🟩IPA本舗通信・有料版|【5月28日最終号】
皆さんこんにちは
店主イトーです。
昨日もお越しいただいた皆様、ありがとうございました。
IPA本舗通信有料版は本日で終了します。
3ヶ月という短い間でしたが、本当にありがとうございました。
本日の有料版は【アメリカのクラフトビールの歴史】について、です。
アメリカのビールをメインに扱っているIPA本舗に、もっとも相応しい話題かと思います。
今日の投稿は、【6,698文字】です。
【アメリカのクラフトビールの歴史】
〜禁酒法から“革命”へ。そしてピークアウト後の現在地まで〜
アメリカのクラフトビールを語る時、多くの人はIPAやヘイジーIPAから入ります。
ですが本当は、それは“結果”でしかありません。
なぜアメリカで、あれほど多様で、自由で、尖ったビール文化が生まれたのか。
なぜドイツでもベルギーでもなく、アメリカが「現代クラフトビールの中心地」になったのか。
そこを理解するには、まず“ビールが死んだ国”だったという事実から始める必要があります。
アメリカのクラフトビール史は、「ビール大国の話」ではありません。
むしろ、“工業化で均一になった国が、個人の執念で取り戻していった話”であると思います。
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1. 禁酒法以前 ― アメリカはもともとビールの国だった
19世紀後半〜20世紀初頭のアメリカには、実は数千のブルワリーが存在していました。
その中心にいたのがドイツ系移民たちです。
1848年革命の混乱などを経て、多くのドイツ人がアメリカへ渡ってきました。彼らはラガービール文化を持ち込み、各地で醸造所を作っていきます。
この頃のアメリカでは、今のようなライトラガー一辺倒ではなく、
• ボヘミアンラガー
• ダークラガー
• ポーター
• エール
など、実はかなり多様でした。
そして鉄道網の発達、冷蔵技術の進化により、ビールは急速に全国へ広がっていきます。
ここで後の巨大企業、
• Anheuser-Busch
• Miller Brewing Company
• Coors Brewing Company
などの祖先たちが力を持ち始めました。
特にアンハイザー・ブッシュは、低温殺菌や鉄道輸送を活用し、“遠くまで同じ味を届ける”という工業化モデルを確立したのです。
これは後の大量生産ビールの原型になりました。
つまりこの時点で、「地域の小さなビール」vs「全国へ広がる均一なビール」という構図が既に始まっていたと言えるでしょう。
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2. 禁酒法 ― アメリカのビール文化は一度死ぬ
1920年。
アメリカ史上最大級の文化破壊が始まりました。
禁酒法(Prohibition)
正式には「アメリカ合衆国憲法修正第18条」。
酒の製造・販売・輸送が禁止された。
背景には、
• 宗教的禁欲思想
• アルコール依存問題
• 家庭内暴力
• 労働効率改善
• 第一次世界大戦時の反ドイツ感情
などが複雑に絡んでいたということです。
特に重要なのが“反ドイツ感情”でしょう。
当時、ビール産業はドイツ系移民が強かったのですから、第一次世界大戦でドイツが敵国になると、「ビール=ドイツ的」というイメージが政治的に叩かれることになりました。
つまり禁酒法は、単なる健康政策ではありません。
民族感情と政治と道徳運動が合体した、“文化浄化”に近い側面すらあった。
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禁酒法で何が起きたのか。
多くのブルワリーは倒産しました。
一部は、
• 麦芽シロップ
• アイス
• 炭酸飲料
• “料理用”商品
などで延命したそうですが、小規模醸造所はほぼ壊滅しました。
ここが重要なのですが、禁酒法が終わった後も、“元には戻らなかった”のです。
それはなぜか。大資本だけが生き残ったからに他なりません。
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3. 禁酒法後 ― 「薄くて同じ味」が正義になる
1933年、禁酒法は廃止されました。
ですが、ここからアメリカのビールは、むしろ画一化へ向かいます。
理由はシンプル。生き残った大手が強すぎたのです。
禁酒法を耐えた企業は、
• 巨大設備
• 流通網
• 資本力
• 広告力
を持っていました。
逆に、小規模ブルワリーは資金も設備も失っていたので、結果的に「大量生産・大量流通・低価格」
のライトラガーが全国を支配することになりました。
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戦後アメリカと“均一化”
第二次世界大戦後、アメリカは郊外化と大量消費社会へ進みます。
この時代の価値観は、
• 冷蔵庫
• 車
• テレビ
• ファストフード
に象徴されます。
つまり、
「どこでも同じ品質」
「誰でも飲みやすい」
