【京都アート散歩】京都市京セラ美術館からgallery16へ。写真の祭典で酔いしれる「人の気配」
【約1,200文字、写真14枚|読了目安:約3分】
洗濯物を干していると、ふいに思い出す。
京都の街をあれほど騒がしく浸食していた、写真の祭典が終わってしまった。
展示室の重い扉を開けたとき、鼻を突いたあの匂い。小雨の湿り気と、見知らぬ誰かの体温が混ざり合った、妙に生々しい「人の気配」。
それは網膜を通り過ぎて、私の喉の奥に、今も粘りつくように残っている。
1|「アレ・ブレ・ボケ」の渦に巻かれて
会場:京都市京セラ美術館 本館 南回廊 2階|森山大道
展示室に一歩足を踏み入れた瞬間、私は「街」そのものに飲み込まれた。

|森山大道「A Retrospective」入口付近
撮影:IRIE ART LOG
そこにあるのは写真、というよりは、森山大道という荒い網で濾しとられた、都市の排泄物と生命力のしがみつきだ。

いわゆる「アレ・ブレ・ボケ」。その粒子の一粒一粒が、展示空間の空気と摩擦を起こして熱を持っている。
不思議な感覚だった。平面であるはずの壁が、まるで「すり鉢」のようにこちら側へ湾曲し、見る者を中央の深い闇へと引き摺り込んでいく。
長くは居られない、と思った。

そこには、道ゆく人々の体温や、密やかな囁き、あるいは誰かの口臭さえもが、粒子の隙間に封じ込められている気がしたからだ。
「素晴らしい」と脳が判断を下す前に、私の身体が、その「人いきれ」に酔ってしまう。

なんだか、自分までザラザラとした粒子になって、壁に吸い込まれてしまいそうな、危うい心地よさ。
お行儀のいい鑑賞なんて、到底させてはもらえない。
2|乾いた「拒絶」と、静寂のまなざし
会場:京都市京セラ美術館 本館 南回廊 2階|South Africa In Focus
森山氏の「湿り気」とは対照的に、こちらのセクションは、骨が軋むほどに「乾いて」いた。
アーネスト・コールの展示入り口には、仕掛けがあった。
「白人」と「黒人」、強制的に分けられた二つの入り口。かつてのアパルトヘイトを、頭ではなく「自分の足取り」で追体験させられる。

|アーネスト・コール「囚われの地」入口付近
区切られたフェンス、ゲート。歩を進めるたびに、目に見えない鉄条網が喉元を締め付けるような、圧迫感。
ここでは、匂いがしない。無臭という名の、徹底した管理。
差別という構造が、展示室の冷たい空気となって肌を刺す。

もう終わった歴史だなんて、誰が言えるだろう。この空間に漂う「拒絶」の質感は、今も地続きの現実として、私の内側を、鋭くえぐってくる。

一方で、ピーター・ヒューゴの空間は、残酷なほど光に満ちていた。
生と死のサイクルが、静かに、しかし冷徹に提示される。

閉塞感から解放されたはずなのに、今度は「人間とは何か?」という途方もない問いが、明るい光の中で白日の下に晒される。
私はただ、逃げ場のない重石を胃の奥に感じながら、展示室の冷たい空気を肺に溜め込む。
3|オールドコンデジと、不器用な私の「眼」
会場を出ると、眩しさに目が眩んだ。
鞄の奥で眠っていた、古いデジカメ(GR DIGITALII)を取り出してみる。
スイッチを入れると、「ウィーーッ」と内部のモーターが、眠りから覚めるような不器用な音を立てた。
「写真は誰にでもひらかれている」
大道氏の言葉を杖に、私も街の片隅でシャッターを切ってみる。

撮れている。確かに、記録はされた。けれど、何かが決定的に違う。
モニターに映るのは「それっぽい何か」でしかない。
私の写真には、まだ「匂い」が宿っていないのか。

被写体との間にあるはずの、あの剥き出しの「際(きわ)」に、私はまだ爪先さえ立てられていない。
大道さんの背中は、まだまだ遠い。
けれど、手のひらの中で「ウィー」と小さく震える古いカメラは、まるで私の体の一部みたいに、じんわりと温かかった。
4|三条通の階段、酢飯の香りと、夢の幕切れ
会場:gallery16|KG+ 三宅章介
シャッターを切った指先の冷たさを抱えたまま、 巨大な美術館を後にし、三条通にある老舗「gallery16」へ。
一階はお寿司屋さん。外階段を上がると、酢飯の甘酸っぱい香りと、古い建築特有の埃っぽい匂いが混ざり合う。
これこそが、私の知っている「生きた京都」のテクスチャだ。

三宅章介さんの展示は、蝉の抜け殻をAIに読み込ませ、そこから新たな存在を生成させるというもの。
生命の痕跡がデジタルの海を経て、見たこともない異形へと変容していく。

展示室に入った瞬間、外の世界の「匂い」が、急激に消失した。
完全な、
無臭。

なんど鼻を動かしても、なにも匂ってこない。
すう、す、う。思いきり吸い込んでみるけれど、そこにあるのはただ、白くて静かな空気だけだ。
境界線の、そのあとで
京都国際写真祭 2026のテーマ「EDGE」とは、不確実性であり、同時に可能性の場所だという。
数々の境界線を横断し、自宅に戻ったとき、私はひどい鼻水に襲われた。
収まったはずの花粉症なのか、それとも、あの中毒性の強い写真の粒子に、身体の免疫が反応を起こしたのか。
少し重くなった身体を横たえながら、鼻の奥に残る「際」の残臭を、くしゃみとともに吐き出した。
INFORMATION
※展示は終了しています
KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭 2026
会期:2026年4月18日(土)– 5月17日(日)
会場:京都市京セラ美術館、東本願寺、重信会館 ほか
【次回の予告】
次回は、ウサギノネドコ京都店で出会った、不思議な生きものたちの話を。
奥村巴菜さんの個展「陶の虫たち」について綴るつもりです。
かたい土から生まれた、小さな命の気配。
(毎週水曜日に更新しています)
※掲載画像の転載・二次利用はご遠慮ください。
取材・文・写真:入江玄(IRIE ART LOG)
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