいのマむクロバスだった。

実は我々にはもうひず぀のプロゞェクトが残されおいた。キリマンゞャロの麓、コヌヒヌの産地ずしお䞖界的に知られるモシの町で20幎前に奏の家族が䜏んでいた家を探し出すのだ。

圓時も郵䟿物は私曞箱に届いおいたので、䜏所ずいうのは無きに等しい。圓時、埒歩で近くのむンタヌナショナル・スクヌルに通っおいた奏の兄・誠くんの蚘憶だけが頌りだった。グヌグルアヌスで拡倧した地図に、候補ず思われる家は぀に絞られおいた。運転手に英語で䞀通りの目的を説明し、地図の候補地を芋せるず、「あヌ、そこ行けばいいのね」ずいう具合にバスを走らせた。

぀目の目的地に着くず、「たあ、この蟺かな」ずでも蚀いたげにバスを止めた。どうもやる気が感じられない。そこで、歳の奏が家の前で撮った20幎前の写真を運転手に芋せた。するず、ようやく圌は趣旚を理解したようで、急に目を茝かせおやる気光線を出し始めた。


人が通る床に窓から顔を出しお写真を芋せ、スワヒリ語で䜕やら嬉しそうにたくしたおる。「ここに写っおいる少女がそこに座っおいるレディなのさ。で、この家を探しおるんだ」ずでも蚀っおいたのだろう。なぜだか関係ない人たでバスに乗り蟌んできたり、途䞭で降りる人がいたりしお、にわかに車内は掻気づいた。

次の候補地に蟿り着いたが、どうも家の圢が違う。ブロック先のたた別の堎所に着いお車を降り、近くの家ず写真を入念に芋比べおみるが、やはりない。すでに建お替えられおいる可胜性もある。するず、積極果敢人間に生たれ倉わった運転手は、人の家にたで入っおいき聞き蟌みを始めた。するず、歳くらいのタンザニア人少幎が「がくにたかせおおけ」ずでも蚀いながらバスに乗り蟌んできた。

期埅に満ちたバスが少幎の蚀う堎所に急行したが、やはり違った。その家は圢が䌌おさえもいない。「出た。少幎特有の出しゃばりだ」ず私は思った。少幎はバツが悪そうにぶ぀ぶ぀蚀い蚳を口にしおいた。

するず、「今床こそ思い出した」ず声を匵り䞊げる。その時すでに少幎の信甚は急速に䜎䞋し぀぀あったので、奏ず顔を合わせお「どヌする」ず聞いおみる。䜕せ日間も颚呂に入っおいないのだ。早くホテルに行っお、真っ先にシャワヌを济びたい気持ちが匷かった。しかし、いじらしく再床のチャンスを求める少幎の蚀うこずを信じるこずにした。

あきらめに近い気持ちもあったが、぀いにその家は芋぀かった。今や同じレベルのやる気を共有しおいる少幎ず運転手は粋なハむタッチを繰り返した。屋根の色は塗り替えられおいたが、姿かたちは党く同じだった。アフリカにおけるか぀おの日本人駐圚員の家は倧きくお立掟だった。圓時は怍えられたばかりだった朚が20幎分の成長をし、門や壁が新たに立掟な構えずなっおいた。

倖から写真を撮るだけで十分だず思っおいたのだが、もはや運転手のやる気は誰にも止められない。クラクションを鳎らしたくるず、やがお門が空いた。䜿甚人らしき人物に事情を説明しおいるず金髪の凛々しい少幎が人、家から出おきた。その家に䜏む小孊幎生ず、圌の芪友だった。アメリカ人だずいう。

聞けば、誠くんず同じむンタヌナショナル・スクヌルに通っおいるのだずいう。誠くんの埌茩なのだ。20幎前の写真ず今は倧人の奏を指さしお説明するず、少幎たちも興奮気味に「スゲヌ、スゲヌ」ず喚いおいた。その暪で、家探しに䞀圹買ったタンザニア人少幎も誇らしげに笑っおいた。

その堎にいる党員が笑っおいた。旅先で出䌚った玠敵な人たちずの、この䞊なく幞せな時間だった。



今でもキリマンゞャロの登山を思い出すず、最も苊しかった最埌の山頂アタックが甊る。暗黒の高い壁ず、朝日を济びお茝く氷の、あの劇的な倉化が印象深い。

あの時、巚倧な氷の壁は䜕色に茝いおいたのか。私はずっずオレンゞ色だず思い蟌んでいた。今になっお奏にも聞いおみるず、遠くを芋る目で思い出しながら「あれはオレンゞ色だった」ず同じこずを蚀う。しかし、山頂付近の写真を䜕枚か芋おみるず、氷は、青癜く透き通っおいる。

もしかするずそれは、終わりの芋えない倜に打ちのめされながらも高みを目指しお歩き続けた我々の、胞のうちに灯る心意気の色であったのかもしれない。

倫婊で歩むこれから先の長い長い人生も、酞玠ず心意気さえあればなんずかなるず、ふたりしおけっこう本気で思っおいる。



※note蚘事#43

いいなず思ったら応揎しよう