「クセがない」
が“正義”になりました。
ビールも同じです。
苦味は減り、香りは弱まり、ボディは軽くなっていきます。
米やコーンを大量使用した、軽いラガーが主流化していきました。
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テレビ広告の時代
さらにテレビ広告が巨大化していきます。ここでビールは“味”ではなく、“ライフスタイル商品”に変化していきます。
• スポーツ
• マッチョ文化
• パーティー
• 水のように飲める爽快感
そんなイメージ戦略が広がっていきました。
この時代、アメリカ人の多くは、「ビールに味の違いがある」ことすら忘れてしまったのです。
1970年代には、アメリカのブルワリー数は100社以下まで落ち込みます。
これは歴史的に見ても異常なレベルだと言えるでしょう。
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4. 革命の始まり ― ホームブルワーたち
ここから話が面白くなります。
アメリカのクラフトビール革命は、もちろん大企業から始まっていません。
では誰が始めたのか。
始めたのは、“変人の個人たち”でした。
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5. ホームブルー解禁 ― 歴史の分岐点
1978年。
アメリカのビール史で極めて重要な年です。
当時の大統領、Jimmy Carter が、連邦レベルでホームブルー(自家醸造)を合法化します。
これがとてつもなく大きかったと言えます。
なぜなら、“実験”が全国で始まったからです。
それまでアメリカ人は、大手ラガーしか知りませんでしたが、ホームブルワーたちは、
• イギリスのエール
• スタウト
• ポーター
• ベルジャン
• ホップの効いたIPA
などを自分で作り始めました。
ここで重要なのは、「商売ではなく、オタクの趣味」から始まったことです。
つまり最初期クラフトは、“市場調査”で生まれたものではないのです。
完全に、「今のビールつまんねぇ」という反動から始まったのです。
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6. Anchor Brewing ― “生き残った最後の橋”
クラフト史で絶対外せないのが、Anchor Brewing Companyです。
ここが誤解されやすいのですが、アンカーが“最初”というわけではありません。
アンカーはアメリカ最古級のブルワリーの一つだが、クラフト革命を“ゼロから創業した”わけではないのです。
むしろ、「消えかけていた古い醸造所」で、1960年代には経営難で崩壊寸前でした。
しかし、1965年、若き実業家Fritz Maytag が買収することに。この人物が極めて重要です。
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Fritz Maytagがやったこと。彼は大量生産ラガー路線へは行きませんでした。
むしろ逆。
古い製法、濃い味、伝統的スタイルを復活させたのです。
これが革命でした。
当時のアメリカでは、「味が濃いビール」自体が珍しいものでした。
やがてアンカーは、Anchor Steam Beerを世に出します。このビールが、全米に“工業ビール以外の世界”を示したと言っても過言ではありません。
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Anchorの本当の意味
アンカーは、後のクラフトブルワーたちに、「小規模でも成立する」という精神的前例を見せた点で、とてつもなく大きな功績を上げました。
つまり、“文化の種火”、しかも「大きな火種」を灯したのです。
後のクラフト創業者たちの多くが、アンカーに衝撃を受けていたのです。
(のちにサッポロによってその灯火は消されてしまうのですが・・・)
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7. Sierra Nevada ― 現代クラフトの原点
そして1979年。
Sierra Nevada Brewing Company が誕生します。
創業者は、
• Ken Grossman
• Paul Camusi
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なぜシエラネバダが重要な存在に位置付けられるのか。
理由は単純です。
「ホップの革命」を起こしたから。
特に、Sierra Nevada Pale Aleは、現代アメリカクラフトの原点と言っていいビールです。
当時としては異常なほどホップが効いていました。
使われたのはCascadeホップ。グレープフルーツのような柑橘香。これは当時の飲み手に衝撃を与えました。
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“アメリカの味”の誕生です。
