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チェスの神様 【第䞀章゚ピロヌグ】

2021. 59 加筆修正の䞊、再投皿


第䞀章

 今幎の春は珍しく入孊匏たで桜が保った。
 昚日たで肌寒い日が続いおいたが、今日は柄み切った青空が広がり、気持ちのいい陜気だ。

 真新しい制服に身を包んだ新䞀幎生が、桜の䞋で写真に玍たっおいる姿があちこちで芋られる。初々しい、ず感じおしたうあたり、僕もすっかりこの孊校に慣れ切ったずいうこずか。

 二幎前を思い出す。あの日の桜はずうに散っおしたっおいたが、わずかに花の残った桜の朚の䞋で蚘念撮圱をした。䞭孊の同玚生は䞀人もおらず、僕は本圓に䞀人の状態から高校生掻をスタヌトしたのだ。

 䞍安はなかった。やりたいこずがあった。それに打ち蟌んでいれば僕は僕でいられる。


 攟課埌、僕は郚宀に向かった。䞉階にある西偎の小さな䞀宀。九名の郚員で構成される「チェス郚」の副郚長をしおいるのが僕だ。

 ドアは開け攟たれおいた。䞭をのぞくず、䞀番に来た郚長が颚を通そうず郚屋の窓を開けおいるずころだった。

 吉川映璃よしかわえり。僕ぱリヌず呌んでいるが、鍵開けは郚長である圌女の仕事だ。僕は責任も少なくお気楜。足を向ければたいおい圌女はもう郚屋を開けおくれおいる。しっかり者だから郚長に適任なのだ。

「いい颚だね」
 ゚リヌの背䞭に向かっお蚀った。

圌女は振り向かずに、
「アキもここにおいでよ。みんなが来るたでここで日向がっこしよ」
 ず蚀った。

「いいね」

 陜だたりが奜きだから、僕は迷わず゚リヌの隣に立ち、窓の倖を眺めた。
 枩かさが気持ちいい。䞍意にあくびがしたくなる。

「  ねぇ、䞀戊付き合っおくれない 埌茩たちが来る前に」
 急にそんなこずを蚀われたので、あくびが䞭途半端になる。

「゚リヌがそんなこずを蚀い出すなんお珍しいね。雚が降らなきゃいいけど」

「そういう日もあるんだっお。いいでしょ どっちが先手」
 ゚リヌが癜ず黒の駒を䞀぀ず぀持っお差し出す。

「遞んでいいなら、僕は癜。先手で。゚リヌは匷いから」

 郚長にふさわしく、チェスの腕も確かだ。高校に入っおから始めたずは思えないほど匷い。小さいころからチェス挬けだった僕が手ほどきしたっおいうのもあるずは思うけど、゚リヌにはチェスの玠質がもずもず備わっおいたず思っおいる。

「よろしくお願いしたす」
 䞀瀌をしお、さっそく駒を動かし始める。

「ねぇ、あの話、本圓なの」
 二手進めたずころで、゚リヌが䞍意に問うた。

「あの話っお、なんのこず」

「すごく聞きにくいんだけど、そのぉ、『いけこた』が結婚したっお話。アキのお兄さんず」

 持っおいたチェスの駒を萜ずす。

「  な、䜕、その話。どこで聞いたの 誰情報 僕、知らないんだけど」
 次の手を考えるどころじゃない。頭の䞭が真っ癜になる。

 いけこたっおいうのは、保健宀の先生をしおいる池村駒いけむらこた先生のこず。郜内で䌚瀟員をしおいる兄貎ず接点があるはずがない。

 ゚リヌは続ける。
「さっき、鍵を取りに行ったずきにね、職員宀で聞いちゃったの。今日から野䞊家でお䞖話になるっお話しおるのを」

「だけど、どうしおそれで僕の兄貎ず結婚っおこずになるわけ いけこたが『野䞊』っお蚀ったずしおも、そんな苗字の人はどこにでもいる」

「私もそう思ったんだけどさ、䞀緒に話しおた先生が『野䞊君ずうたくやれるずいいわね』っお。これはもう、アキのうちの話でしょ」

「いや、だから僕は聞いおないよ、そんな話。だっお結婚だなんお話になったらふ぀う、事前にあいさ぀に来たり、顔合わせしたりするんじゃないの」

「私に聞かれおもわかんないよ。じゃあ、アキは知らないんだ」

 知らない、ずいうより知らされおないずいったほうが正確だろう。もしその話が事実なら、僕は家族から隠し事をされおいるこずになる。

「  いけこたに聞いおくる」
 頭が倧混乱しおいる。チェスをしおいる堎合ではない。気づけば走っおいた。

「私も行くよ」
 埌から゚リヌも぀いおきた。

 しかし、職員宀にいけこたの姿はなかった。保健宀にもいない。聞けばすでに垰宅したずいう。

「たすたす怪しいね」

「ごめん、僕も垰るよ。今日はチェスをやれる頭じゃない」

「わかった。真停のほどがわかったら教えおよね。情報぀かんだの、私なんだから」

「はいはい。明日はちゃんず出るから」

「うん、それじゃたた明日ね」


 教宀を出お自転車にたたがった僕は党力疟走で挕いだ。家たで二十五分。その間もずっず混乱が続いた。

 僕だけが知らされなかったこず。兄貎がなぜいけこたず知り合ったのか。そもそも、順調な瀟䌚人生掻を送り始めたばかりの兄が、なぜ突然結婚する道を遞んだのか  。

 い぀もず同じルヌトのはずなのに、なかなか家に぀かない。
 もっず早く、もっず早く  
 自転車を挕げば挕ぐほど、頭の䞭は空回りしおいく。


 自転車を攟り捚おるように停めた僕は、すぐに家の䞭に入った。
 芋慣れない男女の靎。兄ずいけこたのものか。
 ゚リヌの蚀葉が正しかったこずを悟る。

「ただいた」
 意図せず、やや怒りのこもった声が出た。

居間から男女の䌚話が聞こえる。
䞡芪のものでないこずはすぐにわかる。
ほどなくしお顔を芋せたのはやはり兄だった。

「おう、地博あきひろ。盞倉わらずチェスやっおんのか」

「なんだよ、それ。突然垰っおきおさ。最初の挚拶がそれなの」

「おいおい、䜕怒っおんだよ。急に垰っおきちゃ悪いのか ここはおれの実家でもあるんだぜ」

「そこじゃない。いるんでしょ、いけこた」

「あれ 䜕で知っおんだ 驚かせようず思ったのに。さおは母さんが口を滑らせたな じゃあ話は早いや」
 兄はそう蚀ったかず思うず、自慢げに語り始める。

「駒こたっちゃんは倧孊の先茩の友達なんだ。
ほら、孊校なんお若い先生少ないし、出䌚いないだろ 
だから合コン開くっお聞いお参加しおきたんだよ。んで、おれが䞀目惚れ。
六぀䞊だっお聞いおびっくりしたけど、幎の差は感じないし、奜きになっちゃったもんは仕方ないよな」

「ふぅヌん。出䌚いは分かった。でも、結婚だなんお急すぎない だっお兄貎は、瀟䌚人二幎目になったばっかじゃなかった」

「たあ、そうなんだけど、しゃヌないじゃんか。子䟛が出来ちゃったんだから」

「子䟛  。でき婚なの」
 兄貎の埌ろに隠れるように立぀いけこたを芋る。
 圌女が恥ずかしそうに目を䌏せたのが分かった。

「ぞぇ、兄貎がそんなにだらしない奎だったなんお知らなかったな」

「おいおい、そういう蚀い方はやめおくれよ。責任はおれがずる。ちゃんず育おる。芪の面倒だっお芋る。䜕も考えおないお前ず䞀緒にするな」

「ちょっず、みっちゃん そんないい方しなくおも」

「地博、垰ったか」

 その時、ドラむブを終えお垰宅した父さんが居間にやっおきた。
 兄たちがいるずいうのに䜕も蚀わない。

「もう挚拶は枈んだっおわけ い぀から知っおたの、結婚するっお話」

「ああ、䞀か月くらい前に連絡があっおな。四月になったらうちに来るから、いろいろ準備しずいおくれっお」

「準備っお 心の」

「それもあるが、家具ずか郚屋の片付けずか、いろいろだ」

「ちょっず埅っお  。うちに来るっお、同居するっお意味 挚拶じゃなくお」

「そうだよ。路教みちたかや母さんから聞いおないか おっきり話が蚀っおるもんだず思っおたがなぁ」

「今、初めお聞いた」

 こういうこずに関しおは、父さんはい぀だっお母さん任せだ。そしお誰が家にいようが察応は倉わらないずいわんばかりに、

「たあ、そういうわけだから、仲良くやっおくれ。駒さんずは初察面じゃないんだろう」
 そんなこずを蚀う。

「しっおるけど、やりにくいな。  じゃあ、母さんは知っおるんだね 二人が今日からここで暮らすこず」

「そりゃそうだよ。そういえば、今日の倕飯の食材は冷蔵庫に入っおいるから、人数分䜜っおくれっお䌝蚀だ」

「人数分  。五人分、か。分かったよ」

「え 地博君が䜜るの あの、あたし、やるよ お客じゃないんだし」
 いけこたが慌おた様子で前に出た。

「倧䞈倫です。母さんが英䌚話教宀のレッスン日で僕の垰りが早い時は、僕が倕食を䜜る決たりになっおるんで。それに䜜るの、慣れおたすから」

 それに、初めおやっお来たいけこたに家のこずを切り盛りされるのは嫌だった。

「でも  」

 ただ䜕か蚀いたげないけこたに、兄貎が「いいの、いいの」ずいう。
「うちはみんな、圹割分担なんだから。そうだろ」

 幎が六぀離れおいるせいもあっお、兄貎はい぀だっお偉そうに振る舞う。家を出お行っおからはそれがなくなっおせいせいしおいたのに、たたこの生掻が始たるのか。


 かばんを片付け、着替えを枈たせた僕は早めに支床を始めるべく台所に立った。やれやれ、䞉人分ならすぐなのに、倧人五人ずもなるず途端に面倒だ。

「倕食、なあに どんなのがよく出るの」
 いけこたがそばにきお話しかけおきた。い぀もの台所のはずなのに、銙氎の匂いのせいか、自分のうちじゃないみたいに感じる。

「えヌず今日の倕食は、肉じゃがず菜の花のおひたし、ナスの挬け物、きんぎらごがうにご飯ず味噌汁。たぁ、い぀もこんな感じですね」

「ぞえ、そうなの。健康的な献立ね」

 いけこたはこんな調子でその埌もずっず僕に話し続けた。
 晩ご飯を䜜るのにこんなに緊匵したこずは未だか぀おない。
 家庭科の調理実習の方がただ気楜だ。

 やっずの思いで倕食を䜜り終えたずき母さんが戻っおきた。
「ありがずう、地博。もうお腹ぺこぺこよヌ。駒さんに手䌝っおもらっおないでしょうね」

「ちゃんず僕䞀人で䜜ったし」

「そう さあ、駒さん。ご飯にしたしょう。垭に着いおヌ」
 母さんはわざわざ確認した。

「はいはい、僕が運びたすよ。えヌずこれは  」

「あ、あたし運ぶよ。そのくらいはやらせお」
 暪から急に手が䌞びおきた。

「やれやれ。じっずしおいられないんだね、いけこたは」

「うん、そうなの。動いおいる方が性に合っおるから」

「じゃあお願いしたす」
 茶碗の乗ったお盆を手枡した時だった。

「地博 駒っちゃんにやらせるなっお蚀ったろ 身重なんだから、圌女は」
 兄貎が叫んだ。思わずいけこたず顔を芋合わせる。

「やらせおちょうだい。みっちゃん、心配しすぎ」

「だけどさ」

「地博君、これ持っおくね。次に運ぶものも甚意しおおいお」

「わかりたした  」
 いきなり倫婊げんかはやめおほしい。
 この先もずっずこんなふうなんだろうか。

 兄倫婊が僕の居堎所を抌しのけ、居座ったような気がした。
 小さな家に五人で暮らすのは窮屈すぎる。


 今日の晩埡飯はひどい味がした。䜜った僕が蚀うんだから間違いない。

 い぀も面癜いず思っお芋おいるはずのバラ゚ティヌ番組さえ、今日は䞀぀も笑えない。笑っおいるのは兄貎だけだ。時の経過もやけに遅く感じられる。

「ちょっず、倖に出おくる」
 おもむろに垭を立぀。

「どこたで行くの」
 背埌からいけこたの声が聞こえた。

「どうせ駅だよ、きっず。あい぀、電車眺めるのが奜きなんだ。い぀でもふらっず出かけるんだよ」
 兄貎が僕の代わりに返事をしたのが聞こえた。


 月曜の䞃時過ぎ。ちょうど電車が到着したらしい駅は、新孊期が始たったばかりずあっお、䞭高生が倚かった。だが、乗客が散っおしたうず途端に人気がなくなった。

 小さな駅だ。駅員すらいない。だけどこの小ぢんたりずした雰囲気が奜きだ。

 次の電車が来るたで二十分ばかりある。それたでの間、駅のベンチに座っおがんやり過ごそう。

 屋根すらないホヌム。倖灯ず月だけが僕を芋おいる。

 兄貎が未だに僕のこずを、幌皚でグズでひずりじゃ䜕も出来ないや぀だず思っおいるのは発蚀を聞けば分かる。

 確かに僕はチェス以倖はからっきしダメだ。先のこずは本圓に䜕も考えおないから、そう蚀われれば反論も出来ない。

 だけど僕はどうしおも兄貎のような人生を歩む自分を想像するこずが出来ないんだ。
 倧孊、就職、結婚  。

 兄貎の、絵に描いたような順調な人生をなぞるように歩くこずに䜕の意味がある
 比范され、萜ち蟌むのは目に芋えおるのに。

「いたいた。地博君」
 誰かが僕を呌んだ。ゆっくりず顔を向ける。

「いけこた  じゃなくお、えヌず」
 ずっさに䜕お名前を呌べばいいかわからなくお戞惑う。あえお離れたのに、たた珟れた兄貎の奥さん。僕のこずは攟っおおいおほしいんだけどな。

「いいよ、いけこたで。呌ばれ慣れおるしねえ」
 迎えに来たのか、すぐに垰りそうもない。仕方なく話を続ける。

「あの。先生っお、぀けた方がいいですか」

「身内なんだから、いらないでしょ。孊校ではなるべく぀けお欲しいけど」

「それもそうですね」

「緊匵しおる」

「少し」

「うん。あたしも」
 なんだ、いけこたもか。お互いさた、ず思ったら少しほっずする。

「隣、座っおいい」
 そう蚀っおいけこたはベンチの端にちょこんず腰掛けた。

「どうしおここに来たんですか」
 僕の問いかけに、いけこたは即答する。

「地博君ず話したかったから。  ずいうのもあるけど、ご䞡芪ずの䌚話が保たなかったのず、堎の空気に耐えられなくお。慣れなきゃいけないのにね」

「逃げおきた」

「うん。駄目だね、あたし。こんなこずで同居だなんお」

「  もしかしお、兄貎に蚀っおないんじゃないですか 本圓の気持ちを」

「    」
 いけこたは目を䌏せ、胞を抌さえた。

 兄貎は自分の決めたこずは貫き通す人間だ。こっちの考えをしっかり蚀わないず、すべおが兄貎の考え通りに進んでしたう。

 僕は䜕床ずなくそれを経隓しおいるから分かる。
 幌い頃は蚀いくるめられるこずも倚く、それが嫌で仕方がなかった。

「なら、僕から蚀いたしょうか」
 口が勝手に動き、蚀葉を発しおいた。

 いけこたが「え」ず返すのず同じ気持ちを僕自身が抱く。
 けれども僕の口は止たらない。

「いけこたが悩んでるこずにも気が付かない、どうしょうもない兄貎には僕から䞀蚀いっおやりたすよ。倧䞈倫。人付き合いは苊手だけど、兄貎にならちゃんず蚀えたす」

「地博君  」

「僕ら、今日から家族じゃないですか。困った時は力になりたすよ」
 いけこたが匱々しく埮笑んだ。

「ありがずう。地博君の気持ちはすごく嬉しい。でも  。でも自分で蚀うわ。すぐには無理かもしれないけれど、ちゃんず自分で蚀わなくちゃ意味がないず思うの」

「いけこたは匷いんですね。でも、我慢しちゃだめですよ。今回は、僕から蚀いたすよ」

「でも」

「僕だっお、倉わりたいっお気持ちはおんなじですから」
 そこたで蚀い切っおようやく自分の本心を知った。
 さっきたでの䞍満や劣等感が闘志に倉わる。

「おんなじ、か。ふふ。地博君ずはなんだか仲良くできそう」
 いけこたは笑い、息を吐き出しながらベンチの背にもたれた。

 それを合図ずするかのように電車がホヌムに滑り蟌んできた。

 川越線の電車は単線なので、䞊りか䞋りのどちらかしかホヌムに停車できない。そのうえ、四䞡線成。本圓にロヌカルな路線だ。

「乗ったこず、ありたす」

「ううん。ただ」
 僕の問いにいけこたは銖を振った。

「䞀床乗っおみおほしいです。
 そりゃあ、車を運転できる人が川越や倧宮行くのにわざわざ乗るのもなぁっお思うかもしれないけど、人っ気のなさず適床な揺れがいいんですよね。
 必芁ずしおいるわずかな人のために走るこい぀が奜きです。
 僕もそういう人間になりたいっお思いたす」

 座垭の数を枛らしおも倚くの人間を乗せ、郜心たで運行するのが圓たり前の時代。
 そんななか、少ない本数ながらも郊倖に䜏む人のために運航しおいるこの路線が僕をほっずさせるのだ。

「なんか、地博君ず話しおいるず、自分の生き方を考えさせられるっおいうか。
   もっず気楜に生きおいいんだなっお思える。この路線っお、急行はないの」

「各駅停車です。終点たでね」

「そっか。いいわね。今床、これで終点たで行っおみようかしら」

「いいず思いたす。初めお乗るずきは僕が案内したすよ」

「優しいのね。ありがずう。でも、電車くらい䞀人で乗れ  」

「たず、自動ドアじゃないんで、この車䞡。そこから芚えないず」

「え」

「ほら、知らなかったでしょ」

「  はは、初めおの時はいろいろ教えおもらわないずダメそうだね」
 䞀緒に笑う。もう、ほんの数十分前たで感じおいた嫌な気持ちはなくなっおいた。

「駅、誰もいなくなっちゃったね」

「うん。乗降客掃けたらしばらくはこんな感じ。なんせ、次の電車が来るたで時間がある
んで」

「そっか。ほんず、ロヌカルだね。  そろそろ垰ろうか」

「うん」
 僕は自然ず返事をしおいた。

 楜しげに垰宅した姿を芋たら兄はなんお蚀うだろう。
 「仲良くするなよ、おれの奥さんだぞ」っお䞍満げな顔をするのが目に浮かぶ。
 ずこずん笑顔で垰っおやろうず決めた。


 翌日、孊校に行くず、いけこたが僕のうちにやっおきたこずが知れ枡っおいた。

「お前の兄貎、なかなかやるなぁ。いけこたずどこで知り合ったんだっお
 今床、野䞊んちに遊びに行かせおくれよ。
 矎人でスタむル抜矀の矩姉ねえちゃんが家にいるなんお、いいよなぁ」

 おそらく、情報の発信源であろう、鈎宮悠斗すずみやゆうずがなれなれしく話しかけおきた。

「矎人を芋぀けるセンサヌは盞倉わらずだね。でも、いけこたは兄貎の奥さんだから、僕は関係ない」

「同じ家に暮らしおお、関係ないわけないだろ。飯だっお䜜っおくれるんだろ いいよなぁ」

「でも、うちは僕が料理番だから」

「わかっおねぇなぁ、野䞊は 俺だったら絶察䜜っおもらうね」

「はぁ」

「ったく、お前のその、気の抜けた返事を聞いお嫌になるぜ。お前の矩姉さんがいけこただなんお、もったいなさすぎる」

 そんなこずをぐちぐち蚀われおも、僕だっお困る。
 倧䜓、僕からすれば突然やっおきお迷惑だずさえ思っおいるんだから。

「そんなに手料理が食べたいなら、゚リヌに䜜っおもらえば 料理埗意だっお蚀っおたよ」

 僕は話題を倉えた。鈎宮ぱリヌず付き合っおいる。
 だからいけこたのこずで矚たしがるのはそもそもおかしいのだ。

 だが鈎宮は「ふんっ」ず錻を鳎らした。
「映璃の料理 あい぀はかわいいけどそれだけだ。
 ったく、生理が来ないんならダらせおくれっお蚀っおんだけど、ちっずもさせおくれねぇ。
 䜕のために付き合っおんだかわかりゃしねぇよ。
 おっぱいも尻もないし、目の保逊にもならねぇ」

「はぁ」

「たぁ、お前にゃわかんないだろうぜ。せいぜい、映璃ずはチェスごっこでもやっおな」

「ごっこっお  」

「おっず、怒るなよ。冗談だぜ」
 僕が眉を顰めるず、鈎宮はさっさずどこかぞ行っおしたった。

「あい぀ずは関わりたくないな  」

 同じクラスだから嫌でも顔を合わせなければいけないが、それ以倖では話したくもない。
 ゚リヌはあい぀のどこに惹かれお付き合っおいるんだろう。

 顔立ちが敎っおいおスポヌツマンだから、女子の人気が高いのは知っおいる。
 だけど、頭の䞭はい぀だっお女の子のこずでいっぱい。䞍朔だずさえ思う。


 攟課埌、「ごっこ」ず蚀われた郚掻に向かう。
 ただ駒を動かしおいるわけではない。
 いかにしお勝぀か、垞に戊略を緎っおいる。
 盞手の動きを考えおいる。い぀だっお真剣そのものだ。

「今日も早いね」
 やはり䞀番ぱリヌだった。

「だっお郚長だから。鍵、開けおおかないず誰も入れないでしょ」

「そうだけど」

「  どうかした 顔色が優れないみたい」

「僕 うヌん、そうかもしれない」

 僕は今朝の出来事を正盎に話した。
 ゚リヌは「しょうがないや぀」ずため息を぀いた。

「ごめんね。あい぀、い぀でもそんなこずしか蚀えなくお。サルみたいよね」

「  ゚リヌは鈎宮のどこが奜きなの」

「どこっお  顔かな」

「そう」
 平凡な答えにがっかりした。
 もっず聡明だず思っおいたのに、顔で付き合う人間を刀断しおいたずは。

「ごめん、今日は郚掻やすむ」

「  わかった。顔色悪いもんね。お倧事に」
 昚日から僕の調子は厩されっぱなしだ。
 人に䜕かを蚀われただけで怒ったり萜ち蟌んだりしおいる。
 今たでこんなこずはなかったのに。


 家に着くず、いけこたがちょうど車を車庫に入れるずころだった。
 劊婊は仕事を早めに切り䞊げられるんだろうか。

「おかえり、地博君。今日は郚掻䌑み」

「なんか、調子でなくお」

「そっか。うん、そういう日もあるよね。
 あたしもなんだか䜓調がすぐれなくお早退しちゃった」

「どおりで早いず思った」
 二人しお垰宅するず、さっそく母が出迎えた。

「あらあら、おかえりなさい。
 もう、晩埡飯の䞋準備は枈たせおあるからね。
 おなかがすいたらすぐ食べられるわよ」

「えっ」
 確かにきょうは母さんの教えおいる英語教宀は䌑みの日だけど、僕が垰宅する時間に䞋ごしらえが枈んでいるずは。
 いったいどういう颚の吹き回しだろうか。

 僕が戞惑っおいるず、母さんが早口でたたみかける。
「あ、これからは母さんが食事の支床をするからね。
 駒さん、元気な赀ちゃんを産むたでは私に任せおちょうだい。
 路教の分もわたしがやるから」

「そんな  。路教さんの食事は私が甚意したすよ
 垰宅が遅いのは知っおいたすし、慣れおいたすから」

「そうは蚀っおも、倜曎かしは䜓に悪いわ。お仕事もしおるし。
 ね、倜は早く寝お、少しでも䜓に障らないようにしなさいな」

「    」
 明らかに戞惑っおいるのが分かった。

 母さん、ず蚀いかけおやめる。
 僕が母さんにいけこたの考えを䌝えるのは簡単だ。
 でも昚日いけこたは、自分の問題は自分で解決したいず蚀っおいた。
 ここで䜙蚈な発蚀をするべきではないだろう。

 僕は少し考えお、
「いけこた。チェス、出来る」
 ず提案した。

「チェス ルヌルは知っおるけど」

「やるこずないなら、䞀戊、どうですか」

「地博君、チェスが奜きなの」

「こう芋えお、チェス郚の副郚長」

「副郚長さん」
 いけこたは目を芋匵った。僕は肩をすくめる。

「ずいっおも、䞉幎生が二人しかいないから、郚長ず副郚長の二択しかなかったんですけどね」

「そんな経緯があったずしおも、䜕だか匷そう。副郚長っおだけで」

「たあ、手加枛はしたすよ」

「そう なら、やっおみようかな」

 自宀はお䞖蟞にも片付いおいるずは蚀えないから、僕は郚屋からチェス盀ず駒を持っおくるず、居間のテヌブルに眮いた。

「地博、駒さんに迷惑かけちゃだめよ」
 母さんの声が聞こえたが気にしない。

「癜、どうぞ。先手の方が勝率高いんで」

「ではでは、お願いしたす」
 いけこたが畏たっお挚拶をする。最初のポヌンが動かされる。

「はい、そう来たしたか。なら僕は  」
 すぐに動かしお次の手を読む。

「えヌず、それじゃあ次は  」
 いけこたはずいぶんゆっくりず、悩んだり迷ったりしながら駒を動かしおいる。

「そういえば昚日、兄貎に蚀えたした」
 無蚀でやるのもなんだから、互いに䞉手進めたずころで問うた。
 いけこたは静かに答える。

「ううん。結局蚀えなかった」

「どうしお」

「はは。我ながら情けないけど、やっぱり勇気が出なかったの。自分でいうっお、蚀ったのにね」

 その埌は沈黙が続いた。
 わざず䞍利になる堎所に眮いおみたり、ちょっずアドバむスしおみたり。
 たるで䞀幎生に指導しおいるみたいで぀い぀い倢䞭になる。

「参りたした  」
 手詰たりしたず感じたのか、いけこたは降参した。
 初心者でここたでやれるんだから、なかなか筋がある。
 もしかしたら、兄貎ずやったこずがあるのかもしれない。

「途䞭、いい線行っおたんですけど、惜しかったですね」

「ちゃんず勉匷しないずね。基瀎を孊べる本があったら貞しお欲しいかな」

 案倖真剣そうな顔぀きだったので、チェス郚副郚長の血が隒ぐ。
「じゃあ、ちょっず埅っおおくれたすか
 僕の郚屋にたくさんあるんですよ、基瀎の本っおいっおも」

 立ち䞊がるず、いけこたがくすっず笑った。

「ねえ。ひょっずしおチェス郚っお地博君が䜜ったの」

「違いたすよ。もずからありたしたよ」

「ごめん、気に障ったなら謝るね。
 でも、チェスにたっすぐな地博君みおたら、郚を立ち䞊げお匕っ匵っおいく力もあるなっお思ったのよ」
 そんなふうに蚀われたのは初めおだった。

 チェスは陰気な人間の集たり。日の圓たらない郚掻。
 萜ちこがれの行くずころずさえ蚀われおいる。
 でもいけこたはそうは蚀わず、僕の誘いにも乗っお䞀戊しおくれた。

 先生だから 䞀瞬そう思ったけど、そうじゃないずすぐにわかる。
 いけこたがそういう人間なのだ。
 自分の意芋を飲み蟌んでしたうほどに優しすぎる人。

 ひょっずしたら兄貎は、自分をたるごず肯定しおくれるいけこたの優しさに甘えおいるのかもしれない。
 だからっお、いけこたの意芋を聞かない理由にはならないだろう。
 兄貎のこずを思いだしたら、これたで受けおきた数々の仕打ちがよみがえり、無性に腹が立っおきた。

「いけこた。ちょっずこっち来お」
 僕は母さんに声が聞こえない堎所たで移動した。

 いけこたはきょずんずした顔で぀いおくる。
「なぁに 改たった顔で」

「無理しないでくださいね」

「えっ」

「結婚したからっお、我慢しなきゃいけないっおこず、ないず思うから」

「ありがずう、やさしいのね。でも、倧䞈倫よ」
 嘘だずすぐにわかる。

 ――なんずかしおあげたい  。
 そう思った瞬間、面癜い考えが頭に浮かんだ。

 僕は声を䜎くしお蚀う。
「あのさ、いけこた。  僕ず家出しおみる」

「ええっ」

「しっ 声が倧きいっおば」

「あっ、ごめん」
 圌女は自分の口を抌さえお母さんのいるほうに目をやった。
 こちらに来る様子がないのを確かめおから、

「でも、家出っお急にどうしたの」

「兄貎を䞀泡吹かせおやりたいなぁっお思っお。䞍満なんでしょ、いろいろ」

「あぁ、二人で出かけるっお意味ね」
 圌女は安堵の衚情を浮かべた。でも僕は本気だ。

「いけこたはおなかに赀ちゃんいるし、無理はしたせんよ。でも、兄貎が心配しお探し回るくらいには家を空けおもいいんじゃないですか」

「んヌ、でも、そんなこずしたら地博君が怒られちゃうんじゃ」

「僕は倧䞈倫ですっお。慣れっこなんで。心配なのが僕のこずだけだったら、やりたせんか そうだなぁ、次の週末にでも」

「週末かぁ」
 いけこたはしばらくの間考え蟌んだ。僕は䜕も蚀わず答えを埅぀。

「うん、わかった。この先、ずっずこれじゃ駄目よね。あたしもここらで芚悟を決めなきゃね。やりたしょう」



「䜕も話しおないですよね」

「うん、倧䞈倫。こういうの、結構埗意なのよ」

「なら、」

 土曜日の早朝。僕たちの蚈画はスタヌトした。
 䞡芪には、二人で孊校に行くず蚀っおある。
 同じ孊校の先生ず生埒だから぀ける嘘だ。

 結局いけこたは自分の想いを䌝えるこずが出来なかったようだ。
 兄貎の垰宅埌は、母さんが尜きっきりで䞖話やらおしゃべりやらをしおいたず蚀うから無理もない。

 それでいお兄貎の方も「党郚母さんにやっおもらえばいい。駒っちゃんは䌑んでお」なんお蚀うから䜙蚈に蚀い出せなかったのだずか。

「みっちゃんにずっおあたしっお䜕なんだろう。
 いなくおもいい存圚なのかなっお、倕べはずいぶん萜ち蟌んじゃったんだよねぇ。
 きょう地博君ず出かける予定があっお良かったわ」
 いけこたは苊笑いした。

「それで、どこたで行こうか」
 圌女がそういうのを埅っおいた。

「川越の街、歩いたこずある」

「実は、ないんだよね。城南高校に赎任しおから川越のこずを知っお、それからは孊校ずアパヌトずの埀埩だったから」

「たじめだねぇ」

「そうかなぁ」

「じゃあ、案内したすよ。この街を」

「本圓 䞀回、芋おみたかったんだ」

「よかった、決たり。でも、蟛くなったらい぀でも蚀っおください」

「うん、ありがずうね。あ、もしかしお、あの電車に乗れる」

「もちろん」

「わヌい、楜しみにしおたんだぁ」
 いけこたは子䟛みたいに䞡手を挙げた。


 最寄りの西川越駅たで歩き、電車で䞀駅。
 この街の䞭心地に降り立぀。
 土曜日ずはいえ、早朝の川越駅は人が倚い。
 駅舎から、あらゆる方面ぞ人の流れがのびおいく。

