母の看取りと将来のこと
自己紹介の次は何を書こうかなと考えました。
今までの自分から切り替えたいなと考えたときに、
まず浮かんだのが母でした。
母の看護と死
私の母は今年の春に末期癌で永眠しました。
末期癌だと判明したのは亡くなる2ヶ月前です。
昨年の夏頃から咳が治らず、
「コロナかな?」「流行りの百日咳かな?」「肺炎かな?」
色々考えましたが、まさかの肺がん。
母は免疫系の持病を持っていたので、癌にはなりやすいとのことでした。
長年タバコも吸っていたので、母は「自業自得だね」と笑っていました。
検査入院やPET検査の結果、「余命2ヶ月」と宣告されました。
進行が早く、肝臓にも転移していたため、治療が難しいと。
大学病院で余命宣告を受けた日は私は仕事を休めず、近くに住む兄が仕事を休んで付き添ってくれました。
昼頃に兄からLINEがあり、余命2ヶ月との文字が目に入った途端、頭が真っ白になりました。
横で母と一緒に余命宣告を聞いた兄も、きっと同じ気持ちだったと思います。
私はこどおばなので母と一緒に住んでいましたが
結果を聞きに行ったその日に、緩和ケアのために即日入院となったので、朝、私が家を出る前の母の元気な「いってらっしゃい」を聞いたのはその日が最後でした。
次の日は会社を早退して、母からリクエストのあった荷物を病院に届けに行きました。
荷物と一緒に、私は母に書いた手紙を渡しました。
母は、泣きながら「読めないよ」と。
その日時点で癌と分かってから1ヶ月ほど経っていましたが、その間母は私の前では一度も涙を見せませんでした。
死を怖がっている様子もなく、受け入れているように見えていました。
そんな母が、泣いているんです。
あぁ、やっぱり怖くないわけないよね。と、私も涙が止まりませんでした。
母が冷たい水が飲みたいと言うので病院内のコンビニに水を買いに行く間も、私は人目も憚らず泣きじゃくりながら病院内を歩いていましたが、病院の人は慣れているのか、誰も私を気にする様子はありませんでした。
(ちょっと「ドラマのヒロインみたいだな」なんて思ったことは誰にも言えません。)
2週間ほど入院し、在宅看護のため母は退院となりました。
この2週間は、医療ケアを受けるための申請などで忙しかったです。
病院でのカンファレンス(これもドラマみたいでした)、ケアマネさんと病院との退院日の調整、訪問診療の先生や訪問看護の看護師さんとの調整、介護用品レンタルの手配など。
私は会社に許可を得て、在宅勤務とさせてもらい、仕事をしながら常に介護できる状態にしました。
介護の間のことは書き出したらきりがないので端折りますが、母の介護をしていたのは、退院日も含めてたったの12日間でした。
日に日に弱っていく母を横で見るのは、想像以上に過酷なものでした。
昨日までできていたことができなくなるんです。
「これが最後」となるなんてまさか思いません。
亡くなる1週間前、遠方に住む姉家族、兄家族と一緒に、家でバーベキューをしました。母の提案でした。
1日のほとんどを寝ている母。外でみんなでバーベキューできたのは1時間もなかったと思います。
いいお肉や母の好物のスイカも買って、みんなで「美味しいね」と食べました。
最後に母は「またバーベキューやろうね」と言っていました。
その3日後が母と一緒にした最後の食事になりました。
私の友人が北海道で買ってきてくれたアスパラです。
「やっぱり北海道のアスパラって美味しいね」という私の声掛けに、母は一口かじるのが精一杯でした。
その3日後、母は眠るように永眠しました。
前日から死前喘鳴が始まっていたので覚悟はしていましたが、まさかこんなにすぐとは思っていませんでした。
亡くなる前日の朝、私は母に何度も「ありがとう」と言いました。
母は「やっぱり◯◯ちゃん(私の本名)は優しいね。きょうだいの中で◯◯ちゃんが一番優しいよ。ありがとうね。」と。
母との会話はこれが最後です。
母の死から4ヶ月ほど経ちますが、全く乗り越えられていません。
この4ヶ月で体調を崩したせいもあり10kgほど痩せました。
病院で精密検査もしましたが健康そのものでした。(逆に不安)
周りの方の支えや励ましのおかげで、私はなんとか今まで通りの日常を取り戻しつつあります。
しかし、未だに毎日のように泣いています。
すぐには無理でも、いつかは心穏やかに母のことを思い出せる日が来ることを願っています。
自分の将来について
母の看取りまでの話が長くなってしまいました。
葬儀や諸々の連絡、手続きはきょうだいと手分けしてやったのでなんとか乗り越えられましたが、もし私が一人っ子だったら絶望的でしたし、母の入退院対応、看護、看取り、葬儀の手配も本当に大変でした。
自分の将来で考えたときも絶望です。
姪っ子、甥っ子には迷惑をかけるわけにいかないしかけたくない。
兄、姉が先に旅立ったら、このまま行くと私は孤独死まっしぐらです。
施設に入れたらいいですが、自分の収入と貯蓄、年金では到底無理です。
昔から私は希死念慮がありますが、母の死を経験してより強くなりました。ですが、別に今すぐ命を絶ちたいわけではありません。
奨学金の返済もあと数年ありますし。
ただ、自分の孤独死がほぼ確定したことで、
きょうだいが私を看取ってくれる元気なうちに。
周りの人が私の死を寂しがってくれるうちに。
家族や友人を見送る前に、先に旅立ちたいのです。
ですが、命を無駄にはできません。
母が悲しむからです。
3人きょうだいの中で一番私が優しいと言ってくれた大好きな母と、笑顔で天国で再会したいからです。
良い人ほど早死するという話を信じているので、良い人になれるよう、これからの人生をちゃんと生きて、いつか私が死んだときに「逝くの早いよ」と周りの人が悲しんでくれるような人間になります。
アラサーからでも取り返せますよね。
母のことを思い出すと絶対に泣くので、この文章もボロボロ泣きながら打ってます。
それくらい大好きな母がいたことは幸せでした。
いつか必ずそっちに行くからもうちょっと待っててね。
