ー夏の終わりー
ツクツクボウシの声が混じり始め、夕暮れの風にふと涼しさが混じる。
あの、季節が動く瞬間の独特の空気感を、皆さんはどこで感じていますか?
実家の作業場では、お盆を過ぎたあたりから、目に見えないほど僅かに空気の密度が変わります。
昨日まで「涼」を届けていた透明な錦玉(きんぎょく)や、滴るような瑞々しさの葛饅頭。
それらが少しずつ影を潜め、職人たちの指先は、秋の夕暮れを思わせる橙や、野山に咲き乱れる女郎花(おみなえし)の黄色を練り込み始めるのです。
扇風機の回る音の向こう側で、あんこを炊く蒸気の匂いが、どこか「夏の重苦しさ」から「秋の温もり」へと変化していく。
夏の上生菓子が「目にも涼しい水遊び」だとしたら、秋の上生菓子は「心を静かに温める焚き火」のよう。
日本には「二十四節気」という言葉がありますが、和菓子の世界はさらに細かく、七十二もの季節(七十二候)を追いかけます。
夏の終わりは、ちょうどその「隙間」にある季節。
陽射しはまだ刺すように痛いのに、日陰に入ると風はさらりと乾いている。
そんな、言葉にすればこぼれ落ちてしまうような微細な変化を、職人たちは一練りの餡に込め、一筋のヘラ目に写し取ります。
子供の頃、私はそんな季節の変わり目が少し苦手でした。
大好きなかき氷のシロップの匂いが消えて、栗を剥く渋皮の匂いや、重厚な練り切りの匂いが充満してくる。
それは「夏休みという自由」が終わる合図でもあったからです。
けれど大人になった今、この「夏の終わり」の曖昧な美しさに、一番救われている自分がいます。
忙しさに追われていると、カレンダーの日付ばかりが目につき、心が季節に追いついていかないことがあります。
だからこそ、お皿の上に置かれた小さな「秋の入り口」を眺め、ゆっくりとお茶を淹れる。
その十数分の「余白」こそが、私たちが本来持っていたはずの、豊かな時間なのだと思うのです。
道端のすすきが揺れるのを見て「秋だね」と呟くように。
職人が作り出した一粒の「夏の余韻」を口にして「ああ、お疲れ様、自分」と思えるように。
季節が動く時の、あの胸の奥が少しキュッとする感覚。
それを「寂しさ」として終わらせるのではなく、お菓子と共に「慈しむもの」に変えていきたい。
もうすぐ、本格的な秋がやってきますね。
皆さんのもとには、今、どんな風が吹いていますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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和菓子屋の娘