ここが超重要なのですが、それまでの高品質ビールは、ヨーロッパ模倣が多かったのです。
しかしシエラネバダは、「アメリカンホップを前面に出した」ことで、“アメリカ独自のビール”を作り出したのです。
これが後のIPA大爆発へ繋がっていきます。
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8. 1980〜90年代 ― クラフト革命
ここからクラフトは徐々に広がりをみせます。
ただし今の感覚で見ると、まだまだ小さい世界でしかありません。
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当時のクラフトは、
• イギリス志向
• モルティ
• 苦味しっかり
• 地域密着
が強く、現在のようなジュース感ではありませんでした。
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ブルーパブ法の変化
各州で法律が変わり始めるます。
小規模醸造+飲食店営業が可能になり、
• ブルーパブ
• 地域醸造所
が増加しました。
ここで重要なのが、“地産地消”の流れです。
大量流通ではなく、「地元で作り、地元で飲む」文化が復活したのです。
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9. IPA戦争
1990年代後半〜2000年代。
クラフトは次の段階へ入ります。
それが、ホップ競争です。
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なぜIPAが覇権を取ったのか。
理由はいくつもあります。
1. 大手との差別化が簡単
苦い、香る、濃い。つまり真逆です。
2. “強さ”が分かりやすい
IBU競争、度数競争が始まりました。
「100IBU!」、「ダブルIPA!」、「トリプルIPA!」
数値と刺激という文脈で語りやすかったというのもあります。
3. ホップ農家と相性が良かった。
Yakimaなどで新ホップ開発が進みました。
• Citra
• Simcoe
• Mosaic
• Amarillo
などが登場していきます。
ここでアメリカは、世界最強のホップ大国になっていきました。
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10. インターネット時代 ― オタク文化の加速
2000年代。
インターネット文化がクラフトを変えていきます。
• RateBeer
• BeerAdvocate
• Untappd
などの「ビール評価サイト」が登場してきます。
ここで、「点数文化」が加速することになります。
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次に希少性ゲームの到来。
限定、樽熟成、高アルコール、超ホップ、超人気ブルワリー。
希少性の高いビールが評価されやすくなりました。
そしてブルワリー同士のコラボ文化も発達していき、希少性競争の様相をみせ始めます。
クラフトは単なる酒から、収集・比較・体験ゲームへ変化していきました。
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11. Hazy IPA革命
2010年代。
次の大転換が訪れます。
Hazy IPAの登場です。
中心の一つが、The AlchemistのHeady Topperで、New England Style IPAはここから始まったと言われています。
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なぜ革命だったのか
従来IPAは、苦味を味わい飲み物でしたが、ヘイジーは、柔らかく、ジューシーで、苦くない飲み物で、ビギナーが取っ付きやすいものでした。
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ヘイジーIPAは、SNSとの相性が良かったのも、隆盛の一因だったかもしれません。
濁り、缶デザイン、限定性。
Instagram時代と完璧に噛み合った。
結果、“映えるIPA”が世界標準になっていきます。
味とは関係なく。
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12. クラフトのピーク
2010年代後半。
アメリカのクラフトは完全にメインカルチャー化しました。
• ブルワリー急増
• 缶文化
• コラボ文化
• 限定性
• 行列
もはや“反体制”ではなくなりました。
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13. そしてピークアウト
だが拡大は永遠には続きません。
2020年代。
クラフトは明確に減速することになりました。
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理由1. 飽和
