【京都】テート美術館展でリビングルームを疑う。ローソンのレシートと爆破された日常
鍋もレシートも不気味になる。
京都市京セラ美術館で、私のありふれた日常がひっくり返る
【約2,000文字、写真13枚|読了目安:約4分】
京都の、よそよそしいほどに整った青空の下を歩いてきて、京都市京セラ美術館の新館「東山キューブ」へと足を踏み入れる。と、肌に触れる空気の密度が、ぐっと重くなるのを感じた。

エアコンの冷気とは違う。静寂の皮をかぶった、かすかな「ノイズ」の予感に、耳の奥がほんの少しツンとする。見慣れた日常の延長線上にあるはずの空間に、クエスチョンが水たまりのように転がっている。
1|日常の歪み:見慣れた「家」が牙を剥くとき
サッチャー政権以降の英国社会。格差が広がり、人々のアイデンティティや家庭のあり方も揺れ動いていた時代。アーティストたちは、日用品という卑近な素材で、生活の裏側にある歪みを引っ張り出した。
テーブルから床へ、不気味なコード類がのたくっている。点滴チューブのようにも見える。

日常の象徴である調理器具、触れば火傷をするのか、ひんやり冷たいのか。鈍い電磁音が鼓膜を微細に揺らす。

私のなかの意地悪な好奇心が喜んでいる。現代アートが高尚だなんて、誰が決めたのだろう。
シール・フロイヤーの作品に近づくと、可笑しなことに気づく。これは、財布の底に小さく畳まれた、コンビニのレシートだ。(ローソン東山三条店は会場近くのコンビニで、直前に私も利用した!)
ダイコン、にんにく(中国産)、エノキダケ……。並んでいるのは、すべて「白」にまつわるものばかり。

作品がほしければ、帰りに近所のコンビニで白い買い物をすればいい。それなのに、熱心にカメラを向けてしまう私たち。

日常の規則をほんの少し踏み外したその乾いたユーモアが、妙に心地よく響いてくる。
ここまで見てきた鍋やレシートは、どれも私の生活圏にあるものばかりだ。会場を歩いているはずなのに、自分のリビングルームを見知らぬ場所から覗き込んでいるような感覚になる。
2|足を止める身体:ガラスケースの向こうの冷徹
順路を最短コースで進むなら、ここは観なくても先へいける。けれど、できない。足の裏が床に張り付いたように動かない。
「これ以上は無理かも」

会場の気圧が急激に下がったかのような圧迫感がある。展示物とともに、私という存在がぽつんと漂っているような、心細い浮遊感。

その漂流の果てに、一つのガラスケースが行く手を阻む。ディノス・チャップマン、ジェイク・チャップマン《戦争の惨禍》。
精巧なジオラマ模型のようにみえる。けれど細部にピントが合った瞬間、背筋が凍る。そこに広がるのは、凄惨な拷問と虐殺の景色。

それを、私はガラス一枚を隔てた安全な場所から、「ミニチュア」として鑑賞している。
凄惨な現実をショーケースに入れてのんびりと消費する、わたし。胸の奥がじっとりと湿って息苦しい。
3|世界の分解:耳鳴りのような静寂のなかで
暗がりのなか、それは圧倒的な質量で存在していた。
本物の物置小屋を爆破し、その飛び散った木切れや残骸が、天井から無数の糸で吊るされ、凍りついたように留まっている。

破裂の轟音が消え去ったあとの、耳鳴りのような静寂。中央で灯る電球の熱量が、破壊された日常の輪郭を浮かび上がらせる。
そして、もう一つの決定的な「箱」。ダミアン・ハーストだ。
大きなガラスの箱に、オフィスで使われていそうな机と椅子。
小さなタバコの箱に、今から吸いそうなタバコとライター。そして、使われた灰皿。

ここにあるのは、美化されていない、逃れられない死そのもの。タバコを吸う吸わないは問題ではない。それはただの「死」の記号にすぎない。
透明な檻にきっちりと詰め込まれた、労働をする私たちの姿。あまりに生々しく、思わず息を深く吐き出す。
展示室を歩きながら、自宅のリビングルームを連想していた。さっきまで見ていた鍋やレシートや机は、どれも特別なものではない。私の家にもある、ごくありふれた日用品だ。
それなのに、それらは違う意味を帯びて見える。日常はこんなにも脆く、不気味で、奇妙なものだっただろうか。
おまけ|脳みそマシュマロと、したたかな日常
重いテーマを抱えた展覧会のあとに、遊び心のあるグッズが並ぶ光景もまた印象的だった。

ショップ
薄いピンクの「脳みそマシュマロ」を見つけて足が止まる。甘酸っぱいミックスベリー味らしい、不気味な大きさの限定商品。

さっきまで呼吸の荒かった私が、今度はグッズを手にとって、微笑んでいる。なんて現金で、へんてこな生き物だろう。
結局、何も買わずにゲートを出た。手元に残ったのは、財布の奥に畳まれたローソンで買ったお茶のレシートだけ。
印字された文字を眺めながら、ふと思う。これだって、お茶でなく、大根やエノキダケなどを買っておけば、美術館に並んでいたかもしれないのだ。
世界がどれだけ木っ端微塵になろうとも、私はこの味気ないレシートを握りしめ、今晩もまた家にあるもので味噌汁を温めて生きていく。そんなことを考えながら、再び京都のありふれた街の中へと歩き出す。
【インフォメーション】
展覧会名: テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート
会期: 2026年6月3日(水)~9月6日(日)
会場: 京都市京セラ美術館 新館 東山キューブ
開場時間: 10:00~18:00(入場は閉場30分前まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)
観覧料: 一般 2,300円、大学生 1,500円、高校生 900円(中学生以下無料)
公式ホームページ: https://www.ybabeyond.jp/
音声ガイド情報: 会場では、細野晴臣氏と齋藤飛鳥氏による音声ガイド(税込650円)が用意されており、細野氏の未発表曲『Anemo Wheel』がBGMとして先行公開されています。
ご利用にあたっては、スマートフォンとイヤホン等が必要です。
【次回の予告】
次回は、ZENBI - 鍵善良房 - KAGIZEN ART MUSEUMで開催中の、染谷聡 「trace tracing」を訪れます。(毎週水曜更新)
※この記事は、プレス内覧会に参加して書いたものです。
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取材・文・写真:入江玄(#IRIE_ART_LOG)
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