「お母さん、クリスチャンで良かったって、今、心から思ってる」
子育てをしていて、いつも思うこと。
子どもたちが生きていく上で、
より良く生きていけるように、
困ることがすこしでも少ないように。
親として、基本的なことは、伝えたい。
早寝早起きは大切だよ。
食事は身体を作るから、栄養バランスを考えてね。たまにはファストフードでもいいけど。
やるべきことは、先にやっておくと、後の自分を助けてくれるはず。
周りの人を思いやること、困った時は助けを求めること。
体調が悪いときは、無理しないこと。
……
そんな中で、
実は、キリスト教の「信仰」については、
子どもたちに話すことが、
そういえばあんまりなかったように思う。
でも、
この前の日曜日、神父さまの話を聞きながら、
今、私が感じていること、
今こそ、子どもたちに伝えなきゃ
と、思ったのです。
**
この日は、年間第21主日のミサでした。
私の心に、小さな灯をつけたのは、
この福音朗読についての神父さまのお話でした。
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、
「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
弟子たちは言った。
「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
イエスが言われた。
「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」
シモン・ペトロが、
「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
すると、イエスはお答えになった。
「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。
イエスさまは、弟子の一人であるペトロに、
「あなたがたは、わたしを何者だと言うのか」
と尋ねます。
それについて、神父さまが話されました。
「イエスの、この問いかけは、
2000年前のペトロにだけ聞いているのではありません。
今、私たち一人ひとりに、
『わたしを何者だと言うのか?』と尋ねています。」
「イエスは、私にとって救い主です
と、本当に言えるかどうか?
それがとても大切です。
自分の生活と、イエスは、本当に繋がっていますか?
イエスが自分と一緒に生きている実感を、感じていますか?」
神父さま自身は、
イエスさまによって救われた体験があるとのこと。
それは、苦しみの中で見つけた
「イエスさまは私の救い主」
という気付きだったそうです。
「もうすぐ、中高生の堅信の勉強会が始まります。
その中で、子どもたちに、
イエスが救い主だ、ということを、
どうやって伝えようかと、考えています。
イエスが私と一緒に生きている、という感覚を持っている子どもは、
教会を離れずに、残りますから。」
「多くの子どもたちは、きっとまだ、
苦しみを経験することは少ないでしょうから(そのほうがいいです!)、
イエスの救いに気付くのは、
もしかしたら難しいかもしれません。」
「でも、どこかで、生きたイエスを感じてほしい。
そのためには、身近な人の信仰の体験が、気付きになるかもしれません。
教えではなく実感として、
私たち大人が、一人ひとり、信仰体験を伝えていくことが、大切ではないでしょうか。」
神父さまのお話を聞きながら、
「そうだ。伝えなきゃ」
と思いました。
我が家の3人の子どもたちに、
「お母さんにとっての信仰」の話をしよう。
今なら、実感として、伝えられる気がする。
**
その夜、
父のために毎晩しているロザリオの祈りの時。
「ロザリオの前に、
お母さん、みんなに話したいことがあるの。
聞いてくれる?」
と尋ねると、
子どもたちは静かにこちらを向きました。
「今、おじいちゃんががんになってしまって、
毎晩みんなでお祈りしてるでしょ?
お母さんは、今、特に、
キリスト教の信仰があって良かった
と、心から思ってるんだ。
おじいちゃんのことがとても心配だけど、
お母さんは何もできない。
病気を治してあげることもできない。
でも、お祈りすることはできる。
「できることがある」っていうことに、
本当に救われてるの。
いつか、もしかしたら、
お母さんやお父さん、周りの人が病気になったり、
自分ではどうしようもない辛いことが、起こるかもしれない。
そんなときに、みんなが、
「祈る」ってことを知っていて、
祈る相手である「神さま」がいて、
祈る方法や言葉を知っていて、
祈ることで救われたらいいな、って思う。
今のお母さんみたいに。」
すると、小学3年生の末娘くんちゃんが、
「おかあさん…病気になったり死んじゃうのはいやだよ…」
と言って、目に涙をいっぱいにためていました。
「あー、ごめん!お母さん、死なないよ!大丈夫!
…でも、もし、お母さんが死んじゃうこと考えて悲しくなったら、神さまにお祈りしたらいいよ。」
「くんちゃん、毎日、
お母さんが死にませんようにってお祈りしてるよ!」
そ、そうだったのか…!?