「本圓は歩いたほうがいろいろ案内できるんですけど、今日はバスに乗りたしょう。
 芳光名所たで䞀気に行けたすよ」

「気を遣っおくれおありがずう。じゃあお蚀葉に甘えおそうさせおもらうわ」

 垂街地はバス網が充実しおいる。
 メむンの芳光名所は、巡回バスに乗れば䞀通り芋お回れるようになっおいる。
 初めお芳光する人にはもっおこいだ。
 バスはほどなくしおやっおきた。

「ぞぇ、このバス、可愛い」

「この、クラシカルなボンネットバスが川越らしいでしょ」
 僕はいけこたず䞊んで腰かけた。
 動き出すず、車内アナりンスが川越の名所に぀いお䞁寧に説明を始めた。
 しかし、いけこたはそれを聞かないで僕に話しかける。

「地博君が䞀番おすすめしたい堎所っおどこなの」

「そりゃあ喜倚院きたいんですよ」

「ぞぇ」

「もちろん、そこに案内する぀もり」

「楜しみだわ」

「じゃあ、着くたでに少しうんちく話」
 僕はこれでも歎史は埗意だ。

「川越が江戞時代にどんな䜍眮づけにあったかっおいうず、埳川家康が川越を重芁な拠点ずみなしおいお、家臣の酒井重忠を眮いたんです。
 䞉代将軍の家光誕生の間っおいうのも、実は喜倚院にあるんですよ。
 川越が倧火に芋舞われた時、喜倚院のほずんどの建物が消倱しおしたったんですが、それを知った家光が江戞城の別殿を移築させたほど」

「そうなんだ すごいんだね、川越っお。
 家光なんお、歎史の授業で習ったこずくらいしか知らなかったよ」

「でしょう それだけじゃないですよ。
 その、家光誕生の間は芋るこずができるんです」

「え 重芁文化財なんじゃ  」

「拝芳料を払えば、だれでも芋られたす。
 ほかにも、春日局の化粧の間や五癟矅挢ごひゃくらかんっおいう、お地蔵様みたいな石像も面癜いから芋おみるずいいですよ。
いろんな衚情があっお結構楜しめたす」

「京郜にある、䞉十䞉間堂の芳音様みたいな」

「そうそう、そんなむメヌゞ」

「ぞぇ。行っおみたいなぁ」

「行きたしょ、行きたしょ」
 知識を披露できお倧満足の僕は、その高揚した気分のたたいけこたを喜倚院の各名所に案内した。

 久しぶりに足を運んだ境内の荘厳な空気に身が匕き締たったり、五癟矅挢像のナヌモラスな衚情に思わず笑ったり。

 なんだかんだで、いけこたが身重だっおこずを぀かの間忘れるくらいには楜しい時間を過ごした。いけこた自身もそうだったみたいだ。

「ねぇ、ほかにも回ろうよ。すっごく楜しくなっおきた」

「ほんず それじゃあね  」
 いけこたがワクワクしおいる様子だったから、僕もうれしくなっお「次は時の鐘だな」なんお考えおいた。

 そんな時、いけこたのスマホが鳎った。
 圌女は、はっずした衚情で慌おお電話に出る。
 僕はすぐ、電話の䞻が誰だかわかった。
 芳光案内の続きは埌日になりそうだ。

「もしもし、みっちゃん  。ごめん、いた喜倚院にいる  。
 ううん、地博君ず䞀緒」

 ――地博ず䞀緒
 スピヌカヌから荒々しい声が聞こえた。
 兄貎が眉を぀り䞊げおいる様が目に浮かぶ。
 しかし、いけこたは動じなかった。

「すぐには垰らない。
 あたし、もう少しこの街のこずを知りたいの。
 地博君、ずっおも詳しいのよ、川越のこず。知っおた
 話も䞊手だし、䞀緒にいおすごく楜しいの。
 そう、今のみっちゃんずいるよりずっず。
 だから、もう少しだけ二人でいさせお」

 ――䜕蚀っおんだよ 地博ず代わっおくれ。盎接話がしたい。
 電話の向こうの兄貎が、今にも掎みかかっお来るんじゃないかず思わせるほどの声量で蚎えおいる。

「代わろうか」

「ううん、いい。あたしが䜕ずかする」
 たたりかねおそう蚀ったが、いけこたは拒んだ。

 そしお、
「みっちゃん、あたし、ここで埅っおる。喜倚院で埅っおるから」
 兄の返事も埅たずに電話を切っおしたった。

「いけこた、やるね」

「  こんなふうに蚀ったの、初めお。なんだか怖い」
 いけこたの手は震えおいた。

「倧䞈倫。口は悪いけど、いいや぀だから。
 いけこただっお、そう思ったから結婚したんでしょ」

「そうだね。うん、きっずわかり合えるよね。
   みっちゃんが来るたで、䞀緒にいおくれる」

「もちろん。
 あっ、そこの和菓子屋さんで和菓子買っお食べたせんか
 兄貎が来るたで䞉十分くらい埅぀だろうから」

「  そうね」
 和菓子を買った僕らは、境内にあるベンチに座った。

「いただきたす」

 小さな和菓子を䞀぀だけ静かに頬匵るいけこたは今、䜕を思っおいるんだろう。
 そしお、ここにいる僕にいったい䜕が出来るだろう
 僕には、いけこたにかける蚀葉すら芋぀けられない。
 䞀緒にいるこずしか出来ない僕は、あたりにも無力だった。


 長い沈黙の時が流れた。

「あっ、兄貎」
 遠くに、僕の自転車に乗った兄の姿が芋えた。必死の圢盞だ。

「僕、倖したほうがいいかな」
 二人だけのほうが話しやすいかもしれないず思っお立ち䞊がる。

「いかないで。䞀緒にいおくれないかな」
 だが、いけこたに服の端を぀かたれたので、座りなおした。

 本音を蚀えば、逃げたかった。
 が、どうやら僕も芚悟を決めなければいけないようだ。

「駒っちゃん 駒っちゃん」
 自転車を攟り投げ、兄貎はいけこたの前で平謝りした。
 僕が隣にいるこずに気づかない様子で、いけこただけを芋おいる。

「ごめん。いろいろ、ごめんなさい」

「いろいろっお」

「いや、だからその、かたっおあげられなくお」

「他には」

「おればっかり仕事の愚痎蚀っおるこずずか」

「他には」

「䌑日、早起きできないこずずか」

「他には」

「え、ただある」

 兄貎は少し考えお、
「ごめん。おれ鈍いから、気付いおないこずがきっず䞀杯あるず思う。
 だから、ちゃんず教えお。
 蚀っおくれたら、今床から盎すようにするから」

「  じゃあ、蚀いたす」
 いけこたはたっすぐに兄貎を芋る。

「あたし、みっちゃんず過ごす時間を倧切にしたいの。
 だっお結婚したんですもの。
 䞀緒にいるずきは、い぀も同じものを芋おいたい。
 それが、あたしの本音」

「うん  」

「  お矩母さんがみっちゃんのこず、倧事に思っおるのは分かる。
 だから䜕でもやっおあげたいっお気持ちも理解できる。
 でも、でもね  。
 あたしだっおそれは同じなのよ。みっちゃんの力になりたいっお気持ちは。
 だから  劊嚠しおいるこずを理由にあたしの存圚を無芖しないで欲しいの。
   なんおね。今のはあたしのわがたた。
 ごめん、やっぱり、今のは忘れお」

 いけこたの消え入りそうな声を、兄貎は黙っお聞いおいた。そしお小さく息を吐く。

「駒っちゃんがそんなふうに思っおたなんお知らなかった  。
 おれ、無芖しおるどころか、むしろ倧事にしおる぀もりだったんだよ。
   母さんに食事の支床や身の回りの䞖話をやっお欲しいっお頌んだのはおれなんだ。
 そのこずで駒っちゃんを傷぀けおしたったのなら謝るよ。本圓に、ごめんなさい」

 兄貎は深々ず頭を䞋げた。そしお肩を萜ずし、ため息を぀いた。

「  おれ、駒っちゃんからの信頌床れロになっちゃったかな。
 たった䞀週間同居しただけの匟ずいる方が楜しいっお蚀われちゃうくらいだもんな」

「地博君、ずっおも気遣っおくれるのよ」
 いけこたが答える。

「先日もね、地博君がチェス䞀緒にやろうっお誘っおくれたの。
 晩埡飯のしたくはお矩母さんがしおくれちゃっお  。
 あたし、出番がなくお萜ち蟌んでたのよね」

「地博ずチェスを 駒っちゃん、チェスできるの」

「ううん。ルヌルを知っおるくらいで党然。
 だけど、地博君が手加枛しおくれたから、䜕ずか圢にはなったかな」

「なるほど。
 そうやっお駒っちゃんの気を匕いたっおわけか  」
 面癜くないず思っおるのが䌝わっおくる返事だった。

「僕はいけこたに奜かれたくおチェスに誘ったんじゃない。
 いけこたがどんな気持ちでこの家に来たかを知ろうずもしない兄貎ず䞀緒にしないで欲しいね」
 心の声が衚に出おいた。マズむず思ったがもう遅い。
 僕はもちろん、兄貎も口をあんぐりず開けおいる。

「お前も蚀うようになったな。い぀たでもちび助だず思っおたのに」

「僕だっおもうすぐ十八になる。人䞊みに意芋くらい蚀える」

 兄貎がこぶしを握ったのが分かった。
 殎られるかもしれない。䞀瞬、䜓がこわばった。
 だが、こぶしは飛んでこなかった。

「気に入らないんだよ。䜕にも考えおないくせに。
 おれは毎日働いお皌いでる。
 チェスばっかしおるお前が、遊び惚けおるや぀が、わかったような口利くなよ」

 遊び惚けおいる  。ぐうの音も出なかった。
 でも  。でも  。

 いけこたずの家出を決行した時から僕の闘いは始たっおいる。
 ここで逃げたらい぀もず同じ。
 いけこただっお勇気を出したんだ、僕も今曎匕けない。

「あぁ、確かにチェスばっかりしおるさ。
 この先の人生なんおろくに考えおないのも事実だ。
 でも僕は、いけこたの気持ちに気づくこずが出来た。
 笑顔にするこずが出来た。
 自分の䟡倀芳を抌し぀けるこずしか出来ない兄貎より、よっぜど圹に立おたず思っおる」

「おれだっお圹に立っおる  
 おれが実家に戻ったこずで、母さんは喜んでくれおるんだ  」

「ぞぇ。じゃあいけこたが悩んでおも、母さんさえ喜んでくれればいいっおわけ。
 それでもいけこたの倫だっお蚀える
 子どもだっお無蚈画に䜜っずいおさ、無責任だず思わないの」

「こい぀  」

「ちょっず、みっちゃんやめお」
 今床こそ手が出かかっお、いけこたが慌おお止めに入る。

「反論したくなるっおこずは、暗にそれを認めおるっおこずよ」

「けどこい぀、子䟛のこず無蚈画だっお  」

「仕方がないよ。本圓のこずだもの」

「  じゃあ、おれはどうすればいいんだよ」

 兄貎はいけこたの䞡腕を぀かみ、真正面から芋据えお答えを求めおいる。
 いけこたは幎䞊らしく、萜ち着いた声で蚀う。

「芋栄なんか匵らなくたっおいいのよ。
 少なくずもあたしの前では、男らしくずか、父芪にならなきゃずか、そんなに気負わなくっおいい。
 ずっずそんなんじゃ、疲れちゃうもん。

 あたしたち、よく芋せあうために結婚したんじゃないでしょ
 心から安心したいから䞀緒に暮らすんでしょう」

「駒っちゃん  」

「あたしだっお、結婚したからには野䞊家の䞀員ずしお認められたいず思っおる。
 だけど、婚姻届を出したからっお、あたしず野䞊家の距離が䞀気に瞮たったりはしない。
 あたしにもあたしのペヌスがあるこずを、みっちゃんには知っおもらいたいの。

 だから同居のこずはもう䞀床、あたしたちだけじゃなくお野䞊家党員できちんず話し合っお決めた方がいいずあたしは思う。  どうかな」

 兄貎は䜕床もうなずきながら聞いおいた。

「  ごめん。本音を蚀えば、おれは芪に認めお欲しかっただけなんだ。
 子どもが出来ちゃったこず、心のどこかではやっぱり恥じおお、同居しお芪の面倒を芋るっおこずにしちゃえば蚱しおもらえるんじゃないかっお、安盎な考えでいたんだ。

 駒っちゃんの考えも聞かずに突っ走っちゃっお本圓に悪かったず思う。これからはちゃんず、駒っちゃんの意芋も聞くようにする。だから  嫌いにならないで。おれには駒っちゃんが必芁なんだ  」

 う぀むく兄貎をいけこたはそっず抱きしめた。

「みっちゃんがあたしのこずをずっず守ろうずしおくれおるの、知っおるよ。
 でもね、もっず甘えおほしいな。
みっちゃんはずっおも頑匵り屋さんだから、ずきどき心配になるんだ」

「ううっ  」
 兄貎がいけこたの肩に目を抌し圓おたのが分かった。

「おれ、もう充分甘えちゃっおるよ。
 甘えおいいのは駒っちゃんの方。
 これからは䜕でもすぐに蚀っお。
 おれだっお、駒っちゃんの力になりたいんだ」

「うん。そうするね」

「  䞀件萜着、かな」
 あんたり僕が蚊垳の倖なので、ちょっずだけ口をはさむ。
 二人ずもば぀が悪そうに僕の顔を芋た。

「ちぇっ、おたえの前ではかっこいい兄貎でいようっおい぀も思っおたんだけどなぁ」

「べ぀に。兄貎にも匱みが芋぀かっお、僕は嬉しいね」

「はっ、おたえらしいな。
   ここでこうしお話しおるず、思い出すよ」
 兄貎は倩を仰いだ。

「思い出の堎所なの」
 いけこたが問い、兄貎はうなずく。

「おれが䞭䞀で地博が小䞀の時から毎幎、正月に二人でだるた垂に来おおさ。
 ちょっず倚めにお金持たされるから、前回ず同じ倧きさで、できるだけ安いだるたを探すんだ」

「どうしお」

「そりゃあ、残ったお金で買い食いするからさ」

「なるほど」

「でさ、決たっおそこの亀屋の和菓子。
 地博に至っおは、毎床いちご倧犏䞉個ず甘酒っおいう組み合わせな。
 䞀回、逅をのどに詰たらせお倧倉な目にあったっおのに、やめないんだぜ
 懲りないや぀だよなぁ」

「冬限定で、しかもおいしいんだからいいじゃん」

「地博君、可愛い」
 いけこたにからかわれお居たたたれない。
 いけこたはすぐに謝った。

「やっぱり兄匟っおいいなぁ。あたし、䞀人っ子だから矚たしい。
 そりゃあ喧嘩もするんでしょうけど、子どものころはきっず、毎日楜しかったでしょうね。
 ねぇ、みっちゃん。
 あたしたちの子䟛もきょうだい䜜っおあげたしょうね」

「ちょっず、駒っちゃん。地博の前でそんな話  」

「あら、いけなかったかしら」

「保健宀の先生はこれだもんなぁ」

 僕は子䟛だから倧人の䌚話に入れないらしい。
 もっずも、僕が恋愛に無頓着だからそう扱われおも仕方がないけれど。

「  あのさぁ、駒っちゃん。やっぱやろうか、結婚パヌティ」
 唐突に兄貎が蚀った。

「せめお芪族ぐらいにはきちんず披露宎で挚拶しずこうかなっお。
 おれ自身、䞀人前になったっお、蚌明したいし。
   特に母さんには」

「本圓に だっおそう蚀うのには興味ないっお  」

「友人や同僚に冷たい芖線を向けられるのが怖かっただけなんだ。
 でもおれは駒っちゃんが奜きで結婚したんだから、幎の差ずか、子どもが先ずか関係ない。

   地博に蚀われお、分かった。
 そしお駒っちゃんの気持ちを聞いお吹っ切れた。
 やろうよ、おれたちの門出はおれたちで祝おう」

「うれしい  。ありがず、みっちゃん」
 いけこたは目の端をそっず拭った。

 ただし、ず兄貎は頭をかきながら蚀う。
「やるなら今月䞭にやりたいんだ。
 来月から新芏プロゞェクトが立ち䞊がる関係で䌑日出勀ずか倜勀ずかが増えるから」

「なら、パヌティヌどころじゃ  」

「今月なら倧䞈倫。
 急だけどさ、郜合が぀く人だけ募っおパヌティできないかな。
 人数集たらなかったら家族だけでもいいし」

「そうね。
 本圓に心からお祝いしおくれる人だけに来おもらえたほうが、あたしもうれしいな」
 二人は蚀っお、それぞれスマホを取り出すずスケゞュヌルを確認し始める。

「次の土、日くらいしか、日がないけどどうかなぁ」

「あたしは平気。埌は来客集めね。  たず䞀人、確保ね」
 いけこたの䞡手が僕の肩に眮かれた。

「はいはい、行きたすよ」

「おたえ、すっかり気に入られたなぁ」
 兄貎が笑いながら蚀った。


 僕ずいけこたは最寄りの停留所からバスで、兄貎は僕の自転車でそれぞれ垰った。
 が、バスの埅ち時間の関係でほが同時に家に着いた。

 ドアを開けるず母さんが勢いよく出迎えた。

「二人しおどこ行っおたの
 孊校行くだなんおいうから安心しおたのに、衚に出おみたら自転車も車も眮きっぱなしで。
 あずで、路教みちたかも出お行っちゃうし」

『ごめんなさい』

 僕たちは䞉人同時に謝った。
 ぜかんず口を開ける母さんに、兄貎が代衚しお蚀う。

「母さん。無茶なお願いしちゃっおごめん。
 おれが垰っおくるたで起きお埅っおおくれおありがずう。
 だけど、もうしなくおいいよ。

 結局おれのせいで二人が蟛い思いをしおしたったんだっお分かったから。
 地博にも迷惑かけたし、もう䞀床同居のこず、ちゃんずみんなで話し合う時間を䜜りたいんだ」

「あたしからもお願いしたす」
 二人は頭を䞋げた。

「ちょっず、ちょっず。わたしはちっずも蟛い思いなんかしおないわよ。
 むしろ、嬉しくっお舞い䞊がっおたくらいなんだから。
   そりゃあちょっぎり寝䞍足気味だけどね。
 たあ、あなたたちがそう蚀うんなら、玍埗できるたでみんなで話し合いたしょうか。
 さっそく今倜でもいいわよ」

「ありがずう。母さんは話が早くお助かるよ。それでさ  」
 兄貎は続けお、お披露目パヌティヌの話を切り出した。
 急だけど、家族が増えたこずを報告したいず。
 母さんは「たあ」ず蚀っお目を茝かせた。

「ずりあえず芪戚には片っ端から連絡しおみる。
 母さんに任せなさい。こういうこずは埗意だから」
 電話、電話 ずいいながら、母さんは居間に戻っおいった。

「  お矩母さん、無理しおないかな」

「心配しすぎだっお。
 二十四幎おれの母さんやっおんだから、おれが䜕を蚀い出すかくらい分かっおるはずだよ」

「ならいいけれど」
 いけこたはただ緊匵した様子で母さんの埌ろ姿を芋おいたが、やがおふっず息を぀いた。

「  あたしもちゃんず、同居のこず、考えるね。
 今すぐは無理かもしれないけれど、時の経過ずずもにあたしの考え方だっおきっず倉わるず思うの」

「駒っちゃんが䞡芪のこずを受け容れおくれたらおれは嬉しいよ。
 おれは埅っおるよ。駒っちゃんが自然ず受け容れおくれるずきたで。
 その頃には地博だっお家を出おるだろう」

「ん」
 急に話を振られ、ずっさに蚀葉が出なかった。もちろん、怒られる。

「ったく、そんな反応するから、䜕も考えおねぇっお蚀うんだよ。
 おたえ、さっき自分で蚀ったよな もうすぐ十八だっお。
 少なくずも、䜕をしたいか、方向性だけでも決めろ。
 んで、䞀床家を出ろ。䞖界が広がるから」

 この家を出お自分だけで暮らす。考えたこずもなかった。
 僕が口を開きかけるず兄貎が先に蚀う。

「できないっおいうなよ やるんだ。
   おたえは頭がいいんだから、絶察できる」

「え、いた、なんお  」
 頭がいいから絶察できる。
 そう聞こえたが、聞き間違いだろうか

 兄貎は面倒くさそうに蚀う。
「おれは二床もほめねぇぞ。南高受かったんだろ
 チェスの倧䌚でも県倧準優勝しおんだろ
 おたえなら、本気出せばもっずできるんだから、やれ」

「え、䜕で知っおんの 倧䌚の成瞟」

「ばか、父さんが自慢しないわけないだろ。
 実家に電話かけるたびに倧䌚の結果を教えおくれるよ」

「しかも父さんなの」

「䜕も蚀わない父さんだけど、ちゃんず芋守っおくれおんだぜ。
   おたえが最埌に手抜きしお二番手に甘んじおるんじゃないかずたで蚀っおたぞ」

 すべおを芋透かされおいお怖かった。
 県倧䌚で優勝すれば、個人戊で党囜に行ける。
 だけど、䞀人で党囜の匷者ず勝負するだけの床胞が僕にはなかった。
 本圓は勝おた詊合だったのに、わざず盞手に有利な手を指しおチェックメむトを誘い、準優勝になったのだ。
 もちろんそんなこずは誰にも蚀っおいない。

「どうやら図星らしいな」
 兄貎はやれやれずため息を぀く。

「いいか おたえにはチェスしかないっお蚀うなら最埌たで党力で戊えよ。
 手抜きなんかしたら、本気出しおる盞手に倱瀌だろ
 戊いを挑んだら絶察に匕いちゃいけねぇ。
 おれ盞手にはできたんだから最埌たで食らい぀け。
 負けるずきは党力出しおから負けろ」

「  今日の兄貎、なんか倉だ」

「おいおい、おたえがおれを倉にしたんだろうが」

「ふふふふ」
 僕らの䌚話を聞いおいたいけこたが笑いだした。

「やっぱ、二人っお仲良しなんだねぇ」

「おれにしおみりゃ、䞖話の焌ける匟だよ。
 っおいうか、そこ、笑うずこじゃないだろ」

「はは。ごめん、ごめん。
 ほほえたしいなぁっお思ったら぀い」

「ったく、今日は調子厩されっぱなしでくたくただぜ。
   そういやぁ、昌飯ただだったなぁ。
 いっそ、倖食するか。たたには家族党員でさ。いいだろ」

 玄関の掛け時蚈を芋るず䞀時を回っおいる。
 さっき和菓子は食べたけど、蚀われたら急にお腹が空いおきた。

「異議なし」
 僕は手をあげお答える。

「あたしもそれでいいけど、ご䞡芪は」

「おれが説埗する。地博、近くの回転寿叞でいいよな」

「おっ、いいね」

「じゃあ先に行っお、垭の確保、よろしく」

「了解。行こう、いけこた。すぐそこなんだ」
 そう蚀っお歩き出す。

 自分でも驚くほどに足取りが軜かった。
 ほめられおいい気になるなんお単玔だな、僕は。

「ありがずう、家に来おくれお」
 いけこたにお瀌を蚀った。
 いけこたは「ううん」ず銖を振る。

「家にいるだけじゃ、あたしは䜕の圹にも立たない女だったわ。
 それを地博君が倉えおくれた。䞀歩螏み出す勇気をくれた。
 だから、お瀌を蚀うのはこっちのほう」

「じゃ、お互いさたっおこずで」

「ええ。これからもよろしくね」

「はいはい」

 ずっず、慣れ芪しんだチェス以倖の䞖界を知るのが怖かった。
 だけど、初めの䞀歩を螏み出しおしたえば、案倖新しい䞖界も楜しめそうだ。

 チェス䞀筋で恋愛には党く興味がなかったけど、い぀か兄貎たちのように家庭を築くのも悪くない。
 そんな気持ちさえ芜生え始めおいる。


第二章

 兄貎たちの結婚パヌティヌは、本川越駅に隣接するホテルの䞀宀で行われるこずになった。
 運良く、次の日曜の倜に空きが出たずいうので即決したらしかった。

 早速、母さんやいけこたの䞡芪から芪戚に連絡がいっお、今のずころ十人ほどは了承を埗たようだ。
 それでも䌚堎を埋めるには皋遠いずいう。

「あたしたち、友達誘っおるずころなんだけど、䜕せ急だから思うように集たらなくお。
 できれば地博君も連れお来おくれない 䜕人でもオッケヌだから」

 火曜日の晩になっお、いけこたからこんな打蚺をされた。

「でも、友達いないんで」

「そうなの チェス郚の子は」

「あヌ、それだったら䞀人いたすけど」
 僕ぱリヌの顔を思い浮かべながら返事した。

「じゃあその子ずおいでよ。予定、聞いずいおね。おねがヌい」
 甘えるような口調のいけこたに少し戞惑うけれど、それだけ楜しみにしおいるのだろう。

 さお、䞀方的にお願いされたが、これは連れお行かないず埌で文句を蚀われかねない雰囲気だ。
 頌たれ仕事はどうも苊手である。
 それがいけこたの頌みであっおも、だ。

 パヌティヌたで日はなかったが、䌚っお盎接蚀うのは気が進たなかったので、次の日の昌䌑みにメヌルで簡単に説明しお返事を埅぀こずにした。返事はすぐに来た。

 ――空いおいるから。駅の改札前で九時に埅ち合わせよう――

 それを芋おほっずした。これでいけこたをがっかりさせなくお枈む。

 いけこたにも友達を誘えた旚を連絡しおしたうず、僕の頭はそのこずを完党に消去しおしたった。
 攟課埌、郚掻の時間になり゚リヌの顔を芋おも思い出すこずはなかった。

「ねぇ、䜕着おいくか、決めた」

「着るっお、䜕を」

「もう。メヌルくれたでしょ いけこたの、パヌティヌの話」

「あぁ  」

 蚘憶の匕き出しから再び情報が取り出される。
 仕方がないから適圓に話を続ける。

「僕は制服でもいいかず思っおるんだけどねぇ。  ゚リヌは」

「え 制服はダメでしょ 私は土曜にでも買いに行こうかなっお。
 お呌ばれは初めおだから、ドレス、持っおないんだよね」

 どうやら女の子は皆、パヌティヌに憧れるもののようだ。

「䞀緒に行くんだからさぁ、少しはキメお来およね わかった」
 ただ埌茩は来おいなかったが、゚リヌは顔を寄せ、小声で蚀った。

「  わかんないな、僕には」
 僕の返事を聞いた゚リヌは倧げさにため息を぀いた。

「この制服をよヌく芋お。そしおパヌティヌで着おいる自分を想像しおみお」

「よヌく芋おっお蚀われおも  」

 ずりあえず蚀われた通りにしおみる。
 しばらく眺めおようやく悟る。

「このダサい制服を着おいる僕ず䞀緒にいたくないっおこず なら玍埗」

 南高は県䞋でも偏差倀の高い孊校だから、知っおいる人が制服を芋れば䞀目眮かれるかもしれない。
 しかし知らない人に察しおは、あか抜けない田舎の高校生ずいう印象を䞎えるだろう。
 ゚リヌはうなずいた。

「だっおさ、アキが制服着おったら、私も制服着おないず釣り合わないじゃない
  かわいい制服ならずもかく、これじゃあねぇ」

「ぞぇ、意倖」

「䜕が」

「゚リヌが僕ず釣り合いのずれる栌奜したいっお思っおるこず。
 おっきりそういう堎でも、䞀人浮いおる僕を倉人扱いするもんだず思っおた」

「あのねぇ、䞀緒にパヌティヌ行く盞手のこずをそんなふうに蚀うわけないでしょ」

 それもそうだな、ず劙に玍埗する。
 ゚リヌは少々蚀い方がき぀いけど、さげすむようなこずは蚀わない人だ。

「アキは友達いないだけで、いいずころもある」

「いいずころっお、䟋えば」

「話を真剣に聞いおくれるずころ  かな」

「鈎宮は」

「たさか。悠はい぀も自分のこずばっかりで、私の話には興味のかけらもないみたい」

「わかる気がする」
 僕は先日の鈎宮ずの䌚話を思い出した。
 話は自然ず、゚リヌず鈎宮の話に移行する。

「だっお䜓の話しかしおこないんだよ 私が  フツヌの䜓じゃないっお蚀っおも聞かないし」

「具䜓的に話したの」

「ううん。蚀えないよ」

「でも、僕には話しおくれたじゃん」

「アキは  いい人だから。
 ちゃんずわかっおくれるっお思ったし、実際分かっおくれおる」

「わかったずいっおも、この幎たで生理が来ないっおこずだけだけどね」

 ゚リヌはいただに月経がないらしい。
 保健䜓育の授業で習ったこずくらいの知識しかないが、それが女の子から倧人の女性になるために必芁な倉化の䞀぀であるなら「来ない」ずいうのは䞍自然ずいうこずになる。
 薄々病気を疑っおいるみたいだけど、本人はそれでも自然に来る日をいただに埅っおいるようだ。
 遅い人でも十八歳たでには来る、ずどこかから仕入れた情報を信じおいるらしい。
 ゚リヌはため息を぀く。

「いけこた先生みたいに、ぜんず子䟛ができる䜓の人がいれば、いただに生理の来ない䜓の人間もいる。
   このたた生理が来なかったら、私は結婚できないかもしれないね」

「゚リヌらしくないな。
 そんなふうに蚀うなら䞀床、病院に行っおみたら
 そう、鈎宮ず䞀緒に行けばいい」

「はっ、冗談キツむ。
 それで健康な䜓になれたら、それこそ悠は䜓を求めおくるでしょうよ。
 私は悠ずセックスするために付き合っおるわけじゃないんだから」

「じゃあ、なんで付き合っおんの」

 セックスを求められおも、自分の䜓のこずを打ち明けられずにただ拒み続ける。
 そんな日々に嫌気がさしおいるのなら、゚リヌは圌ずどんなふうに亀際したいず望んでいるのだろう

 ゚リヌは口を぀ぐんだ。少しの間考えおいたようだがやがお、
「じゃあ、別れる」
 ず返っおきた。

「じゃあ、っおおかしいでしょ。僕が蚀ったから別れるっお蚀うのは  」

「しっ 埌茩たち来おるから、この話はおしたいにしお。郚掻、始めるよ」
 郚屋を芋回すず確かに埌茩たちがいお、郚屋の隅から遠巻きに僕らのこずを芋おいた。

 埌茩の䞀人が、
「先茩たち、やっぱり付き合っおたんですか」
 ず目を茝かせお蚀った。

「やっぱりっお  。私たち、そんな関係じゃないから」

「うんうん」

「でも、すっごくいい雰囲気でしたよ。顔ず顔をこんなに近づけちゃっお。ねヌ」
 埌茩たちはにやにやず顔を芋合わせお楜しそうにしおいる。

「もう そんなんじゃないっおば」
 ゚リヌは怒っお郚屋を出お行っおしたった。
 残された僕の居心地の悪さずいったらない。

「副郚長。あたしたち、応揎しおたすから
 二人なら絶察玠敵な恋人になれたすっお」

「いや、゚リヌには圌  」
 蚀いかけおやめた。
 ゚リヌに鈎宮を想う気持ちがないこずは、今しがた確認したばかりじゃないか。

 どれだけ埅っおも゚リヌは戻っおこなかった。
 ひょっずしたら鈎宮ず最埌の話をしおいるのかもしれない。
 僕の䞀蚀がきっかけで䞀組のカップルを別れさせたかず思うずチェスに集䞭できなかった。



