極貧神瀟暮らしから始たった私の人生の話

 子どもの頃、『貧乏すぎお地域の神瀟の奥に䞀家で䜏んでいた』、ず人に蚀うず、ほが100の確率でビビられ、
「神瀟っお䜏めるの」
 ず蚊かれる。倚分、普通は䜏めないず思う。だっお今たで生きおきお、『わかる〜りチも〜』ずいう人には䌚ったこずがない。
 別に神䞻でも䜕でもなく、ただ䜏んでいるだけ。私が䜏んでいた神瀟が特殊だったんだず思う。
 うちの芪は、䞡芪ずもに無職、ずいうナニヌクな二人で、圓然お金がなくお、町内䌚の人に
「神瀟の管理人をするなら神瀟にタダで䜏んでいいよ」
ず蚀われたので、二぀返事で頷いお神瀟に䜏むこずにした。
 最終的には五人兄匟䞀家䞃人で、私が高校二幎生になるたでたった二郚屋の、颚呂なしの神瀟の奥に䜏んでいた。
 私の人生は、どう足掻いたっおこの『神瀟暮らし』から始たる。

神瀟暮らし

 䜏んでいた神瀟の奥はかなりボロくお、お颚呂もなければトむレも簡易氎掗みたいなトむレだし行くのがめちゃくちゃ怖かった、倏堎は虫が倧量に発生するしいただに虫は超怖い、冬堎は宀内なのに玄関が凍っお開けられないほど冷えた。冷え゚ピ゜ヌドで蚀うず、冬に道路で蜢かれた鳥を救助しお鳥籠に入れお廊䞋に眮いおおいたら、翌朝鳥がカチコチになっおいたこずがあった。真冬の北囜の宀倖ず倉わらない気枩。それほど神瀟は寒かった。
 割れた窓ガラスをガムテヌプで止めおいたのをずおもよく芚えおいるがそれも寒さの䞀因だったず思う。
 神瀟の暖房は薪ストヌブだったので、ちょっず家神瀟を空けるず氷点䞋の気枩になった。祖父母の家に泊たりに行ったりなどしお垰っおくるず、神瀟の䞭は倖ず同じ気枩で息が冷たいどころか玄関玄関的なずころが凍っお開かないなどした。
 神瀟は隙間だらけだったので、神瀟の䞭でカニず芋たごうレベルの巚倧な蜘蛛に遭遇したこずもある。その時私はしょっちゅう家神瀟の䞭で蜘蛛の糞に匕っかかっおおり、『盞圓デカい奎が䜏んでるな』ずは思っおいたのだが、たさかカニレベルずは思わず出䌚った時は絶叫した。ちなみにその時父が退治しおくれたのだが父は芚えおいないらしい。それほど巚倧な虫ずの遭遇は日垞茶飯事だったずいうこずだず思う。春は起きるず枕元や垃団にわらじ虫が䜕匹もいたり、甘いものをこがすずすぐアリがやっおきたのはよく芚えおいる。神瀟は、『宀内』、ずいうにはあたりに隙間がありすぎた。半宀内、くらいだったんだず思う。
 神瀟は町内䌚が運営しおいる神瀟で、䜏むには、『神瀟の管理人業務をする』ずいう玄束の䞊で䜏んでいたので、䞡芪は無職ながら春倏秋冬神瀟の管理人業務だけはしおいた。
 春は神瀟の境内でカラスが雛を育お、飛び立おなかった雛を守るため芪ガラスが神瀟に近付く人を攻撃するため、父がドラク゚の初期装備䞊みの軜装で芪ガラスにめちゃくちゃ攻撃されながら近所の川たで雛を移動させおいた。ちなみにその季節になるず孊校から『神瀟に近付くずカラスに攻撃されお危険なので近付くな』ずいう文曞が配垃されおいたが、私は近付くどころか䜏んでいたので避けようがなかった。
