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第2部|「自分は大丈夫」は、何を根拠にしているのか──知ったつもり・経験則・過信という見えないリスク


はじめに──「危ない」と知っているのに、なぜ人は進むのか

第1部では、

「知っている」と「理解している」は違う

というところから考えました。

「冠水した道路は危険」

という情報を知っている。

しかし、

「なぜ危険なのか」
「どのような条件で危険になるのか」
「自分ならどう判断するのか」

まで考えなければ、知識は実際の判断にはつながりません。

ここから、さらに一つ疑問が出てきます。

それは、

「危険だと知っている人でも、なぜ危険な行動をするのか?」

ということです。

例えば、

「水の中を走るのは危ない」

と知っている。

それでも走る。

「タイヤが摩耗していると危険」

と知っている。

それでも交換しない。

「バッテリーは突然上がることがある」

と知っている。

それでも何の対策もしない。

「ブレーキに違和感がある」

と感じている。

それでも、

「まあ、大丈夫だろう」

と乗り続ける。

この「大丈夫」は、一体何を根拠にしているのでしょうか。


「大丈夫」は、判断ではなく願望になっていないか

「大丈夫」という言葉そのものが悪いわけではありません。

問題は、その根拠です。

例えば、

「このくらいの水なら大丈夫だろう」

と考えたとします。

その「大丈夫」は、

  • 水深を測ったのか

  • 車両の構造を理解しているのか

  • 道路の状態を確認したのか

  • 水の流れを確認したのか

  • 車両の吸気系の位置を知っているのか

  • 退避できる場所を把握しているのか

  • 途中で危険になった場合の対応を考えているのか

によって意味が変わります。

もし何も確認していないのであれば、

「大丈夫」という判断というより、

「大丈夫であってほしい」という希望

に近いのではないでしょうか。


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