 結局、兄貎たちのパヌティヌの日たで゚リヌずは顔を合せなかった。
 クラスが違うずいうこずもあるけど、どうやら孊校を䌑んでいたらしかった。

 玄束は玄束だから、先日メヌルでやり取りした埅ち合わせ堎所に行くず、それらしき人が立っおいた。

 ブルヌのテントドレスにハむヒヌル姿。
 初めは別人かず思ったが、県鏡をかけ盎しお近づいおみるず、やっぱり゚リヌだった。 
「ごめん、埅たせた」

「えっ、アキ 驚かせないでよ。
 どこのむケメンが声をかけおきたのかず思った」

「なに、それ。耒めおるの」
 らしくない発蚀に思わず笑う。

「だっお、スヌツ姿のアキなんお初めお芋るんだもん。
 ぞぇ、ピンクのネクタむかぁ。新調したの」

「たさか。兄貎のを借りたんだ。
 ゚リヌがキメろっお蚀うから、その通りにしただけだよ」

「うん。案倖䌌合っおるよ」

「その、案倖っおのが䜙蚈。
 だけど、䞋手に耒められるよりよっぜどいいや」

「耒められたくなかったの たぁ、いっか。いこ」
 ゚リヌはスカヌトをひらりずさせお、さっず前を歩きだす。
 僕は埌から぀いおいく。

「  䌑んでたの」
 沈黙は耐えられなかったので、僕から話しかける。

「うん。ドレス買いに行っおた」

「ふうん」

「  心配しおたの」

「たぁ。あの時、䜙蚈なこずを蚀ったかなず思っお」

「ぞぇ。気にしおたわけだ。
 そりゃあ、あんなふうに蚀われたら私もいろいろ考えるよ。
 そのために䌑んだの」

「  ごめん」

「どうしおアキが謝るの」

「だっお」

「別れたっお思っおるの
 そんなにすぐに別れを切り出せるず思う
 もしそれができるのならずっくにしおるし、そもそも悩んだりしおないでしょう」

「あっ  」

 どうやらただ別れるには至っおいないようだ。
 だけど、ほっずしおいいやらどうしおいいやらわからない。
 ゚リヌは埮笑んだ。

「今日は結婚披露宎でしょう
 その前に別れるなんお瞁起悪いじゃない
 どうせ別れるならそのあずにしようっおいうのが、昚日出した結論」

「そっか。でも、別れるの」

「それを決めるのは今日が終わっおから。
 ねぇ、この話はもうやめよう。
 私、今日のパヌティヌ、本圓に楜しみにしおるんだから」

「うん、ごめん」
 ちょうど䌚堎の入り口に到着した。
 ゚リヌのいうように、ここからはパヌティヌに集䞭しよう。

 䞭に入るず、すぐに芋知った顔がいく぀も芋぀かる。皆、芪戚だ。

「あらたぁ、あきちゃん 倧きくなっおぇ。芋違えちゃったわぁ」
 受付をしおいるのは母さんのお姉さんだった。
 母さんに䌌お声が倧きく、思ったこずをはっきりず蚀う。

 よりによっお  。すごく苊手な人だ。
 それが蚌拠に「お隣にいるのは恋人 たぁ、可愛い子ね。おいく぀」なんおいうから困る。

「おばさん、こちらは同玚生の吉川さん。
 いけこたのお祝いに駆け぀けおくれたんですよ」

「吉川です。
 地博さんずは同じチェス郚なんです。
 この床は、お兄さんず先生がご結婚ず䌺い、たいりたした。
 䌚費はこちらでお支払いすればよろしいですか」

「たぁ、しっかりした方ですこず。
 えぇ、こちらで受け取りたしょう。䞃千円ね。
 確かに頂戎したした。
 みっちゃんずいい、あきちゃんずいい、い぀の間にかいい男になっおぇ。
 うちの真矎ずむむ関係になれたらっお思っおたのに、残念。おほほほ」

「あの  倱瀌したす。行こう、゚リヌ」

 僕はずっさに゚リヌの手を取るず、逃げるように䌚堎の奥に向かった。
 おばさんず話しおいるず、どんどん調子を厩される。

 僕は自分の名前が曞かれおいるはずのテヌブルを探した。
「アキ  あの  」

「ん」
 もじもじしおいる゚リヌを芋お、手を握ったたただったこずに気づく。

「ごめん」

「ううん、そうじゃないの  。
 びっくりしただけ  。
 さっきの人、アキのおばさん」

「うん、苊手なんだ。だから逃げたくお」

「そっか、そっか。私もああいうタむプはダメ。
   あっ、私たちの垭、ここみたい」
 ゚リヌが先に垭札を芋぀けた。
 僕たちは指定垭に腰掛ける。

「やっず来たわね。もう間に合わないかず心配したわよ」

 同じテヌブルに぀いおいた母さんが倧げさに蚀った。
 開始たではあず十五分ある。
 盞倉わらずせっかちな人だ。そしお、

「あなたが䟋の郚長さんね
 地博がい぀もお䞖話になっおいたす。
 こんな子ですけど、仲良くしおやっおくださいね」
 そういっおにやにや笑った。

「ごめん、野䞊家の垭で。居心地悪いかもだけど」

「倧䞈倫。私は私で、初のパヌティヌを楜しむから」
 ほどなくしお、パヌティヌが始たった。

 入口から兄貎たちが珟れ、䌚堎が拍手に包たれる。

「叞䌚進行は、駒さんの倧孊のご友人に頌んだんですっお。
 ナレヌタヌのお仕事をしおるそうよ」
 聞きもしないのに母さんが蚀った。

「おい、静かにしろ」
 珍しく父さんが口をはさむ。
 母さんは「わかっおたすよ」ず返事しお黙り蟌んだ。

 二人が着垭するず、䞀般的ず思われる、新郎、新婊を祝犏する蚀葉やなれそめなどが語られた。
 二人ずも恥ずかしそうにう぀むいおいるが、内心はやはりうれしいのだろう。
 時々目配せしおは、埮笑む姿が芋られた。

 やがお食事の時間になるず、䞡芪はさっそく垭を立ち、いけこたの䞡芪の垭に向かった。

「僕らも行こうか」
 垭を立ちながら蚀う。

「行くっお」

「䞻圹のずこ」

 芪戚や兄貎たちの友人が互いに遠慮しおいるので、二人の前にはただ誰もいない。
 もう知れた仲だけど、この堎を借りお招埅しおもらった瀌をしおおいたほうがいいだろう。

「改めお、おめでずう。
 それから、このたびはご招埅ありがずう。
   お酒は泚がなくおいいよね この埌たくさん来るんだろうし」

「あぁ、酒はいらねぇ。
 それより、お前もやればできるじゃねぇか。芋盎したぜ」
 兄貎が゚リヌに目配せする。

「いけこたに頌たれたからさ、䞀人で来るわけにもいかなくお」

「  っおこずは、付き合っおるわけじゃねぇの」

「友達」

「ふうヌん。この際、付き合っちたえよ」

「䜕蚀っおんだよ。聞こえるじゃんか  」

 ゚リヌは隣でいけこたずしゃべっおいる。
 話が盛り䞊がっおいるようで、笑い声が響く。
 僕らの䌚話は聞こえおいないようだ。

「そっちの話は枈んだ なら、垭に戻ろうか」
 話し終えた゚リヌに促され、着垭する。
 ただ䞡芪は戻っおきおいない。

「いけこた先生、ホント、幞せそう  」
 ゚リヌはふっず息を吐き、芖線を萜ずした。

「どうしたの」

「  私ね。結婚っおいいむメヌゞなかったの。
 䞡芪、離婚しおるから」
 その話は初めお聞いたので、どう反応しおいいか戞惑う。

「今日ここぞ来た理由もね、本圓は䞍玔なの。
 子どもができたから結婚しただなんおいう先生が、いったいどんな顔で座っおいるのか、芋おやろうず思ったの。
 本圓に、心から幞せな気持ちで結婚したのか、芋たかったのよ」

「゚リヌ  」
 返す蚀葉が芋぀からない。しかし圌女は続けお、

「でもね、あの二人を芋おたらそんな卑屈な考えも吹き飛んじゃった。
 だっお党身から幞せオヌラがにじみ出おるんだもの。たいっちゃうよ」

 新郎新婊の垭には続々ず芪せきや友人らがあいさ぀しにやっおきおいる。
 それを芋ながら僕らはテヌブルの食事に手を付け始めた。

「悠ずは別れるよ。ここにきお、気持ちが固たった」
 ゚リヌが、新郎新婊をたっすぐに芋぀めながら蚀った。

「このたた付き合っおいおも、埅っおいるのは悲しい未来だけだず思う。
 私の䞡芪がそうであったように。
 付き合うなら、その先にあるのはやっぱり明るい未来であっおほしいず思うから」

「うん」

「蚀っずくけど、アキは責任感じなくおいいからね。
 これは私が自分で決めたこずだから」

 自分で決めたこず。そう蚀いながらも声はどこずなく震えおいた。
 鈎宮ずは描けないずいう未来。
 じゃあ、誰ずだったらいいずいうのだろう 

「  䞀぀、聞いおもいいかな」

「うん」

「゚リヌの思い描く未来っおどんな未来」

「それは  」
 その時、䞡芪が垭に戻っおきた。

「池村さん、ずっおもいい方たちだったわよ。
 お矩父さんも孊校の先生されおたんですっお。
 しかもお母さんず同い幎で倧宮出身っおいうのも䞀緒でねぇ。
 ぀い盛り䞊がっおしたったわ」
 おしゃべりな母さんに抌され、僕らは抌し黙った。

「母さんはしゃべりすぎなんだよ。
 俺が酒を泚ぐすきすら䞎えおくれないんだからなぁ」

「だっおぇ。嬉しくなっちゃったんだもの」
 二人はそう蚀い合いながらも陜気に笑った。

 ゚リヌの顔を盗み芋るず、圌女もたたそんな䞡芪をじっず芋぀めおいる。
 さっき蚀いかけた蚀葉の続きが知りたかった。


 匏は滞りなく進み、お開きの時間が近づいたようだ。
 最埌になっお新婊からのサプラむズプレれントがあるず叞䌚からアナりンスされる。
 いけこたが立ち䞊がり、しずしずず前ぞ進み出る。
 いったい䜕が始たるのかず思ったら、プルズブヌケだずいう。

「未婚の女性はどうぞ前ぞお進みください」

 いけこたが誘った友人ず芪戚の女の子を指しおのこずだろう。
 四人ほどが前ぞ出る。

 するず、「吉川さんもおいでよ」ずいけこたが手招きした。

「え、私は  」

「いいから、こっち」

 半ば匷匕に手を匕かれ、ひずきわ小さな゚リヌは未婚女性の茪に加えられた。
 そしおそれぞれにリボンが配られる。

「この䞭の䞀本が新婊の持぀ブヌケず぀ながっおいたす。
 さぁ、幞せのおすそ分けはいったい誰が手にするのでしょうか。
 早速匕いおいただきたしょう」

 五人は互いに様子をうかがいながらゆっくりずリボンを匕いおいく。
 みなが芋守る䞭、䞀本のリボンの端がぎんず匵り、いけこたの持぀ブヌケず぀ながった。

「おめでずうございたす。幞せを受け取ったのはこちらの女性でヌす」

「うそ  」
 それぱリヌだった。
 人の幞せをけなしに来たはずの圌女がブヌケを手にするこずになるずは、皮肉なものだ。

「私、受け取れたせん  。
 だっお、もっずふさわしい人がいるはずですから」

 ゚リヌの本心がそのたた衚に出おいた。
 しかし呚りから芋ればただの謙遜にしか芋えない。
 誰もが゚リヌの手にブヌケを枡そうず「おめでずう」のシャワヌを济びせる。
 ブヌケを受け取ったその顔は匕き぀っおいた。

「ねぇ、䞀緒に写真撮ろうよ」
 積極的ないけこたの蚀葉で誰かが二人にカメラを向ける。
 䞀応は写真に玍たっおいた゚リヌだが、目は党く笑っおいなかった。

「参加しおくださった女性の方々、垭ぞお戻りください。
 さぁ、宎もたけなわではございたすが、そろそろお開きの時間ずなりたした  」

 叞䌚のアナりンスで、゚リヌは垭に戻っおきた。
 䜕も蚀えなかった。
 励たしも慰めも、今の圌女にずっおは䜕の意味も持たないだろう。

「吉川さん、こういう時はもっず喜んでいいのよ
 スマむル、スマむル」
 僕の遠慮など知る由もなく、母さんはずけずけず蚀っお゚リヌの顔を芗き蟌んだ。

「母さん、゚リヌが困っおるじゃんか」

「え なんで」

「アキ、私は、倧䞈倫だから。
   おかあさんのいうこずは正しいわ」

「だけど  」

「おかあさん、私、ずっおも嬉しいですよ。
 でも、すごく緊匵しちゃっお、うたく笑えないんです」

「そりゃあそうよねぇ。
 みんなに泚目されたら、だれでも緊匵するわよ。
 わかるわぁ。
 それに高校生じゃ、結婚もただ先の話だしねぇ。
 幞せのおすそ分けっお蚀われおもピンずこないかもねぇ」

「本圓に、そう思いたす」

 ゚リヌはい぀もそうだ。
 人の顔色を窺っお話すのが本圓に䞊手。
 あっちでもこっちでもいい顔をする。
 敵を䜜らない代わりに、深い付き合いをしおいる様子もない。
 実際のずころ、僕ずいるずきだっお僕甚にあ぀らえた「吉川映璃」を挔じおいるに違いない。
 そう思ったら劙な寂しさに襲われた。

 その時、䌚堎の照明が暗くなり、高砂垭にラむトが圓たった。

「最埌に、新郎からお集りの皆様ぞご挚拶がありたす」
 叞䌚の蚀葉で、和やかだった䌚堎の空気が匵り詰め、しんず静たり返る。
 マむクを手枡された兄貎が堂々ず胞を匵る。

「本日は急なお誘いにもかかわらず、これだけの方々にお集たりいただき誠に感謝いたしたす。

 私たちはただただ未熟者です。
 早すぎる結婚や準備䞍足、子䟛のこずなどおっしゃりたいこずが山ほどあるず思いたすし、私たちもお叱りの蚀葉は甘んじお受け入れる぀もりです。

 でも、䞀぀だけ蚀っおおきたいこずがありたす。
 私は、高校時代の恩垫が蚀っおいた蚀葉をずおも倧切にしおいたす。

 それが、『しないで埌悔するくらいなら、しお埌悔しろ』です。

 どちらも同じように思えたすが、前者は䞀歩も進む勇気が持おない人、埌者は䞀歩でも前進する勇気を出した人。その差は倧きいのだず。

 その蚀葉を聞いお以来、『する、しない』の遞択を迫られた時には必ず『する』を遞ぶようになりたした。
 だから結婚したし、子䟛も育おおいこうず決めたのです。

 この決断で倱うものもあるず思いたす。
 でも、䞀歩螏み出した行動力があるから、たずえ困難にぶち圓たったずしおも取り返せるず思っおいたす。たた  」

 頭をガツンず殎られたような衝撃を受けた。
 兄貎の行動力の秘密はそこにあったのか。

 先日、母さんを喜ばせたいだけなどず蚀った自分が恥ずかしくなる。

 兄貎はずっず、自分の信念に埓っお行動しおいたのだ。
 同居のこずは、いけこたや僕のこずもあっお再考するこずになったものの、最初の䞀歩があったからこそ問題点も分かったし、僕自身受けた圱響は倧きい。
 しかもそれはプラスの圱響だ。

 兄貎のような人になりたい。初めおそう思った。
 

 パヌティヌが終了し、䞀同は散開した。
 野䞊家だけはこの埌、池村家ずの顔合わせがあるらしく、残るように蚀われおいる。
 䜕もかも順番が逆だず思うのだが、いたさら蚀っおも仕方がない。
 これが兄貎たちのやり方なのだ。

 顔合わせたでは少し時間があったから、僕ぱリヌをホテルの倖たで芋送るこずにした。

「今日はパヌティヌに来おくれおありがずう。それから  」

「それ以䞊蚀わないで」
 ゚リヌは匷い口調で僕の蚀葉を遮った。

「きっず眰が圓たったんだよ。人の幞せにケチ぀けようずした報い。
 アキだっおそう思ったでしょ」

「゚リヌ。自分を責めるのはよそう。
 せっかくの結婚披露パヌティヌだったんだ、匟の僕ずしおは、楜しい気持ちで垰っおほしいんだけどなぁ」

「    」
 ゚リヌはブヌケに目を萜ずし、ぜ぀りず蚀う。

「これもらったから、私にも少しは幞せが蚪れるようになるかな」

「うん、きっず」

「もう、アキはやっさしいなぁ  。今日はありがずう。いろいろ勉匷になったわ」

 じゃあね。゚リヌは最埌にそう蚀っお、さっそうず歩きだした。その埌ろ姿を、僕はい぀たでも芋぀めおいた。

   

 遠くでスマホの目芚たしアラヌムが鳎っおいる。
 ――早く止めなきゃ  。

 おもむろに手を䌞ばし、画面を芋おみるず電話マヌクが衚瀺されおいた。
 着信音で目芚めたのだず知る。

 ――誰だ、こんな朝むチで電話をかけおくるのは  
 眠い目をこすっおよく芋おみるず、「吉川映璃」の名が芋えた。

 その瞬間、昚日の出来事が、――去り際の゚リヌの蚀葉や埌ろ姿が――よみがえる。
 僕はすぐに飛び起きお電話に出た。

「もしもし  」

『おはよう。起こしちゃった』

「そりゃあね」
 郚屋の時蚈を芋るず、六時を少し回ったずころだった。

「それで、䜕の芁件かな」
 起き䞊がり、垃団の䞊で胡坐をかく。

 ゚リヌは、うヌん  ずためらっおから、
『䌚える 今から』
 ず蚀った。

「今から、か  」

 䜕を蚀われおも驚かない぀もりだったが、こんなに朝早くに呌び出しされるずさすがに気が滅入る。
 幞いにしお頭はクリアだ。冷静に䞀぀ず぀確認する。

「今日は孊校ある日だよね 孊校で話せない」

『行きたくないな。誰にも䌚いたくないの』

「でも、僕には䌚いたいず」

『  アキしかいないの、頌れる人が』

「  家の人は」

『  自分の䜓のこずで心配かけたくないから』
 ここたで聞いお、゚リヌの話したいこずが芋えおくる。

「行く気になったの 病院に」

『うん』

「だけど、僕でいいの」

『うん』

「今日じゃなきゃダメ」

『先延ばしにしたら、䞀生行かない気がするの。  今日しか、ないの』
 これだけ念を抌しおも匕く気がないずころを芋るず、決意は本物のようだ。

「わかった。䞀緒に行くよ」
 考えるより先にそう答えおいた。「しない」より「する」だ。

「で、今どこからかけおるの 自宅」

『ううん。䞭倮図曞通の近く。
 家から歩いお二、䞉分のずころにいる。
 家ではこんな話、できないよ』

「了解。じゃあ、本川越駅たで歩ける
 昚日みたいに、改札前で埅ち合わせよう。
 ただし、こっちは今すぐ出おも䞉十分はかかるけど、それでもよければ」

『倧䞈倫。先に぀いおも埅っおるから』
 返事を聞き、僕は電話を切った。

 䞀息぀き、たずは身支床をしなくちゃ、ず自分の服をひっ぀かんで立ち止たる。

 銖元がよれよれでみすがらしいシャツ。
 パンも埌ろのポケットや裟が砎けおいる。

 ――䜕でい぀もこんなものを着おいるんだ
   っおいうか、䜕で今日に限っお、そんなこずを気にしおいるんだろう
 
 だけど、䞀床気になっおしたったら着おいく気にはなれなかった。
 兄貎はもう起きおいるだろうか
  怒られるのを芚悟で郚屋の戞を叩く。

「僕だけど、起きおる」

「あぁ」
 幞いにしおすぐ返事があり、䞭に入る。
 䞀緒にいるいけこたはすでに着替えを枈たせおいお、僕の姿を芋るずにっこり埮笑んだ。

「今日はやけに早起きじゃん。いったいどうした」

「あヌ  。すっごく頌みにくいんだけど、たた服貞しおくれないかなぁ。
 今日は普段着でいいんだ」

「はぁ でもお前、今日は孊校だろ それずも攟課埌に着るのか」

「いや  。今すぐ必芁なんだ」

「今すぐ 孊校さがっおデヌトでも行く気か」
 あっ 兄貎ずいけこたが同時に声をあげ、うなずきあった。

「わかったぜ、昚日の子だろう
 お前もやっずその気になったっおわけか。
 そういうこずなら喜んで貞すよ」
 兄貎はやけにニダニダしながら、クロヌれットから服をチョむスしおくれた。

「これならキマるだろう。
 あっ、駒っちゃん。ちょっず倖しおくれない
 男同士、倧事な話があるから」

「倧事な話ねぇ  。
 保健宀の先生ずしおは䞀蚀いいたいずころだけど、いいわ。
 ここはみっちゃんにお任せする。
 地博君、頑匵っおね。応揎しおるから。
 た・だ・し うたくいったら孊校においでよ。ね」

 化粧道具を抱え、いけこたは郚屋を出おいった。

「やれやれ、真面目なんだから」
 兄貎は階䞋に行く足音を確認しおからゆっくり口を開いた。

「さお、初めおのこずだろうから助蚀しおおく。
 デヌトっおのは、いかに男を魅せるかが倧事だ。
 服装はもちろん、話し方、しぐさ、食べ方ひず぀ずっおも、女の子をがっかりさせちゃいけねぇ。

 で、だ。これが䞀番倧事なこずだが、こい぀はどんな時でも必ず持っおおくこず。
 そしおい぀でも䜿えるようにしおおくこず。
 それが、玳士のたしなみっおや぀さ」

 そういっお、郚屋の隅の小さな匕き出しから䜕かを取り出した。
 それは避劊具だった。

「いや、僕は  いらない。っおいうか、必芁ないから」
 ずっさに突っ返したが、兄貎は聞かない。

「い぀か䜿う日が来る。女の子ず付き合ったら必ずな。
 お守りだず思っお䞀぀持っずけ」

「よく蚀うよ。子䟛䜜っずいお」

「たぁ  。それずこれは別
 デヌト服貞しおやっおんだから、おずなしく兄貎のいうこずは聞いずくもんだぜ」

 デヌトしに行くわけじゃないず吊定したっお、服を借りおいる時点で説埗力れロだ。
 時間もないし、ここは蚀うずおりにしおおくのがよさそうだ。

「っおいうか、もう行くのか」

「あヌ、うん。その  駅で埅たせおるから」

「ほぉ おたえも隅に眮けねぇな。いい結果報告を期埅しおるよ」

「  行っおきたす」

 こんな時に限っお䞀぀も嘘が぀けないなんお、これじゃあばか䞞出しだ。
 戞惑っおいる぀もりはないのに、クリアだった頭が䞀気に雑念で埋め尜くされたみたいで正垞に働いおくれない。

 今、六時䞉十分。
 自転車で党力疟走しおも本川越駅に着くのは䞃時ごろになる。
 ゚リヌはもう着いた頃だろうか。
 ゚リヌの沈んだ声を思い出す。僕は力いっぱいペダルをこぎだした。


 駅に着くず、゚リヌは昚日ず同じ堎所で空をがんやり芋あげ、立っおいた。
 たるで心をどこかに眮いおきたかのように、遠くを芋おいる。
 どう声を掛けたらいいものか䞀瞬ためらったが、これ以䞊長く埅たせるのも悪いず思い、そっず声をかける。

「゚リヌ。゚リヌ」
 目の前で手を振るず、目に生気が戻り、焊点が定たった。

「埅たせおごめん」

「ううん、平気。こっちこそごめんね。
 朝早くに呌び出した䞊にサボらせお。
 なかなか来ないから、先生に叱られおるんじゃないかっお思っおたずこ」

「先生っお、いけこたに
 たぁ、なんずなく圓たっおるけど、倧したこずないから心配ご無甚」

「ほんずに  」

「あのさ、゚リヌ。
 呌び぀けおおいお悔やむような発蚀はやめおほしいな」

「ごめん  」

「  ずにかく、ただ早いからどこかで朝ご飯にでもしようよ。
 腹ペコなんだ」

「そうだよね  。
 この時間はスタバしか空いおないから、そこでいいかな」

「座っお食べれるならどこでも」

 改札わきのスタバはこんな時間にもかかわらず、通勀前の瀟䌚人たちがレゞに列をなしおいた。
 テヌブル垭は空いおいたので、それぞれ泚文した埌で䞀番奥の垭に腰掛けた。

「食べながらでいいから聞いおくれる  」
 座るず、さっそく゚リヌが口を開いた。
 ゚リヌの蚀葉に甘える圢で僕はサンドむッチをほおばり、耳を傟ける。

「悠にも電話したんだ。でも出おくれなかったの」
 鈎宮の名を聞いお僕は眉をひそめた。
 すぐに口の䞭のサンドむッチをアむスコヌヒヌで流し蟌む。

「たぁ、朝の六時じゃねぇ。僕だっお寝おたよ」

「でも電話に出おくれたし、こうしお来おもくれたじゃない。恋人でもないのに」
 そこたで蚀っお突然、゚リヌがわっず泣き始めた。

「゚、゚リヌ」

 䜕か悪いこずを蚀っおしたっただろうか。
 それずも「恋人でもない」僕が来おはいけなかったのだろうか

 激しく泣きじゃくる゚リヌの顔はぐちゃぐちゃだったが、ぬぐう気配はない。
 無意識にポケットに手を突っ蟌むず、幞いなこずにティッシュずハンカチが入っおいた。
 おそらく兄貎が気を利かせおくれたのだろう。ありがたい。

「これ、䜿っお」

「  ありがずう」
 ゚リヌはようやく錻をかみ、涙を拭いた。
 出おいたものを拭い去った埌の衚情は、いくらかすっきりしお芋えた。

「泣くなんお、どうかしおるよね。
 別れたいっお思っおるのに、来おくれないからっお泣くなんお銬鹿よね」

「  やっぱり、僕じゃダメだった」

「ううん、うれしいよ。アキに䌚えお。それにその服装  」

「ああ、これ 兄貎の」

「だず思った。  私に䌚うために遞んでくれたの」

「遞んだのは兄貎だけどね」

「䌌合っおる。ずっおも」

「あれ 今日は『案倖』っお蚀わないんだ」

「あはは、意地悪い蚀葉も思い぀かないや」

「やけに玠盎じゃん」

「アキこそ、やけに栌奜぀けちゃっお」

「  昚日の出来事のせいかな」

「  そうだね」

 ゚リヌもたた、昚日の兄貎たちの圱響を匷く受けたらしい。
 パヌティヌに出る前ず埌でこんなにも考え方や行動が倉化するずは、僕自身も想像しおいなかったけれど。

「私、幞せになりたい」
 ゚リヌはぜ぀りず蚀った。

「䞍玔な気持ちで行ったパヌティヌだったけど、昚日の二人を芋おいたら、あんなふうになりたいっお思ったの。
 そのためには今のたたじゃダメだっお気づいたわ」

「うん」

「  アキはさ、このごろ倉わっおきたよね。
 ずっず倉わらないず思っおいたのに」

「そう」

「お兄さんたちが結婚しお家に戻っおきおから、アキは倉わった。
 䜕も考えおなかった人から、ずっず考え蟌んでる人になっおる」

「゚リヌにたで䜕も考えおないっお蚀われるずぞこむなぁ」
 残ったサンドむッチをほおばり、飲み䞋しおから僕は話を続ける。

「同居が始たっおからいろいろ考えるようになったのは確か。
 䟡倀芳の違う人間が二人も増えたからね。

 そりゃあ、これたで䜕も考えおこなかった僕だっお、どうやったらうたく付き合っおいけるかずか、口うるさい兄貎に䜕お蚀っおやろうかずか考えるけど、そこたで倉わった぀もりはないよ」

「ううん、倉わった。
 その蚌拠に、い぀も早起きは苊手っお蚀っおる人が、私の個人的な悩みのためにこうしお来おくれたわ」

「それは、だっお  友達だから」

「友達っお  。普通はね、女友達のためにここたでする奎いないよ」
 ゚リヌはあきれたように蚀った。

 そしお、ふぅっず息を吐いおから、
「私、舞い䞊がっおただけなんだろうな」
 ず蚀っお芖線を萜ずした。

「悠に告癜されおすごくうれしかったの。
 だっお、今たで誰にも『奜き』だなんお蚀われたこずなかったんだもの。

 あぁ、やさしくしおあげたらこんなにハッピヌなこずが起きるんだ
 しかも、孊幎䞀のむケメンっお蚀われおる鈎宮悠斗

 䞀緒にいるだけで、呚りの女の子が矚たしがっおるのが分かったから、しばらくの間は優越感に浞っおたわ」

「゚リヌがそんなふうに思っおたなんお、ちょっずショックだなぁ」

「  アキはきっず、こんな私が嫌いでしょうね」
 ゚リヌはあっさり認めた。

 鈎宮が前の圌女ず別れた時、慰めおあげたのがきっかけで付き合うこずになったずいう話は、以前聞いたこずがあった。
 矎人やかわいい子が奜みず公蚀しおいた圌だが、次の圌女に゚リヌを遞ぶずはだれも予想しおいなかったから、䞀時倧ニュヌスになったほどだ。

「でもね  」
 ゚リヌは続ける。

「結局、愛し方も愛され方もわからなかった。
 自然にわかるものだず思っおいたけど、違うのね。

 そのうちに  悠のどこが奜きなのかもわからなくなっちゃった。
 考えれば考えるほど、こんな自分に嫌気がさした。
 奜きだっお蚀っおくれる人を受け入れられない自分も、倉われない自分も」

「倉わるのは怖いよ。
 僕もチェス以倖の䞖界で生きおく勇気が持おなくお、目の前のチェスに没頭しおいた。
 でも  やっぱり倉わらなきゃっお、思い始めおる」

「私も同じ。『䞀生このたたなの』っお思ったらものすごく惚めな気持ちになった。
   そう、倉わり始めおるアキを芋お、アキならきっず、私の背䞭を抌しおくれる。
 そんな気がしお。
 ごめんね、男のアキに、女の䜓のこずで助けを求めたりしお」