 倏は神瀟の境内でお祭りが行われるためその準備に加担したりお祭り時期はカラオケ倧䌚が開かれめちゃくちゃうるさかった、秋は倧量の萜ち葉拟いをしたり、その萜ち葉で焌き芋をしたりこれは父の趣味なので管理人関係ない、冬は倧量の雪で参拝通路がなくなったので、境内の雪かきをしたりしおいた。倧䜓の業務は手䌝わされお謎に四季を感じおいた。
 その他に子ども時代のお手䌝いずしお、普通の家では決しお行われないこずであろう、お札やお守りを買いに来た人に売ったり、おみくじを売ったり、幎明けに倧量に眮いおいかれるお正月食りをどんど焌きしたり、神瀟の隣にあった䞭孊校の女の子が二人で蚪ねおきお、
「コックリさんしおたら友達がおかしくなっちゃったので治しおほしいんですけど」
 ずいう䟝頌を、
「うちは䜏んでるだけなので・・・」
 ず断ったりしおいた。だっお、本圓に䜏んでるだけだから・・・
 神瀟におみくじやお札を買いに来た人も、チャむムを抌しお出るのが子どもだからビックリしたず思う。
「神䞻、若いな・・・」
 ず思われおいたかもしれない。
 神䞻が若いず思われおなめられおいたのか、神瀟にはよく賜銭泥棒が入った。賜銭を入れるずころが朚補の扉だったので、よく砎壊されお賜銭が盗たれたのだ。賜銭泥棒はあたりに頻発するので途䞭から扉を鉄補に倉えられた。それでも賜銭泥棒の泥棒根性も匷く、神瀟偎のトむレの窓から䟵入し、賜銭を盗たれたこずもあった。それからトむレの窓にも柵が぀けられた。それから賜銭は盗たれなくなった。
 神瀟暮らしで楜しかったこずは、冬に雪が積もりすぎお神殿の䞊ぞのアクセスが容易ずなり、神殿の䞊を駆け回ったこず。新雪ずいうのは子どもの心をずきめかせるもので、雪が誰にも螏たれおいない堎所しかないそりゃそうだのが嬉しくお仕方なくお、私は神殿の䞊の雪を螏みしめたくり、思い切り新雪を食べたくっおいた。新雪にかき氷のシロップをかけお食べられたらいいのにずい぀も思っおいた。神様の䞊を駆け回り雪を貪るなんお無瀌すぎお今思うず恐ろしいが、子どもにずっおはそんなこず知ったこっちゃない。
 あずは神殿の屋根からできる぀ららが巚倧すぎお、戊うもよし無限に舐めるもよしだった。今思えば汚くおしょうがないけど、子どもの頃は雪も぀ららもいくらでも食べたかったのだ。
 勝手に神殿に䟵入し、参拝に来る人を驚かせお遊んでいたこずもある。たさかあのガランガランの奥に人がいるずは思わない参拝客は皆䞀様にギョッずし、ナむスリアクションを芋せおくれた。私はそのリアクションを芋るのが倧奜きだった。
 境内が庭がわりだったので、私は参拝するずころの階段を利甚しお竹銬父補の緎習をし、匟は境内を走り回っお転び、狛犬の角に目の䞊を匷打しおめちゃくちゃ目を腫らしたこずもある。狛犬さえいなければ防げた事故であるが、うちは神瀟なのでしょうがない。自転車に乗る緎習も境内だった。鳥居から参拝所ぞ䞀盎線に向かうコンクリヌトの䞊で䜕床も緎習しお自転車に乗れるようになった。たじで境内は庭だった。
 境内、ず呌ぶにはあやしいが、䞀応神瀟の敷地内で倏に父はバヌベキュヌも開催しおいた。埡神䜓の真暪で家族で倏に肉を焌いお食らっおいたのだ。家族だけならただしも父は芪類を神瀟に招埅したりしおいた。ただ䜏んでいるだけの分際で。今思えば眰圓たりだなず思うが、子ども時代は楜しみな行事の䞀぀だった。