ブルワリーが増えすぎました。
競争過多で、差別化が困難な時代が到来しました。
理由2. 品質問題
特にヘイジーは、ドライホップが多く超繊細なため、物流ダメージを受けやすく、その結果、「缶によって違う」、「酸化」、「劣化」の商品が増えました。
理由3. 若者の酒離れ
Z世代は以前ほど酒に執着しない傾向が顕著です。
健康志向、ノンアル、経済的指向、SNS疲れ。
つまり、文化が変わってきています。
理由4. “特別感”の崩壊
昔はクラフト自体が特別でした。
ですが今は“普通”。
スーパーにも並んでいます。
つまり、“革命が成功しすぎた”とも言える状況です。
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14. Anchorの終焉が象徴だった
2023年。Anchor Brewing Company が事業停止。
これはかなり象徴的でした。
クラフト革命の精神的原点が消えたのです。
この件で、「永遠に成長する神話」が崩れたとも言えるでしょう。
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15. 現在地 ― クラフトは“成熟産業”へ
今のアメリカクラフトは、革命期ではありません。
どちらかと言うと「成熟期」なのでしょう。
今起きている変化は原点回帰
• West Coast IPA復活
• ラガー回帰
• 苦味再評価
• “飲めるビール”重視
そしてローカル化。
配送より、地元販売。フレッシュ重視。
小規模化。
巨大拡張したブルワリーより、小さくても強い店が残る。
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16. 結局、クラフトとは何だったのか
アメリカクラフトビールの本質は、もちろん「IPA」だけではありません。
当然「ヘイジー」でもない。
本質は、スタイルはどうあれ、“大量均一化への反抗”だったはずです。
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禁酒法後、アメリカのビールは均一になった。
そこへ、
「もっと味が欲しい」
「もっと自由でいい」
「もっと変でいい」
という個人たちが現れた。
ホームブルワー、変人、オタク、小規模醸造家。
彼らが、失われた“多様性”を取り戻していったところがスタートだったはずです。
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だからクラフトビール史は、
単なる酒の歴史ではないということ。
• 流通
• 資本
• 広告
• 個人文化
• インターネット
• 地域性
• カウンターカルチャー
全部が絡んでいます。
ですが次第に、“液体”より、“話題”が先に来るケースも増えていったのも事実です。
「限定」、「新作」、「映え」、「DDH」、「缶デザイン」。
つまり、“体験消費化”へのシフトチェンジ。
「あのビール飲んだ」というマウント合戦。
そして、「クラフト」という言葉自体も、空洞化していきました。
元々クラフトビールとは、巨大資本への反抗だったはずです。
しかし今や、「クラフト風マーケティング」が大量発生している現実。
生き残りのために「味」よりも「マーケティング」を選択するブルワリー。
本来の「クラフト」はどこへ行ったのか。
さらにブルワリー数も増え過ぎたのも拍車をかけました。
今のアメリカは、ブルワリー数9000超え。
当然、競争は激化。原料高騰、物流コスト上昇、
缶コスト上昇、人件費アップ、若年層のアルコール離れ。
現在、アメリカンクラフトはピークアウトしています。
ピークアウトという経済用語は、ともすると「良くない兆候」のように捉えられるかもしれませんが、決してそんなことはありません。
「大きくなった“変な人”」は、大きいまま“変”を続け、小さいままの“変な人”も、そのまま“変”を継続します。
さらに次々に“変な人”が現れ、“変”は普遍となります。
それが【文化】なのです。
文化は統一ももちろん、多様性も内包します。
そして、淘汰や新規参入を繰り返しながら「継続の道」を進むことになります。
ピークアウトは、「この辺が“変な人”の母集団の限界値」を指し示したに過ぎません。
母集団は常に変化する性質のものである以上、「たまたま減少傾向」という、小さな話でしかありません。
既に文化を形成したアメリカンクラフトビールは、市場規模の多寡こそあれ、永遠に続くことでしょう。
日本でこれが起きなかったのは、日本では革命を経ずに自由社会になったことと、ちょっとリンクするのかも、と思ってしまうイトーでした。
ということで、IPA本舗通信有料版は最終回となりました。
皆さん、お付き合いいただき、ありがとうございました。
この続きはお店でお話しします。ぜひ、足をお運びください♪
====== 完 =====
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