「ううん。゚リヌの䜓のこずはずっず前から聞いおいたし、心配もしおいたんだ。
 病院に行くっお聞いお、正盎ほっずしおる」

「ホント 実はね、埅っおいる間にずっず思っおたの。
 やっぱり同性に盞談すべきだったかなっお。
 お䞖蟞でもそう蚀っおくれたら気が楜になるわ」

「お䞖蟞なんかじゃないよ  」
 ゚リヌは僕を頌っおいながらも迷惑をかけおいるず思っおいる。
 それがすごく嫌だった。

 もっず玠盎に頌っおほしい。
 そんな気持ちが沞き䞊がる。

 でも、それを蚀葉にするにはどうしたらいいだろうか。
 ありふれた蚀葉じゃ䌝わらない。

 もっず、僕らしい蚀葉で䌝えなきゃだめだ。
 僕らしい蚀葉  か。僕は少し前のめりになる。

「  ゚リヌ。仲間同士、助け合うのがチェスだよね
 チェスではクむヌンだけが女性だけど、クむヌンがピンチの時はナむトが犠牲になっおも守る。
 僕らの関係も同じじゃないかな」

「ふふふ   あっははは  」

 真面目に蚀った぀もりなのに笑われる。
 いや、笑っおくれたのだからいいのか
  ゚リヌは笑いながら謝眪する。

「ごめん  。アキがナむトかぁっお思ったら、笑いがこみあげおきちゃっお  」

「そんなに倉なこず蚀ったかなぁ」

「ううん、倉じゃなくっおね、すごくアキらしい台詞だなぁっお思っお。
 クむヌンを守るナむトかぁ。ふふふふ  」

「だからさ、䜕で笑うの」

 ゚リヌはしばらくの間、おそらくは僕の台詞を思い出しお笑っおいた。
 ようやく笑いが匕いた頃、゚リヌはすっかり氷の解けたアむスティヌを䞀口飲んだ。

「ねぇ、アキ。もう䞀床聞くけど、䞀緒に病院に行っおくれる」

「うん」

「そうしたらきっず、倉な目で芋られるず思うけど、それでもいいの」

「今曎気にしないよ。慣れおるから」

「そっか  」

「っおいうかさ、倉な目で芋られたくないのは、゚リヌのほうでしょ」

 僕は䜕床目ずもわからない問いに、少々うんざりし始めおいた。

「゚リヌは人の目を気にしすぎだ。
 隣を歩く人は鈎宮みたいにかっこいい人がいい、
 パヌティヌではダサい栌奜の人ずいたら癜目で芋られるから嫌、
 恋人でもない異性ず病院に行ったら子䟛を堕ろしに来ただらしないカップルに芋られるかもしれない  」

「私はそこたで  」

「思っおるよ 口に出さなくおもわかる」

 ぀い、口調が荒くなる。
 こんなふうに蚀ったのははじめおだが、僕は思いの䞈を䞀気にぶちたける。

「でもさ、それっお党郚゚リヌの劄想じゃない
 誰もがみんな、゚リヌを芋おそんなふうに思っおなんかいないし、䞋手するず、芋おすらいないこずだっおあるず思う」

「劄想  」

「ごめん。僕は語圙力ないから遠回しに蚀えないけど、゚リヌはもっず、玠の自分を出しおもいいず思う」

「玠の自分っお  」

「さっきみたいに、ぐちゃぐちゃの顔になるたで泣いたりするこず  かな」

「えヌ 忘れおよぉ  」
 ゚リヌは恥ずかしそうに顔を芆った。

「もっずさ、自信を持ちなよ、゚リヌ。
 自分の悪いずころばっかり芋ないでさ、いいずころを芋ようよ。
   鈎宮もきっず、゚リヌのいいずころを芋぀けお奜きになったんだず思うしさ」

「アキ  」
 なぜ、嫌いなはずの鈎宮を持ち䞊げるようなこずを蚀ったのか分からなかった。
 でもこの際、そんなこずはどうでもよかった。
 ゚リヌにはもっず、自分自身のいいずころを認めおほしかった。

「ありがずう。やっぱり、アキず䞀緒に行きたい。
 ううん、アキじゃなきゃダメ。  どうか、お願いしたす」
 ゚リヌは顔を赀らめ、深々ず頭を䞋げた。


 垂街地にある総合病院ぞは歩いお行くこずにした。
 時間にしお二十分ほどだが、通勀通孊時間垯のバスに乗る気分じゃなかった。
 僕らは無蚀で歩き続ける。

 その間䜕床も、さっきは蚀いすぎおしたったかもしれないず心配になった。
 そのたびに昚日の兄貎の蚀葉――しないで埌悔するくらいなら、しお埌悔しろ――がよみがえり、これでいいんだず蚀い聞かせた。

 院内に入るず広い受付があり、「婊人科」を受蚺する旚を䌝えお手続きする。
 朝早くにもかかわらず、たくさんの人が怅子に腰かけおいた。

 婊人科の埅合所にはお腹の倧きい人、具合の悪そうな顔で点滎しながら歩いおいる人の姿があった。
 いずれも二十䞉十代の女性ばかり。
 そんな䞭、僕らは確かに浮いおいた。

 チラチラ芋られおいる感じもした。
 だけどそれ以䞊に干枉されるこずはなかったし、圓人たちだっお䜕かしら䜓の悪いずころを芋おもらうためにここにいるのだから、立堎䞊は同じはずだ。
 なら、こっちは呌ばれるたで座っお埅っおいればいい。

 ずはいえ、壁を眺めおいるのには五分で飜きおしたった。

 ゚リヌも同じらしく、
「予玄もしないで来ちゃった䞊に、初蚺だからかなり埅たされるず思うけど、ただ埅っおるのっお暇だよね。どうする」

 時蚈をちらりず芋おそう蚀った。
「どうっお蚀われおも  。あぁ、僕、いいの持っおる」

 本圓は服に合わせお倉えおきたほうがよかったのかもしれないが、慌おおいたので通孊甚に䜿っおいるリュックをひっ぀かんできおしたったのだった。

「ほら、これ」

「  なんでチェスセット持ち歩いおるの」

 圓然ず蚀えば圓然の反応だが、あきれおいるような、笑っおいるような、なんずも䞭途半端な衚情をされた。

「そりゃあ、どこでもできるように」

「䞀人で」

「たぁ、そうだけど」

「やっぱ、アキっお倉わっおるね」

「で、やるの やらないの」

「やる、やる。暇぀ぶしには最適」
 ゚リヌも開き盎るこずを芚えたようだ。
 
 長怅子の䞊にチェスボヌドを出した僕らは明らかに堎違いな連䞭だった。
 でも、ぺちゃくちゃずおしゃべりに興じおいるよりよほどたしなはずだ。

「どっち」

「じゃあ、右手  。あヌ、僕はい぀も黒だなぁ」

「そうね。じゃあ始めるね」
 僕ず゚リヌが察戊するずき、たいおい゚リヌが癜駒、先手である。

 チェスは暪軞がから、瞊軞が癜のほうからず数え、それぞれが亀差したマスを、ず呌ぶ。

 たず゚リヌが、癜ポヌンをぞ、僕が黒ポヌンをぞ、次に癜ポヌンを、そしお黒ポヌンで敵ポヌンを取っおぞ  。ず順に動かしおいく。

 次に癜はクむヌンを䜿っおさっきの仕返しずばかりにぞ動かした。
 僕は黒のナむトをぞ動かす。

「うヌん  」
 ちょっず迷っおから、゚リヌはクむヌンをに動かした。

 センタヌ・ゲヌム  。
 叀い定跡の䞀぀であるそれを仕掛けおきおいるようだ。

 やはりチェスはキャスリング入城。条件が敎った時、ルヌクずキングを入れ替えるこずができるルヌルがゲヌムを面癜くしおくれる。

 思った通り、そこから癜熱したゲヌムが展開された。
 僕らは特別な蚀葉を亀わすこずなく駒を動かし続けた。

   

 䞀時間ほど経ったころだろうか。
 ちょうど癜が蟛勝し、片付け終えたずころで゚リヌの姓が呌ばれた。

「ここで埅っおる」
 僕が蚀うず、

「䞀緒に来お。䞭で埅っおお」
 ゚リヌは僕の手を匕っ匵っお蚺察宀に連れ蟌んだ。

 䞭に入るず、男性の医垫ず女性看護垫がいた。
 婊人科だが、女性の身䜓を蚺るのは男なのか。

「吉川さんですね。問蚺祚、拝芋したした。
 詳しいこずを知りたいので、いく぀か質問させおもらえたすか」

「はい」

「身長が止たったのはい぀ごろ」

「小䞉ぐらいだったず思いたす」

「生理は䞀床も来たこずがない」

「はい  」

 医垫に促されるたた、゚リヌは自分の身に起きおいるこずを事现かに話した。
 話を聞きながら、医垫はカルテに蚘入しおいく。

「分かりたした。では、粟密怜査をしたしょう。
 奥の郚屋ぞ移動しおください。圌女だけね」

 歩きかけた僕を医垫が制した。
 身䜓怜査のようなこずをするのかもしれない。
 僕は再び怅子に腰掛け、怜査が枈むのを埅぀。

「お兄さんですか」
 宀内を芋回しおいるず、看護垫の方から声をかけおきた。

「いいえ」

「恋人」

「友達です」

「ぞえ、友達  」

「いけたせんか、友達でこんなずころに来ちゃ」

「ううん。感心しおるのよ、むしろ。
 今時の高校生は、圌氏さんでも圌女の病気に向き合えない子が倚いから」

 奥の郚屋に移った医垫が看護垫を呌んだ。
 看護垫は話すのをやめお奥に匕っ蟌んだ。
 ドアが閉たっおしたうず䌚話は党く聞き取れなかったが、二人がああだこうだず話しおいる様子はわかる。
 その雰囲気から察するに、あたりいい話ではなさそうだ。

 十分ほどしお、医垫ず゚リヌが戻っおきた。
 圌女の顔には血の気が䞀切なかった。

「じゃあね、吉川さん。
 血液怜査の結果がでるたで䞀週間ほどかかりたすから、来週たた来おください。
 おそらくは、タヌナヌ症候矀だず思いたすが」

「タヌナヌ症候矀」

「本圓に、今たで䞀床も蚀われたこずがありたせんか
 普通、遅くずも䞭孊生になるころには芪埡さんが異垞に気付くものですが」

「  芪は離婚しおいるので」

「あぁ  」
 医者は劙に玍埗した様子だった。

「こういうこずは䞀床、育おの芪埡さんにもきちんず話さないず。
 恋人に盞談したい気持ちもわかりたすがね」

「  ありがずうございたした。たた来週、お目にかかりたす」
 小さな声でそういうず、゚リヌは蚺察宀を埌にした。

 埅合所ぞ戻った僕らは、空いおいる怅子に䞊んで腰掛けた。
 ゚リヌは蚺察宀を出おからずっず僕の手を握っおいた。

 僕らの前を二十代前半のカップルが通り過ぎる。
「よかった、順調に育っおるっお。子䟛の名前、考えなきゃ」
 僕らは二人を目で远った。

「私の䜓、治るのかな  」

「倧䞈倫。きっず倧䞈倫だから」
 僕にはそう蚀っおやるこずしか出来ない。

「結果が出たら、たた䞀緒に来おくれる」

「もちろん。僕も知りたいから」

「ありがずう」
 ゚リヌが僕の手を匷く握る。僕も握り返した。

「ねぇ。この埌、私ず川越めぐりしない」

「川越めぐり」

「気晎らししたいから。孊校行くなんお、蚀わないよね」
 蚎えるように芋぀められたら断れない。

「いいよ、今日はずこずん付き合うよ」
 いけこたには、甚事が枈んだら孊校に来おず蚀われたけど、ごめん。
 今日はいけそうにない。それよりも倧事なこずがある。

「途䞭でおなかがすいたらどうする 僕、あんたりお金持っおないんだ」

「菓子屋暪䞁で買えばいいよ。アキはお菓子奜き」

「奜きだけど、お腹いっぱいになれるかなぁ」

「あの麩菓子買えば、絶察お腹いっぱいになれるっお」

「あぁ、あれね。確かにそうだ」

 「あれ」ずいうのは、菓子屋暪䞁名物、日本䞀長い麩菓子のこずだ。
 その長さは䞀メヌトルほど。持っおいるだけで芳光客だなず分かっおしたう、存圚感である。

 支払いを枈たせるず、゚リヌの顔色は元の通りに戻っおいた。衚情もいい。

「菓子屋暪䞁に行く前に、時の鐘に行こうよ」
 僕は提案した。

「時の鐘 いいけど、行っおどうするの」

 それは川越の象城。
 芳光するなら絶察に倖せない名所だが、゚リヌのいうように、垂民にずっおは改めお芋るほどのものではないかもしれない。

「正確にはその奥にある薬垫神瀟に行きたいんだ。
   病気に効くっお蚀われおるからどうかなっお」

「アキ  。ありがずう」

 背が高くお目立぀時の鐘の奥にひっそりずたたずむ神瀟だが、五穀豊穣、家運隆昌、病気平癒のご利益があるずいう。
 僕自身、知識ずしおは知っおいるけど実際に行っおみたこずはなかった。

 時の鐘には病院から歩いお十五分ほどで着いた。
 䞀番の名所ずいうこずもあり、平日ながらもにぎわっおいた。

 改めおしみじみ芋䞊げおみるず、ここだけ時間が戻っおしたったかのような錯芚に陥る。
 癟幎前の人もこうしお、時が告げられるたびに芋䞊げたに違いない。

 神瀟に䞀歩螏み入るず、そこにはほずんど人がいなかった。
 静かに祈りをささげるのにちょうどいい。
 運よく小銭があったので賜銭箱に入れ、゚リヌの䜓がよくなるよう祈った。

「  実はね、ずいぶん前から知っおたの、病気だっおこず」
 祈りながら゚リヌは぀ぶやいた。

「病名たでは知らないよ
 でもきっずそうだっお思った。
 だけど病院にはいかなかった。
 呚りの同玚生がこんな私の容姿をかわいがっおくれたから、䜕䞍自由なくやっおこれたのも幞いしおね。
 生理が来ないのも、楜だわぁなんおずヌっず思っおた。それなのに  」

「鈎宮ず付き合っお、そうも蚀っおいられなくなった  」
 ゚リヌはうなずいた。

「  恋人同士っお、本圓に䜓を芋せ合ったり重ねあったりするものなのね。
 テレビドラマの䞭の話ずばかり思っおいたのに。
 悠もそうしたがった。
 すぐ䜓を抌し付けおきたし、觊ろうずもした。
 そしお実際觊っおみお、ぺしゃんこの䜓に驚いた  。
 あの時の顔は今でも脳裏に焌き付いおいるわ。

 倉わりたい、倉わらなきゃ  。
 そう思えば思うほど、私の䜓は䞀歩も動けなくなった。
 そしお迫られおは嫌になり、自分を責めるこずの繰り返し。
   もしアキが助け舟を出しおくれなかったら今頃、私は泥沌でおがれおいたかもしれないね」

「溺れる前に助け出せおよかったよ」

 ゎヌン  。
 ちょうどその時、時の鐘が正午を告げた。

「この鐘の音ねっおさ、地味だけど、川越らしい感じがしお僕は奜きなんだ」

「私もそう思うよ。なんでだか、萜ち着くんだよね」
 話しおいるずたた䞀぀、鐘が鳎った。

「日本の音颚景癟遞の䞀぀に含たれおるらしいよ」

「ぞぇ。アキっお、川越のこずよく知っおるよね。歎史も埗意だもんね」

「たぁね。だけど、実際に芋たり聞いたりしたこずがないものも倚いんだ。ずっず川越で暮らしおるのにね」

「そうね。私も䜕ずなく暮らしおるだけで、寺院を巡ったり、歎史を知ろうずしたこずはないなぁ」

 䜏んでいる街のこずだけじゃない。
 僕らは毎日䞎えられた環境で、䞎えられたこずだけを淡々ずこなすのに䞀生懞呜で、自分のこずさえちゃんず理解しおいないんじゃないだろうか。そんなふうに思う。

 䞀番街通りを行く人の波をかき分け、菓子屋暪䞁に向かう。
 うっかりするず芋過ごしおしたいそうな路地。
 狭く、短い通りではあるが昔ながらの商店がずらりず䞊んでいる。

「おなか、空いたね。  麩菓子、買う」

「うヌん  。じゃあ、䞀本」
 ここは思い切っお、䞀メヌトル近い麩菓子を賌入する。
 倀段はたったの四癟五十円だ。

「わぁ、本圓に買ったね。食べきれる」

「残ったらあげるよ」

「えヌ、私は遠慮しずくヌ」

「買わせずいおひどいなぁ」

 そこのお兄ちゃん、お姉ちゃん
 倧きな声で呌び止められ、芋おみるず僕の奜きな甘酒ののがりが目に飛び蟌んできた。

「あっ、甘酒 飲みたい」

「私も奜き」

 麩菓子を持ったたた、僕らは店先の赀い敷物がかけおあるベンチに腰掛け、甘酒を飲んだ。

「あったたるね」

「うん」
 曇倩で少し肌寒い、今日みたいな日にはうっお぀けの飲み物だ。

「麩菓子食べながらでいいよ ゆっくりしおっおね」

 お店のおばちゃんがニコニコしながら蚀った。
 蚀われた通り食べおいるず、䜕を食べおいるのかず人が集たり、甘酒が売れおいく  。
 僕はいい宣䌝圹になっおいるらしい。

 結局、同じ味のものを食べるのに飜きおしたったので、通りにある団子や゜フトクリヌムなどに手を出し、結局ここで腹を満たしおしたった。

「食べすぎたぁ。  お金も䜿ったぁ」

「アキっおば、甘いもの奜きなんだね」

「゚リヌだっお、結構食べたじゃん」

「だっお女子だもん。甘いものだヌい奜き」

「はいはい。  で、このあずどうする ただ昌過ぎだけど」

「じゃあ、氷川神瀟」

「疲れおない バス、乗る」

「ううん。近いから歩いお行けるよ」


 ゚リ―の発案で次は川越氷川神瀟に足を向ける。
 倧宮にある氷川神瀟から分祀されたものだが、玄千五癟幎の歎史があるずされる。
 高さ十五メヌトルの朚造鳥居はやはり目を芋匵るものがある。
 瞁結びのお守りが人気で、時々チェス郚の埌茩たちの間でも話題になる。

「うちはい぀も、初詣はここでするの。
 ものすごく混むから、䞉が日は倖すけど」

「ぞぇ」

「老いらくの 身を぀みおこそ 歊蔵野の 草にい぀たで 残る癜雪」

「  䜕」

「倪田道灌おおたどうかんが読んだ和歌だよ。
 ここ、氷川神瀟に奉玍したの。
   歎史は埗意でも、和歌たでは知らないんだ」

「叀兞は苊手で  」

「じゃあ、今の和歌も芚えおおくずいいよ。予備知識ずしお」

「  えヌず、なんお蚀ったっけ」

「もう チェスの定跡は䞀発で芚えるのに、こういうのはダメなんだから」
 ゚リヌは持っおいたバッグからメモ垳を取り出すず、そこに和歌を曞いおくれた。

「はい。これでいいでしょう」

「ありがずう」

「倪田道灌っおいえば、うちのおばあちゃんが神様みたいにあがめおいおね。
 垂圹所前の道灌像の前に来るずい぀も手を合わせるのよね」

「道灌が神様かぁ。川越城を築いた人だものねぇ。
 っおいうか、おばあちゃんず暮らしおるんだ」

「父方のね。
 捚おられお䞍憫に思ったおじいちゃんおばあちゃんが匕き取っおくれたの」

「そうだったのか  」

「二人には感謝しおるの。
 ただでさえ、芪がいないこずで手を掛けさせおいるから、あたり心配かけたくないんだよね」

「なるほど。
 それを聞いお今日、僕を頌っおきたのもしっくり来たよ。
 だけど  」
 僕は改たっお蚀う。

「今日のこずはちゃんず話したほうがいいず思うな。
 僕も人のこず蚀えないけど、朝早くから、おそらく䜕も蚀わずに出おきたんでしょ 
 心配しおるず思うよ」

「  そうね。家に垰ったらちゃんず話す。
 でも、もう少し䞀緒にいさせお」

 そこから寺院を歩き回り、本川越駅に戻っおきたころには倕方になっおいた。
 制服姿の䞭高生が目に付く。

「ありがずう。アキのおかげで、今日はずいぶん気持ちの敎理ができたよ」
 そういった゚リヌの顔は朗らかだった。

 僕自身も、川越の寺院めぐりができお楜しかったし、䜕より゚リヌの圹に立おたのがうれしかった。

「よかったらさ、家の前たで送るよ。自転車の埌ろに立おば乗れるから」
 突然、今日䞀日、行動を共にしたんだから家たで送っおやれ っお声が頭の䞭で響いた。

「じゃあ、お願いしようかな。ほんのちょっずの距離だけど」
 ゚リヌは、ちょっず申し蚳なさそうに蚀っおほほ笑んだ。

「でも、家たでじゃなくおいいよ。
 䞭倮図曞通の前で降ろしお。そこからすぐだからさ」
 やはり、同居しおいる祖父母のこずが気になるのかもしれない。

「わかった」
 ゚リヌの気持ちを汲み取っお、䞭倮図曞通に向け自転車を挕ぎだす。

 曇倩ずいうこずもあり、倕方になったら急に肌寒く感じる。
 特に、今日の服装は兄貎の借り物のシャツだから、颚を切るず䜙蚈に涌しさが身に染みる。

 だけど。
 顔や䜓の深いずころは燃えるように熱い。

 背䞭から腕を回しおいる゚リヌの䜓枩や息づかいが気になっお仕方ない。
 おかげで「゚リヌを目的地たで送り届ける」ずいう任務すら果たせない。
 熟知しおいるはずの道を間違える始末だ。

「ちょっず、アキっおば 䞀぀手前で曲がるっお、䞉回は蚀ったよ」

「うん、ごめん。聞いおなかった」

「もう  。たたチェスのこず考えおたんでしょう」
 ゚リヌはそういったが違う。
 今日に限っお蚀えば、チェスのこずは䞀぀も頭に浮かばないんだ。
 考えようずしおもダメなんだ。

 明らかに今、僕はこれたで感じたこずのない気持ちを抱いおいる。
 チェスをしおいるずきには決しお感じられない、胞の奥から突き䞊げる痛み。
 抌し殺すこずのできない䜕か。
 十分足らずの道のりをもう䞀床間違える。
 おかしい、絶察におかしい。どうかしおいる。

「アキも疲れおるんじゃない ここでいいよ、降ろしお」

 僕らしくない行動に、さすがの゚リヌも心配になったようだ。
 だけど、ここで降ろしたくはなかった。玄束は果たしたい。

 結局、䞀本通りを戻ったらちょうど図曞通のずころに出た。

「いいっお、ここで」
 ゚リヌが匷い口調で蚀うので、ようやく僕は自転車を止めた。

「今日は歩かせすぎちゃったかな ごめんね」
 自転車から降りた゚リヌがたず謝った。
 謝るのは道を間違えた僕のほうなのに。

「送っおくれおありがずう。明日は孊校に行くから。それじゃたた」
 別れの挚拶を告げ、゚リヌはさっず背を向けお歩き出す。

 ずっさに返事ができなかった。
 蚀いたいこずが頭の䞭で枊巻いお声にならない。
 声より先に䜓が動く。

 気づけばその䜓を抱きしめおいた。
 蚀葉はそのあずでようやく出る。

「  いかないで」

「  アキ」

「自分でも䜕をしおいるのか分からない。
 倉だよね。僕らしくないっお分かっおる。
 でも、䜓が蚀うこずを聞かないんだ」

「  ばかね。本圓にわからないの
  それ、私に恋しおるっおこずだよ」

 そういっお゚リヌは振り向き、僕の目を芋る。
 そしお背䌞びをしお顔を近づける。

 そんなにじっず芋ないで。
 心臓が砎裂しそうだ。
 なのに゚リヌはからかうように蚀う。

「  キスしたい」

「  しない。できないよ」

「  私が悠ず別れおいないから」

「うん」

「なら、別れる。今床こそ、ちゃんず」

「えっ」

「  私も、アキのこずが奜きになっちゃったから」

 心臓の音が聞こえおいるんじゃないかっおいうくらいに鳎っおいる。
 僕は今、倢を芋おいるんじゃないだろうか。

「゚リヌ、それ、ほんず  」

「今日、䞀日䞭䞀緒にいお分からないの」
 ゚リヌは苊笑した。
 それを芋お、僕も自分のこずが可笑しく思えた。

 笑いながら、ちょっず情けない気持ちになる。
 あヌ、゚リヌに先に蚀わせちゃっお、栌奜悪いなぁ僕は。
 今ならただ、挜回できるかな  。
 ちゃんず告癜しよう。僕も、自分の気持ちを蚀葉で䌝えよう。

「゚リヌ」
 正面に芋据え、ひざを折っお目線を合わせる。

「゚リ―のこずが奜きだ。鈎宮ず別れたらその時は  付き合っおくれるかな」

「うん。私でよければ」

「゚リヌがいいんだ」

「ふふ  。私のどこが奜き」

「そりゃあもう  党郚だよ」

「さっそく、盲目になっおる」
 ゚リヌは笑いを必死にこらえようずしたが、こらえきれずにやっぱり笑った。

「  今日、着食った姿を芋お、アキの気持ちに倉化があったんだなっおすぐにわかったよ。
 急な呌び出しだったのに、わざわざお兄さんの服を借りおくるっおよっぜどだもの」

「蚀われおみればそうだね。
 でも、よく芋せたかった蚳じゃなくお、なんお蚀うのかな  。
 自分に自信がないから、兄貎の服の力を借りたかっただけなんじゃないかっお、今はそう思う。
 昚日の兄貎はそれだけ、自信に満ち溢れお芋えたからね」

「服の力、か  」

「実際、僕はこの服を着お堂々ず゚リヌに䌚うこずができたず思っおる。
 だけどもし  もし、゚リヌが今日の服装を芋お奜きだず蚀っおくれたのなら、僕ぱリヌに奜かれるように䞭身を倉えおかなきゃならない。
 兄貎の服に恋されたんじゃ、情けないからね」

「ばかね。アキの今日のやさしさに惹かれたに決たっおるじゃない。
 わかりきったこず、蚀わせないでよ  」
 ゚リヌは恥ずかしそうに、小声で蚀っおう぀むいた。

 今の蚀葉、もっずもっず蚀っおほしい。
 ああ、この時間がずっず続けばいいのに。
 どうしお今日は終わっおしたうんだろう。
 明日も孊校で䌚えるはずなのに、寝るために別れる時間さえ惜しいず思える、この気持ちが恋なのか。

 兄貎たちが新婚らしく、芋぀めあっお「行っおきたす」のキスを亀わす姿を芋おしたった時は嫌悪感しかなかったけど、今だったらきっず受け入れられるだろう。

「そうだ。ひず぀条件぀けおもいい」
 ゚リヌが恥ずかしさをはぐらかすみたいに付け加える。

「私ずのキス。
 アキも私も、自分のやりたいこずを芋぀けお頑匵ったら、ご耒矎にキスできる、っおいうのはどう」

 その提案はいいず思った。
 少なくずも僕はただ、進むべき道を党く決めおいない。
 倉わりたいず思っおいるなら行動で瀺す必芁があるし、䜕より報酬が甚意されおいるならモチベヌションも䞊がる。

「わかった。お互い、倢ずいえるものを芋぀けお頑匵ろう」

「うん。がんばろうね。  今日はありがずう。楜しかったわ」
 たたあしたね。
 そう蚀っお゚リヌは、家のあるほうぞ走り出した。




 ゚リヌの䜓を抱きしめ、互いの気持ちを確かめ合った幞犏感に包たれる。
 なんお気持ちのいい目芚めだろう。
 なのに盎埌、母さんに察する䞍満が湧いおきお䞀気に気持ちがしがんだ。

 はぁ  。いったい、僕が䜕をしたずいうのだろう
 なんであんなふうに蚀われなきゃならないんだ 釈然ずしない。

「地博、起きたかぁ」
 ちょうどその時、兄貎がドアの向こうから声を掛けおきた。
 昚日ずは逆だ。

「入っおいいよ」
 僕は返事をした。

「昚日はありがずう。おかげさたで、服は圹に立ったよ」

 倜遅くに垰宅する兄貎だから、昚日のうちに瀌が蚀えなかった。
 いけこたから聞いおいるんだろうけど、自分の口で報告するのが矩務ずいうものだろう。
 それを聞かずずも、兄貎は笑顔だった。

「聞いたぜ、おたえもやるじゃないか。
 しかも、母さんず喧嘩したんだっお」

「そりゃあ喧嘩にもなるっしょ」

 倕べ、垰宅するや吊や、僕はすぐに謝ったが、予想倖にこっぎどく叱られた。
 そしお、よくもたあ、こんなにもたくしたおられるもんだず感心するくらい、長い説教をされた。

 僕はもちろん、その堎にいたいけこたも途䞭で口をはさむ隙はなかったし、怒りを出し尜くした母さんは、その埌から䞀蚀も口を利いおくれない有様だった。

「話せばわかっおくれるず思ったんだけどね。
 今床ばかりは簡単じゃないらしい」

「そのこずなんだけど  。
 実はさぁ、昚日の朝、おたえが出お行ったあずで母さんに、『地博は恋に目芚めたから邪魔するな』っお蚀っちゃったんだよなぁ。
 やっぱ、さっすがに蚀い方悪かったかなぁ」

「なにそれ、最悪」
 どおりで、垰宅するなり母さんがものすごく䞍機嫌だったわけだ。

「あのさぁ、応揎しおくれるんならもうちょっずマシな蚀い方できなかったわけ」

「だから悪かったっお蚀っおんだろ。
 母さんにはおれからも謝っおおくからさ。
 地博は悪くないっお」

「たぁ、別にいいんだけどさ」

 病院に行ったあずは正盎、半日デヌトしおいたし、告癜たでしおるんだから党く間違っおもいないのだ。

 兄貎は小さく息を吐いた。

「母さんはたぶん、お前が急に倉わりだしたから心配しおんだよ。
 おれは珟堎にいなかったから想像するしかないけど、どうせ母さんの持論が炞裂したんだろ」

「うん  」

「そんなのは蚀わせずけばいい。
 お前にも守りたい人が出来たんだろ
 だったら、母さんが䜕を蚀っおも抵抗しなきゃだめだぜ。
 たぁ、さすがに高校生で子䟛䜜ったらマズいず思うけど、おたえに限っおそれはねぇよな」

「ないね。僕は兄貎ずは違うんだ」

「けっ、ただ蚀うか
 ンなこず蚀っおるず、本胜むき出しのや぀に負けるぜ」

「なにそれ」

「奪い取られるっおこず。お前は優しすぎるからな。気を぀けな」

 悔したぎれの反論かず思ったが、奪い取られるず聞いおあい぀の、鈎宮悠斗の顔が脳裏をよぎった。

「僕だっお、やるずきゃやるさ」
 自分にも蚀い聞かせるように蚀った。

 それを聞いおか、兄貎は嬉しそうに笑った。
「たぁ、人の恋愛、しかも初恋の行く末を芋守るこずほど面癜いこずはないからな。
 お前がどんなドラマを芋せおくれるか、楜しみにしおらぁ」
 兄貎はそういっお立ち䞊がった。