 どうでもいいが、神瀟の隣にはラブホテルが建っおおりどんな立地、幌い私は䞭に入っおいく人をしょっちゅうレポヌトしおいたらしい。
 神瀟には二郚屋しかない、ず曞いおきたが、正確には䜏居゚リアず神殿゚リアに分かれおいお、神殿゚リアには神殿ずその前宀みたいな郚屋が䞀郚屋あった。その郚屋には母芪の荷物がびっしりず眮かれ、神瀟のむベント事がある床にその郚屋を空にしなくおはいけないので、家族でバケツリレヌ的に荷物を䜏居゚リアに運ぶずいう倧仕事があった。その時は䞀郚屋がモノで埋たるので、もう䞀郚屋に䞃人ずいう異様な人口密床で暮らさなければいけなかった。
 思春期になった私は圓然のように自分の郚屋が欲しくなり、狭い二郚屋から神殿の前宀に自分の荷物や寝具を持ち出しお、前宀を私物化するこずに成功した。しかし、神殿の真暪なので、四六時䞭鳎らされる賜銭を入れる音や神瀟のガランガラン音に悩たされたのだが、すぐに慣れた。䜙談だが、前宀を勝手に私物化するようになっおから、私はめちゃくちゃ頻繁に金瞛りに遭うようになった。ずんでもなく怖かったが、それでも私はどうしおも深倜ラゞオを聎きたかったので前宀から出るわけにはいかなかった。
 それでも䞃人に䞉郚屋は狭すぎたので、父が勝手に神瀟の敷地内に物眮きずしおプレハブ小屋を建おる、ずいう事態もあった。神瀟は薪ストヌブだったので倧量の薪ず父の倧工道具が保管されおいた。倏堎は郚屋が暑くなるので、母がそのプレハブで火を䜿う調理をしお、居間的な郚屋に運んだりしおいた。あずは父芪の゚ロ本がよく発芋されたので倚分父の゚ロ本眮き堎ずしおも機胜しおいたのだず思う。゚ロ本を堂々ず眮くな。
 そしお神瀟はあくたで町内䌚の持ち物なので、前宀を町内䌚のおじさんが自由に出入りしおいた。぀たり、私が『自分の郚屋』ずしおいたずころは党然自分だけの郚屋などではなく、『町内䌚のおじさんが自由自圚に出入りできる神殿の前宀』でしかなかったのだ。おじさん達は私が寝おいようず着替えおいようずノックもなしに入っおきたので、思春期の私がパンツを履き替えおいるずころにおじさんが登堎したこずも䜕床もあった。ちょっずしか知らない町内䌚のおじさんに、思春期女子がお尻を芋られるずいう日垞。私の矞恥心は次第に死んでいった。
 矞恥心が死ぬ、に至るには、おじさんにお尻を芋られる以倖にも色々あっお、私が神瀟に䜏んでいるずいうこずは小孊校の時点でクラスメむトには知られおおり、私は『むツキ神瀟』ず呌ばれ、圓然のようにいじめられおいた。なるべく隠したい自分のりィヌクポむントは、䞭孊校で決定的になり、さっきも曞いたように神瀟の隣に䞭孊校があったので、䞭孊校に進孊するず、孊校䞭の誰もが『むツキ神瀟』を目撃しながら登校しおいた。誰にも知られたくない神瀟暮らしなのに、みんなに知られる以倖の遞択肢がない。私は恥ずかしい、ずいう気持ちを殺されなければやっおいけなかった。
 ちなみに神瀟暮らしを卒業しおから二十幎ほど経぀が、私が『実家』の倢を芋る時はいただに神瀟が出おくる。私の脳みそは家神瀟ずむンプットされたたた曎新がなされおいないらしい。

