#24「出雲神話のかたち」 続・高天原から見た出雲神話① ー国譲りとは何だったのか 〈高天原の不満〉ー
国譲り神話
<日本列島の支配を正当化?>
国譲り神話は、天の国である高天原が、地上の国すなわち日本列島の支配権をオオクニヌシから受け継ぐという神話です。『古事記』『日本書記』などにみられますが、特に記・紀の中でこの神話が果たす役割はとても大きく、天皇家の日本列島支配の正当性を伝えています。この神話がないと、天孫降臨神話につながらず、神武東征に始まる天皇支配の正当性は説得力に欠けるものになります。
<高天原の使者が次々にやって来た!>
『古事記』をもとにして国譲り神話をみていくと、まず高天原からアメノホヒが使者として派遣されます。しかし、アメノホヒはオオクニヌシに取り込まれて3年経っても復命しませんでした。
そこでアメノワカヒコが弓と矢を授けられて地上へ降りますが、やはり8年経っても復命しませんでした。そこで、様子を見るため、鳴女(ナナキメ)と呼ばれる雉を遣わしましたが、アメノワカヒコに射殺され、その矢は雉を抜いて高天原のアマテラス・タカミムスヒのところまで届きました。タカミムスヒがその矢を投げ返すとアメノカワヒコの胸に刺さり、死んでしまいました。
その後、タケミカヅチとアメノトリフネが派遣されて、伊耶佐(いざさ)の小浜(稲佐浜)に降りました。タケミカヅチは十拳剣(とつかのつるぎ)を波頭にさかさまに立て、その剣先にどっかとあぐらをかいてオオクニヌシに国譲りを迫りました。オオクニヌシは「年老いた自分の一存では決められません」と、わが子であるコトシロヌシに判断を委ねました。
<出雲大社はこうして造られた>
コトシロヌシが国譲りに同意すると、「もう一人の子どもであるタケミナカタにも聞いてほしい」と、言いました。タケミナカタはすぐには賛成せず、「力比べで勝負してきめよう」と、タケミカヅチに挑みますが、敗れて逃げ出し、信濃の諏訪湖で追い詰められてついに国譲りに同意しました。 二人の子どもが同意したのを知り、オオクニヌシもついに国譲りを受け入れ、「その代わりに、私の神殿を皇孫が天つ日継ぎを受け、統治する立派な宮殿と同じくらい立派なものにしてください」と望みます。願いはかなえられ、多芸志の小浜に大きな神殿が造られました。これが出雲大社の起源です。そしてオオクニヌシは、そこに鎮座してコトシロヌシにやはり自分の子である百八十神を統率させました。
神庭荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡が使用されていた弥生時代、出雲では遠距離交易集団を大規模で編成し、日本各地の19からなる交易拠点を結んで広く交易ネットワークを形成していた。それが出雲神話の核の部分であり、かつ大国主命の活躍であったとこれまで考察してきた。このことによって交易品の流通は格段に増えていったと想像する。しかし、これに不満を覚える集団も当然ながらいた。それが高天原の人々であったと考える。
出雲と同盟を結んだ19拠点の同盟者たちは、銅鐸祭祀の見返りとして、交易時の衣食住の確保や、護岸整備など様々な面で協力し合っていたと考えられる。そのため国内の交易ネットワークはしっかりしたものとなったが、それは同じ文化を共有する地域のみにおいて通用するものだった。同じ文化を共有しない高天原にとって、その交易ネットワークは逆に障壁となっていった。
はやくから女王制を布いていた高天原はその青銅器文化の圏外にあった。二次葬を行わない高天原は銅鐸も必要とせず、神殿もなかった。するとどういうことがおきうるか。
まず、高天原が1対1で取引出来ていた交易は、葦原中つ国で付加価値(交易同士の衣食住やその他もろもろの雑務)がついてしまったために従来の1対1の取引が出来なくなってしまった。つまり交易の取引価値が変化してしまった。そうなると、当然、高天原としては不満が募ることになる。古くは、イザナミ・イザナミの神話でも一定の交易による取引があった。スサノオの登場でもそれは変わらず(例え出雲との取引がなかったとしても)、葦原中つ国とは一定の安定した価値を保っていたはずである。それが大国主命の登場で劇的に変化してしまった。
貨幣が整っている社会では国と国で通貨の変動があったり、関税をかけたりすることができる。しかし、貨幣のまだない弥生時代では直接、交易品の交換比率が変動することになる。するとこれまで1対1で取引されていたものが1対2、ともすると1対5で取引を要求されることになる。これには高天原も黙ってはいられなかったであろう。
高天原に立って考えてみよう。
高天原から見た葦原中つ国は教師と生徒、師匠と弟子のような関係であった。おそらく文化的に進んでいる高天原にとって葦原中つ国は色々教えてやっている後進地域に過ぎなかったであろう(ひょっとして交易の交換比率も高天原有利なものであったのかもしれない)。それが突然、葦原中つ国は国として整ってきたので、これまでの交易交換比率では交易できませんといってきたとする。高天原にとっては、これまでさんざん弟のようにいろいろと教えてきてやったのに何なんだということになる。それは不満を持つのも当然であろう。
高天原の不満とは交易の交換比率を元に戻せということだったのだろう。今でいうところの貿易摩擦ということになる。葦原中つ国の言い分からすれば「国として整いつつあるため交易交換比率はこちらの要求に従ってもらいます」となる。しかし、高天原からすれば「お前らが国と呼ぶのもおこがましい。これまでただの大きな島だったではないか。もとはといえば、ここまで文化が発達したのもおれらのおかげだ」と主張したいところ。おそらくこのあたりが「国譲り」に至る真相であったような気がする。
それでは次に「国譲り」とは何であったかを検証していこう。
ヘッダー画像はKーKOさんの画像をお借りしました。ありがとうございました。