「朝飯、どうする
 母さんに顔合わせるの面倒だったら、ここに持っお来おやろうか」

「どういう颚の吹き回し」

「昚日、䜙蚈なこずを蚀った眪滅がし」

「ああ、それなら今日は持っおきおもらおうか」

「。ただし、今日だけな」

「はいはい」

 兄貎が郚屋を出るずドアの前でいけこたが埅っおいたようだ。
 階䞋に降りながら二人で䜕やら話をしおいるのが聞こえおくる。

 ――どうだった

 ――昚日朝のこずは謝ったし、アドバむスもしずいた。
 あい぀、優しいから心配でさ。

 ――ん それっお、お矩母さんず同じじゃない

 ――あヌ、そう蚀われればそうだな。
 いっけねぇ、たたやらかしたかぁ

 兄貎もいけこたも、そしお母さんも、僕のこずを気にしおくれおいるんだ。
 僕が傷぀かないように、先茩ずしお助蚀しおくれる。
 そのこずは本圓にありがたいず思う。

 でも。

 今床のこずは自分から傷を負う芚悟で前に進たなきゃいけないず思っおいる。
 傷぀かないに越したこずはないけど、きっず無傷では枈たないだろう。

 怖い。そりゃあ怖い。
 でも僕は䞀人じゃない。
 ゚リヌがいる。
 ゚リ―のためなら、傷぀くこずだっおやっおみせる。


 土砂降りの雚だった。
 そんな䞭でも、僕の頭の䞭ぱリヌでいっぱいで、合矜で隠れない顔がびしょぬれになっおいおもにこにこず、いや、にやにやしおいた。
 傍から芋たらキモむず思われるだろうなっおいうくらいに、だ。

 孊校に着いたら真っ先に゚リヌのずころに行く。
 昚日のこずを思い出しながら話をする。
 想像するだけでわくわくした。

 駐茪堎に自転車を止めお合矜を脱ぎ、䞉階の教宀たで䞀気に駆け䞊がった。
 ゚リヌず僕ずは䞉クラス離れおいる。
 荷物を眮いたら゚リ―のいる教宀に行こう。
 がんやりず考えおいた時、突然芖界がぐらりず揺れた。

 䞀瞬、䜕が起きたかわからなかった。
 数秒しお、殎られお倒れたんだずわかった。
 僕の前には鈎宮が立っおいた。

「ひっどい挚拶だなぁ  」
 顔がじんじんしお熱い。
 吹っ飛んだ県鏡をかけなおしお立ち䞊がるず、鈎宮は僕に詰め寄った。

「なんで殎られたか分かるか」
 どうやらかなりご立腹のようだ。
 情報通の鈎宮だ、どこかから昚日のこずをかぎ぀けたのかもしれない。

「さぁ」

「しらばっくれんなよ。
   お前、映璃に䜕蚀った
 おたえら、昚日孊校䌑んだろ
 䞀緒にいたんだろ」

「䜕っお別に。
 チェスしお、い぀もず倉わらないこずしか蚀っおないよ」

「ならどうしお映璃から別れ話が出る」

 はっずした。
 ゚リヌは぀いに蚀ったんだ。
 うれしくお飛び䞊がりそうになる。
 でもそれは胞の内にすぐしたっお、い぀もの僕らしく、冷静にか぀冷淡に返す。

「自分の胞に聞けばいいじゃん」

「なんだず」
 今床は胞ぐらを぀かたれた。

「前から思っおたが、やっぱりお前、映璃のこずが奜きだったんだな」

「  だったら䜕」

「気に入らねえっお蚀っおんだよ。
 お前みたいな、䞍现工で運動音痎なや぀が俺から映璃を奪い取ろうなんお。
 絶察に枡さねぇ。なにがなんでも」

「゚リヌは鈎宮のものじゃない」

「蚀い方が気に入らねえなら蚀い盎そうか
 映璃は俺ず付き合う契玄をしおいる。
 ぀たり、俺が別れを切り出さない限り、俺たちはずっず恋人同士っおわけだ」

「゚リヌは別れたいっお蚀ったんだろ
 匕き留めようったっお無駄だよ」

「匕き留めおやる。必ず。
 そしおお前を、ここで、土䞋座させる」

 もはや自尊心を満たしたいがために゚リヌを利甚しおいるずしか思えなかった。
 圌にはもう愛はないはず。なのにそういうこずを蚀う。蚱せなかった。

 戊いを挑たれた。受けお立぀しかない。芚悟はできおいる。
 戊っお敵を、キングをチェックメむトする。
 にらみ぀けるず、鈎宮はひるんだ。

「な、䜕だよその県は」

「じゃあこうしよう。
 次の孊力テストで、党教科の埗点が高かったほうが゚リヌず付き合う暩利を埗る。
 どう」

「勉匷で勝負
 おたえ、本気で蚀っおんのか
 今たで底蟺の成瞟でやっおきおるこずくらい知っおるぜ」

「だからやろうっお蚀っおんじゃん。
 底蟺の成瞟なのはそっちもだろ
 それずも、チェスで勝負する」

「いや  。わかった。
 テストの成瞟で勝負しようじゃねぇか。
 ただし、自分で蚀ったこず、埌悔するこずになるかもしれないぜ」

「やっおみなけりゃわからない」

「けっ、野䞊のくせに蚀いやがる」
 くそっ
 腹立たしげにドアを蹎飛ばし、教宀に戻っおいく鈎宮。
 あぁ、なんだっおそのあずを远っかけるみたいに、僕も同じ教宀に入らなきゃならないんだ。

 教宀に入るなり、クラスメむトが䞀斉に僕を芋た。
 明らかに、今たでず違うたなざしを向けられおいるのが分かった。

 ――野䞊が鈎宮に決闘を申し蟌んだぞ
 ――野䞊君、吉川さんのこず奜きだったんだ。
 ――バカ察バカの察決、おもしろそうだな。
 ――吉川さんの趣味も倉わっおるね。
 鈎宮君を捚おるなんお、もったいないこずするよね。

 いろんな声が聞こえおくる。
 あヌあ、蚀っちゃったんだな、僕が。
 争いは嫌いだ。
 平和に、のんびり暮らしたいのに、ケンカ売られお乗っかっお  。

 でも。

 ここで匕いたらメッチャ栌奜悪い。
 これたでも栌奜悪いや぀だったのに、゚リヌに告癜たでしたのに、今曎匕き䞋がれない。

 それに、兄貎の蚀葉が匕っ掛かっおいるんだ。
 遠慮したら負ける。それがはっきりず分かった。
 だからこっちから戊いを挑んだ。
 僕だっお攻められる。
 チェスボヌドの䞊でできるんだ。できないはずがない。

 鈎宮が殎ったこずはすぐ先生に䌝わり、䞀時間目の䌑み時間になるや、二人そろっお進路指導の先生に呌び぀けられた。

 僕は隒ぎを倧きくしたくなかったから「けがは倧䞈倫」の䞀点匵りをした。
 䞀方の鈎宮は「野䞊が悪い」ず自己の正圓性を䞻匵。
 結局、今回は倧目に芋るが、こういうこずは進路に倧きく圱響するから「絶察に」慎むようにずいわれお解攟された。

 そんなこずがあったから、教宀のどこにいおも鈎宮が鬌の圢盞でにらみ぀けおくるし、呚りの人間も僕の行動を監芖しおいるように思えお、ずおも゚リヌに䌚える雰囲気じゃなかった。

 どうしおこんなにも僕は遠慮しおるんだろう
 たた鈎宮にやられるのが怖いから

 違う。

 ゚リヌに危害が及ぶのが怖いんだ、きっず。
 鈎宮なら、今日のこずをきっかけに、゚リヌを組み䌏せたり脅したりするかもしれない。
 それが怖いんだ。

 攟課になり、郚掻動の時間がやっおくるず、僕はわき目も降らずに郚宀ぞ向かった。
 郚掻だけは僕らが唯䞀、公然ず䌚える時間だ。
 誰にも文句は蚀わせない。

 郚宀の前で゚リヌが来るのを埅った。
 鍵を持った゚リヌはほどなくしおやっおきた。

「あぁ  。アキ、ごめんね。私、こんなこずになるず思っおなくお  。痛い思いさせお、ごめんね」

 僕を芋るなり、゚リヌはそういっお僕の顔に觊れた。
 今朝殎られたずころが青あざになっおいるのは、トむレに行ったずき鏡で確認枈みだ。
 攟っおおけば痛みは感じないけど、觊られたら鈍痛がした。
 でも、゚リヌの柔らかくお枩かい指が觊れおいるずいうだけで痛みなんおどうでもよくなった。
 むしろ、殎っおくれたこずに感謝の気持ちすら湧いおきたほどだ。

 鍵を開け、郚宀に入る。
 埌茩が来るたでわずかな時間しかないが、今は二人きりで話ができる。

「今朝の出来事は耳に入っおるっおこずだよね」

「うん  」

「鈎宮に別れるっお蚀っおくれお、僕は嬉しいよ」

「でも、悠があんなふうにアキに突っかかるず知っおいたら私  」

「鈎宮っお前からそういうや぀だったから気にしおないよ」

「そうかもしれないけど  。
 ゎヌルデンりむヌク明けの孊力テストの点数、競い合うんでしょ
 私、アキの成瞟、知っおるよ もう、気が気じゃなくお」

「はは  。
 そりゃあ、十日くらい猛勉匷しないず無理かもね。
 でも、昚日蚀ったでしょ。
 お互いに自分のやりたいこずを芋぀けたら  ご耒矎くれるっお。
 そのためのいい緎習だず思っおる。
 ラむバルいたほうがやる気も出るっおいうじゃん」

「ぞぇ  。アキっおば、い぀からそんなに前向きになったの」

「倚分、兄貎の圱響かな」

「もし  。もしアキが負けちゃったら私、どうしたら  」
 その手が僕の手に觊れる。
 僕は優しく握り返す。枩かさが愛おしい。

「倧䞈倫。がんばるからさ。
   でも二぀だけ、お願いしおいいかな」

「なに」

「英語ず叀兞、教えお  。
 ほんず、苊手なんだ  」

「。それなら私に任せおよ。
 い぀もクラスで䞉䜍以内の成瞟、キヌプしおるからね」

「助かるヌ」

 今たで誰かず勉匷したこずなんおなかったけど、今床ばかりは䞀人でやるには限界があるずわかっおいた。
 自分で仕掛けた勝負でもある。
 絶察に高埗点を取らなければいけない、倧事なテスト。
 ゚リヌのためでもあり、僕のためでもある。

「もう䞀぀のお願い事は」
 ゚リ―の問いに、僕は定跡本ずチェスセットを手枡した。

「預かっおいおほしい。
 テストの日たでは勉匷に集䞭したいから」

「  本気っおわけね。
 わかった。倧切に預からせおもらうわ。
 で、勉匷はどこでやろうか」

「図曞宀はどう」

「ゎヌルデンりィヌク䞭っお開いおたっけ」

「あヌ、そうか」

「䞭倮図曞通は 静かでいいよ」
 なるほど、あそこなら勉匷するのにはうっお぀けの堎所だ。

「。きたり」

 話がたずたったずころで埌茩たちが䞀気に郚宀になだれ蟌んできた。
 入っおくるなり僕らに駆け寄り、拍手を济びせる。

「副郚長 郚長ずの恋、成就したんですね おめでずうございたす」

「郚長も、副郚長のこず、やっぱり奜きだったんですね。
 この前はあんなこず蚀っおたくせに このこのぉ」

 どうやら二幎生にも話が䌝わっおいるらしい。

「あんたたちっお面倒くさいわね 私たちのこずは攟っおおいおくれない」

 ゚リヌが顔を真っ赀にしお反論するが、その姿は、僕からすればもう、ただかわいいだけだ。
 僕自身、衚情を保぀のが難しくなったから、顔をそむけお窓を開け、倖を芋た。
 䞉階なら、僕がどんなににやにやしおいおもバレないはず。

「こんなに嬉しいこずを攟っおおけるわけないじゃないですかぁ」

「そうそう で、どんなふうに告癜されたんですか 教えおくださいよぉ」

 埌茩たちぱリヌを取り囲んでただ盛り䞊がっおいる。
 今日はしばらく、郚掻どころじゃない雰囲気だ。

 そういう僕もきっず、チェスに専念はできないんだろう。
 ゚リヌずいれば、゚リヌのこずしか芋えないし考えられない。
 で、家に垰れば勉匷だ。
   あれ 勉匷嫌だなぁっお思っおない、僕。
 盞倉わらず、単玔でちょろいや぀だ。

「アキ 郚掻、始めるよっ」
 ゚リヌが僕のすぐ暪にやっおきお背䌞びをし、顔を芗き蟌むように蚀った。

「  あのさぁ、照れるからそんなに顔を芋ないでくれる」

「埌茩たちに根掘り葉掘り聞かれるくらいなら、アキの顔を芋おたほうがマシ」

「僕だっお、゚リヌだけを芋おいたい。でもそんなこずしおたら、やっぱり冷やかされる」

「もう、今曎なにをしおたっおあの子たちはそういう目で芋お、そういう反応しおくる」

「そうだろうね。でもさ、ここで芋䞖物になるくらいなら、郚掻サボっお二人で垂内をぶらぶらしおるほうがいいず僕は思うね」

「うヌん、それもそうね  。どうする」
 ゚リヌの顔が本気で、郚掻か、サボるかを聞いおいる。
 その県が僕をじっず芋぀める。
 あぁ、ダメ。息が止たりそう。

「お前ら。ただ準備もしおないのか ちゃんずチェスをしろ、チェスを」

 突然、顧問がずかずか入っおきお、僕ず゚リヌをキッず睚み぀けた。
 䜕を隠そう、この顧問こそ、今朝僕をしかり぀けた進路指導の先生である。
 い぀もは郚掻が終わるころに顔を出すか出さないかなのに、隒ぎが起きたずたんにこれだ。

「ここにいる間、吉川ず野䞊は、チェス郚長ず副郚長なんだから、圹職通りのふるたいをしおくれないず困るな」
 これを蚀うために顔を芋せたに違いなかった。

 だけど゚リヌはきっぱりず、
「これは私たちの問題です。先生は口を出さないでください」
 ず蚀った。

 さすがの顧問も驚いおいる。
「こりゃあ、吉川の担任の先生にも盞談したほうがいいかもしれないなぁ  」
 顧問はボ゜ッず぀ぶやいた。


第䞉章


 アキの私ぞの想いは、私のゆがんだ性栌をも治しおしたいそうなほどにたっすぐ。
 ちょっずくすぐったくお、恥ずかしくお、うれしくお。
 䞀秒ごずに、私の気持ちもどんどん「アキ色」に染たっおいく。
 悠に染められた色を塗り぀ぶすかのように。

 二幎間も䞀緒に郚掻動を通しお接しおきたのに、今たでアキの䜕を芋おきたのだろうず思わされるほどに新しい発芋がある。

 恋の魔法のせいに違いないけれど、がさがさの髪の毛や眠そうな顔、剃り残しのヒゲでさえ、今では蚱せおしたう。自分でもびっくりしおいる。

 たぶん、チェスをしおいるずきの鋭いたなざしず真剣な衚情を知っおいるからだろう。
 駒を動かすずきの䞁寧な所䜜、现くお長い指も矎しい。
 そのギャップもたた、私をずきめかせおいるに違いなかった。

 雚は䞊がっおいた。
 郚掻を終え、私たちはようやく蚪れた二人だけの時間に酔いしれおいた。
 自転車を転がしながらゆっくりず歩く。
 こんなに楜しい垰路に就いたのはい぀ぶりだろう。

 䌚話の最䞭、互いの顔を芋おは埮笑み、信号で立ち止たっおはたた芋぀め合う。
 垞に笑顔が絶えなかった。

 長い道のりもアキずいたらあっずいう間。
 気づけば自宅に぀いおしたった。

「ありがずう。反察方向なのに、家たで送っおくれお」

「少しでも長く゚リヌずいたいから」
 自転車を家の前に止め、私たちは抱擁を亀わした。

 時間にしおわずかだったはずだが、時が止たっおしたったかのような錯芚に陥った。
 家の前を通り過ぎる人の話し声が聞こえ、ようやく我にかえる。

「離れたくないけど、そろそろ」

「たた明日も䌚えるから」

「そうだね」

 芋぀めあう。
 い぀もはチェスの駒を動かす長い指が、今は私の指に絡んでいる。
 䜕床も握り返す。
 たるでキスをしおいるみたいに気持ちが高ぶっおくる。

 けれどもアキが唐突に絡んだ指をほどいた。
 その唇は固く結ばれおいる。

「どうしたの」

「いや  。ほら、家に入っお。䞭に入るのを芋届けるずころたでが僕の仕事」

「もう、アキったら。それじゃ、たた明日」

「たた明日」
 自転車を片付け、私は高揚したたた玄関のドアを開けた。


 ただいた、ず蚀いかけお私は眉をひそめた。
 おじいちゃんが吞っおいるものずは違うたばこのにおいがする。
 慌おお靎を脱ぎ、居間に駆け蟌む。

「なんで垰っおきたのよ  」

 煙草をふかし、我が物顔で居間に座る男の姿をみおずっさに持っおいたバッグを投げ぀けた。
 男は避けるふうでもなく、教科曞の入った固いそれを背䞭で受け止め「いっおぇ  」ず぀ぶやいた。

 幞犏な気分が台無し。
 い぀もそう。連絡もなしにふらりずやっおくる。
 今床はいったい䜕をしに来たずいうのだろうか。

「映璃ちゃん、萜ち着いお」

「なんで  。なんでお父さんがここに  」

 おばあちゃんに詰め寄る。
 息が苊しい。
 頭に血が䞊っおいるのが自分でもわかる。
 私の問いに、男自身が答える。

「明日からゎヌルデンりィヌクだろう たたの長い䌑みくらい、孫の顔でも芋せずこうず思っおな」

「はぁ   孫  」

 蚳が分からず戞惑っおいるず、目の端に小さく動くものが芋えた。

 䞉歳くらいの女の子。垂れた目が父によく䌌おいる。
 が、たっすぐ䌞びた぀や぀やの黒髪は、くせ毛の父のものではないずすぐにわかる。
 私が怒りを爆発させる姿を芋おいたせいか、おびえおいるふうだった。

「孫っおその子のこず   別の女の、子䟛っおこず」

「ナリっお蚀うんだ。えヌず、映璃の効になるのかな 二、䞉日はいる぀もりだから、仲良くしおやっおくれ」

「ばかなこず蚀わないで なんで私が子守をしなくちゃならないのよ」

「映璃ちゃん、こっちぞおいで  」

 興奮する私を、おばあちゃんが台所から手招きした。
 向かい合うずおばあちゃんは私の手を取った。

「今床ばかりはおばあちゃんも呆れおる。だけど、小さい子の手前、出お行けずも蚀えなくおねぇ」

「なら、私が蚀う。なにがなんでも远い出しおやるわ」

「そうできればいいんだけど。おじいちゃんが蚀っおもあの態床だから」
 今回はい぀もず違うずいうこずか。

 この前垰っおきたのが二幎前。
 ちょうど、高校に入孊したころで、入孊祝ず称しおいくらかお金を包んで持っおきたのだけど、その時は䞀時間ほどで出お行ったのだった。

 逊育暩は祖父母にあるから、時々しか顔を合わせるこずのない男のこずは、実のずころ近所のおじさん以䞋の認識だ。
 それでも「父」ず呌んでいるのは、ほかに呌びようがないからで、䞀皮のあだ名みたいなものである。

「おい、映璃。効ができたんだ、遊んでやっおくれよ」
 居間で父がのんきなこずを蚀っおいる。
 あんたの子䟛でしょう
 それはあんたの圹目でしょう
 腹の底から怒りがこみあげおくる。

「達圊た぀ひこ。おもちゃは持っおきおないの わたしが遊んでやるから」
 おばちゃんが、やれやれずため息を吐きながら居間に足を向ける。

「なんで盞手するの 勝手にやっおきたのはあっちでしょ」

 おばあちゃんに抗議する。
 おばあちゃんは銖を暪に振った。

「子䟛に眪はないんだよ。
 それに、あの子にずっおわたしは『川越のおばあちゃん』なんだから」
 そういっお子䟛の盞手を始めた。

 私は感情を敎理しきれず、蚳が分からなくなっお家を飛び出した。
 勝手に涙があふれおくる。
 う぀むいたたた駆け出そうずした時、誰かにぶ぀かった。

「  アキ 垰ったんじゃなかったの」
 圌は頭をポリポリず掻いた。

「垰る぀もりだったんだけど、家の䞭から゚リヌの怒鳎り声が聞こえおきたから䜕事かず思っお、垰るに垰れなかった。
 たさか、飛び出しおくるずは思っおなかったけど、ここにいおよかった」

「アキ  」
 しがみ぀いおその䜓に顔をうずめる。
 アキはしゃがみこんで私の背䞭に腕を回し抱きしめおくれた。

「倧䞈倫。なにがあったかわからないけど、僕がいおあげるから」

「うん  」

 ひずしきり泣いおから、すぐ近くの公園のベンチに座り、こずの経緯を話した。

 私が䞀歳半の時に䞡芪が離婚したこず。
 どちらも育おる気がなかったから父方の祖父母の逊子ずしお育おられたこず。
 その父が今日になっお突然、「効」を連れお戻っおきたこず  。
 アキはただ静かに話を聞いおくれた。

「䞀床話し合っおみたらどうかな
 䞀人じゃ無理っお蚀うなら、がくが䞀緒にいおあげおもいいし」

 私のこずを䞀番に想っおくれるアキならきっずそういうず思った。
 だからこそ、家の問題にはあたりかかわらせたくない、ずいう思いもあった。
 やっぱりこれは私の問題なのだ。

「  倧䞈倫。䞀人で䜕ずかする」

「本圓に さっきあんなに泣いおいたのに」

「  アキに話したら少し萜ち着いた。
 それに、䞇が䞀うたく話せなかったずしおも、お父さんは二、䞉日したら出おいくはずだから。
 そうしたら元の生掻に戻るよ」

「そう 無理しないでよ」

「うん。ありがずう」
 私はできるだけ笑おうず努めた。
 目にたたっおいた涙が笑った拍子に零れ萜ちる。
 アキはそれをやさしく拭っおくれた。

「僕はい぀でも゚リヌの助けになる。い぀でも」

「ありがずう」

「倧奜きだよ」

「うん。私も」

「それじゃあ  。そろそろ垰るね」

「うん。明日、図曞通に、十時に埅ち合わせで」

「わかった。それじゃ」

「バむバむ  」
 アキは名残惜しそうに私の髪をひず撫でし、今床こそ自転車に乗っお垰っおいった。


 日はすっかり暮れおいた。
 家の前たで来たずき、玄関の前でしゃがみ蟌む人圱を芋぀けた。
 暗かったせいですぐに誰かは刀別できなかったが、煙草の火が芋えた。

 父だった。私に気が付くず、
「よお、垰ったか」
 ず蚀っお煙草を捚お、立ち䞊がりながら螏み消した。

「話がある」
 どうやら向こうから話し合いの機䌚を甚意しおくれるようだ。

 父は䞀歩だけ私に近づいた。䞋がりかけおずどたる。
 䞀人で䜕ずかするず蚀った以䞊は、そしお血の぀ながった芪子であるからには、ちゃんず話しあわなければならない。
 これたで避けおきたけれど、これ以䞊避けられないずころたで来たのだず芚悟を決める。

 「話」はなかなか始たらなかった。固唟をのんで埅぀。
 少しの沈黙の埌で父は深く息を吞い蟌み、話し出した。

「この前、加奈子に䌚った。  乳がんなんだず。
 ただ初期の段階らしいけど、長い治療が必芁になるだろうっお」

 加奈子ずいうのは実母の名だ。別れお久しいはずだが、ただ連絡を取り合っおいるこずに驚いた。

「  それで」
 できるだけ冷たく蚀い攟぀。

「加奈子がお前に䌚いたがっおる。䞀床でいいから䌚っおやっおくれないか」

「いたさら䜕を  」

「加奈子もそう思っおる。今曎っお。
 でも、もしかしたら死ぬかもしれないず思ったら䌚いたくなったんだず。
   䜏所ず電話番号はここだ。気が向いたら連絡しおやっおほしい」

「どうしお私から 䌚いたいのは向こうでしょ」

「のこのこず、離婚した男の実家に来られるず思うか
 映璃の電話番号を知っおたら教えおやったんだが、あいにくずそれもできなかったからな」

「たずえ教えおあったずしおも、母芪からの電話なんお出たくもない。
 䞀床だっお顔を芋せない女なんお、芪でも䜕でもない」

「気持ちはわかる。
 だけど俺ず加奈子がいなけりゃお前は存圚しおないんだ。
 俺たちが芪なんだ」

「じゃあどうしお捚おたの」
 私は長幎感じおいたこずを初めお吐露する。

「離婚した挙句、逊育するこずを攟棄したのに、どうしお加奈子ず䌚っおるのよ
 おかしいじゃない。
 再婚盞手も迷惑しおるでしょうに。あの子だっお可哀そうよ」

「ナリに加奈子のこずを話す぀もりはないし、䌚っおるずいっおも、おたえに䌚ったこずの報告をしおるだけだから、数幎に䞀床だよ。
 向こうから連絡があったのも今回が初めおだ」

「  どうしお私に䌚ったこずを教えおるのよ」

「そりゃあ、芪だから」

「育おおないくせに」
 私の蚀葉を聞くず、父は煙草を䞀本取り出そうした。
 が、迷った末にやめ、代わりに箱をもおあそび始めた。

「  育お方が分からなかったんだ。
 あの頃は俺も加奈子も二十そこそこで、やりたいこずがたくさんあった。
 そんな䞭でおたえの存圚が  重かったんだ」

「無責任」

「そう。分っおる。  だからもう䞀床、やり盎したいず思っお今、ナリを育おおる。
 もし、やり盎せるなら  。
 お前が嫌じゃなけりゃ、䞀緒に暮らしおもいいず思っおる」

 父が今回、䞀番話したかったのはこれだ、ず盎感する。
 あたりにも自分勝手な内容に、怒りよりむしろ呆れおしたう。

「あんたたちの家庭に突然、私が入っおいけるわけないじゃない。
 あの子が倧事に育おられおるのを知っただけで十分。
 それ以䞊かかわる気はないわ」

「たっ、そういうだろうな、普通は。
 でも、こっちは割ずマゞで誘っおんだよ。
 嫁さんにも映璃のこずは話しおある。䌚いたいずも蚀っおる。
 ちょっず考えおみおくれないか」

「映璃は枡さん」
 䞊空から䜎い声が降っおきた。

「芪父  」
 ベランダからおじいちゃんが䞀郚始終を芋聞きしおいたらしかった。

「枡さんぞ」
 おじいちゃんはもう䞀床蚀った。

「黙っお聞いおりゃ郜合のいいこずばかり蚀っお。
 誰が十䞃幎間も映璃を育おお来たず思っおる
 若い時に子育おの苊劎を知ろうずしなかった野郎に、今になっお暪取りされおたたるか。
 どうせ今床も、育おきれずに育児攟棄するにきたっおる
 さっさず自分で育おるのはあきらめおここぞ眮いお行け」

「俺はもう子䟛じゃねぇ
 あれから人生経隓も積んだ。今回はちゃんず育おおく」

「䞀床倱った信甚は簡単には取り戻せないぞ 芪子であっおもな」
 すごみのあるその声に、私も父もたじろいだ。

「映璃。安心しなさい。
 お前はじいちゃんの子だよ。ずっずいおいいからな」
 父には厳しい口調のおじいちゃんが、私にはい぀もの枩かい声で語った。
 思わず涙腺が緩む。

「もちろんよ」

「そういえば、映璃をここたで送っおくれた青幎は優しそうだな」

「えっ。その時から芋おたの」

「ここはじいちゃんの特等垭だからなぁ。
 川越の町䞊みが芋える、最高の堎所だ」
 そう蚀っお街灯のずもる垂街を芋぀めた。

 抱き合っおいるずころもしっかり芋られおいたに違いない。
 思い出しただけで顔がかあっず熱くなる。

「ふぅヌん。映璃にも男ができたのか。
 家の前たで来おたのに芋物しそびれたずは、残念だ」
 面癜くなさそうに父は蚀い、今床は煙草に火を぀けた。

「で、どんなや぀ むンテリ スポヌツマン」

「りザむ。あんたには教えない」

「い぀の間にか、加奈子そっくりの口ぶりだな」
 たびたび登堎する加奈子ずいう名前に、いい加枛うんざりする。

「冷えおきたな。映璃、䞭に入りなさい。
 じいちゃんず䞀緒に倕ご飯にしよう」
 そういっおおじいちゃん自身も宀内に入った。

「俺のこずは誘っおくれねぇのかよ。ひでぇ芪父だ」

「  ここはもうあんたの家じゃない。
 私ず、おじいちゃんおばあちゃんの家よ」
 父の脇をすり抜け、私は玄関のドアを開けた。

   

 倜が曎けるに぀れ、眪悪感ず自己嫌悪に襲われる。
 鈎宮悠斗ずいう、だれもがうらやむ男を手に入れおおきながら、平凡な、野䞊地博ずいう男を奜きになっお乗り換えようずしおいる私。

 ――あんたは最䜎な女よ  。
 もう䞀人の自分が頭䞊からずっずささやき続けおいる。

 明日はアキず䌚っお、英語ず叀兞を教えるんだから。もう寝なきゃ  。

 無理やり自分に蚀い聞かせ、寝る支床を枈たせる。
 気づけば二十䞉時になろうずしおいる。

 ず、スマホから、着信を知らせる振動音がした。
 アキかもしれない  。私は慌おお電話に出た。

「もしもし  」

『おっ、ただ起きおたか』

「  悠」

『なんだよ、そのがっかりした声は』
 単玔に、ば぀が悪かった。
 今日䞀日、面ず向かっお話し合う機䌚をあえお䜜らなかったのだから、きっず抗議の電話に違いないず身構える。

『野䞊からの電話だず思ったんだろ。
 ったく、だいたいなんでよりによっお野䞊なわけ
 せめお理由、聞かしおくんねぇかなぁ』

 悠は怒らなかった。
 意倖なほど、普段通りのしゃべり方。
 それが逆に眪の意識を匷くさせた。

「その前に  。倕べは突然『別れよう』だなんお蚀っおごめん。
 ちゃんず話し合いもしないで、気を悪くしたわよね
 本圓にごめんなさい」

『たったくだ。掛け盎しおも出ねぇし。
 俺、なんかしたか っお、昚日の倜は党然寝れなかったぜ』

 ごめんなさい、ずもう䞀床謝る。
「だけど、ほかに蚀葉が思い぀かなかったの。
 䜕を蚀っおも蚀い蚳にしかならないず思っお」

『それもひでぇなぁ。
 䞀応確認するけど、本圓に野䞊のこずが奜きなの』

「  奜きよ」
 悠が深く息を吐いたのが聞こえた。

『俺、今日だけは遅刻しないで孊校行っお、手圓たり次第聞き蟌みしたんだぜ
 そしたら野䞊ず映璃が䞀緒にいるのを芋たっおいう話を入手しおよぉ。
 もう頭がパニックになっおさ』

「だからっお、殎るこずなかったじゃない」

『今朝はずにかくむしゃくしゃしおたんだ。
 寝䞍足だったし。
 映璃は悪くない。きっず、野䞊にそそのかされたに違いないっお自分に蚀い聞かせおたら、ああなった。
   たぁ、野䞊に手ぇ出した時点で嫌われたかもしれねぇけど』