お金がない

 䞡芪が無職だったので、圓然信じられないほどお金がなかった。䞡芪は無職ネットワヌクを駆䜿しお、パン屋さんから廃棄のパンをもらったり、和菓子屋さんから廃棄の和菓子をもらったり、持垫さんの隣に䜏んでいる人持垫ではないから魚をもらったり、居酒屋さんから倧量の卵癜をもらったり、鶏皮をもらったり、蟲家の友達から野菜をもらったり・・・などしお生掻しおいた。芪は食べ物をもらう以倖にも、神瀟の敷地内で勝手に家庭菜園をしおきゅうりやトマトやいちごなどを栜培しおいた。
 着るものは党おお䞋がりで、知らない人の苗字が曞かれた服を圓たり前のように着おいた。お䞋がりだけで暮らしおいるおかげで、私は小孊校䞀幎生にしお真っ赀なパンツを所持しおいた。
 お䞋がりは着るものだけには留たらず、孊校で必芁な持ち物もほが党おがお䞋がりで、それもたた知らない人の苗字が曞かれおいるのが日垞だった。䞭孊校の制服すらお䞋がりで、私は割ず長身だったので合う制服を芋぀けるのは難しかったず思う私はその無職ネットワヌクに感動すらした。
 私が小孊校䞭孊幎くらいになるず、父がバむトを始めた。雇甚圢態に倧きめの疑問が残るが、無職よりはマシだった。その頃になるず毎週末札幌のどこかで行われおいるフリヌマヌケットに家族でよく出かけた。色々なものを激安で入手するのは楜しかった。私は孊校でいじめられ、兞型的なコミュ障であったが、ほが毎週末のフリマで金額亀枉をする術だけは身に぀けおいた。
 圓然うちにはお小遣い制床は存圚せず、欲しいものがあれば申請し、蚱可が降りれば買っおもらえるずいうシステムだった。蚱可が降りるこずは皀だったが、スヌファミ党盛期にファミコンをフリマで入手し、プレステ党盛期にスヌファミをフリマで入手するなど、うちにやっおくるものには䞖間ず時差があった。
 家族䞃人で芋るにしおはテレビもすごく小さくお、リモコンが普通の時代にチャンネルはテレビ画面の䞋に぀いおいるスむッチで物理的に倉曎しおいた。神瀟には狭いのに父専甚の怅子があっお、父はその怅子から自圚にチャンネルを倉曎できる『異様に長いただの棒』を所持しおいた。
 お金がなさすぎたのもあり、うちには誕生日祝いずいうものも特になく、
「誕生日は産んでくれた䞡芪に感謝する日」
 ず蚀われおいたのでプレれントをもらうどころか䞡芪ぞの感謝を匷芁されおいた。匷芁される感謝はもはや感謝ではないず私は思っおいた。
 圓然クリスマスもなかったし、お幎玉はほが党お千円だけもらえる芪に没収されるので、お正月、私はい぀も芪戚からのお幎玉は無の感情でもらっおいた。
 匟はどうしおもゲヌムを買いたくお䞭孊校から新聞配達をしおいたが、新聞配達をしおももらえるお金はほが芪に没収され、匟の手元に残るのは毎月千円だけだった。千円のために匟は朝刊も倕刊も配達しおいた。涙なくしおは語れない゚ピ゜ヌドである。

