♯136 照れたり ごまかしたり
今週は基本のんびりな感じ。
こんにちは、LISAです。
今日はなんか、ふと気づいたお話。
照れたり ごまかしたり
人と話したり関わったりする中で
なんだか照れくさくなって
言いたい事の半分も伝えられなかったり、
行動しなかったな、ということがある、と気が付いた。
何故なんだろう?
何故、照れやごまかしが出てしまうんだろう。
もっとちゃんと伝えたら良かった。
ふとそんな風に思った。
そこにはまだまだ、
『こう思われるかな』や
『こう思って欲しいな』という
相手からどう見られるかという、不安や期待があるような気がする。
自分と向き合う中で
今までは正直、こんなことは気にしてもみなかった。
でもここ2年ほど自分と向き合い続けてきて
読書やジャーナリングを続ける中で見る視点や気づきが変わった。
今だからこその、気づきなんだろう。
でもふと。
同じようなことを、娘には出来ているのでは?と思った。
『〇〇ちゃんはお母さんの宝物よ』とか
『だいすきよ』とか
言葉や行動で示している。
もちろん家族と、それ以外の人は違うのかもしれない。
だが娘に対してはやはり、
【見返りを求めていない】んだと思う。
愛のかたち
それはある意味、一方通行だ。
でも娘に対して、私はそれで納得している。
親子、という関係性もありそうだが、
娘から何かしてもらいたいとは思っていない。
それがいわゆる【愛】なんだろう。
最近よく読む斎藤一人さんの著書でも
そんなような話があった気がする。
一人さんはとても愛のある方だが、
見返りを求めている感じはない。
愛を持って、行動している。
まっすぐに。ていねいに。
恥ずかしがるから恥ずかしい
舞台や人前で話したりパフォーマンスしたりするときに、
恥ずかしがっている人を見ることほど
恥ずかしいことはないと思っている。
振り切っている人の方が堂々としてカッコいい。
・・・そうだ、そうなのだ。
日常生活でも同じだ。
もっと振り切ろう。どう思われてもいい。
大切な人や目の前の人に、まっすぐに伝え続けよう。
どう受けとるかは、相手に委ねよう。
こちらがそこまで考える必要はない。
すぐには出来なくても、
きっと少しずつ出来るはず。
もっとああすれば良かったな、を減らすために
まっすぐに伝え続けよう。
おわり。