「  そうね。暎力をふるう人は嫌い」

『けどさぁ、別れる理由くらい蚀っおくれなきゃ、こっちも匕くに匕けねぇじゃねぇか』

「  理由があれば別れおくれるの」
 悠の蚀葉を逆手に取るず、

『た・ず・え・ばの話
 俺、野䞊に負けおるずころがあるだなんお思っおねぇから』
 ずすぐに吊定された。

 この、自信たっぷりの口調。誰かに䌌おいる。
 ちょっず考えお、父のこずを思い出した。

 ゞョヌクで人を笑わせるのが奜きな人気者。
 呚囲には倚くの人が集たるが、少しでも意芋が食い違うず、自分は間違っおいないず蚀い匵り䜕ずしおも抌し通す。
 そしお自然䜓で惚れやすい。そう、悠も父も。

 この瞬間、私は気づいおはいけない事実に気づく。
 もしかしお、私は悠に、䞍圚の実父の姿を重ねおいたのではないか、ず。

 幎に䞀床でも顔を芋せるこずによっお、あの男はあの男なりに私の父であり続けようずした。
 そしお䜜戊通り、私の䞭で父は父ずしお認識されおいった。

 ある期間を陀いお、ほずんど「蚪問」皋床の時間しか顔を芋せなかった父。
 だが䌚った時は必ずず蚀っおいいほど、「どうしお突然垰っおきたの」ずいう怒りず「どうしおすぐに垰っおしたうの」ずいう矛盟した気持ちを抱いおは混乱した。
 捚おられたはずなのに、やっぱり父にはそばにいおほしいずいう子䟛心が垞にあったのだ。

 もっず䞀緒にいおほしい。
 認めおほしい。
 愛情を泚いでほしい。
 その思いが圢を倉え、父に䌌おいる悠を奜きになるこずで心の穎を埋めようずしたのではないか

 もしそうだずするなら、私が悠に察しお抱いおいた感情は「恋」ではなく「慕情」のようなものだったのではないか  。

 自分の気持ちを知った瞬間、壊れた氎道のように、涙が出おきお止たらなくなった。
 静かな沈黙の時が流れた。

『  泣いおんの 野䞊のこず、悪くいったくらいで泣くなんお。
   それずも、そのくらいや぀のこずが奜きなのか』

 泣き出した理由が分かるはずもなく、悠は芋圓はずれなこずを蚀った。

「そうじゃないの  」
 そんな気持ちで付き合っおいた自分が情けなく、たた申し蚳ない気持ちでいっぱいだった。

「悠のこず、奜きになろうずしたのよ。
 だけど、奜きになりきれなかった。
 やっぱり、これ以䞊悠ずは付き合えない」

 涙声ではあったが、きっぱりず告げた。
 悠は戞惑っおいる様子だった。

『どうしおだよ
 郚掻ずスむミングスクヌルの掛け持ちしおお、なかなか䌚えないから
 バカなこずしか蚀わないから
 それずも  䜓を求めすぎるから』

 そう。父ずの共通点の䞀぀ずしお、悠は䌚いたいずきに䌚えなかった。
 向こうの郜合で䌚いに来おは䞀方的にしゃべり、䜓を求め、拒めば怒った。
 そのこずが䞍満だったし、孀独を感じさせた。

「正盎、すぐに䌚えないのは぀らい。
 付き合っおるのに、党然付き合っおる感じがしないの。
 電話を掛けられるのも遅い時間しかないし。
 今日はたたたた起きおいたからいいけれど、普段ならずっくに寝おいる時間よ」

『それは悪いず思っおる。
 でも、倧䌚が終わるたでの蟛抱だ』

「悠は倧孊もスポヌツ掚薊、狙っおるんでしょう
 郚掻を匕退しおもスむミングスクヌル通いが続くなら今ずあたり倉わらないず思う」

『  寂しいの』

「そうよ。寂しいわよ。い぀だっお、䌚いたいずきに䌚えないなんお寂しすぎるわ」

『そっか。そりゃあ、俺が悪かったよ。ごめんな』

 悠は玠盎に謝った。
 そうあっさりず非を認められたら、怒っおいる私のほうがばかみたいじゃない。
 なんだか惚めだった。

「  ねぇ、聞いおもいい 私のどこが奜き」
 こんな私のどこが奜きなのか。改めお聞いおみたくなった。

『笑った顔が奜きだから』
 わかりきったこずを蚀わせるな、ず蚀った口調だった。

『映璃にはい぀でも笑っおおほしい。
 だから、ずっおおきの笑い話は映璃に最初に話したくお、いく぀もずっおあるんだぜ』

「悠  」

『  んでも、ちょっずしゃべりすぎかなぁっお、い぀も反省するんだ。
 映璃の話、聞いおやれなかったなぁっお。
 でも俺、バカだからさぁ。
 泳ぐずすぐにそんなこずも忘れお同じこずを繰り返しちゃっおる。
 頭のいい映璃のこずだから、俺のこういう郚分が嫌いなのかなっお。
 別れようっお蚀われお、必死に考えおようやく気付いたんだ。
   っおたた俺ばっか、しゃべっおるし』

 自分突っ蟌みを入れる悠がおかしくお少しだけ笑う。
 悠も『おっ、笑った』ず嬉しそうに蚀った。

『そうそう。䜕で俺ばっかしゃべるかっおぇず、映璃がしゃべんないからだよ。
 自分のこずは䜕も教えおくれない。
 だから、もし人には蚀えない䜕かを抱えおるんなら、俺が笑わせお心を開かせおやろうっおいう思いもあるんだぜ。
 たぁ、結局俺の力じゃ無理だったっおこずなんだろうけど。

 野䞊のや぀、どうやっおお前の心を開いたの
 ひょっずしお、チェスを通しお人の心を読む力でも持っおるのか』

「たさか」

『じゃあ、どうやっお  』
 悠は本圓にわからないようだった。

「䞀番困っおいるずきそばにいおくれたから、かな」

『  昚日の朝っおこず』

「そう」

『そりゃないぜ。
 日曜も䞀日䞭、スむミングスクヌルで泳いでたんだ。
 翌朝、五時台になんか起きらんねぇっ぀ヌの』

「アキも早起きは倧の苊手よ。でも電話に出お、話を聞いおくれた」

『  俺が力になれなかったから、別れおほしいっおこずなのか』

「アキは私に生理が来ないこずを心配しおくれた。
 そしお䜓に自信がないなら、本圓のこずを知っお治せばいいっお埌抌ししおくれたの」

『生理が来ないのは俺だっお聞いおたけど、そんなに深刻な病気ならどうしお盞談しおくれなかったんだ』

「私だっお、深刻なものだず知ったのは昚日よ。
 アキず病院に行っお医垫の蚺察ず怜査を受けおね」

『  そうだったのか』

「悠はいい人だっお心から思っおる。本圓よ。
 もし出䌚うずきが今じゃなかったらきっず、ちゃんず愛し合えただろうなっお思う。
 でも、今の私には寄り添っおくれる人が必芁なの」

 それは悠じゃなくお、アキ。そう続けようずした。
 しかしその前に悠が口を開く。

『  俺だっお、寄り添えるよ』

「えっ  」

『俺だっお映璃の助けになりたい。
 病気っお、治療すれば治るんだろ
 どんな病気か分かっおんなら、俺にもサポヌトできる。
 今すぐっおわけにはいかないけど、できるだけ映璃の郜合も聞いお合わせるようにするから』

「気持ちは嬉しいけど、い぀治るか、そもそも、今曎治療をはじめお治るものなのかもわからないんだよ
 それでも  私のこずをずっず奜きでいおくれる
 䞀生、セックスできないずしおも」

『䞀生っお、そんな倧げさな』

「たぶん、そのくらい深刻」

 悠は抌し黙った。
 しんず静たり返った宀内で、時蚈の秒針の音がやけに倧きく聞こえる。
 やがお悠は声を発した。

『少し時間をくれないか。
 野䞊が条件぀けおきたあのテストの結果が出るたで。
 しばらく、真剣に考えおみる』

「  そう」

『ちなみに聞くけど、野䞊のや぀、なんお蚀っおるの』

「私たち、昚日そういう関係になったばかりよ。
 ただ将来の話なんお䜕もしおないよ」

『それでも映璃は野䞊が奜きなんだろう
 野䞊を遞がうずしおるんだろう』

「    」

『たぁいい。
 今日はもう遅いから、お互いたずもに遞択ができる頭じゃねぇ。
 映璃もさ、少し考えおみおくんねぇ
 俺ず野䞊、どっちず正匏に付き合っおいくか』

「  うん」

 答えはすでに決たっおいるはずだった。
 なのに悠が、私の䜓のこずを、将来を考えるだなんおいうから、私の心はたた少し揺れ動いおしたっおいる。
 数時間前、アキず匷く抱き合い、いたにもキスしおしたいたくなるほど気持ちが高たっおいたずいうのに。

 電話を切り、垃団に䜓を沈めお考える。

 私の䜓ず向き合い、心の底からサポヌトしおくれるアキず、笑いで私を楜したせ、元気にしようずしおくれる悠ず。
 二人の男から求愛され、どちらを遞ぶか悩んでいるなんお、私はなんおぜいたくなのだろう。そしおなんお眪な女なのだろう。



 昚晩、悠ず電話で話したこずを䜕ずか忘れようず、私は朝からせっせずおめかしにいそしんだ。

 ずっおおきの癜のワンピヌスの胞には、おばあちゃんが手䜜りしおくれたコサヌゞュを぀けた。
 鏡の前で念入りに髪の毛に櫛を入れ、前髪の角床を調節する。
 買ったばかりのむダリングず口玅を塗ったら、こんな私でも倧人びお芋えた。

 アキは喜んでくれるかしら

 でも今日の目的は勉匷するこず。
 デヌトではないし、芋た目にはこだわらないずも蚀われたが、めかしこたずにいられないのが女心ずいうものだ。

 玄束の十時ちょうどに぀くず、アキはすでに図曞通の前で埅っおいた。
 ストラむプのシャツに、前回ず同じくお兄さんのブルヌゞヌンズをはいおいる。

「お埅たせ。早かったんだね」

「今着いたずころ。  えヌっず、今日っおデヌトだったっけ」

「勉匷䌚だよ。  この栌奜じゃダメだったかな」

「ううん。  勉匷に区切りが぀いたらそのたた街に繰り出したいくらい」

「アキがそうしたいなら」

「ホントに やっぱ、兄貎の服を借りおきお正解だったなぁ」

 アキはさっず私の手を握った。枩かくお、しなやかな指。
 觊れ合っおいるだけでドキドキする。
 この時間がずっず続けばどんなにいいだろう。
 けれど、そう思えば思うほど、私の心に刺さった「悠」ずいうトゲの痛みが倧きくなっおいくのだった。


 勉匷を教える、ずいっおもわからないずころを尋ねられなければ手持ち無沙汰である。
 適圓な本を棚から取り出しお読む。
 しかし五分もしないうちに飜きおしたったので、代わりにアキの顔を芋぀めるこずにした。

 集䞭しおいるずきのアキはこちらの芖線には党く気付かない。私はそれを知っおいる。
 教科曞ずノヌトを行ったり来たり。
 その真剣なたなざしはチェスをしおいるずきず同じだ。

 ノヌトに目を萜ずすず、意倖に敎った字を曞いおいるこずに気づく。
 おずなしいアキの性栌を物語っおいた。

「うヌん  。ここの解説、お願いできるかな  。
 やっぱり叀語が難しくお」

 アキが指さした箇所を芋るず、源氏物語「倕顔」で、倕顔ず源氏がたがいに和歌を莈りあっおいる堎面だった。

 倕顔心あおにずぞ芋る癜露の光そぞたる倕かほの花
 源氏よりおこそそれかずも芋めたそがれにほのがの芋぀る花の倕顔

「倕顔は、お忍びで乳母の家ぞ芋舞に来おいた光源氏の姿を垣間芋おその人だず察し、この和歌を莈ったの。
 源氏はこの、身分の䜎い玠性の知れない女にどんどん惹かれおいく。その最初の堎面よ。
 『たそがれ』は、『黄昏』ず『誰そ圌』が掛け蚀葉になっおいるのがわかる」

「あ、そうか。゚リヌの解説、わかりやすいから助かるよ」

「どういたしたしお」
 そのあずいく぀か躓いた問題を教えたが、そのうちに質問されなくなった。

 気づけば、私の頭は悠のこずを考えおいた。
 悠は私の病気に぀いお本圓に理解しようずしおいるのだろうか。
 もちろん、怜査結果が出たわけじゃないから、私自身、医者の掚枬をうのみにしお悲芳的になる぀もりはない。
 それでも、生理が来ないのは事実であり、正垞でないこずだけは確かなのだ。

「生理が来ないならやらせおくれおもいいだろう」

 い぀だったか、悠が蚀ったこずがある。
 その蚀葉に私はひどく嫌悪感を抱いたものだ。
 自分を粗末に扱われおいるように感じたからだ。
 おそらくその蚀葉がきっかけずなっお、䜓を觊れられるこずが嫌になったのである。
 悠は気づいおいないだろうけれど。

 䜓の぀くりはいただ少女のたたかもしれない。
 でも心は十八であり、女ずしお芋られたい。

 実は、その差に自分でも戞惑っおいる。
 恋人を受け入れる甚意がないのに、本胜が欲しおしたう。
 いっそのこず、ブスだったら男に奜かれるこずもなかったかもしれないず思うこずさえある  。

「゚リヌ」

「え ああ、ごめん。なに」

「どうしたの がんやりしお。  考え事」

「ううん、䜕でもない。それで 勉匷ははかどっおるの」

「気になっおそれどころじゃないんだけどなぁ  」

 今床はアキが私を芋぀める。
 自分の劄想が恥ずかしくなっお思わず目をそらす。
 せっかくアキず二人きりで䌚っおいるずいうのに、私はいったい䜕を考えおいるのか。

「  ごめん。ちょっず倖の空気を吞っおきおいいかな」

「うん。そうしたほうがいい。本圓に調子が悪いなら垰っおもいいんだよ」

「ありがずう。萜ち着いたら必ず戻っおくるから」

 その蚌に荷物をアキのそばに眮いおおく。
 圌の心配そうな衚情に、かえっお申し蚳ない気持ちになった。


 図曞通の倖は初倏を思わせる日差しだった。
 ただ四月ずは思えない陜光のたぶしさに目を现める。

 どうしおこんなこずになっおしたったのだろう。
 悠ずはきっぱり別れおしたう぀もりだったのに、匕き留められ、別れを保留するこずになっおしたった。

 優柔䞍断な自分が情けない。
 優しい蚀葉を掛けられ、自分の気持ちを貫くこずができなかったのだから。
 悠にも倉な期埅を持たせおしたっただろう。
 悪いのはみんな私。私の気持ちが揺らいでいるせい  。

 そんなこずを考えおいるうちに、本圓にめたいがしおきた。
 玄関の日陰に腰を䞋ろそうずした時、正面から姿勢のいい女性がやっおくるのが芋えた。

 り゚ヌブのかかった長い茶髪にサングラスをかけおいる。
 黒地のワンピヌスから䌞びる足は匕き締たっおいお、かかずの高いハむヒヌルがよく䌌合っおいた。

 その人が、私の前で立ち止たった。
 顔をあげるず圌女はサングラスを倖した。

 目の䞋にはややたるみが芋え始めるものの、敎った顔立ちがそれを目立たなくさせおいる。
 ゚クステなのか、やたらず長いた぀毛ずカラヌコンタクトのせいで倖囜人にもみえる。

「吉川映璃ちゃんね」

 圌女は開口䞀番、私の名前を呌んだ。
 返事をしようか迷った。
 その目をじっず睚み぀ける。
 盞手も同じようにこちらを睚んだような気がした。

「  加奈子なの」

「母芪を呌び捚おにするなんおひどい嚘ね」

 いやな予感は的䞭した。

 この女が私の実母。
 父ずは、新人舞台女優だったずきに出䌚い結婚したず聞いおいる。
 おそらくは今も珟圹なのだろう、衚面䞊は矎しい。
 が、腹の䞭では䜕を考えおいるか分かったものではない。
 䜕しろ、父ず違い、この女は私を本圓に芋捚おたのだから。
 父に、私から連絡するよう䌝蚀したはずだが、埅っおいられなくなったのだろうか。

「どうしおここにいるこずが分かったの」

「達圊に聞いたの。今日は図曞通にいるっお」

「家に行ったの」

「行ったわよ。
 そりゃあもう口論になったけど、死ぬかもしれないっおなったら䜕でもできちゃうものでね」

「    」

「映璃ちゃんこそ、どうしお私が母芪だっお分かったのかしら
 私は䜕床も写真を芋せおもらっおいるから分かったずしお、こうしお䌚うのは十䞃幎ぶりのはず」

「  におい」

 私が唯䞀蚘憶しおいる母は、花のにおいの銙氎をたずっおいた。
 もちろん、それだけでこの人を母芪だず決め぀けるこずはできないはずだが、女の勘、ずでもいえばいいだろうか。加奈子は笑った。

「ぞぇ。分かるものなのね。
 達圊ず䌚うずきはい぀もこの銙氎を぀けるこずにしおいるのよ」

「  本圓に、乳がんなの」
 䌚っお早々、ぶし぀けな質問だず思った。でも加奈子はたじめに答える。

「ええ。
   達圊には話しおないんだけど、本圓は来週、手術する予定になっおいおね。
 䌚いたいっお蚀われた時に䌚えなかったら悔いが残るず思っお、こっちから来ちゃった」

「ずおも病人には芋えないけど」

「どんなに䜓調䞍良でも顔に出さないのが圹者ずいうものよ」
 プロずしおの意地を感じた。
 悔しいけれど、かっこいいず思っおしたった。

「病気になったからっお、いたさら䌚いたいだなんお虫が良すぎるよ  」
 こっちも意地になっお冷たい嚘を貫く。

「分かっおる。だけど、どうしおも盎接䌚っお聞きたかったの」
 その目がたっすぐこちらを芋぀める。

「  映璃ちゃんには倢がある」

「倢」
「そう、将来やっおみたいこず。
 私はね、子䟛のころからずっず女優になろうっお決めおたの。
 だから挔劇郚に入ったり、舞台を芋に行ったりしお挔技の勉匷をしたものよ。
 映璃ちゃんにはそういう倢があるかしら」

 力匷いたなざし、自信に満ちた衚情。
 私はそれに気圧されそうになった。

 子䟛のころからずっず憧れおいる職業があるわけではなかった。
 ただ挫然ず毎日を過ごしおきただけの私には、加奈子の「倢」がたぶしすぎた。

「  幞せになりたい、ず蚀ったら」
 私の口から出たのはそんな蚀葉だった。

 加奈子は目を䌏せ、小さく息を吐いた。
「奜きな人がいるのね その人ず、幞せになりたい。そういうこずよね」

「  うん」

「  玠敵な倢ね。
 映璃ちゃん、矎人さんだからきっずモテモテでしょうね。
 お盞手はどんな方かしら 䞀床䌚っおみたいな」

「  笑わないの 私の倢を。
 加奈子みたいに立掟な倢でもないのに」

「幞せな家庭を築きたいっお、立掟な倢じゃない
 私が叶えられなかった倢を映璃ちゃんが叶えおくれるならこんなに嬉しいこずはないわ」

「叶えられなかった倢  」

「舞台女優になっお枩かい家庭を築く。
 䞡立できたらどんなによかったでしょうね。
 でも、私にはできなかった。  努力が足りなかったのかな」

 実母のこずはずっず憎むべき存圚だず教えられおきた。
 だが、寂しそうに話す加奈子を芋おいたら、本圓に「育児攟棄」をしたのだろうかず疑念がわいおきた。

「  幞せじゃないの」
 思わず聞いおいた。加奈子はくすっず笑う。

「もちろん幞せよ。だっお、倢をかなえお女優やっおるんですもの。
 ただ、別の幞せを遞ぶこずもできたなっお思うだけ。
 人生、䞀床きりだもの。あの頃に戻っお遞びなおすこずはできないけれど」

「女優ずしお成功しおから再婚しようずは思わなかったの」

「再婚に䜕の意味があるずいうの
 達圊には恋人がいたし、あなただっお吉川家の子䟛ずしお育おられお久しいずいうのに」

「なら、そもそもどうしおお父さんず結婚したの」

 䞀床も聞くこずのなかった、出生の話。
 産みの母芪が目の前にいる今だからこそ、私はそれを聞きたいず思った。

 加奈子は少し間をおいお、
「映璃ちゃんず同じ。幞せになりたかったから」
 ず答えた。

「でも、私は結局家族の幞せを考えるこずができなかったの。
 倢を远い、自分が幞せになるこずだけしか考えられなかった。
 だから、離婚は必然だったし、それでよかったず思っおる。
 あなたたちのためにも」

「家族がバラバラになったずいうのに」

「家族だっお他人よ。その関係を維持するのには盞圓の努力がいるわ。
 さっき、努力が足りなかったっお蚀ったのはそういうこず」

「    」

「達圊はね、圓時新人だった私のファンになっおくれた最初の人だったの。
 毎日のように公挔を芋に来おくれたわ。
 出番がちょっずしかないずきだったのに、『君ならきっず倧物になれる』なんお蚀っおくれおね。
 嬉しくお嬉しくお、ずっず䞀緒にいようねっお、毎日蚀っおたっけ。

 本圓は、倢を応揎しおくれる達圊に甘えおいたかった。
 でもある時、気づいおしたったの。
 ずっず䞀緒にいたら、圌は圌の人生ではなく、私の人生を生きるこずになっおしたう。
 そしお、映璃ちゃんのこずも巻き蟌んでしたうっお。
 だから、離れお暮らす道を遞んだの」

 父も加奈子も互いを想いあっおいた。
 だからこそ、別れた。互いの人生をより豊かにするために。

 そんな愛の圢があるだなんお思っおもみなかった。
 そしお自分がちゃんず母芪から愛されおいたのだず知り、戞惑いを隠せなかった。

「ひどい女よね、私っお」
 加奈子は自分を笑い飛ばすように蚀った。

「恋をしお、結婚しお、愛し合っお子䟛を産んで、倢をかなえるために家族を捚おお。
 乳がんになったのはその報いじゃないかっお思っおる。
 もう十分、奜き勝手やったんだから悔いはないでしょっお、神様が病気の皮を怍え付けたのよ、きっず」

「  手術するんでしょう ただ、死ぬっお決たっおないんでしょう」

「死んでくれたらせいせいするっお蚀われるず思っおいたのに」

「そこたで性根は腐っおないわ」

 そういうず加奈子はほっずしたように笑った。
「映璃ちゃんの倢が聞けお良かった。これで安心しお手術に臚める。
   玠敵な男性ず玠敵な家庭が築けるずいいわね」

「それを聞くためにわざわざここたで  」

「私が達圊ず出䌚ったのが十八歳だったから。
 同じ幎になったあなたがどんな倢を持ち、どんな人生を歩んでいく぀もりなのか、知りたかったの。
   これでも、あなたを産んだんだもの。嚘の幞せを願うのは圓然でしょう」

「いたさら、母芪ぶっお」

「倧病したずきくらいいいじゃない。
 神様だっお、そのくらいは蚱しおくれるず信じたいわ」

「加奈子  」
 その声に圌女が振り向くず、父が立っおいた。

「来ないっお玄束じゃなかったの  」
 その声にはずげがあった。
 しかし父は少しためらっおから蚀う。

「映璃のこずが心配で  。連れおっちゃうんじゃないかっお」

「私のこず、信甚しおないのね」

「死ぬず思ったら䜕でもできるなんお蚀うからさ  」

「  そうね。でも安心しお。そんな぀もりはないから」

 父は「本圓に倧䞈倫か」ずいった目を向けた。私は小さくうなずいた。

「  䞉人で䌚えたのね、私たち」
 加奈子はしみじみ蚀った。

 父ず私ず加奈子ず。
 本来ならば十八幎間、䞀぀屋根の䞋で暮らしおいたはずの家族が、ただ若かったずいうだけではない、さたざたな芁因が重なっお別々の堎所で暮らさなければならなかった。

 再䌚する機䌚などなかったかもしれない私たちがこうしお集うこずができたのは、父が、それぞれの運呜の糞を攟さずにいおくれたからだろう。

 加奈子も同じこずを思ったようだ。
「達圊のおかげね。感謝するわ」

「十䞃幎かかっちたったけどな」
 加奈子の蚀葉に、父は少し照れたように錻の䞋をこすった。

 もしかしたらこの二人は、私が聞いた以䞊に頻繁に䌚っおいたのかもしれない。
 䞉人で䌚うタむミングを探りながら。

「だけど、これっきりね。きっず」
 加奈子はう぀むき、胞を抌さえた。
 私ず父は顔を芋合わせた。

「バカ蚀うなよ。加奈子はいっ぀もそうだ。
 すぐに自分から終わりにしようずする」
 父はさっず歩み寄り、加奈子を抱きしめた。

「死ぬなよ、絶察に。
 俺ず  映璃を眮いお先に行くなよ  」

「やヌね。達圊にはすおきな奥さんがいるじゃない」

「加奈子以䞊に愛せる人はいないよ」

「  バカはそっち。もっず自分ず、奥さんを倧事にしなさい。
   でも、そう蚀っおくれおうれしいわ。ありがずう」
 加奈子は父の唇にそっずキスをした。そしお父の䜓を突き攟した。

「おい、加奈子  」

「䌚いたくなったらたた来およね。
 䞀人のファンずしお。私はずっず舞台にいるから」
 そういっお歩き出す。

「  お母さん」
 呌び止めたくお出た蚀葉がそれだった。
 加奈子は振り返った。

「  ありがずう、映璃ちゃん。たた、䌚っおくれる」

「䌚えるよ。生きおいれば必ず」

「  そうね。䌚えるわね」
 その県には涙が光っおいるように芋えた。
 それを隠すように加奈子はサングラスをかけ、歩き出した。

 姿が芋えなくなっおようやく父が口を開く。
「  加奈子ず䜕を話した」

「別に」

「じゃあなんで『お母さん』だなんお呌んだんだ
 母芪っお認めおなかったはずだ」

「わからない、私にも」

「そうか  」

「でも  聞いおいたより悪い人じゃなかった」

 父は「うん」ず深くうなずいた。

「加奈子は自分のやりたいこずを貫いただけ。
 それを、俺の芪が勝手に悪く蚀っただけだ」

 やりたいこずを貫いただけ  。
 その蚀葉が私の胞に深く突き刺さる。

 父は続けお、
「たぁ、俺もやりたいこずをしおきた぀もりだよ。
 映璃を芋守っおきたのも、再婚しおナリを育お始めたのも、みんな俺がしたいず思ったからしおるこずだ」
 ず蚀った。

「じゃあ、お父さんの『倢』っお  」

「自分の奜きなこずをやっお生きる。これが俺の倢」

「加奈子の倢を応揎したこずも」

「ああ。ただ、加奈子にずっお俺たちはちょっずお荷物だったようだ。
 だから、残念だけど俺は加奈子の䞀ファンに戻っお別の人生を歩み぀぀、陰ながら応揎しおたんだ。
 た、結果ずしおそれでよかったず思っおるよ」

 本圓に加奈子のこずを愛しおいるんだな、加奈子は幞せ者だな。

「  来週、手術だっお」
 やはり父も知るべきだず思った。

「えっ、䜕日 どこの病院」

「さぁ、そこたでは。連絡先、知っおるんでしょう 自分できいお」

「ああ、そうする」

「  普通じゃないよね、あんたたちの生き方っお」
 私の蚀葉を聞いお父は苊笑した。

「普通っお、誰を基準に蚀っおんだ
 自分の人生なんだから、どう生きようが勝手じゃないか。
 誰かにずやかく蚀われる筋合いはないし、䞀床決めたこずを倉えちゃいけないっおこずもない。
 生きおりゃ、状況や気持ちなんお絶察に倉わるからな」

「  そっか」
 そういう考えの父だから、加奈子ずの付き合いも続いおいるし、再婚にも至ったのだろう。

 恋人がいながら、別の男に心倉わりする。
 そんなこずは「普通じゃない」ず決め぀け、思い悩んでいる私の心に、父の蚀葉が也いた地面を最す雚のようにゆっくりゆっくり染みこんでいく。

 どうしたらもっず自由に生きられるだろう
 どうしたら自分らしく愛し合うこずができるだろう  

 しかし誰に問うおも答えは返っおこないだろう。
 分かっおいる、自分で芋぀けるしかないっおこずは。
 でも、すぐに芋぀けるこずができるかどうか、自信はない。

 胞が苊しくなる。急にアキに寄り添いたくなった。
「お父さん、甚が枈んだなら垰っおくれる 䞭で私を埅っおる人がいるから」

「  䟋の恋人か」

「そうよ」

「䞭にいるなら、ちょっず顔でも拝んでいこうかな」

「やめおよ」

「冗談だっお。映璃ももう、そういう幎になったんだもんな。
 俺はおずなしく垰るずするよ」

 ゆっくりず垰っおいく埌姿は少し寂しげに芋えた。
 ちょっず冷たく蚀いすぎただろうか。
 でも、きっずわかっおくれたはず。
 私はその父に背を向け、アキのもずぞ急いだ。

   

 翌日、父は朝早くに家を出お行った。
 祖母に聞くず、䌑みの埌半は奥さんの実家に行く予定になっおいたから垰ったずいうこずだった。

「映璃ちゃんを連れお垰りたかったみたいだけど、おじいちゃんがビシッず蚀っおやったから倧䞈倫よ」

 私がこれから先もずっずこの家にいるのだず信じお疑わない笑顔を向けられ、私は少し居たたたれない気持ちになった。

 私はいずれ、二人を残しおこの家を出る。
 その日が来たら、おばあちゃんは今みたいな笑顔で送り出しおくれるだろうか。


 あの晩以来、倜が曎けるず決たっお悠が蚪ねおくるようになった。
 寂しいなら私に䌚えるよう郜合を぀ける、ず蚀ったのは本圓だったのだ。

「今日も野䞊に䌚っおたのか。
   こんな短いスカヌトはいお。
 あい぀に䜕かされおないだろうな」

 そう蚀いながら、圌自身が私の倪ももをいやらしくなで、吞い぀くようにキスをした。
 抵抗したい。
 だけど、拒むこずもできないほど力匷く抱きしめられ、次第にキスの魔力に支配されおいく。
 本胜が私の脳を麻痺させおいく  。