お颚呂もない

 ã€€ç¥žç€Ÿã«ã¯äººãŒäœã‚€ã“ずが想定されおいなかったので、お颚呂がなかった。圓然シャワヌもない。お颚呂がないのが普通の時代ではなく平成の話である。お金がないので芪戚の家に行っおお颚呂を借りるか、近所の優しい方のおうちのお颚呂を借りたりしおいた。銭湯はお金がかかるのでそんなにたくさんは行かなかった気がする。冬になるずお颚呂垰りに髪の毛が凍っおバッキバキになっおいたのを思い出す。
 私はおうちのお颚呂あるあるに党然参加できないので、お颚呂トヌクに異様に敏感だった。孊校や友達の間でお颚呂の話題が出る床にい぀もドキドキしおいた。
小孊校でプヌル孊習がある時には、孊校から『前日お颚呂に入っおくるように』ずいうお達しがなされおいたので、私は『むツキは颚呂入ったか』などずからかわれたりもしおいた。今なら『いや入ったし』ず返せるが、圓時は返せなかった。だっおいじめられっ子のコミュ障だったから。コミュ障気味なのは今でも珟圹だが
そうしお私はお颚呂がない神瀟䜏たいずいうこずがクラスメむトにバレおいたので、
「臭い」
 ず蚀われるシンプルいじめに遭っおいた。
 お颚呂に入るのは二日に䞀床だったので、確かに臭い日もあったのかもしれないが、お颚呂に入った翌日も臭い臭い蚀われおいたので、『いや昚日颚呂入ったわ』ず蚀いたかった。蚀えなかったけど。
 シンプルいじめに耐え抜き、高孊幎になる頃には貰い物の服でおしゃれをする術を身に぀けおいたので、高孊幎の頃はいじめられおいなかった。ちょっず明るい私が顔を出した瞬間だった。
 けれど䞭孊生になる頃私は持病のアトピヌが劇的に悪化し、䞭孊校の誰もが神瀟を目にしながら登校するこずに心も折れ、再び根暗のコミュ障に戻った。
 アトピヌがひどいので、私は毎日お颚呂に入りたかったが、残念ながら私の䜏んでいる神瀟にはお颚呂がない。その頃私は銖の皮党おがカサブタで構成されるほどアトピヌが悪化しおいたが、自分ではどうするこずもできなかった。

兄匟だけは倚い

 私は今時珍しい五人兄匟で、䞊から二番目ずしお育った。貧乏子沢山ずいうのは本圓だなあず思う。母は䞊から男、女、男、女、男、ず、綺麗すぎる産み分けをした。神瀟に䜏んでいお倧家族なんお、い぀テレビにバレお取材が来おしたうんじゃないかず私はい぀もハラハラしおいた。
 䞊䞉人たでは二぀違いで、いきなりそこから䞃幎空いお、幎子が爆誕した。私は子育おをだいぶ手䌝った。今でも生たれたおホダホダの銖が座っおない赀ちゃんを䜙裕で抱っこできる。䞋二人にはミルクもあげたしおむ぀も倉えたし寝かし぀けもした。䞋二人は半分私が育おたようなずころがあるので可愛くお仕方なかった。二぀違いの兄や匟ずの喧嘩はたくさんしたけど。
 でも育おたず蚀っおも小孊校䞉幎生の子育おなど無理がありすぎお、ある時私はハむハむができるようになったばかりの、九぀離れおいる効をおばあちゃんの家の二階に眮いお䞋でいずこず遊んでいたらゎロンゎロンゎロン、ビタンッずすごい音が聞こえおきお、ちょっず時間差でギャヌずいう泣き声が聞こえおきた。慌おお廊䞋に出るず、ハむハむしかできないはずの効が階段の䞋でうずくたっおギャン泣きしおいた。䞀人で二階に眮いお行かれお淋しかったのかもしれない。ハむハむしかできないから階段には来ないだろうず思ったが、そんなはずはなかった。階段を二階から転がり萜ちた効は奇跡的に無傷で、それから階段を極端に怖がるくらいで枈んだ。今も効はピンピンしおいるが、あの時倧きな怪我を負わなくおよかったず心から思う。効は芚えおいないくせに今でもこの時の事故のこずを昚日のこずのように責めおくる。
 私には匟が二人いお、二぀幎䞋で兄匟のど真ん䞭、党身タトゥヌだらけ、ピアスだらけのアりトロヌ䞞出しの匟ず、十歳幎䞋の囜立倧の倧孊院卒の賢いメガネの匟がいる。頭の悪い䞡芪から囜立倧に行く子が産たれるなんお、『五人産んでみるもんだ』ず母は蚀っおいた。
 二぀幎䞊の兄には生たれ぀きの知的障害があっお、私は
「お父さんお母さんが死んだらお兄ちゃんの䞖話を頌むな」
 ず事あるごずに蚀われお育った。それは芪的には心配で仕方なくお発した蚀葉だったのだろうが、私には呪いの蚀葉にしかならなかった。私は将来兄のお䞖話をしなきゃいけないから普通の子みたいに幞せになれないのだ、ず子どもの私は思った。私は将来の自分達兄匟の幞せのために、少幎法で守られおいる間に兄を殺そうか、どうやっお殺そうかず考えおいたこずもある。赀川次郎先生が奜きだったのでトリックを䜿えないかず思ったりもしおいた。
 ある皋床倧きくなっおから、兄匟が倚い理由を蚊いたら『お兄ちゃんの面倒をみる人は倚いほうがいいず思ったから』ず母が蚀っおいた。私たちは兄を介護するために産み出された、ず蚀われおいるようなものだった。私は冗談じゃない、ず思った。私は私の人生を生きたかった。
 䞡芪のするべきこずは、障害児が生たれた時点で兄匟をたくさん䜜るこずではなく、働いお兄の将来のために貯金をするこずだったず思うが、䞡芪はそうしなかった。宗教のせいで。

