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【京都・祇園】ZENBI「染谷聡—trace tracing」体験記|漆が身体の記憶を揺らす、不思議な現代アート展

羊羹、お椀、伏見人形。
知っているはずの「かたち」が、少しずつ揺らぎはじめる。


【約1,200文字、写真12枚|読了目安:約3分】


 京都、観光客の熱気でごった返す南座や祇園の交差点を、ほんの一歩裏へ。
 路地を数歩歩くだけで、嘘みたいに喧騒が消え去る。スッと美しい佇まいを見せるのが、お菓子の老舗・鍵善良房がひらいた美術館「ZENBI - 鍵善良房 - KAGIZEN ART MUSEUM」だ。
 これぞ大人のお洒落な遊び、なんてすました顔で入口に向かったのだけれど、そこで私の足はぴたりと止まった。

ZENBI - 鍵善良房 - KAGIZEN ART MUSEUM 入口付近
撮影:IRIE ART LOG

 足元の小さな地窓に、人形がちょこんと後ろ姿を見せて立っている。
 中に入ってガラス越しにその正体を確かめて、私は思わず膝を打った。

ZENBI - 鍵善良房 - KAGIZEN ART MUSEUM 入口付近

 この展覧会、どうやら簡単には掴ませてくれない。
 こちらの感覚を少しずつ狂わせながら、奥へ奥へと足を進ませてしまう。



1|知っているはずの「かたち」が、饒舌に語り出す

 展示室へ進むと、しっとりとした上品な気配が満ちていた。
 作家・染谷聡は、漆をたんなる工芸素材ではなく、時間や文化を運ぶ「メディア(媒体)」として捉えているのだという。

 難しい理屈はさておき、目の前の立体を見た瞬間、理屈より先に指先がむず痒くなった。
 どうにも触ってみたくて仕方がない。

ZENBI「染谷聡—trace tracing」《ものの景》展示風景

 この絶妙なサイズ感が、記憶のなかの「あの手ざわり」を強烈に予想させてくる。
 ガラスを覗き込むと、歌人・岡野大嗣氏の短歌が映り込んでいた。静まり返った空間に、視覚から声がじわりと流れ込んでくるような、贅沢な錯覚に包まれる。

染谷聡《ものの景(かげ)〈羊羹〉》2026年

 隣の展示室には、塗り重ねられた漆器が並ぶ。
 過去の器物の絵柄をなぞり、ときに積極的に「写し間違え」ながら展開された思考の軌跡が、そこにあった。

染谷聡《ミストレーシング/をどる桃》2021年

2|漂流するもの、簡単に掴ませないもの

 だが、本当に自分の衝動を抑える必要があったのは、その先だった。

 《お椀獣》の前に立ったとき、私のなかの「触りたい」という欲求はピークに達してしまう。

書/河井寛次郎 額/黒田辰秋《書「くづきり」》1956年

染谷聡《お椀獣|か》2026年

 高尚な芸術としてお行儀よく眺めるにはあまりにも異形だし、かといって不快かと言われれば、目が離せなくなるほど生命力に満ちている。
「ここになにかいる! ナデナデしたいッ」
 危うく大人の理性が迷子になりそうだった。

染谷聡《お椀獣|か》(部分)2026年

 漆の肌からは、まるで出来たてのお菓子のような、あるいは動物の体温のような「あたたかい湯気」の気配が立ちのぼっている。

 よく見れば、お椀の高台がある。全体を覆うのは工芸の最高峰である漆。
 しかしベースに使われているのは、粘土や、海岸に漂流していた発泡スチロールの破片、拾われた石や枝なのだという。

染谷聡《お椀獣|き》2026年 

 知っているはずの工芸品なのに、ちっとも懐かしくない。
 生々しい。

染谷聡《お椀獣|き》(部分)2026年 

 漆という、かつて生きていた樹木の「血」のような液体が、誰かが使ったお椀や、海を渡ってきた発泡スチロールの傷跡をじっとりと覆う。

 やっぱりこれは、簡単には掴ませてくれない。


3|空間の余韻と、あの後ろ姿

 一巡して、大きな丸いソファへ深く腰を下ろす。
 身体はすっかり漆の湿り気を帯びた空気に馴染み、忙しない日常へ戻るのが急に億劫になる。
「ずっとここにいたい」
 お尻に根っこが生えたようだった。

1階には「磚庭(せんてい)」と名づけられたリラクシングスペース

 ふと奥を見ると、暗い展示室の足元に小窓が見えた。
 着た時に、路地から見たあの人形が、今度はこちらをじっと見つめている。
 外からは後ろ姿しか見えなかったが、その正体は伏見人形の「饅頭喰い(まんじゅうくい)」。
 両手には、半分に割ったおまんじゅうが大事そうに抱えられていた。

足元の小窓に伏見人形の姿

「父さんと母さん、どちらが好き?」
 そんな大人の意地悪な問いに、饅頭を半分に割り、
「どちらの方がおいしい?」
 と問い返したという、あの賢い子どもの人形だ。

 お菓子のミュージアムで、他者の痕跡をなぞる展示。
 そのいちばん奥で、人形は私の身体の反応を静かに観察しているように、ちんまりと立っている。

ZENBI「染谷聡—trace tracing」1階 展示風景

 簡単には掴ませてくれない。
 それでも確かに、ここにはうねる何かがある。
 それは漆の艶かもしれないし、誰かの記憶の痕跡かもしれない。

 祇園の喧騒へ戻るのが少し惜しくなる。
 忙しい日々のなかで、立ち止まることをそっと許されたような、贅沢で少しへんてこな余韻だけが、いつまでも身体のどこかに残り続けていた。


【インフォメーション】

  • 展覧会名: 企画展「染谷聡—trace tracing」

  • 会期: 2026年4月19日(日) 〜 2026年7月26日(日)

  • 会場: ZENBI - 鍵善良房 - KAGIZEN ART MUSEUM

  • 住所: 〒605-0074 京都市東山区祇園町南側570-107

  • 開館時間: 10:00 〜 18:00(入館は17:30まで)

  • 休館日: 毎週月曜日(祝休日の場合は翌平日)

  • 入館料: 一般 1,000円、大学・高校・中学生 700円、小学生以下 無料

  • 展覧会URL: https://zenbi.kagizen.com/


【関連YouTube】

 漆という素材をなぜ「メディア」と呼ぶのか。作家・染谷聡氏本人が登場し、本展覧会の背景や制作思想についても語る現代アート専門番組『MEET YOUR ART』。

動画タイトル: 漆はなぜ“メディア”なのか?|時間や文化を運ぶ液体という発想【MEET YOUR ARTISTS】


【次回の予告】

次回は、京都市京セラ美術館のザ・トライアングルにて開催中の「倉敷安耶:女が生まれて、女が死んで、——母の血、ワイン、チョコレート、アルコール、アルコール、アルコール」を訪れます。(毎週水曜更新)

※この記事は、ZENBI - 鍵善良房 - KAGIZEN ART MUSEUMに許可を得て書いたものです。
※掲載画像の転載・二次利用はご遠慮ください。

取材・文・写真:入江玄(#IRIE_ART_LOG)


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