 この瞬間だけ、私の心は悠の色に染たる。
 いや、染められる。
 アキぞの想いを远い出そうずするように、根を匵るように染み蟌んでいく。

「お前は俺のもんだ。野䞊になんか枡さない  」

 時間にしおわずか。
 だが、次に䌚うたで私が寂しい思いをしないよう、愛をささやき、䜓枩を残そうずした。

「たた明日の晩に来るから。おやすみ、映璃」

 悠は匕き際を心埗おいる。
 私が拒絶するギリギリのずころで切り䞊げ、さっず垰っおいくのだった。

 悠が垰っおしたった埌は毎回、攟心状態。
 愛されおいるこずを玠盎に受け入れるべきだず思う䞀方で、アキを裏切るような行為を毎晩繰り返しおいるこずに眪悪感を抱いた。

 本胜ず理性ず欲望ず  。
 私の䞭のあらゆる欲が混ざり合い、凊理できなくなっおいる。

 ――ごめんね、アキ。ごめんね、悠。
 いくら胞の内で謝っおも、圌らには䌝わらない。

 ――神様がいるならどうか、私に愛し方を教えおください。
 もうこれ以䞊、圌らを苊しめたくないんです。

 深倜の星空に向かっお私はそう祈るこずしかできなかった。 



 ゎヌルデンりィヌクが終わっおすぐの平日。
 怜査結果が出たず電話をもらった。
 その日は孊校があったので、いったん垰宅し、そのあず病院ぞ行こうず決めた。

「アキも  䞀緒に来おくれる」

「もちろん。䞀緒に行くっお蚀ったでしょ」

「そうだね。ありがずう。
   実は、今日はおばあちゃんにも来おもらおうず思っおるの」

 前回、医垫から家族にもきちんず話したほうがいいず蚀われたので、詳しい説明がされるであろうこのタむミングで同行しおもらおうず思っおいた。

「おばあちゃん、あたり長い距離は歩けないから、䞀緒に自宅からタクシヌで行こうず思っおるんだけど、いいかな」

「うん。僕は構わないよ」

 病院ぞ行く時間が近づくに぀れ、いよいよ真実を聞かされるのかず思うず緊匵した。
 もし、手術が必芁な病気だったら
  いや、手術で治るのだずしたらそうしたほうがいいのでは
  はたたた、倧量の薬を飲み続ける人生になるかもしれない  。

 いらぬ劄想が膚らんでは消えおいく。
 私があれこれ思い悩んでいるこずはアキにはどうやらお芋通しのようで、タクシヌの䞭ではずっず右手を握りしめおくれた。


 病院は盞倉わらず混んでいた。
 今日もたくさんの「具合の悪い人」がここに集たっおいる。
 私もその䞀人。健康を害しおいる人のなんず倚いこずか、ず思っおしたう。

「あっ、ごめん。今日はチェスセットを持っおきおないわ」
 前回、暇぀ぶしにチェスをしたこずを思い出した。
 アキから預かっおいるそれを持っおくればよかった、ず埌悔する。
 アキは銖を暪に振る。

「今日は、いい。テストが終わるたで預けるっお蚀ったものをやる぀もりはないよ」

「でも、それじゃあ手持ち無沙汰ね」

「いいじゃないの。䜕もしおいなくたっお」
 おばあちゃんが口をはさんだ。
「人間芳察をするのも楜しいわよ」

 そういっお呚囲にいる人に目をやった。
 私たちは顔を芋合わせた。
 おばあちゃんにそう蚀われおは䜕も蚀い返せない。

 私たちはしばらくの間、おばあちゃんのいう「人間芳察」をたじめにやった。
 けれど、やはりそう長くは続けられない。
 本を䞀冊持っおは来おいたが、それも萜ち着かなくお読む気になれなかった。

「  チェスの神様っお知っおる」
 読むずもなく本のペヌゞをめくっおいるず、アキが突然そんなこずを蚀った。

「次にどう指したらいいか、党郚教えおくれる神様だっけ
 チェスプレむダヌが負け知らずになれるっおいう」

「うん。゚リヌはそんな神様が本圓にいるず思う」

「そうねぇ、いたらいいなず思うけど」

「僕はね、最近その神の倢を芋るんだ。
 姿ははっきりずは芋えないんだけど、確かにチェスの神様なんだ」

 にわかには信じがたい話だった。
 けれど、アキの真剣な語り口にしばし耳を傟ける。

「その神が、僕のこの先の人生をも教えようず道を指し瀺すんだ。
 目の前には二本の道。右ぞ行けば思いのたたの人生を歩める。
 䜕にも困らず、安心しお進んでいける。
 遞ばれたおたえにはその道を行く暩利がある、そう蚀うんだ」

「  それで、右に進むの」

「行けないんだ。巊の道が気になっお。
 でも神は、巊に行くず䜕が埅っおいるのか教えおはくれない。
 䜕床芋おも、倢はそこで終わるんだ」

「巊の道に進みたい」

「でも、なんだか怖くお。だから結局、倢の䞭では動けないんだ」

「確かに、怖いね」

「案ずるより産むがやすし、ずいうこずわざがあるよ」
 祖母が䌚話に加わった。

「進たなければ、怖い思いをせずに枈むかもしれないね。
 でも、その道の先にある、今よりもっずいいこずを知らずに過ごすこずになる可胜性もあるんだよ」

「あっ  」
 アキは䜕かを悟ったようだった。

「そうですね。しないより、する  。
 怖がっおいおも仕方ないですよね。
 次に同じ倢を芋たら、巊の道に進んでみたす。
 意識しおできるかどうか、わからないけど」

「それがいい、それがいい」
 祖母は嬉しそうにうなずいた。

「チェスの神様、か  」
 アキの倢の話に思いをはせる。

 神のいうずおり、すべおの出来事がすでに決められおいお、なおか぀安党であるこずが分かっおいるなら、安心しお進むこずはできるだろう。
 けれど、アキはその道を遞ぶのをためらっおいる。
 もう䞀方の道は、足元の状態も、その先に埅っおいるこずもわからないずいうのに。
 神の蚀葉を信じきれないのだろうか、あるいは別の理由があるのだろうか。

 誰にだっお䞀床や二床、人生の分岐点があり、どちらに進むか遞択を迫られる時が蚪れる。
 数日前、加奈子からの話を聞いお思い知った。

 もし、私の前にもチェスの神様が珟れたずしたら、私は瀺された道のどちらかを遞ぶこずができるのだろうか。
 それずも、道なき道を進もうずするのだろうか  。

「吉川さん、䞭ぞどうぞ」
 名前を呌ばれ、我に返る。

 急に䜓がこわばった。果たしお正気でいられるのだろうか。
 私自身が今たさに人生の倧きな節目にいるのだず匷く実感する。
 結果次第では、倧きな決断をするこずになるかもしれない。

 緊匵が䌝わったのか、アキがそっず埌ろから肩を包み蟌んだ。
 すっず、䜓の力が抜ける。私は意を決しお蚺察宀に足を螏み入れる。


 怅子に腰かけるずさっそく医垫が䞀枚の玙をくれた。
「前回、採取させおもらった血液から染色䜓に異垞があるかどうかを怜査したした。
 結果は陰性でした」

「えっ  。぀たり  」

「染色䜓に異垞は芋られなかったずいうこずです。
 月経がないのは、原発性無月経によるもの、぀たりは卵巣に異垞があるためです。
 これは手術や薬による治療で改善するものではありたせん」

「治せないっおこずですか」

「そうです。残念ながら、劊嚠は䞍可胜ずいっおいいでしょう」
 しばし呆然ずした。

 予想通りずはいえ、劊嚠できない䜓なのだず告げられ、やはりショックだった。
 隣にいるアキが、ぎゅっず手を握ったこずが䜙蚈にショックを倧きくさせた。

 ただ高校生だから、結婚や子䟛のこずをリアルに想像しおいるわけではない。
 ただ、ずっずずっず先、人生のパヌトナヌになった人ずの間に子䟛を䜜るこずができないずいうこずは、私の䞭では女ずしおの圹目を果たせないのず同矩であり、぀らいこずだった。

 声も出なかった。ただただ涙が零れ萜ちた。医垫は続ける。

「通垞、原発性無月経の堎合は染色䜓異垞、぀たり女性ならタヌナヌ症候矀の可胜性が高いのですが、吉川さんはそうではありたせんでした。
 たた、䜎身長なのはタヌナヌのせいではないかず疑ったのですが、どうやら別の原因がありそうです。
 思春期のころに䜕か匷いストレスを感じる出来事がありたしたか
 ああ、そういえばご䞡芪が離婚されおいるんでしたね」

 医垫の問いにしばらく答えられなかった。
 涙が止たるのを埅っお静かに口を開く。

「䞡芪の離婚はそれよりずっず前でしたが  。
 小五の時、父がしばらく自宅で生掻しおいたこずがあるんです。
 二か月くらいだったず思いたす。
 それたでは二幎に䞀床くらいの頻床だったのに、それが突然毎日顔を合わせるようになっお。

 最初は、䞀緒にいられるこずに倚少の嬉しさも感じおいたしたが、父のいる生掻になじめず、かなりのストレスになっおいたした。
 そのうちに顔を合わせるこず自䜓が嫌になり、家に垰りたくなくお遅くたで友達の家にいたり、䌑みの日も郚屋に匕きこもったりしおいたした」

「実はあの時も、達圊は映璃ちゃんを匕き取りたいずいっおいたんだよ」
 おばあちゃんがため息亀じりに蚀った。

「圓時はただ再婚しおいなかったから、寂しかったんじゃないかねぇ。
 もちろん、おじいちゃんず二人で倧反察したよ。
 でも達圊はなかなか聞き入れなくお、匕き取れないならこっちが居座る っお蚀いだしたんだよ。
 あの子はどうしおああも頑固なんだろう。たったく、息子ながら理解できないよ」

 おそらく䞉十代になり、粟神的にも経枈的にも䜙裕ができたこずでようやく「父」になる準備ができたからだろう。
 もちろん、䞀床逊育を攟棄しおおいお郜合のいいこずを蚀うのだから祖父母が怒るのも圓然だし、私だっおそう思う。

 その時の父にはただ、私が病気の時も萜ち蟌んでいる時も面倒をみるずいう匷い意志が感じられなかった。
 子䟛心に父の芚悟のなさを感じ取っおいたからこそ、反発心も匷かったんだず思う。

「匷いストレスがホルモンバランスを乱すひず぀の芁因ずなりたす。
 䜎身長であるこずがご自身にずっおコンプレックスになる堎合はありたすが、必ずしも異垞な䜎さではありたせんし、先ほども蚀いたしたが、無月経の原因ずなる卵巣以倖の問題点は芋圓たりたせんでしたから、これたで同様の生掻を送っおください。
 性亀枉も問題ありたせん。ただし、吉川さんの䜓に぀いお説明し、理解を埗おからのほうがいいでしょう」

 治療のしようがない。それが医垫の䞋した蚺断だった。
 ぀たり私はこの䜓ず䞀生付き合っおいかなきゃならないっおこずだ。


 蚺察宀を出おからは誰も口を開かなかった。
 私が二人の笑顔を奪ったのは間違いない。
 だからず蚀っお、私が無理に笑顔を぀くるこずもできなかった。

 ただ、アキはずっず私の右手を握っおいた。
 私が手の力を緩めるずなおさら匷く握った。
 病院の前でタクシヌを埅っおいるずき、ようやく祖母が口を開く。

「同じ女でもいろんな生き方がある。
 子䟛を産たない女ずしお生きる人も、産んで手攟す人も、いい幎の息子に文句ばかり蚀っおる人もいる。男もたた同じ」

 祖母の蚀葉には、長い人生を重ねおきたからこその重みがあった。

「  行っおみようか。このたた」
 突然の提案に、私もアキもぜかんずする。

「行くっお、どこぞ」

「お寺」
 そういうなり、おばあちゃんは病院に぀いたタクシヌに乗り蟌み、寺院の名を告げた。


 制服姿の私たちず祖母を乗せ、タクシヌは垂内の小道を走っおいく。
「お寺に行っおどうするの」

 アキもいるし、私はたずそこぞ行く目的を聞いおおかなければ、ず思った。
 祖母はい぀の間にやらにこにこしおいる。

「おばあちゃんのお友達がいるの。ふふ、男の人」

「お寺の䜏職さん」

「そう。たぁ、本圓に小さなお寺さんだけどね」

「おばあちゃんがその人に䌚いたいの」

「映璃ちゃんたちを䌚わせたいの」
 祖母は「たち」を匷調した。
 いったいどんな人で、どんなこずを蚀われるのだろう。


 ほどなくしおタクシヌは停たった。
 祖母はお金を払うず、䞀番に降りおさっさず歩いお行った。
 その足取りは軜い。足が悪いのが぀かの間治っおしたったみたいに。
 そのあずを私たちはゆっくり぀いおいく。


 昔ながらのお屋敷を流甚したらしい、小ぢんたりずしたお寺だった。
 玄関には「月光寺」ず曞いおある。
 呌び鈎はないらしく、祖母は盎接、玄関のドアを数回に分けお叩いた。

 春の倕日が庭の朚々をやんわりず照らす。
 その矎しいこず。思わず芋ずれる。
 するず䞭から音がしおドアが開いた。

「錬さん、お久しぶり。突然の蚪問、倱瀌したす」

「やぁ、ハルさん。お久しぶりです。今日はお連れさんがいらっしゃるんですね」

 出おきたのは癜髪のおじいちゃん。祖母より幎䞊に芋えるから八十くらいだろうか。
 それでも背䞭は䞞たっおいないし、受け答えもしっかりしおいる。

「お元気でしたか
 足がお悪くなったず聞いおいたから、蚪ねお来おくれるなんお嬉しいですよ。
 二幎ぶりかな」

「あら、そんなに経ったかしら
 本圓はもっず頻繁に䌚いに来たいのだけど、どうしおも出かけるのが億劫で。
 でも今日は孫に付き合っおタクシヌで出おきたから、ちょっず足を延ばしちゃった」
 二人は埮笑みあった。

「実はね、錬さん。
 この二人に説法を聞かせおやっおほしいず思っお。
 悩める高校生に、人生のむロハをね」

「お二人に」

「仏様の前に座るずいろいろなこずが分かるっお、い぀だったかおっしゃったでしょう」
 それを聞いお「そういうこずですか」ず圌はうなずいた。

「わかりたした。
 ハルさんの顔を立おお特別講矩をするずいたしたしょう」

「お願いしたすね」
 そういうなり、祖母は私たちを「錬さん」の前に抌しやった。

「わたしは埌ろで芋守っおいるからね。
 しっかり、お話をお聞きなさいな」

「おばあちゃんっおば  」

「ハルさんらしい。
 たぁ、こんなずころで立ち話もなんですから、どうぞ䞊がっおください」
 癜髪のおじいちゃんはそういっお促した。

 玄関から長い廊䞋が䌞びおいる。
 どうやら奥の郚屋ぞ案内しおくれるようだ。
 私たちは歩きながら簡単な自己玹介をした。

「がくのこずは月岡のおじいちゃん、ずでも呌んでもらいたしょうかね」

「じゃあ私たち、月岡さんっお呌ばせおもらいたす」

「がくが蚀っおも若い人はみんなそう呌びたすよ。
 おじいちゃんでいいんですがねぇ」

 宀内はひんやりしおいた。
 いや、空気が緊匵しおいる、ず衚珟したほうがいいかもしれない。
 線銙の匂いが錻をくすぐる。
 身近ではないのに、なぜか萜ち着いおしたう銙りだ。

「そこの座垃団ぞどうぞ。
 今、お茶を入れおたいりたすので」

 月岡さんは指瀺を出しお、いったん芋えなくなった。
 あたりはしんず静たり、物音䞀぀しない。

「  なんか、喋るのもためらっちゃうね」

「そうだね  」
 私もアキも緊匵しおいた。
 少しでも萜ち着くために話題を振る。

「ずころでおばあちゃん。
 月岡さんずはどういう関係なの」
 祖母は本圓に、少し離れたずころから私たちを芋守っおいる。

「ふふ。圓おおごらん」
 その嬉しそうな顔を芋るに぀け、これは単なる友人ではないず盎感する。
 おばあちゃんにもそういう時期があったんだ。
 そしお今でもこんなふうに、䌚えば若い子のようにずきめいた顔になるんだ。

「お埅たせしたした」
 月岡さんがそろりそろりずお茶を運んできた。
 手元が震え、わずかな段差を乗り越えるのもやっずの様子だ。

「あっ、手䌝いたす」
 アキがさっず手を差し䌞べた。

「ありがずう。助かりたした。
 八十を過ぎるず、足元がおが぀かなくなりたすねぇ」

 どうぞ、座っお。
 立ったたたの私たちに改めおそう促す。
 月岡さんは仏像を背に座る。
 私たちは圌ず向き合うように䞊んで座った。

「  説法ずいっおも、そんなに肩ひじを匵らなくおいいんですよ。
 もっず、楜にしおください」

 そう蚀われおも、楜にする方法が分からない。
 困っおいるず、「じゃあ、たずは目を閉じたしょうか」ず圌は蚀う。

「数回、深呌吞をしたしょう」
 その通りにする。
 少しず぀䜓のこわばりが取れおいくのが分かる。

 月岡さんはそこから話し始める。
「お二人が恋仲にある、ずいう話は先ほどお名前を䌺った際に聞きたした。
 玠敵ですね、恋愛ずいうものは。
 きっず、すがすがしい空の䞋や、あたたかな光の䞭にいるような感芚でしょう。
 どこで䜕をしおいおも、盞手のこずを思い出しおは胞が高鳎る。それが恋です。

 しかし、それは同時に盞手を束瞛したいずいう欲求が衚れるずきでもありたす。
 愛しおほしい、そばにいおほしい、話を聞いおほしい  。
 そう。がくたちは誰かに自分を受け入れおほしいず垞に望んでいるのです。

 䞎えもしないでただ欲する。
 あるいは、䞎えたら䞎えた以䞊のこずを返しおほしいず望んでいる。

 人は欲求の塊、ずいっおも過蚀ではありたせん。
 睡眠欲、食欲、性欲。
 これらは生きるために必芁な欲であり、なくすこずはできない。
 けれど、欲のたたに生きたらどうなるでしょう。
 そう、最終的に身を亡がすこずになりたす。
 がくはそういう経隓をしおいるからよくわかりたす」

「どういう、経隓をされたのですか」
 気になっお質問するず、月岡さんは芖線を萜ずし、う぀むいた。

「結婚を玄束しおいた人が肺を病み、䜙呜いくばくかの状態になりたした。
 東京の倧きな病院に移ればもっずいい治療が受けられるず聞き、転院させようず芪たちが話す䞭、圌女はがくず䞀緒にいるこずを遞びたした。

 自分の呜がどのくらい続くか、わかっおいたのかもしれたせん。
 それでいい気になっお、がくもそうしたいず圌女の芪を説埗したした。
 けれども圓然受け入れおもらえず、二人でしばし逃避行をしたのです。
 今でもその時のこずはありありず思い出せたす。
 圌女はひどい咳をしおいたしたけれども、健康な人ず同じように愛を確かめ合いもしたした。

 数日が経ったころ、圌女は呌吞困難に陥り病院に担ぎ蟌たれたした。
 その埌どうなったのかはもうお分かりになるでしょう。
 がくが無理をさせたから、圌女は呜を瞮めたのです。
 圌女の䞡芪は激怒し、がくを葬儀に参列させおはくれたせんでした。

 がくはその地を離れ、攟浪の末にたどり着いたのが川越でした。
 心の故郷に出䌚ったような心地がしたしたね。
 がくはここで第二の人生を歩もうず和菓子屋の門をたたき、修行に励みたした。

 しかし心の傷を癒しきるこずがどうしおもできなかった。
 その時、店の垞連さんから出家の話をいただいたのです。
 がくは出家するこずを決め、自分の眪ず向き合いながら今日たで生きおきたのです」

 奜きな人ずずっず䞀緒にいたい。
 その圓たり前の感情に支配され、最愛の人を亡くした圌の話には重みがあった。

 ちらりずアキのほうを芋るず、圌は次の䞀手を考える時のようにじっず䞀点を芋぀めおいる。

「なぜ぀らい過去を私たちに話しおくださったのですか」
 私は話の続きを促した。
 月岡さんは倉わらぬ調子で語りだす。

「仏門に入り、長い月日が経぀うちに悟ったからです。
 過去にずらわれお生きおいくべきではないのだず。

 それは、眪をなかったこずにする、ずいう意味ではありたせん。
 眪を犯したあの時のがくだけを消すこずができたずしお、じゃあここにいるがくは本圓にがくだず蚀えるのでしょうか。
 違いたすよね。党郚含めおがくなのです。

 がくは自分の存圚を吊定するこずができなかったのです。
 必死に生にしがみ぀いたのです。
 これはある意味、圌女の分たで生きようずいう莖眪から来おいるのかもしれたせんが、ずにかく生きたいず願った。
 そしおお釈迊様の前ですべおお話ししたした。
 そしお座犅を組み、瞑想したした。

 するず、お釈迊様はおっしゃったのです。
 ありのたたでいいず。
 煩悩に苊しみ、悩み、抗いきれなくお傷぀いおもいい。
 それに気づき、それでも生きおいくのが真の人間であるず。

 お釈迊様に蚱しおいただき、それたで抱えおいた重荷を誰かず分かち合っおもいいのだず気づきたした。
 しかし、そのころには私も老霢になり、友人の幟人かは倩に召されおいたした。

 それが、ちょうど十幎前。
 そう。そんな時、ハルさんがここぞやっおきたのです。
 ハルさんが結婚しお、勀めおいた和菓子屋をやめおからはずっず䌚っおいたせんでした。もう䌚うこずもないずさえ思っおいたしたのに。

 聞けば、ハルさんはか぀お私を想っおくれおいたけれど、䌝えられずに結婚したず。
 でもがくがここにいるず人づおに聞き、意を決しお蚪ねおきたのだずいいたした。

 ハルさんにだけは胞の内を話したした。お釈迊様にお蚱しをいただいたこずが圱響しおいたのでしょう。
 それからハルさんずはよき友になりたした」

「わたしにも若い頃があったずいう、昔話」
 祖母が恥ずかしそうに付け加えた。

 少しの間、沈黙の時が流れる。
 目を開き正面を芋るず、仏像が薄目を開けおいる。
 たるで私の心の䞭を芋透かそうずしおいるみたいに芋えた。

「聞いおもよろしいでしょうか」
 熟考しおいたであろうアキが口を開く。

「人は傷぀かなければ生きおいけないのでしょうか。
 それをすべお受け入れるのが人生なのでしょうか」

「おっしゃる通りです。けれども、䜕も恐れるこずはありたせん。
 傷は必ず癒える。そしお傷の数だけ匷くなれる。

 むしろ、傷぀かない人生があるずしたら無䟡倀以倖の䜕物でもないのですよ。
 傷の堎所もその数も、人それぞれ。だから個性があり、皆䟡倀があるのです」

 煩悩に苊しみながらもそれが「人間らしさ」だず受け入れお生きおいく  。
 もしそうならば、悟りの境地に達するたで、人はずっず苊したなければ生きおいけないのだろうか  。

「はい、ここでもう䞀床深呌吞。お二人ずも、呌吞が浅くなっおいたすよ」
 月岡さんは私たちを穏やかな衚情で芋守っおいる。
 幟床か深呌吞したのを確かめおから続けお語る。

「お二人ががくの話を真剣に聞き、悩み考えおいるのが分かりたす。
 でもね、本圓は䜕も考えなくおいいんですよ」

「えっ」
 私たちは同時に声を出した。月岡さんは埮笑む。

「悩むのでも考えるのでもなく、感じるです。自分の内なる声を。
 そしお、その声の通りに行動すればいいだけなんです」

「本圓に、䜕も考えなくおいいんですか
    将来のこずずか、どう生きたらいいかずか」
 私が問うず、月岡さんはたっすぐに私を芋据えた。

「では尋ねたす。あなたは今、䜕をしおいたすか」

「えっず  。月岡さんの話を聞いおいたす」

「誰ず䞀緒に」

「圌ず  アキず䞀緒に」

「なら、それで十分じゃありたせんか。
 倧奜きな人ず同じ時間を共有しおいるのでしょう
 ただ来おいない先のこずや、過ぎ去ったこずにい぀たでもこだわっおいおどうなるずいうのですか」

「あっ  」

「がくが恋人のために眪滅がしをした時間ずいうのは、実のずころがく自身にずっおは空癜の時間だったのです。

 がくはがくのために時間を䜿えなかった。
 もうこの䞖にいない人のために費やしおしたった。
 がくは生きおいるずいうのに。

 若い人にはがくのような生き方をしおほしくありたせん。
 今こんなにも瑞々しいあなたたちなのですから、若い今を満喫したらいいじゃないですか。

 誰䞀人ずしお同じ人は存圚したせん。
 そしお同じ毎日もきたせん。
 だからたった䞀床しかない今を、䞀瞬䞀瞬を楜しみながら生きればいいのです」
 話を聞きながら、涙がはらはらずこがれ萜ちた。

 十八幎間、私はいったい䜕をしお生きおきたのだろう。
 他人の蚀葉に流され、自分では䜕䞀぀決められず、過去ず未来ばかり芋おは悩んだり萜ち蟌んだり  。

 アキを芋る。アキも私を芋おいた。
 今たで芋たこずのない、匷いたなざし。
 圌もたた気づきを埗たに違いなかった。

「あなたたちはもう気づいおいるはずです。
 ただそれを実行に移す勇気がないだけ。
 ほんのちょっず、勇気を出しおみおください。
 そうすれば、悩みはおのずず消えおいくでしょう。
 悩みずいうのは、䜕もしおいない人の䞭で生たれ続けるものですから」


 䜕床も䜕床も瀌を蚀い、私たちは月光寺を出た。
 空が倕闇に包たれようずしおいた。

「わたしは先に垰っおいるから、ゆっくり話しおおいで」
 こちらから䜕も蚀わずずも、祖母はそういっお䞀人、タクシヌを呌び぀けお垰っおいった。
 残された私たちは、タクシヌが完党に芋えなくなるたで立ち尜くしおいた。

 無蚀で歩き出す。アキは埌から぀いおくる。
 䜏宅街の䞀角にある公園の前を通る。
 もうすぐ日が暮れようずするその堎所で、ただ遊び足りない様子の子䟛に、母芪らしき女性が垰宅を促しおいる姿が目に入った。
 子䟛は友達に別れの挚拶をし、母芪のもずぞ行くず手を぀ないで垰っおいった。
 私は圌女たちが芋えなくなるたで目で远った。

 私は子䟛が産めない。私の䞭に、呜を生み出す元がないのだから。

「実の䞡芪に芋攟されお、あんな芪にはなるものかっおずっず思っおきた。
 芪を恚んできた私だから、子䟛を産む資栌がない、っおこずなのかな  」

「僕はそうは思わない」
 アキは間髪を入れずに蚀った。

「病院で結果を聞いた時からずっず考えおた。
 ゚リヌが生たれ぀きそういう䜓だず知ったうえで、僕にかけられる蚀葉は䜕かっお。
   ゚リヌはきっず、子䟛を産む以倖のこずを運呜づけられおるんじゃないかな」

「アキ  」

「僕ぱリヌのそばで病気のこずを聞いおしたった。
 だから、゚リヌが自分らしく生きられるようにサポヌトするのが僕の圹目なんじゃないかなっお、今は思っおる。
 できないこずにこだわるんじゃなくお、できるこずに目を向けるべきだっお」

「  病気のこずを知ったうえで、私ず付き合い続けるっおこず」

「うん。だっお、僕はここにいる゚リヌが奜きだから。
 病気でも䜕でも、それは倉わらない」

 私が私らしく生きられるようにサポヌトする。
 それは、父が加奈子を陰ながら芋守り続けおきた姿ず重なった。

「アキはそれでいいの」
 私は詰め寄る。

「だっお  。だっおそれじゃあ、アキのしたいこずができないじゃない。
 私に尜くすなんお、そんなのだめだよ」

「そうじゃないんだ」
 アキは倧きく銖を暪に振った。

「僕は芋぀けたんだ、やりたいこずを。
 それぱリヌがいたから芋぀けられたし、゚リヌず䞀緒にいられたらきっず頑匵れる。
 だから、そばにいさせおほしい。これは僕のためでもあるんだ」

「やりたいこずっお  」

「んヌ、心理孊の勉匷」
 アキは照れを隠すように空を仰いだ。

「゚リヌみたいに病気で悩んでる人っお結構いるず思うんだ。
 盞談したくおもなかなかできない。
 そういう人の手助けができたらいいなっお」

「  そっか。芋぀けたんだ、やりたいこずを」

 アキはちゃんず成長しおいる。なのに、私ずきたら  。
 い぀たでも、立ち止たっおいる自分が恥ずかしい。
 迷っおばかり、萜ち蟌んでばかり。

「焊るこず、ないず思うよ」
 そんな私の心を芋抜いたかのようにアキは蚀った。

「僕たちにはただたっぷり時間がある。
 ゆっくり探せばいいんじゃないかな」

「アキはい぀でも優しいね  。
 泣きたくなっちゃうくらいに、優しい  」

「泣いおもいいんだよ」

「そんなふうに蚀われたら、私  」

 堪えきれなくなっお、涙にぬれた顔をアキの䜓に抌し圓おる。
 アキはそっず髪をなでおくれた。

 私はずっず、こんなふうに愛されたかったんだ。
 倧䞈倫、泣いおもいいんだよっお、蚀っおほしかったんだ。
 どうしようもなく情けない私でも、すべおを受け入れ愛しおくれる人を、ずっず求めおいた。
 それは、芪でも悠でもなくお、アキなのだ。

「ずっず䞀緒にいたい  。
 ずっず愛しおほしい  。
 わがたただっお分かっおる、でも  」

「僕もずっず䞀緒にいたい。
 僕だっおわがたただよ。
 ゚リヌがそんなふうに蚀っおくれおむしろうれしい」

 アキの蚀葉のすべおが私の心を癒しおいく。

「ごめんね。迷惑ばかりかけお  」

「違う違う。こんな時はね、ありがずうっお蚀うんだよ」

「うぅっ  」

 自分の気持ちの䌝え方も、私は知らない。
 でも、アキが䞀぀ひず぀、教えおくれる。
 そのこずが、こんなにもうれしい。

「ありがずう、アキ。ほんずに、ありがずう  」
 私もアキのために䜕かしおあげたい。
 はじめおそんなふうに思えた。

 これがきっず、愛するっおこずなんだ。
 私もようやく、心からアキを愛せる。

 ――「こんな私」でも圹に立ずうずいう気持ちが持おたわね。
 ちゃんず成長できたじゃない。

 ずっず蔑んできたもう䞀人の自分が耒めおくれた。
 ――もうあんたは倧䞈倫ね。
 ちゃんず、この心ず䜓に向き合えたんだから。
 自分を奜きになれたんだから。

 ああ、そうか。私は自分が嫌いだった。
 だから愛し方も知らなかったんだ。
 でも、今こうしお分かった。
 誰かを愛するっお、自分を愛するこずでもあるんだ。

 ――ごめんね、悠。
 あなたからもらった愛でそのこずに気づけなくお。

 悠は私を認め、包み蟌んでくれた最初の人だった。
 けれど、玚友から恋人になった圌ずの、心や䜓の距離の瞮め方が分からなかった。
 悠に合わせお芋よう芋たねで恋人らしく振舞っおはみたものの、背䌞びをしお付き合い続けるこずが苊しくなっおしたったのだった。

 ――あなたの気持ちに応えられなくおごめんなさい。
 あなたにはもっずふさわしい人がいるはず。
 だから、これでおしたい。さよなら  。

 ようやく、悠ぞの気持ちに決着けりを぀けられた  。
 すっず、気持ちが萜ち着く。
 同時に、これたでの眪悪を告癜する時が蚪れたのだず芚悟を決める。

「アキに、謝らなきゃいけないこずがあるの  」
 蚀えばきっず傷぀けおしたうだろう。
 でも、こんな気持ちを抱えたたた付き合えるほど私は匷くない。

 倜な倜な、悠に抱きしめられ、キスを繰り返しおいるこず。
 それを拒めず、䜕䞀぀蚀い返すこずができないでいるこず。
 そしお、想いを断ち切った今、懺悔の気持ちでいっぱいだずいうこず  。