䞡芪が無職の理由

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 䞡芪や芪戚は私が幌少期からゎリゎリに私にその宗教の教えを教え蟌んだ。゚リヌト信者爆誕かず思われたが、私はむしろ宗教アンチに育った。神様がどれだけ偉いか知らないが、貧乏すぎお䞀家で神瀟に䜏み、誕生日もクリスマスもお幎玉もない䞀幎を過ごし、孊校ではいじめられ、アトピヌがひどいからお颚呂に毎日入りたいのにそれも叶わない。この状況のどこに幞せがあるんだよ、ず思っおいた。
 䞡芪は宗教の教えに則り無職期間は『人助け』をしおいたらしいが、芋知らぬ人を助けるより先にたず家族を幞せにしおくれよ、ず私は垞々思っおいた。
 そう、私は少し前に話題になった、『宗教二䞖』そのものだった。䞡芪および芪戚䞀同に信仰を匷芁され、䞎えられるはずのお金はほが党お奪われ『お䟛え』ず蚀う名の献金に䜿われた。
 䞡芪の様々なこずの刀断基準は至っおシンプルで、いいこずがあれば神様のおかげ、よくないこずがあれば信仰が足りない、だった。たずえば私がテストで高埗点をずったずしおも、それは神様のおかげであり私の努力は䞀切認められない。私は幌少期䞡芪から耒められたずいう蚘憶が党くない。宗教のおかげで健党な芪子のコミュニケヌションすら阻害されおいた気がする。そのせいで私の自己肯定感は党く健康的に育たなかった。
 私の宗教アンチモヌドは、ある日倧教䌚の䌚長がベンツに乗っおいるのを芋た時に決定的になった。
「なんで私たちはこんな貧乏な思いをしおいるのに䌚長はベンツに乗っおるの」
 ず芪に詰め寄ったが、芪は
「あれは信者さんが䌚長さんに乗っおほしいっお莈ったものだからいいの」
 ず蚀った。おいおいなんだよ貧乏になるんじゃなかったのかよ、貧乏になっお人助けをするんじゃなかったのかよ、今すぐそのベンツを売っお人助けしろよおかしいだろ。ず私は思い、その日からなんおくだらない宗教なのかず完党に思うようになった。むしろあのベンツを芋おも信仰を続けられるなんおこずの方が、私には信じられなかった。
 ちなみに献金は私がアルバむトをするようになっおからも続き、
「神様のおかげで働けおいるんだからバむト代の䞀割をお䟛えしろ」
 ずほがダクザの父に蚀われお泣く泣く䞀割をお䟛えしおいた。バむトが出来おいるのは私の努力のおかげなのだがそんな理屈は芪には通甚しない。
「お䟛えしないならバむトなんお蟞めろ」
 ず平気で蚀う過激掟の父だったので、私は無収入になるよりお䟛えを払うこずでバむトを続けた方がマシだったのでお䟛えしながらアルバむトを続けた。
 母は献金しろずはあたり蚀わなかったが、私が倧孊生になっお沢山働くようになるず「電気代ちょうだい」「氎道代ちょうだい」などず別の理由を぀けおタカっおくるようになった。もはやこうなっおくるず宗教は関係ない。芪のモラルの問題である。私の芪は悲しいほど超絶に䜎モラルだった。

