見出し画像

遺跡をゆく(福井県若狹町の古墳) 25013

若狹町の古墳群

かなり気合を入れないと訪れることがない福井県若狹町の古墳群に行ってきました。

 福井県の古墳は全県的に分散していますが、その4割にあたる16基が若狹町にあり、特に上中<かみなか>地域にある脇袋古墳群には5世紀の大型の前方後円墳が4基も集積しています。

今回私は三方からクルマで国道27号を通って移動しましたので、まずは藤井地区の前方後方墳である松尾谷古墳(4世紀前半)の下を通り、しばらくして脇袋古墳群の入口を通過しました。入口のサインに気づいた時には“すでに遅し”で、引き返すことができず、実物にはお目にかかれませんでした。

ほどなく上中駅の近くで若狹町役場の上中庁舎を見つけて駐車し、併設されている若狹町歴史文化館を訪ねました。
受付で展示室を尋ねて案内していただくと、土器や武具、馬具、装飾品が展示されていました。これだけ見てもこの地域の古墳群の被葬者たちが相当な力を持っていたことが察せられます。

単甲と剣

何よりこの近くには鯖街道の熊川宿があり、古くから御食国<みけつくに>として都と交流があったのでしょう。因みに日本遺産№5は「海と都をつなぐ若狹の往来文化遺産群-御食国と鯖街道-」です。

 ところで海と言えば、森 浩一教授が「潟湖地形が古代においては港として利用されていた」と指摘されていましたが、若狭湾はリアス式海岸で潮待ちや風待ちに適した地形(石村 智氏によるとラグーン=内海)であり、朝鮮半島方面からの渡来人も漂着しやすかったのかもしれません。実際にこの歴史文化館から少し小浜側にある十善の森古墳(6世紀初め、全長68m)では伽耶産や百済産とみられる馬具や玉などが出土しています。

十善の森古墳
十善の森古墳の出土品(歴史文化館に展示)

もう少し古墳を実査したかったのですが、明るいうちに福井市内に戻らなければならなかったので、若狹姫神社と若狹彦神社を参拝して若狹町を後にしました。本日の走行距離は250kmに及びました。

 ≪余滴≫
5月下旬に高校の同級生仲間と2泊3日で福井県を旅行し、初日の夕食ではさすがにカニやフグなどはありませんでしたが、友人が手配してくれた寿司屋で会食。寿司もさることながら鯛の塩焼きが塩加減といい焼き加減といい絶品で、地酒も会話も進みました。また、宿泊した温泉旅館の朝食も箱膳にサラダと焼き魚が個人別に供され、ご飯は福井県産のいちほまれを北潟湖の清水で炊き上げるという贅沢さ。2日目は夕食までに福井市に集合することを約し、明るい間はゴルフ組や定番観光コース組に分かれました。私は芦原温泉に住む友人がクルマを貸してくれましたので遺跡巡りに専念して午前中は三方(鳥浜)、午後は上中を見て回りました。
3日目は恐竜博物館をじっくり見学できて満足できる旅になりました。

スピノサウルスを模した?恐竜カレー

それでも、継体天皇に関連する場所や、戦国大名で大好きな大谷刑部吉継(敦賀城主)のゆかりの地などを積み残してしまいましたので、再訪したいと思っています。

 さて、今回は若狹の古墳群を採り上げましたので、次回からは各地の古墳をいくつか採り上げていくことにしたいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!