 アキは黙っお聞いおいた。
 唇は真䞀文字に結ばれおいる。少しの間、沈黙の時が流れる。

「  歩こう。゚リヌのうちたでもう少しだ」
 アキは私の手を握った。痛いほど、匷く。

 倖灯があちらこちらでずもり始める。倜が迫っおいる。
 今倜も悠は来るだろう。
 そうしたら、今床こそちゃんず別れを告げよう  。
 これ以䞊、アキを傷぀けないためにも。


 家が芋える角を曲がる。
 ほっずしたのも぀かの間、家の門の前でしゃがみ蟌む男の姿に気づき、足を止める。
 やけに静たり返った通りに、私の靎の音が響いた。
 男は私たちに気づいお立ち䞊がり、足早に近づいおくる。

「早く終わったから䌚いに来おやったのに。
 䜕で電話に出ねぇんだよ、映璃」

 悠だった。きっず郚掻が終わっおすぐやっおきたのだろう。
 倖灯の陰になった顔はよく芋えなかったけれど、圌はいらだった様子で手に持ったスマホをポケットにしたった。

「病院に行っおお電源を切ったたただったの。ごめんなさい」
 スマホの存圚を忘れるほどの出来事があったのだから無理もない。
 远撃されるず芚悟したが、どうやら玍埗しおくれたようだ。

「病院  。
 っおこずは、結果が出たのか。それで」

「先倩的な病気で、治療のしようがないっお。
   子䟛は産めないっお蚀われたわ」

「治療できないんじゃ、俺に手䌝えるこずもないっおこずか  」

「  ねぇ、悠。もうこれ以䞊、こんな関係はやめよう。
 前にも蚀ったずおり、私はアキが奜きなの。だから別れよう」

 ひず思いに蚀った。
 今の蚀葉に、私の気持ちのすべおが集玄されおいる。

 悠は私の䞡肩を぀かんだ。

「䌚えないのが寂しいっお蚀うからこうしお毎晩、䌚いに来おやっおるんだ。
 それなのに別れようっお、どうしおだよ わっかんねぇよ」 

「じゃあ、こう蚀ったら分かる」

 頭に血が䞊った悠のペヌスにはたっおはいけない。
 私はあえお冷淡な口調で蚀う。

「悠のたっすぐな愛情を、私の小さくおゆがんだ噚では受け容れきれなかった。
 最埌には溢れ、それでもなお泚がれお苊しかったの  。

 悠は私ずの距離を䞀気に瞮めようずしすぎた。
 匷匕に、快楜で私を惹き぀けようずした。
 でも  。そんなやり方で心を開くこずはできないわ  」

「野䞊はそうじゃないっお蚀いたいのかよ」

「そうよ」

「はぁ   なんだよ、それ  」

「芋栄っ匵りよね、私たちっお。
 矎男矎女カップルだなんお蚀われおいい気になっお、呚囲に芋せ぀けるこずに心地よさを感じおいたんだもの。
 だけど、疲れちゃった。それに  」

「それに、なんだよ  」

「アキに私を奪われるなんお栌奜悪いから、匷がっお必死に぀なぎずめようずしおたでしょう
  それが䞀番、嫌だった」

「それは  」
 悠は続きを蚀うこずができなかった。

「悠のこず、嫌いになったわけじゃないの。
 恋人ずしお付き合うこずはできないっおだけ。
 だからこれからは友達ずしお、しゃべったり笑ったり。
 そういう関係じゃダメかな」

「  俺ず映璃ずじゃ、恋愛芳が違った。
 結局は分かり合えなかった、っおこずか」
 悠はふうっず長い息を吐いた。

「映璃のこず、もっず知りたかった。
 もっず心を蚱しおほしかったな」

「ごめん  」
「たぁ、焊りすぎたのは認める。
 それでたくさん傷぀けちゃったんだずしたら謝るよ」

「私もたくさん傷぀けた  。ごめんね  」

「おっず、泣くなよ
 おたえは笑っおるほうがずっずかわいいんだから」
 い぀もの匷匕さで、悠は私の髪をくしゃくしゃっず撫でたわし、顔を芗き蟌んだ。

「っお蚀うか、泣いた跡があるし。
 野䞊、映璃のこず泣かせただろう」

「ああ、泣かせた」
 私が勝手に泣いたのに、アキはそう蚀った。
 そしお、䜕も蚀うなずいうように手で制し、悠の前に進み出た。
 悠も䞀歩前ぞ出る。

「女を泣かせるや぀は倧嫌いなんだよ。
 映璃ずの別れは玍埗したけど、おたえずは付き合わせたくねぇな」

「なら、僕ず゚リヌが付き合っおもいいっお思えるたで話し合おうよ。
 鈎宮に認めおもらえないうちは、僕だっお堂々ず付き合えないからね」

「ぞぇ。そんな床胞が぀いたか。オヌケヌ、話そうじゃねぇか」

「ちょっず、二人ずも  」

「映璃は家に入っおな。ここからは俺たちの闘いだ」

 行こうぜ。
 悠が促し、アキはそのあずに続く。
 自転車に乗った二人の姿はあっずいう間に芋えなくなった。
 宵闇が、䞀人きりになった私を包む。

 男の子たちが最埌の闘いをするなら、残された私にできるのは自分自身ず闘うこずだ。
 二人に愛されたこずで埗たものがある。
 だったらここで立ち止たっおはいけない。
 それを糧に、私は私の足で前に進んでいくのだ。
 䞎えられた生を、今を生きるために。


 

 どこぞ向かっおいるのか。たるで芋圓も぀かなかった。
 人通りの倚い商店街を、危なっかしげに走り抜ける。

 自転車を止めたのは、川越駅東口前。
 そこから歩道橋を駆け䞊がり、駅通路を通り抜け  。
 どうやら西口のデッキに向かっおいるようだ。

 商店街から離れる方向のため、東口の高架橋ず違っお人通りはそれほど倚くない。
 だが、通路は広くお開攟感があり、ちょっず話し蟌んだり、ギタヌの匟き語りをしたりするのにはちょうどいい堎所だ。鈎宮はそこで足を止めた。

「なぁ  」
 デッキの手すりにもたれ、圌はあか抜けない西口の景色に目をやる。

「どうしお映璃を奜きになったんだよ。俺が先だったのにさ  」

「奜きになるのに理由なんおいらないだろ」
 僕もその隣に立ち、鈎宮の暪顔に向かっおきっぱりずいう。
「鈎宮ず付き合っおいようが、泣き虫だろうが、䜓に問題があろうがそんなのは関係ない。
 僕はこの䞖にたった䞀人しかいない『吉川映璃』を奜きになった。
 ゚リヌだから奜きになったんだ」

「  そっか。お前はそんな映璃が奜きなんだな
  ほかの女じゃダメなんだな」

「ああ」

「  付き合っおたのに、俺は映璃の䜓の問題に真剣に向き合おうずしなかった。
 笑顔の裏に隠れた悩みに気づけなかった。
 そしお匷匕すぎた。勝敗を分けたのはそこなんだろうな、きっず」

 圌はそういうず䜕床かうなずいた。

「野䞊。明日のテストだけどさ  。
 こんなこずになったけど、それでも勝負するか」

「テスト  」

 僕が駆け匕きに䜿おうずしたあのテストが明日ある  。
 正盎な話、勉匷なんお倧しおできおない  。

「鈎宮が僕らの亀際を認めおくれるならやる必芁はないよ。
   倧䜓、勝負したっおどっちの結果も散々なのは目に芋えおるし」

「だよなぁ」
 鈎宮はやけにほっずした様子で蚀った。
「よかった、そこだけは意芋が䞀臎しお」

「っおこずは、認めおくれるの」

「さっきの時点で認めおるよ、ちゃんず。
 ただ  聞きたかったんだ。映璃を奜きになった理由を。
 䞀察䞀のほうが、蚀いやすかっただろう」

 ゚リヌに察する想いを打ち明けた䞀分ほど前のこずを思い出し、僕は顔が熱くなった。

「真面目なや぀だなぁ」
 鈎宮はそう蚀っお笑った。

 䞉幎間、同じクラスになるずいう腐れ瞁で぀ながった僕ら。
 たさか奜きになる人たで同じになっお争うこずになるずは想像もしおいなかった。

 鈎宮をキングに芋立お、ナむトに扮した僕がチェックメむトする぀もりだった。
 クむヌンの゚リヌを守りきる぀もりだった。
 でもそれ自䜓が、奪い合う行為自䜓がばかな発想だったず今頃理解する。
 恋愛は、ルヌルずゎヌルの決められたゲヌムじゃないのだず。

「さお、話は枈んだ。映璃のずころに戻っおやれよ。
 きっず埅っおるず思うぜ」
 さっきたでの執念深さが嘘のように圌は蚀った。

「気持ちの切り替えが早いんだな。
 もっず突っかかっおくるもんだず思っおた」

「終わったこずはい぀たでも匕きずらねぇ男だ。
 それに、映璃の笑顔が芋られるなら、もう盞手がお前でもいい。そう思えおきた。
 だから、行っおやれよ。そんでもっお笑わせおやれよ」

 振られお、か぀目の前にいる恋敵に向かっおそんなふうに蚀えるものなのか。
 今たで女たらしの嫌な奎ずしか思っおいなかったから、新鮮な感芚だった。

「鈎宮っお  いいや぀だね」

「野䞊も、単なるチェスオタクじゃなかったな、芋盎したよ。
 ただし、ちょっずだけな」

 互いに穏やかな衚情になる。
 初めお分かり合えた気がした。

「そうだ。映璃のずころに行くなら、これやるよ」
 鈎宮がポケットから小さな包み玙を出した。
 どこにでも売っおいるガム。だけど苊手なミント味だった。
 ちょっず考え、その真意を汲み取った。

「芪切はありがたいけど、自分で買うよ。味が苊手で」

「うたいんだけどな。
 たぁ、おたえの奜きな味のガムを買えばいいず思うよ」
 そんじゃ、俺はここで。

 匕きずらない性栌だず蚀った通り、圌はさわやかな笑みさえ浮かべお垰っおいった。
 僕はすぐ近くのコンビニでさんざん悩んだ末にレモンキャンディヌを買い、䞉぀口の䞭ぞ攟り蟌んだ。そしお゚リヌの家ぞ向け自転車を走らせる。
 

 倜の䜏宅街は静たり返っおいる。
 自分の呌吞や錓動、自転車を挕ぐ音がやけに倧きく聞こえる。

 家の前でブレヌキをかけるず、敎備䞍良のせいで倧きな音がしおしたった。
 家の䞭にたで聞こえたかもしれない。
 案の定窓が開き、゚リヌが顔をのぞかせた。

「アキ  」
 圌女は慌おお窓を閉め、倖に出おきおくれた。
 そしおすぐに僕の䜓に飛び぀き、腕を回した。

「倧䞈倫だった 心配しおたんだよ
 この前みたいに殎られおるんじゃないかっお」

「うん、もう倧䞈倫。鈎宮はちゃんずわかっおくれたよ」

「よかった  」

 ぎったりず䜓を寄せる゚リヌ。
 制服の䞋のぬくもりがはっきりず䌝わっおくる。
 緊匵が最高朮に達する。

「゚リヌ  」

「うん」
 圌女が顔をあげたその時、僕はそっず唇を重ねた。
 ずっずずっず求めおいたこの柔らかな感觊を僕は぀いに確かめおしたった。

 時間が止たったように感じた。
 いや、このたた止たっおくれたらいいのにず思った。

 長い長い口づけをし、ゆっくりず唇を離す。
 ゚リヌの瞳に映っおいるのは僕。
 これたで䜕床も芋぀めあっおきたはずなのに、今はこうしおいるだけで呌吞が止たりそうになる。

 僕は「ごめんね」ず小さな声で告げた。

「どうしお謝るの」

「お互いに倢を芋぀けお頑匵ったらキスしおくれるっお玄束だったのに  。
 これ以䞊、気持ちを抑えられなかった。だから、ごめん  」

 そう。僕はただ、倢ず呌べそうなものを芋぀けたに過ぎない。
 ゚リヌのそれも聞いおいない。
 にもかかわらず自分の気持ちを優先させおしたった。

 玄束を守れなかった僕を゚リヌはずっず芋぀めおいる。
 䜕を蚀われおも蚀い蚳できないず芚悟を決める。
 しかし、゚リヌは埮笑んだ。

「それだったら、心配ないよ」

「えっ  」

「私は悠ず別れた。アキはやりたいこずを芋぀けた。
 私も  芋぀けた。芋぀ける努力をした。
 だから、キスはそのご耒矎よ」

 今床ぱリヌから。
 ためらいながらも、求めるような、ちょっず倧人なキス。
 鈎宮が教えたかもしれないキス。
 だずしおも、そんなこずは、どうでもいい  。

 長い抱擁ずキスは僕たちの心の距離を䞀局瞮めた。
 春の優しい倜颚がほおった頬をなでおいく。
 倢か珟実か区別が぀かないほどに、僕たちは二人の䞖界に浞っおいた。

「  ゚リヌの芋぀けた倢っおなに」
 心ず䜓が満たされた時、僕は耳元でささやいた。
 圌女も僕の耳に唇を寄せお答える。

「  子どもを育おる仕事。
 産めなくおも、子䟛に携わるこずはできる。
 それが私の圹目なんじゃないかっお。
   アキの蚀葉が、たた私の背䞭を抌しおくれたおかげよ」

「玠敵な倢だね。゚リヌならきっずなれる」

 ずっず自分を吊定し続けおきた圌女が、己を芋぀め、未来ぞの䞀歩を螏み出すこずができたのだず思うず嬉しくなった。
 ずころが、゚リヌはすっず䜓を離し、う぀むいた。

「どうしたの  」

「私ね、ずっずいい子でやっおきたの。
 呚りの倧人や、先生の蚀うずおりに生きおいれば幞せになれるんだっお信じおた。
 だから、自分では䜕も考えおこなかった」

「䜕も考えおなかったずころは僕ず䞀緒だ」
 ゚リヌは、くすりず笑った。

「信念がなかったの、私の堎合。
 ただ挠然ず、将来は幞せになりたいっお思っおただけ。
 でもね。私はずっず、『幞せじゃない自分』を盟に逃げおただけだった。
 空っぜの自分を隠すために。

 南高を遞んだのも、䞭䞉の時の担任が薊めたから。
 孊びたいこずも特別なかったし、郚掻動にも興味がなかった」

「えっ、じゃあなんでチェス郚に」

「同じクラスに、チェス郚に入るために入孊したっお豪語しおるオタクがいたから」

「それっお、僕のこず  」
 ゚リヌは埮笑み、うなずいた。

「正盎な話、チェスなんお日本じゃ将棋よりマむナヌなボヌドゲヌムでしょっお高をくくっおたの。
 将棋はおじいちゃんずやっおたからルヌルはだいたい知っおたし、そんな動機で高校に入った野䞊地博を銬鹿にしおやろうず思ったのが最初」

「なに、それ。ひどい  」

「でもね。実際にやっおみおアキの本気床を知ったの。
 䜕床やっおも勝おない。悔しくお仕方がなくお必死に勉匷しお  。
 そのうちにチェスの魅力にどっぷりはたっおしたったっおわけ」

「そうだったんだ  」

「チェスは私の居堎所を䜜っおくれた。
 そしお、それはアキがいおくれたから。
 私にずっおチェスは  。そう、神様みたいなものね」

 神様、ず聞いお䜕床も芋た倢を思い出す。
 チェスの神様は、「私のいうずおりの道に進めばずっず奜きなチェスをしおいられるよ」ず蚀う。
 けれど、僕は迷い立ち止たった。
 そしお゚リヌの病気ず向き合い、人生の倧先茩の話を聞いお結論を出した。

 未来を芋通せる「チェスの神様」は所詮、ボヌド䞊ず倢の䞭だけの存圚。
 倢で芋た二本の道のどちらを遞がうが、歩くのは僕。
 そしおその道が満足するに足るものかどうか刀断するのも僕。
 ならば僕は、今日を䞀生懞呜生きお自分の足で道を䜜っおいくだけだ。

「僕は自分のこずをナむトだなんお蚀ったけれど、本圓はポヌンだず思っおる。
 䞀歩ず぀、着実に前にだけ進む。
 匱い駒だけど、戊略次第では昇栌しお匷くなれる。
 いかにも僕らしい駒だっおね」

 ゚リヌはどう 尋ねるずすぐに答えが返っおくる。
「クむヌン  だなんおいうわけないでしょう
 私もポヌン。臆病者で、目の前に敵がいおも立ち向かえないんですもの」

「でも、斜め前の敵をずれる。匱くおもちゃんず戊う力を持っおる」

「  そうね。ポヌンが進たなきゃ、ほずんどの駒は前進するこずができない。
 そしおすべおのゲヌムはポヌンを動かすこずから始たる。
 ちっぜけで圹立たずだなんお、蚀っちゃいけないね」

 ゚リヌは顔をあげた。その顔はどこか自信に満ちおいるように芋えた。

 僕らの人生はチェスに䌌おいる。
 戊略通りにはいかないこずもある。
 ドロヌに終わるこずもある。
 そしおたた䞀からやり盎しお違う攻め方、生き方をするこずもできる。

 答えはない。ただ、「今」がずっず続いおいく。そうやっお僕らは生きおいくのだ。


゚ピロヌグ

 街䞭がおはやしの音であふれかえっおいる。
 川越っ子が埅ちに埅った日。
 十月の第䞉土曜、日曜に行われる、川越た぀りの初日だ。
 普段から芳光客の倚い街だが、祭りほど賑わうずきはない。

 今日は久々に二人しお川越に戻っおきた。
 高校を卒業しおから、郜内の倧孊に通うため、二人で暮らし始めお今幎で六幎目になる。
 それでも毎幎必ず、お祭りの時だけは垰郷しおいる。

 垂内のメむンストリヌトは倧混雑。ずおもじゃないけどたっすぐ歩けない。
 そんなこずはわかっおいるけど、「曳っかわせ」が芋たくお、倜の街を緎り歩く。

 町ごずに山車を䞀台持っおいお、その数はおよそ䞉十台。
 そのうちの二十台ほどが垂街地を巡行する。
 山車ず山車ずが路䞊で出䌚うず、山車に蚭眮された舞台でひょっずこや倩狐の面を぀けた人が舞を競い合う。これが「曳っかわせ」だ。
 い぀芋おも心ず䜓が螊り、「ああ、生きおいる」ず感じずにはいられない。

 いけこたたちも祭りを芋に来おいるらしいが、芋぀け出すのは無理だろう。
 圌女たちはあれから皋なくしお野䞊家を離れ、実家近くの䞀戞建おを賌入し芪子䞉人で暮らしおいる。
 互いに頻繁に行き来しおいお、同居しおいた時よりもずっず仲良くやっおいるようだ。

 やはり孫の存圚は倧きく、母もなんだかんだで䞞くなった。
 家を出お゚リヌず暮らす話を打ち明けたずきも「地博が決めたんなら奜きにしなさい。䜕かあったらい぀でも力になるからね」ず寛容な気持ちで送り出しおもらった。

 もっずも、䜕もなくおもしょっちゅう電話しおきたり、お裟分けず称しおあれやこれやの食べ物を送っおきたりず、䞖話を焌きたがる性分は倉わらない。

 母がそうしおくるのも、僕がただ倧孊院に圚籍しおいるこずが倧きいず思う。
 垂内の高校のスクヌルカりンセラヌずしお就職するこずが決たっおいるが、瀟䌚に出おいない末息子の心配をしたくなるのが芪心ずいうものなのだろう。

「アキ、もうちょっずゆっくり行こう」
 い぀の間にか少し早足になっおいた僕を゚リヌが呌び止めた。
 再び歩き出すず、゚リヌは僕から離れないよう、ぎったりずくっ぀いお歩き始めた。

 きょうの圌女は、オリヌブグリヌンのブラりスに、マスタヌドカラヌのスカヌトずいう秋色の装い。
 通勀着が動きやすいパンツスタむルだから、䌑みの日はスカヌトでおしゃれをしたいんだずか。

 ゚リヌは倧孊卒業埌、垂内の幌皚園に就職しお毎日子䟛たちに囲たれお暮らしおいる。
 垰宅埌、苊手なピアノを必死に緎習しおいる姿にはずいぶん圱響を受けおいお、僕の頑匵りの原動力になっおいる。

 本川越駅前の通りにやっおくるず、现道で詰たっおいた人たちが分散しお歩きやすくなった。
 歩行者倩囜になっおいる路䞊では、おそらく今日最埌であろう、曳っかわせが始たろうずしおいる。僕らは広い通りをゆっくり暪断する。

「そうそう、今床、加奈子䞻挔の舞台を芋に行かない
 チケット、二人分もらっおるの。
 修士論文を曞くのに忙しいずは思うけど、もしよかったら」
 にぎやかな音にかき消されないよう、゚リヌは声を匵り䞊げた。

「もちろん、行くよ。
 それに、゚リヌほど忙しくはないから、そんなに気を遣わなくお平気だよ」

「よかった。
 加奈子ったら、病気を克服しおからものすごく元気で、四十代ずは思えないくらいよ。
 人生を謳歌しおる姿を芋るず、私も元気になれるの」

「うん。あの挔技力には僕も毎回元気をもらうよ」

 郜内の劇堎で時々、゚リヌの母芪が出挔するお芝居があり䜕床か芋に行った。
 息づかい、衣擊れの音、光る汗や迫真の挔技で芋せる涙。
 間近で感じられるそれは、たさに「今」を生きおいる人の姿だ、ず僕は思う。

「ねぇ、芚えおる
 高校生の時、よくここの駅前で埅ち合わせしたよね」
 ゚リヌの蚀葉に、垰宅する人たちが増えおきた駅の改札口に目をやる。

「うん。゚リヌはよく、泣いおたよね」

「そうだね。あの時はたくさん泣いた。
 でももう泣かないよ。今が䞀番幞せだもの。
   この六幎でいろんなこずがあったね」

「うん。本圓に、いろんなこずがあった」
 付き合い始めたころからの蚘憶がよみがえる。

 順調なこずばかりじゃなかった。
 倧孊受隓の勉匷をしなければならない時期に、゚リヌず䌚う時間を優先しすぎお勉匷がおろそかになり、死に物狂いで远い蟌みをかけた高䞉の冬䌑み。
 なんずか倧孊には合栌したものの、入ったら入ったで、家を出た経隓のない二人の新しい暮らしになかなかなじめず、ケンカが絶えなかったこず。数え䞊げたらきりがない。

 それでも僕ぱリヌずこうしお䞀緒にいるのが奜きだ。
 同じ景色を芋られるのがうれしくお仕方がないんだ。

「ねぇ、ちょっず飲んでいかない ゆっくり、話がしたいんだ」
 曳っかわせを芋ながら提案した。
 ゚リヌはちらりず腕時蚈に目をやった。

「でも電車の時間が  。
 池袋行きの最終は䜕時だったかな」

「東䞊線は二十䞉時四十四分、西歊新宿線は所沢乗り換えが二十䞉時二十䞃分だけど  今日はここ、予玄しおるから」
 僕は蚀いながら、プリンスホテルを指さした。

「ぞ」ず゚リヌは小銖をかしげ、きょずんずしおいる。
「  分かった。そういうこずなら飲みに行こうか。
 明日は䌑みだし、たたにはそういう日もありかもね」




 アキから飲みのお誘いなんお珍しいこずもあるものだ。
 ずはいえ、今日はお祭りを堪胜できお私も気分がいい。
 ちょっずグラスを傟けながら話すのもいいだろう。

 アキは駅からほど近いバヌを遞んだ。
 普段はワむンばかりだから、カクテルの飲めるお店ははじめおだ。

「話がしたい」ず蚀ったアキはテヌブル垭を遞んだ。

「メニュヌを芋ただけじゃ、どんなカクテルかわからないわ」

「゚リヌはワむン掟だよね。なら、ワむンベヌスに『ビショップ』っおいうのがあるよ」

「ぞぇ。じゃあそれにしおみようかな。アキは」

「僕はこれ」
 そういっおアキは、軜食ずずもに泚文した。

「  カクテルが飲めるなんお、知らなかった」

「んヌ。実は少し前、鈎宮ず䌚った時にカクテルの飲み方を教えおもらっおね。
 それ以来、川越に来るずきはバヌに足を運んでるんだ」

「ぞぇ。悠に教えおもらったの」

「酒癖が悪くお、あずが面倒だけどね。
 い぀も郚屋たで連れおかなきゃならない」

「アキず悠がそんな付き合いをするようになるずはね」

「なんせ、倧孊たで䞀緒だったからねぇ。いいや぀だよ、鈎宮は」
 䞀緒に暮らしおいおも、私の知らないアキもいる。なんだか新鮮だ。

 ほどなくしお、「ビショップ」ずいう名の赀いカクテルが私の前に眮かれた。

 高校を卒業しおからずいうもの、チェスをやる頻床は栌段に枛っおしたった。
 あれほど打ち蟌んでいたアキでさえ。
 だから、チェスの駒ず同名のこのカクテルには懐かしい響きがあった。
 きっずアキもそう感じおいるし、だからこそ私に提案しおくれたのだろう。
 アキのさりげないやさしさにはい぀も感謝しおいる。

「じゃあ、也杯」
 グラスを傟け軜くぶ぀ける。柄んだガラスの音が鳎った。

「おいしい  。初めお飲んだけど、カクテルもいいね。
 私も芚えおみようかな」

「うん。甘いのも倚いから、自分の口に合う䞀杯を探しおみるのも楜しいず思うよ」

「アキも甘いの奜きだもんね。そっちのカクテルも甘いの」

「ううん。これはね  」
 アキはそういうなり䞀気に飲み干した。

 そんな飲み方をしお倧䞈倫
 少し心配になったが、アキは䞀呌吞おいおゆっくりグラスを䞋ろすず私に向き盎った。

「  。
 このカクテルに蟌められた意味は  『氞遠にあなたのもの』」

「えっ  」

「゚リヌ  。結婚しよう。
 次の四月には僕も瀟䌚人になる。
 そうしたら  野䞊映璃になっおくれるかな  」

「アキったら  。もう、栌奜぀けちゃっお  」

 驚きず喜びずが混ざり合っおどんな顔をしおいいかわからない。
 気づけば䞀筋の涙が零れ萜ちおいた。
 幞い、店内は暗い。
 すぐにう぀むいたから、泣き顔は芋られおいないはず。

 私はこっそり涙をぬぐっお笑顔を䜜った。
「ありがずう。答えはむ゚ス。私は『氞遠にあなたのもの』よ」

「よかった  。ほんっず、よかったぁ  」
 アキはテヌブルに突っ䌏した。

「ふふ。い぀ものアキに戻った。返事を聞いお安心した」

「そりゃあ。だっお、結婚するこずにはこだわらないっお蚀っおたから。
 半分、賭けだった」

 そう。実は、䞡芪の離婚のこずがずっず頭の隅にあったし、アキず䞀緒にいられるならあえお「婚姻届」を出す必芁はないずの考えは䌝えおあった。
 だから、たさかこんなふうに蚀っおもらえるなんお思っおもいなかったのだ。

「でも  プロポヌズされたら嬉しくお。
 アキのたっすぐな気持ちに応えたくお。
   やっぱり、家族になりたい。アキの、奥さんになりたい。
   自分でもこんな気持ちになるなんお驚いおいるけれど」

「ありがずう。
   いい返事がもらえたのは、川越祭りのおかげかな。
 氏神様が僕たちのずころに降りお来おくれたのかも」

「きっずそうだね。  私は子䟛が産めないけれど」

「うん。僕ぱリヌず二人で生きおいくよ。
 それに、子䟛に䌚いたくなったら兄貎たちのずころに行くさ。
 翌君ず、もうすぐ生たれる赀ちゃんがいる」

「そうだね  」
 アキが無理をしおいるずは思っおいない。
 だけど、甥っ子の翌君を芋守るずきの目は優しく、ずおもかわいがっおいるのが分かる。
 党く望んでいないはずがなかった。

 私自身、幌皚園で子䟛ず接するうち、子䟛が倧奜きになった。
 産めない䜓だず宣告された時にはあきらめおいた「子育お」だけど、私がそうであったように、「逊子」を迎えるこずで産めなくおも自分の手で子育おができるのでは、ず぀い最近考え始めたずころだった。

 アキのプロポヌズは、私にその可胜性を瀺しおくれた。
 もちろん、今すぐずいうわけにはいかないけれど、い぀か、時が来たら盞談しおみよう。
 きっず、アキなら受け入れおくれるはずだ。


 それからアキは、メニュヌ衚にある「ショヌトカクテル」の䞭から䞉杯远加で飲んだ。
 どれも色がきれいで、私も「ペコハマ」ずいうカクテルを䞀緒に頌んだ。
 そこたではよかったのだけど、だんだんアキの様子がおかしくなっおきた。

「゚リヌちゃん。絶察どこにもいかないでねぇ。
 絶察だよぉ。僕を䞀人にしないでよぉ」

「うん、わかっおる。だから、もう、垰ろ」

「えヌ、垰るなんお蚀わないでよぉ。もっず飲んでいこうよぉ」
「だヌめ」

 子䟛みたいに駄々をこねるアキをいったんわきに眮き、私は䌚蚈を枈たせた。
 店内にいたほかの客が、「若いなぁ」なんお蚀いながら私たちを芋お笑っおいるのが分かった。赀面したのはお酒のせいだけではなかった。


 店を出る。信号を枡ればホテルはすぐだ。
 䞍幞䞭の幞い。この距離なら䜕ずかなる。

「少しは歩ける」

「歩けるよぉ。子䟛じゃないんだからぁ  」
 その様子はたるで子䟛。思わず笑いそうになる。
 飲み過ぎた悠を郚屋たで送っおいくのだず蚀っおいたけれど、あれは実はアキの話だったのかもしれない。

「プロポヌズはあんなに栌奜よく決たったのに、これじゃあ台無しね」

「  こんな僕じゃ嫌いになっちゃう 結婚したくなくなっちゃう」
 冗談めかしお蚀ったのに、ここだけ真面目に返されおドキリずする。

 アキだっお分かっおるんだ、矜目を倖しすぎたっおこずくらい。
 今日が終わるたで、完璧な自分を挔じたかったのにできなかった悔しさをかみしめおいるに違いない。だけど  。

「しょうもないこず蚀わないの」
 子䟛をしかり぀けるように蚀う。

「むしろ、もっず奜きになったわよ。
 こっちのアキのほうが、人間臭くお私は奜きよ」

 お酒の力を借りおプロポヌズしお、そのお酒に飲たれたんだから情けないったらありゃしない。
 バカだなぁっお思うけど、なぜかそんなアキを愛おしく思う。
 䞀緒に暮らしおいお、圌のいろんな顔を芋おきたけれど、やっぱりちょっず抜けたずころが奜き。

 アキがありのたたの私を受け入れおくれたように、私もアキのすべおを受け入れる。
 共に生きるっお、きっずそういうこず。

「ありがずヌ。やっぱり僕にぱリヌが必芁だ。ずっず䞀緒にいようね  」

「うん。ずぅヌっず、䞀緒だよ」

 明日垰ったら、アキのために料理の腕を振るおう。
 そしお、久しぶりにチェスをしよう。
 圌ず向き合い、笑顔を芋るこずが私の䜕よりの幞せだから。

   完


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