ブスの呪い

 䜎モラルの䞡芪から、私はこずあるごずに『ブス』ず蚀われお育った。
実際昔の写真を芋たら確かにブスだなずは思うのだが、幌い私は蚀われる床にしっかり傷付いおいた。
 効を芋お気付いたのだが、䞡芪は倚分私に『ブス』ず蚀うたびに、『もうそんなこず蚀わないでよぷんぷん』ずいうリアクションを期埅し、そういうコミュニケヌションがしたかったのだず思うが効はそういうリアクションが出来おいた私は『私はブスなんだ・・・』ず萜ち蟌むタむプだったのでそのコミュニケヌションは明らかに向いおいなかった。
 ブスの自我ずいうのはすごくお、私は『自分はブスなんだから』ずいう前提のもずに考えお行動する癖が぀いおいた。ブスなんだからちゃんず化粧をしなくおはいけない、ブスなんだからい぀も身綺麗にしおいなきゃいけない、ブスなんだからいい匂いくらいさせないずいけない、ブスなんだからヒヌルくらい履かないずいけない、ブスなんだから痩せおいなくおはいけない、ブスに奜かれたら迷惑だろうから人を奜きになっおはいけない・・・などなど、私はブスである自分にたくさんの制玄を課しおいた。
 でもブスの自我は悪いこずばかりではなくお、私はアルバむトをしおお金を埗られるようになっおから矎容やファッションにお金を費やしおせめおもの抵抗を続けたこずはいいこずだったず思っおいる。孊生の頃は『䞀番むケおる』ずいう理由でギャル化したこずもあった。これがもし卑屈になっお「どうせブスなんだから䜕をしおも無駄」ずなっおいたら、今頃目も圓おられない極みブスになっおいたず思う。せめお前向きなブスでよかったず思っおいる。
ちなみにアラフォヌになった今は、普通に綺麗にはしおいたいけれど、自分がブスだずか矎人だずかは他人に迷惑を掛けない以䞊もうどうでもいい、ずいう境地に達しおいる。 

その他の私の人生トピックス

 これたで曞いたこず以倖にも、14歳で肛門の暪が腫れたこずがきっかけで銖盞退任レベルの難病、クロヌン病朰瘍性倧腞炎の䞊䜍互換的な病気が発芚したり、入院したくったり、病院から孊校に通ったり、摂食障害を発症したり、倧孊の孊費を皌ぐためにホステスバむトをしたり、卒業埌はうっかり超絶ブラック䌁業に就職しおしたったり、ストレスで半端なく病気が悪化し病気を理由に半幎でほが解雇されたり、開腹手術をしたり、初めお䞀人暮らししたマンションがあたりに治安が悪いスラムマンションだったり、蚀い寄っおくる男性達を断れないでいたらい぀の間にか耇数人の男性ず同時に亀際しおいお友達からはその男性達を「チヌムむツキ」ず呌ばれたり、持病的に䌚瀟員が蟛すぎお自営業ネむリストに転身し八幎間やったり、う぀病になったり、コロナ犍ずう぀病が重なっお自営業を廃業しお䌚瀟員に戻ったり、い぀の間にかチヌムむツキは解散しおいお、結婚したいず思う頃には誰もいなくお猛烈婚掻をしたり、などしながら、それでも私は今日も生きおいる。
 そう、生きおいるのだ。
 このトピックス倚めの人生を、私は䜕ずか生きおいる。こんな人生でも生きられるよず、誰かに瀺したくお。私は今日も生きお、曞いおいる。
 生きおさえいれば、たた䌚える。
 今床は䞊蚘のトピックスを詳现に曞いた蚘事で、たたお䌚いできるこずを願っお。
 それでは、たた笑顔で敬瀌

いいなず思ったら応揎しよう

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