【歴史】日本三大花火「長岡まつり」と太平洋戦争の関係を語らせて!
こんにちは、イラストレーターのIONA(@iona_net )です✨
実は私、太平洋戦争マニアなんです。
(マニアというと語弊がありそう…結構勉強してるって意味です)
毎年8月になると色々と勉強し直したりしてます。
というのも、8月って戦争にまつわる出来事が多すぎるんですよね。
1945年8月6日には広島、9日には長崎に原爆が落とされ、そして15日には、あの「耐えがたきを耐え…忍びがたきを忍び…」で知られる玉音放送。つまり戦争が終わった月。
ニュースや特集番組が増えるのもこの時期だし、今年は終戦80年という区切りでもある。
で、それにプラスして、夏に花火を見ると…戦争のことが頭によぎる。
なんで花火と戦争を結びつけて考えちゃうかというと地元の存在が大きいんです。
私の地元、新潟県長岡市は1945年8月1日に空襲を受けました。
たったの1時間の爆撃で町の8割が焼かれ、1,400人以上が亡くなったというひどい空襲。
祖父母はそのとき子どもで、逃げたり疎開したりして助かったみたい。私にとっては他人事ではないんだけど、「長岡=戦争があった」ってことはあまり知られてないかもしれない。でも知られていないようで、この地方都市にも戦争の現実は降ってきていたんですよね。
でもここからがすごくて、
焼け野原になった町で、長岡の人たちはまつりを立ち上げたんです!
しかも焼け野原になった翌年から。すさまじい粘り強さ。
それが、今も続いている長岡まつり大花火大会。
(毎年8月1.2.3日にやってます)

県外の人からは「日本三大花火大会」なんて言われてるけど、実はこの花火、ただの夏のイベントじゃなくて、
空襲で亡くなった人たちへの慰霊と、復興への願いが込められた、「戦争があった街だからこそ」の花火なんです。
この話、地元では常識なのですが意外と知らない人も多い。知ってるか知らないかで、長岡まつりの花火の見え方がちょっと変わると思います☺️
で、長岡の花火に心を打たれた有名人といえば、放浪の天才画家・山下清さん。(タンクトップ姿でおにぎり食べてる塚地さんが演じてたあの人🍙)
彼は1949年の夏、長岡の花火を見てこんな名言を残しています。
「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりをつくっていたら、きっと戦争なんか起きなかったんだな」

この言葉を知ってから、花火を見上げるたびに平和を意識して噛みしめるようになりました。
あともう一人、長岡出身の有名人で忘れちゃいけないのが、連合艦隊司令長官山本五十六。(海軍のめっちゃ偉かった人)
太平洋戦争の本格的なスタートとなった真珠湾攻撃を指揮した人です。
だけど実は「アメリカと戦争したら、まず勝てない…」ってことを、一番よくわかっていた人物。
なぜなら、アメリカに留学した経験もあって、工業力や経済力を含め国の力の差を肌で感じていた人だったから。
それでも時代の流れには逆らえず、開戦が決まってしまった。
やるからには最初の一撃で優位に立ち、短期決戦で和解しよう…って作戦を立て、奇襲による真珠湾攻撃を成功(※これは諸説あり)させます。
しかし、その後戦局は泥沼化。ついには敗戦。
最初から戦争はしたくなかったし、勝ち目がないってわかっていた山本五十六の気持ちを思うと、なんだか虚しい気持ちになるんですよね。
だからこそ、花火を見るとき「キレイ〜!」だけじゃなくて、爆弾が空から降ってくる時代があった。いけないとわかっていても戦わなくてはいけない時代があった。ってことを思い出してほしい。
長岡の花火には、ただキレイなだけじゃない重みがある。
平和であることのありがたさとか、あの時代を生きた人たちのこととか、そういうのを、忘れないでいたいですよね…!
だから私は、毎年8月になると、大真面目に歴史のことを考えます☺️
今月は太平洋戦争のことを、皆さんにシェアできることがあればnoteに書いて行きたいなって思ってます!
以上、太平洋戦争マニアのIONAでした!