だから私は、毎日生きているのかもしれない。
くんちゃん、ありがとう。
(でも、なんでお母さんが死んじゃうかもって思うんだろうか…
そんなこと、私は子どもの頃に考えたこともなかったから、ちょっと申し訳ない気もする…🥲)
「クリスチャンの人が教えてくれたんだけどね、
キリスト教の共同体は、
この世に生きる私たちだけでなく、
もう亡くなって天国にいる人たちも、一緒に祈ってくれているんだって。
すごいよね。
この世の人にも、天国の人にも、
私たちは、祈られて、護られてるんだって。
きっと、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんも、
天国で、おじいちゃんのために、一緒にお祈りしてくれてるね。」
うん、そうだね〜と、
小学6年生の次男はっくんが、
納得した顔で、うなずいてくれました。
中学3年の長男にっくんも、
下を向きながら、
時々うなづきながら、聞いています。
「もう一つ。
おじいちゃんは、がんだと伝えられたとき、
「自分の命は、神さまに委ねる」って言っていたのを覚えてる?
その話を聞いた時に、
おじいちゃんも、お母さんも、
クリスチャンで良かった、って思った。
お母さんの教会の友達がね、
「神さまは良いお方だから、悪いようにはなさらない。一番良い形に必ずなる。
だから私たちは、信頼して、より頼むことをがんばるだけ」
って言ってくれたの。
おじいちゃんが、良くなりますようにって、
心から祈りながら、
神さまに信頼して、神さまに委ねようって思えることが、
お母さんにとっても、救いになってる。
お母さんは、
おじいちゃんと、おばあちゃんが、洗礼を受けさせてくれた。
にっくん、はっくん、くんちゃんが、
お父さんとお母さんがクリスチャンだから、
洗礼を受けて、教会に通ってるのと同じで。
今、お母さんは、
キリスト教の信仰に、本当に救われてる。
イエスさまに、救われてる。
洗礼を受けさせてくれて、ありがとうって、
おじいちゃんおばあちゃんに感謝してる。
なっちゃん(私の妹)も、
お母さんと同じことを思っているって、
この前LINEくれたんだ。
自分にとって、信仰がこんなに心の支えになるとは思わなかったって。
子どもの頃は、気づかなかったけど、
今、おじいちゃんの病気のことがあって、
やっと、気づいたんだ。
だから、みんなに伝えようと思ったの。」
寝る前の、眠たい時間に、
長い話をしてしまったけれど、
3人は、静かに聴いてくれました。
それから、みんなで声をそろえて、
ロザリオの祈りを唱えました。
おじいちゃんのために。
おじいちゃんのそばで支えてくれている、おばあちゃん(さーちゃん)のためにも。
ロザリオが終わったら、
ちょっぴり泣いている私に、
くんちゃんが、
さっき自分が泣いた時に使ったティッシュを差し出してくれて、
「あれ、それさっき使ったやつじゃない?!😂」
と言って、にっくんとはっくんが笑い、
静かな祈りの時間から、
またいつもの、明るい子どもたちにもどっていきました。
私のnoteをいつも読んでくださっている方は、
もしかしたら気づいたかもしれません。
この話、
先日noteに書いたことです。
重複する話で、恐縮ですが💦
noteには書いていたけど、
そうだ、子どもたちに伝えてなかった!と気付いたのでした。
一番身近にいて、一番伝えなくてはいけない存在だったのに。
もちろん、これは「私の信仰体験」で、
子どもたちは、きっとこれから、それぞれ
「自分の信仰体験」をしていくのだと思います。
それが一番、大切。
人生のどこかで、神さまと出会い、イエスさまと繋がり、
その実感が、子どもたちを支えてくれるのでしょう。
でも、その実感を得る前に、
教会から離れてしまうこともある。
物理的・時間的に、離れざるをえない状況もある。
そんなとき、「お母さんの信仰体験」が、
子どもたちと神さまをつなぐ、細い糸になってくれたらと思います。
話した内容を、覚えていてくれるかは、わかりませんが。
毎晩、みんなでロザリオの祈りをしたことは、覚えていてくれるかもしれません。
子どもたちに伝えなくちゃ、と
気付かせてくださった神父さまに感謝です😊
