置いていった後悔|#21
「桜が綺麗だと思えなくなった」
春なのに、
最近は空を見なくなった。
駅まで何分か。
電車が何分遅れているか。
コンビニで何を買えば一番得か。
そういうことばかり、
考えるようになった。
昔のわたしは、
もっとちゃんとしていなかった。
学校にも、
ほとんど行かなかった。
朝になるたび、
「行かなきゃ」と思って、
そのまま動けなくなる日があった。
理由を聞かれても、
うまく答えられなかった。
怖かったわけでも、
嫌いだったわけでもない。
ただ、
みんなと同じ速度で生きることが、
どうしても苦しかった。
大人たちは、
「あとで困る」と言った。
それはきっと、
正しかったんだと思う。
だからわたしは、
少しずつ「正しい方」を選ぶようになった。
失敗しない方。
損をしない方。
ちゃんとして見える方。
気づけば、
感情より先に、
正解を探す人になっていた。
桜を見ても、
「綺麗」より先に、
「人が多いな」と思う。
カフェに入っても、
落ち着くかどうかより、
値段を見てしまう。
夕焼けを見ても、
立ち止まる理由がなくなった。
ちゃんと生きられるようになったのに、
前より世界が静かになった。
でも、
この前のこと。
仕事帰りに、
スーパーの袋を下げたまま、
夜道を歩いていた。
疲れていて、
早く帰りたかった。
その途中で、
小さな公園の前を通った。
誰もいないブランコの横に、
桜の花びらだけが落ちていた。
風が吹くたび、
街灯の光の中で、
白い花びらが少しだけ浮いた。
その瞬間、
なぜか分からないけど、
泣きそうになった。
「ああ、綺麗だ」
って、
ちゃんと思えた。
たぶん、
昔のわたしは、
こういうものばかり見ていた。
ちゃんと前に進めなかった代わりに、
誰も気にしない景色に、
何度も救われていた。
あの頃は、
正しくなかったと思う。
でも、
感情まで置いていかなかった。
最近、
少しだけ思う。
人生って、
正解を選び続けることじゃなくて。
「綺麗だな」って思える心を、
なくさないことなのかもしれない。
あとがき
今回の物語は
初期からつむぎ作品を読んでくださっている
モレナさんの置いていった言葉から
生まれました。
「学校に行かなかった」
という言葉だけじゃなく、
合理性を優先するうちに、
感情の潤いを失っていく感覚。
それでも、
「桜が綺麗」と思える心を、
もう一度大切にしたいという言葉が、
ずっと残っていました。
人は、
ちゃんと生きようとするほど、
感情を後回しにしてしまうことがあります。
でも、
うまく生きられなかった時間の中でしか、
見えなかった景色もあるのだと思います。
モレナさんは、
ずっと「痛み」や「生きづらさ」を書いてきた方です。
だからこそ今回、
「美しい日常や感情を書いていきたい」
という言葉が、
すごく静かで、強く感じました。
置いていった後悔は、
過去だけじゃなく、
感情そのものにもあるのかもしれません。
今回も、
大切な言葉をありがとうございました。
つむぎ
iwkn_note
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